熟年の手習い

熟年老い易くチェロなり難し

ユニクロと皇后さまファッション

2015年03月18日 | ファッション
久々に風邪でダウンしてました。
手洗い、うがいが出来てなかったのかなぁ。。

ぼんやりしながら「一億人の服のデザイン」という本を読みました。
時代によってファッションの位置づけが変化するのを、年増のリアルな体験者として共感。
ベーシックばかりに押され気味な昨今にも納得。
サプライズがほしいわ。
(自分で作れって?)

著者の滝沢直己氏はイッセイミヤケやユニクロで活躍された方。
メンズもレディスもオールマイティ。
イネスとのコラボも彼の仕事でした。

その彼が、TVの「皇室スペシャル」に登場なさっていて、びっくり。
昨年、皇后様の80年を取材した番組の録画を、母が半分見残したまま天国へ。
先日、消去する前にザッと見ていたら、なんと彼は5年の前から皇后様のデザイナーなさってたのですね。
一億人の服も、たった一人の服もデザインされるデザイナー氏!
デザイナーが変わったからといって、目だった変化はわかりません。
皇后様スタイルを忠実に再現されている様子でした。
消去せずに保存版にしました。

皇后様が柔軟にデザイナーを選ばれていることに驚きと感服です。

ファッション美術館がおもしろい

2013年05月07日 | ファッション
故高田喜佐さんのシューズ展と、
それに関連するトークショーに行きました。
「KISSAの靴と私のページ」
ゲストは原 由美子さん(スタイリスト)と高田 邦雄氏(株式会社キサ 代表)

800足もある靴の展示は圧巻でした。
美術館で靴を見るのは初めてですが、彼女の強い個性と創造性によって、思ってもみなかったほど興奮、感動しました。
気概、スタイルを持って生きるヒトは素晴らしい!!!

トークショーも、HPで見つけた時から楽しみにしていました。
アラ還になって、若い頃から雑誌で大注目していたスタイリストの大御所に、生でお目にかかれるとは!

青春プレイバック、一気に高校時代からのファッション履歴が思い起こされて、懐かしくて涙が出そうでした。

忘れもしない高2の修学旅行のバスの中、クラスメートが「アンアン」を持ってきてワイワイ言ってました。
そのころ私はピンと来ず。
20才の時、学生結婚した友人の新居で、昔のアンアンて今よりずっとカッコイイ!、と彼女のお宝、創刊時のバックナンバーが披露されました。
その時の衝撃は忘れません。
たぶん高2で見たソレだったのに、別人のように惹かれました。

当時、ファッション雑誌はアンアンに続いてノンノの2冊だけ。
お店も中学生の時にマミーナが出来て、大人の服にハマリました。
次に鈴屋、三愛が出来て3箇所で選べるように。(神戸の話ね)
大学入学祝いに知り合いのお姉さんから頂いたオシャレなセーターは「ロペ」でした。
その次にビギとかワイズが入っているセレクトショップが出来て。。。
書きだしたら長くなるのでやめます。

若者の人口はいったい今の何倍あったでしょうか?
それなのに、雑誌もお店もたったコレだけ?
今は雑誌は溢れかえり、店舗も大型になって増え続けています。
現代人はどれだけ大量生産大量消費、無駄遣いをしているのか、と話は違う方へ行きそう。

ともかく日本の高度成長期、、名だたるたくさんのクリエーター、デザイナー、アーティストが輩出された時代がありました。
ワクワクして斬新なものに飛びついたものでした。

ああそれなのに、大切にしている服、バッグ、靴は海外ブランドばっかりの日本人は多数派では?
豊かになって、却って日本のものづくりの付加価値が落ちるなんて、残念なこと。
頑張って面白い創作をする人が育つ国にならないと。。。

ぶ厚いけど、手元に置きたい思い出の本として原さんの本を買いました。
ご丁寧なサインも頂いてしまいました。
(CDに比べたらお安いですよね。)
70年代クロワッサンの原さん特集は未だに持っていますが、80年代のは持っていません。
そこに収録されていた向田さんや白洲さんとの対談が読めてよかったです。

草分けとして良い仕事をしてこられた風格を、本にも人物にも感じました。
それから高田さん(写真で拝見した限り)もそうですが、無理に抗わず自然な年の重ね方がステキです。


*喜佐さん亡き後の膨大な数の靴その他資料が、ここの美術館に寄贈されたそうです。
*18日には靴の展覧会とは無関係のトークショーがあるそうで、これも興味津々。
 「おとこが男でいる理由」鷲田清一氏&植島啓司氏


つくりました

2010年05月27日 | ファッション

結婚式・披露宴は数年ぶり。
いろんなトレンドがあるものです。
ウェルカムボードは初めて作りました。
子供の頃の同じポーズの写真を使ってみたのですが、
難しかった~~

お次は2次会のドレス。
出来るだけシンプルに。
生地はコモ湖畔の老舗メーカーのシルク。
持て余していたキラキラの白い布を使うラッキーチャンス。
ウェディングドレスのトレーンが重くてぎっくり腰ってか!?
心配しましたが、2次会は友人ばかりで大いに楽しめたそうです。

 この10年くらいでベアトップのドレスが主流になったみたいですね。
体格がよくなって着こなせる人が多いということでしょうか。
しかし、このタイプばっかりで選ぶ余地がないくらいで驚いた。
「水色・・」の片腕が写っておる。

次はこの人のドレスも作らねば。
花嫁の妹ですが秋に結婚式。
振袖で花嫁に負けないくらい目立っていました。
この着物、私が二十歳の時に誂えてもらって、
何度も着て、妹も確かお色直しでも着たような。
私から数えて4人目の彼女、大きく動くたびにビリッバリッと音がすると言ってました。
あちこち糸がほころんでいたそうです。
次の世代まで着られかどうかはわかりません。
着物も流行がありますが、今でも可愛くて素敵と好評でした。


ギリギリはダメ

2010年04月14日 | ファッション
姪っ子に結婚披露宴2次会のドレスを頼まれています。
披露宴ウェルカムボードもです。

今月はじめ、妹のチェロ発表会用の服、余裕で間に合うはずが、風邪で製作中断。
なんと、無残にも間に合わなかった!
本番、エンドピンもすべったらしいし、番狂わせ、その1でスマン。

この前科に恐れをなした姪っ子は、メールでしっかりチェックしてきます。
伯母さんのお尻に火がついてきた。
ドレスは、トラブル発生しなければ楽勝よ。
(トラブル発生したら、いったいどーすんのよ~?と言うなかれ)

さて、ウェルカムボードなんちゅーもんは作ったことがない。
スクラップブッキングなるホビーがあるのも知らんかった。
元来、シンプル第一、かざりっ気なさすぎのオバなんですが、
カワイイ芸風も開拓するか・・・

ネット上をうろうろしていたら、クラフトアーティストの面白いリンク集
にはまって、時間ばかり過ぎて行くわい。

実行に移すまでが長い。


どくろ柄の人

2010年02月14日 | ファッション
ファッションデザイナーのアレキサンダー・マックイーンが亡くなった。
弱冠40歳!
ということは早くから頭角を表していたのですね。
10年以上前、すごい人気で注目していました。
センセーショナルなショーの作品と違って、
日本で販売されている商品は、意外と堅実という印象でした。
マニッシュなスーツなど、とても洗練されてました。
ジャケットのシルエットが中年のボヤケタ体を美しく見せるという噂で、
パターンとか参考にしたことがあります。

過去のショーの写真を見てみると、ずっとドクロ柄、好きなんですねぇ。
去年から、日本でもよく見かけるのですが、ルーツは彼でしょう。

人気沸騰の頃、内面の危ない不気味マインドを覆い隠すような、非常にゴージャスで凝った作品でした。

時代は流れ、ファーストファッションに人々は流れていきます。
ファッションがアートしていた時代なんてウソみたい。
ヨージ・ヤマモトのこともショックでした。
強い創作意欲を衰退させない世の中でないと、未来はわびしい。
マックさん、お疲れ様。

時は流れて

2009年10月13日 | ファッション
追われていた仕事も一段落。

そして、先の連休、姪っ子と二次会新婦のドレスの相談も一件落着。
七難隠すデザインは大成功!
本人もすごく喜んでくれました。
まさに人生バラ色の時期で、ほんとに微笑ましいこと。
こっちまで、幸せ気分が伝染します。

今時のフォーマルドレスは、お水系と見紛うような傾向。
町で披露宴におよばれの「女子」群を見かけると、そこまでセクシーにせんでも、と思ってしまう。
せくしーにした時、貧相はNG。
なのに、生地がチープだったり、中味が貧弱だったり。

ほんの10年前と比べたら、恐ろしく露出度アップ。
素材からデザインまで、どうしてこう画一化なのか。
不況の割には、チャラい系が好まれるとは。
というか、そういうものしか売ってなかったら買うしかない!?

時代を越えても、色褪せない、違和感のない、そういうモノを作れたらと願う。
昔の写真を見て、そんなことをチェックするのも面白い。
趣味と実益で、仕事の楽しい一面。
苦しい一面は書かないでおこう。


そうそう、ヨウジヤマモトが民事再生。
同様なケース、ラクロアには仏政府が文化保存の意味もあり支援したとか。
ヨウジヤマモト復帰を願って、昔のY'sを出して着てみた。
真っ黒は今も着られる。

グレは偉かった

2009年05月18日 | ファッション
ガラガラの電車の中で70がらみのオバサン3人。
(最近オバアサンと呼びたい年齢が上ってます)
全員マスクしているにも拘らず、そのオシャベリのやかましいこと。
文字通り姦しい。
マスクして、そこまでしゃべらんでも。。。
これが、マスクしてなくて感染した人だったら…ぞ~~~っ

さてさて。

神戸ファッション美術館へ行きました。
久しぶり。
たまには本業の肥やしになることもしませんと。
「マダム・グレの世界展」です。


ギャラリートークの時間なので、学芸員の方の説明付き。
お客は年配の男性(異業種の方?)と私の貸切状態でした。
入り口に服のパターンも展示してあったのですが、
興味の度合いに個人差激しく、説明のレベルに苦慮なさる学芸員さま。
それでも1時間以上も丁寧に解説して下さったので「さま」付けです。

解説を聞きつつ、自分の中でモードの歴史をおさらい。
勉強になるし貴重なヴィンテージ衣装が拝見でき、なかなか有意義な時間でした。
(それに、入場料400円、パンフ300円。財布にやさしいこと!)

ちなみに庭園美術館で開催された「ポワレとフォルチュニィ展」もこの美術館と共同企画です。
フォルチュニィの服も展示してありましたが、いつ見ても魅了されます。
イッセイプリーツとはイッセンを画します。
でも実際着たら、すぐダメになりそうなシルクのデリケートさ。

グレといえば、昔、阪急デパート看板プレタの印象があり、
派手リッチな年配コンサバ服デザイナーという偏見を持っていました。
実は全然違って、時代を超えたモードの礎を作ったパイオニアだったのです。

ヴィオネ、バレンシアガ、グレ。
彼曰く、この3人が歴史的3大デザイナーだそう。
シャネルやディオールは入りません。
服を作るテクニカルな部分での独創性がないからでしょうか。
バレンシアガの偉大さがイマイチわかりません。
バレンシアガは、ライセンスの仕事で関ったことがあるのですけどね。

グレの服は、セレブ中のセレブしか着ることのない最高級のオートクチュール。
彼女お得意のプリーツやドレープは全部手作業、手縫いで恐ろしく手の込んだもの。
今の値段にして、1着1千万円クラスだそう。たかぁ~!

4~50年前のドレスです。
流行を越えた不変的な美しさです。
当時、どれだけ斬新で優美なオーラを放ったことでしょうか。




思い出したのは人気急上昇のタダシ(TADASHI SHOJI)というブランド。
タダシさんというデザイナーの経歴も、かなり異色です。

そのブランドに似ている服があるんですよ、グレに。
それが信じられないお手頃価格。(100分の1の値段)
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お水系とボーダレスの部分もありますが、音楽家にも大人気のようです。

今や絶滅した伝統的な素材や技術はあるものの、量産可能な技術の発展で‘高値の花’が大衆化したわけですね~。

何が本物なのかは、歴史に決めてもらうということで。。。


労多くして

2009年02月06日 | ファッション
発表会の服は、オートクチュールで。




こんな感じにしようかな。。
などといろいろ悩んで。。


結局、何てことないブラウスになった↓





へへへ、自作自演のオートクチュールでござる。

時間切れというか次第に意欲減退。
すぐ縫えるものでなければ間に合わない。

後ろにあるピアノが黒なので、上半身は白い方がベター。
やはりチェロが弾きやすいこと、少しでも体型をカバーすることに留意。
スカートは黒で、前にも借りた母のコーラス用。
ストレッチ素材でスリムに見えて、なおかつチェロを挟む開脚が可能。

おーとくちゅーるの名に恥じないコモ湖畔のシルク生地メーカーの生地使用。
(仕事で行った時に買い付けた。但し昔の話)
写真でわかりにくいけどオーロラに光る糸が織りこまれています。
ライトが当たったら、よく光ります。
下手したら、ハレーションを起こして顔がまっ白に見えるかもと思ったら、
なんのなんのステージ上はライトの加減か全然光らず、
ただの白のブラウスに見えたとか。
このピカピカの糸のせいで縫いにくかったのに。

苦労は報われないものです。