「喋々喃々」小川糸 ポプラ社 2009年
昨年ひとに会うたびに「食堂かたつむりって読んだ?すごく良かったよ」と言っていた。その「食堂かたつむり」の小川糸の最新刊。
東京谷中でアンティーク着物屋を営む28歳女性、栞。冒頭、男性が着物を買いに来るシーンがある。ここを読んだだけで、この本を手に取った自分が幸せに包まれる。ふわふわと。
栞はその男性に、やり取りの中で好意を抱くようになる。(この「喋々喃々」はその彼とのその後が大きな核になるのだが。)その彼女の好きになり方と、そして彼女が彼に感じるものを読んでいると、男性として、こんな風に女性に好きになってもらえたらいいなあとしみじみと、心がほっこりとしながら思った。思われ方として一つの理想の形だと思った。自分が女性だったら、こんな風に人を好きになりたいなあとまた、思った。
物語は正月に始まり、梅の季節、桜、花火、月見、そして・・・1年をぐるっと回る。日本に四季というモノがあって良かった。だからこんな作品が生まれるのだ。
人を好きになるとすべてが反転してしまうことを思い出した。永遠と感じていた景色が儚く、幸福だと思っていたことが切なくて物悲しくなる(26ページより引用)
糸ーー!好きだーーー!
こんな文章を書く小川糸、こんな物語を書く小川糸が(作家として)(女性として)好きだ。
喋々喃々という言葉は知らなかった。男女がうちとけて小声で楽しそうに語り合う様子だそうだ。広辞苑をひいてみたら、喋喋はしきりにしゃべる様で、喃喃は小声でしゃべる様だそうである。実にいいタイトルだ。内容とよく合っているし、男女が大声で語り合うより、小声で語り合っている様子の方がいいよね。
恋愛小説とも、和風小説とも、20代女性小説とも、東京散歩小説とも言える(自分がよく知っている地名は店の名前が出てきたが、それはこの際割愛してしまおう) 読み終わって、本を閉じてから、ああ今一番大切な人にプレゼントしたい、そんな小説だと思った。
「食堂かたつむり」小川糸に教えられる作ること食うこと
小川糸「喋々喃々」を読んだ後村山由佳「ダブル・ファンタジー」を読むとどうなるか
「ファミリーツリー」小川糸
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でもまだ「少女」読んでないっ!
本が逃げていくわけではないですから。
このような大量発売本でない本だと店頭に並ぶ時間があまりにも短く
買おうか迷っていると1週間後にはもう消えているなんてこともありましたが。
Amazonで買えるので便利なのですが、でも品切れ本が意外に多いです。
この小説を読んで、はっきりと自分の嫌いな考えが分かりました。
すすめてくれてありがとうございました。
分かっていてどうしてもしてしまう事の一つに、自分の考えは
正しいと思い込んでしまうという事があります。
自分が素晴らしいと思ったら、もちろんそうでないと思った人も
いるはずなのに、そのような人がまるで存在しないかのように
思ってしまいます。
ということをあらためて思い出させていただきました。
ただ、「他者を排除することがよきこととする考え」や「食に真摯に向かいあってる人に対して冒涜しているような考え」がキライ、そのような考えを押し出しているこの小説がキライだと言ったまでです。
個人的な感想です。
なるほどなるほど。
了解いたしました。
普段なら毛嫌いする不倫もの(笑)、絶対、いつもならヒロインより正妻に肩入れしてしまうのだけど
もう 最後の1ページまで栞さんをなんというか応援したくなってしまった…
糸はんの、お料理の描写はいつも
色があり香りが鼻孔をくすぐり温かみがあってたまらない
女でも「こんなふうに愛されたらもう逃げられない」、て思う
猫になって全身撫でられてるような心地よい文章で←不倫の蜜のほうじゃなくて(笑)
うまく 添い遂げられないまでも
少しでも長く 幸せな時間を過ごせますように、と願ってしまった
でも
蜜を味わうほどにその後は辛くなるのをわかっていて
彼女は別れを決意したのになぁ、とか
彼の薬指に変化…
結局…そういうことにしか決着はないのか…(ノ_・。)とか
微妙な気持ちでした
宮本輝の小説を読んでいると、不倫とか浮気をしている/しそうになっている登場人物が出てきます。
簡単には、越してはいけないラインを越さないのですが、越すか越さないか苦悩する様などを読んでいると、結果としてラインを越してしまっても、読んでいる方には「これじゃあ仕方ないか」と思わせます。
教科書的な教えだと、「不倫はいけません」「浮気はいけません」ということなのでしょうが、なぜそうなってしまうのかを物語として読むと、避けられないある種の人間の業のようなものなのかなとも思います。亡くなった立川談志は「落語は人間の業の肯定である」と言っていますが、「喋々喃々」もまた、人間の業の肯定なのかも知れません。