頭の中は魑魅魍魎

いつの間にやらブックレビューばかり

貸し借りで言う、「借り」ばかりの人生

2009-02-16 | poetic inspiration
最近思う。

ひとに対して、借りばかりの人生だったと。

本当にお世話になり、という言葉すら陳腐なものになってしまうほど、大恩がある人が数人いる。この人たちがいなかったら、今の自分がなかったどころか、今の自分がこの世に存在してなかったと思う。

しかし、悔しくも悲しいことに、借りを返せない。

返す術がない人もいる。
返す方法が分からない人もいる。
返したいのに、どうもがいても返せない人もいる。

人生にバランスシートがあるとすれば、右側にあたる、資金がどこからやって来たのかを表す側には、負債しかない。その負債による資金が左側にあたる資金の行き先。それが俺の人生の資産になっているのだろう。

たぶん、恩ある人へ借りを返すと、負債が減り、それが自己資本に切り替わるのかもしれない。


恩ある人に返せない借り。
だれか別の人に、何かをしてあげれば、その借りを返したことになるのだろう。

ところが

誰にも何もしてあげられてない。

ただ、ずっと
そんな人生を送ってきた。

悲しい、悔しい。 


だから、人と関わりを持たなければ、誰にも何もしなくていいのに。

でも関わりを持とうとする自分に気づくと、
自分のバカさ加減に
笑ってしまう。











そんな風に思っていたら、

「なんとなく生きている日々」のニケ屋さんの言葉にグッと心をわしづかみにされた。前後もとても面白い記事なので、「2月14日は煮干しの日です」を読んでみて下され。


「もしかしたら今の自分は未来から人生をやり直しに戻ってきた自分なのかもしれない。
じゃ、やり直しちゃいますか!」



もしかしたら、私も今の人生を「やり直す」ために生きているのかも知れない。そんな風に思ったら、今自分の目の前に見える物がガラッと姿を変えた。ニケ屋さんの言葉で私の人生は大きく変わるかも知れない。

ひとの言葉とはときにとても大きな力を持つものである。

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Mr.ChildrenのSUPERMARKET FANTASYを聴きながら

2009-02-15 | music

最近、iPodに入れてヘヴィローテーションで聴いているのはSUPERMARKET FANTASY 特にその中でも三曲目の「エソラ」がいい。何ともシャラシャラして軽くてポップでハッピーな感じのイントロ。でもリリックはシリアスだったりして、リッスン・トゥでフィール・ソー・ナイス。

とっくに流行が終わったルー語で言ってみた。








よーく見ると私がちっちゃく出演している。エレキギターを弾いているのが私。ではなくてテレキャスターのボリュームスイッチに扮しているのが私である。はっはっは。すまん。

このエソラで冒頭私の耳がキャッチしたのは「水を~こ~ぼして~る♪ 空っぽの~生き~もの~♪」だった。水をこぼす空っぽの生き物と言えばこれだと思っていた。








水飲み鳥だったけか。エソラを聴くとこの水飲み鳥をずっと連想していたのだ。しかし正しい歌詞は「二足歩行してる空っぽの生きもの」だと分かって、軽い眩暈がヒット・エンド・ラーンした(鳥居みゆきかよ)気をとりなおして真面目に行こう。


 雨に降られたら 乾いてた町が
 滲んでキレイな光を放つ
 心さえ乾いてなければ
 どんな景色も宝石に変わる

ここのフレーズがすごくお気に入りである。いい年してミスチルはいいとなかなか言いにくいものがある。しかし私はムーミンではないのだ。いいものはいいとモジモジしないで恥ずかしからずに言っていきたい。

iPodでリピート設定してこの「エソラ」は山ほど聴いたので完璧に覚えてしまった。

ので、

忘年会のカラオケの曲はこの「エソラ」で決まりである。

2月に忘年会の曲選定が既に終わっているなんて、まるで

まだ夏休みが来ていないのに、夏休みの宿題が終わっているような気分である。

 まだ結婚してないのに、離婚したような気分である。

  まだ買って来てもいないのに、食べ終わったような気分である。







SUPERMARKET FANTASY [通常盤]

TOY\'S FACTORY Inc.(VAP)

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バレンタインデーたくさんありがとうございました

2009-02-14 | laugh or let me die

バレンタインデーに多くのチョコレート、キャンディー、本、羊羹、大福、など頂戴致しまして、誠に有難うございました。

多忙につき、個別に一人ひとりの方々にお礼を申し上げるのを控えさせて下さいませ。申し訳ありません。

代わりと言っては何ではありますが、私の大きな愛のビームを貴方に向けて発信致します。どうぞ受け取って下さい。































たくさんもらうということは織り込み済みなので、想定範囲内なので、もちろん当然のことなので恒例のことなので、それを受けての見込発進、いや見込発信だった。

しかし今現在、一個も届いていない。

どうしてくれよう、皆の衆!

この場合の私の正しいリアクション

① 発信したビームを返してもらう。
② ここでこう書いたんだから、この後たんまりもらえると期待する
③ 虫歯になるほどチョコ食いてえと小さくつぶやく
④ チョコ求むと手の甲に書いて人に見せる
⑤ おでこにチョコと書いてキン肉マンではなくキンチョコマンになる
⑥ チョコを食う者は負けだというキャンペーンを開始
⑦ 街でチョコ食っている奴に聞こえるように「今年グリコ森永事件がバレンタインチョコをターゲットに復活したらしいぞ」と携帯に向かって、怖い顔をしながら言う。あちこちで言う
⑧ そろそろこの辺で終わりにする
⑨ 倉敷で撮った写真がこんな風に利用できたなんてエライエライと自分を褒める
⑩ そろそろこの辺で終わりにする




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映画『スーパーサイズミー』

2009-02-13 | film, drama and TV




マクドナルド内で売られている商品を食い続ける30日間を追ったドキュメント。というほどの作品でもなかった。最近立て続けに2名が「これ面白かった」と言っていたので、こういうことには単なる偶然ではなくシンクロニシティもしくはシンクロニシティ的神のお告げを感じないこともないので(どんな日本語やねん)見た。しかし、結局1.5倍の刑を下してしまった。1.5倍速で流し見たということ。

つまらなくもないがかといって食い入るほど面白くもない。きっとそうなるだろうという予想を裏切る映像が特になかったので。

まあしかし、食うという行為にどこまで自己責任があるのか考えるヒントになった。

食うという行為を物凄く拡大解釈すると、異性を食うなんてえのもある(最近iPodで落語を聴いていることが多いので落語的な言い回しで頭の中がいっぱいなのだ) 異性と付き合うという行為に自己責任はあるのだろうか?(異性=マックのハンバーガー)その異性を製造販売した者に企業としての責任はないのだろうか?製造販売者とは、その者の親、合コンに連れて来た幹事等のこと。食べた者の自己責任もあるが製造販売者に責任はあるだろう。としてPL訴訟をProduct LiabilitiesじゃなくてParental Liabilitiesにしてみると面白い。いや全然面白くない。

うーむ。非常にキレが悪くて申し訳ない。

こんな日も たまにはあるさ 許してね(なぜか5・7・5)


※余談

昨晩テレビ東京系で放送のあった「怒りオヤジ3」で自称イラドル(人をイラッとさせるアイドル)がせんだみつおに説教されているのが面白かった。何を言われても「○○なんです~」とアニメ口調で言う続ける彼女に対してせんだみつおが「セックス依存症でしょ!」と言い放ったのに大爆笑してしまった。その前後関係の脈絡のなさと断言の仕方が絶品だった。

先日の麻生首相による「郵政民営化には反対だった」発言には仰天した。ただでさえ、政治家になりたいと思う子供なんていないのにさらにまた政治家志望の前途有望の子が減っていく。プロのスポーツ選手が「僕も将来あーなりたい」というロールモデルを提供しているのに対して、麻生首相は全国の先陣を切って「僕は将来あーはなりたくない」というロールモデルを提供している。という意味でもまた稀有な首相であり稀有な大人の男性でもある。

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女心の最近のトレンド

2009-02-12 | days


先日、携帯にメールが来た。

メールをくれたのはすごく古い友人ではないがそれでも数年の付き合いではある。歳は私よりずっと若い。あなたとお話がしたいと書いてあったので、今度飯でも食いに行こうと返事をした。

で、それからうんともすんとも返事が来ない。うーむ。

日々が過ぎ、先日携帯にメールが来た。別の人から。

飲みに行きましょうということなので、OKと返事をした。

で、それからうんともすんとも返事が来ない。うーむ。うーむ。

こういう「自分から誘っておいて、でもOKの返事が来たらそれは無視する」というのが最近の若い女性のトレンドなのだろうか。CanCamに「この春の無視トレンドはこれ!」とかJJに「無視をするのが女の生きる道」とか書いてあるのだろうか。

分からないことはたくさんある。しかし、最近特に女心が分からない。




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みなさんこんばんわ松尾です

2009-02-11 | laugh or let me die

月日にゃ百代にょ過客にゃりして、行きかふ年もまた旅人にゃり。舟にょ上にぃ生涯をうかべ馬の口とにゃへて老を迎ふる者にゃ、日々旅にして旅を栖とするにゃり。古人も多く旅に死せるあったにゃり。予もいづれの年よりか、片雲にょ風にさそはれて漂泊にょ思やまにゃいで、海浜にさすらへ、去年にょ秋江上にょ破屋に蜘蛛にょ古巣を払ひてにゃやゝ年も暮、春立てる霞にょ空に、白川にょ関越えんと、そゞろ神にょ物にょつきて心をくるはせ、道祖神にょまにぇきにあひて取る物手につかじゅ、股引にょ破れをつづり笠にょ緒つけかへて、三里に灸すうるにょり、松島にょ月まづ心にかゝりて、住みぇる方は人に譲り、杉風ぎゃ別墅に移るに
  草にょ戸みょ住みかはる代ぞ雛にょ家































猫の細道


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『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』白石一文

2009-02-10 | books

「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」(上下)白石一文 講談社2009年(書き下ろし)

「一瞬の光」でまさに一瞬の光を放った白石一文。その後はどうも読んでもピンと来ない作品が続いた。今回は講談社の創業100周年記念書き下ろし100冊シリーズの一冊であるので、あまり期待はしないで読んでみた。

主人公カワバタは大手週刊誌「週刊時代」の編集長。仕事はできる。妻は東大で発展途上国経済を研究する助教。子供あり。カワバタの目を通して見た、彼の仕事、彼の周りの人、巻き起こる小さな出来事大きな出来事。それら出来事とカワバタの独白・考えがパラレルに読者を襲う。最初は藤原伊織の傑作「シリウスの道」的、王道サラリーマン小説かと思ったが、全く違う。エロ&官能を難解な言葉でコーティングした似非エロ小説かと冒頭思ったが、全く違う。

一つ一つの言葉が刃のように突き刺さってくる。卓越した技を持った刀匠が時間をかけて作り上げた日本刀のようだ。斬られ突かれる。すると痛いと感じるより先に、血が噴き出す。鋭い刀とはそういうもの。白石一文の文章も読んでから、しばらくして痛くなる。心から血が出ていることに後になって気づく。

いやいや。まいったまいった。これは直木賞候補に選ばれるでしょう。でも直木賞は取れないような気がする。あれは功労賞的側面が強いし白石一文がそれほど文壇に貢献しているとは思えないし。しかし、私の経験とカンは「候補作になるのってこういう作品なんだよね」と告げている。そして候補作と帯に銘打ってもそれほど売れないと思う、そんな作品。

 「この作品は読者を選ぶ」って言う者は「他のみなは分からないと思うけど、この私は分かるんだ」というつまらない優越感に浸っているに過ぎないという批判がある。しかしねー。しかしですねー。この「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」を友人に薦めることができるだろうか。読んだみながよかったよかったと言うだろうか。そんなことはあるまい。ちょっと面白いので友人10人を思い浮かべてみよう。Yちゃん、M,Pちゃん、S,K君、Mさん、KKさん、A、Y君、Kつ。この中で「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け!さあ一緒に抜こうではないか!」と薦められる友人は・・・一人しかいいない。その一人以外には特に薦めない。そんな小説だ。でも、すごく面白かった。

私がこの小説の中で一番好きな箇所は

すべてがくだらない、と何となく思った。この世界のすべてが、たしかに猛烈にくだらない。(中略)ありとあらゆる新情報がこの耳に入ってくる。もうどんな情報も欲しくない。特に日本語の情報は心底うんざりなのだ。
  僕は人形のようにただ座っていた。何も見たくないし聞きたくない。特にこんな静かな雪の日には。(上巻35頁より引用)


文章の美しさ、カワバタの気持ち、そしてそれとシンクロする読んでいる私の心。今読み返してもなんだかグッとくる。

カワバタの独白こそ、いやこの本の魅力の87%はカワバタの独白にある。それがなければ読む価値ゼロだ。彼の考えは人間存在から宇宙、セックス、政治、経済と幅広い。まさか小説の中でミルトン・フリードマンの引用を読む日が来るとは。そして彼が披露する考え(その内の7割以上はたぶん白石一文本人の考えであろうと想像する)の多くは、なるほど、そんなこと特に考えたこともなかったけど確かにうなずけることばかり。フリードマンなんて知らないという人はそこだけでも読むことをオススメする。フリードマンのシカゴ学派らしい考えを披露した上で、それを正しくないとカワバタは言う。私は経済に関しては反ケインズ的な立場をずっと貫いてきた。政府は小さくあるべきだし、市場は万能ではないにしても市場に任せるべきであるというのが自論。だからと言って必ずしもフリードマンの言論が正しいとは思わない。しかしカワバタはちょっと私を意外な方法で突いてくれた。うーむ。

特に●●はXXであるという断定的な物言いがとても多い。ひたすら言い切る。その言い方がもたらすのは、読者による激しい拒絶か熱い賛同である。私は沸騰しそうなほど熱く同意した。

 いわゆる「経済小説」「ビジネス小説」とは違う。幸田真音とかあの辺が書くもの。「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」というふざけたタイトルが経済小説のわけがない。そうではなく、哲学小説の方がまだ近い。そうだな・・・・・・

白石一文が哲学をぶんぶんと振り回す。 もしくは、
凝縮された白石哲学を遠心分離機にかけて、小説内で飛び散り撒き散らされたような小説だ(なんのことだかとても分かりにくいかも知れないがまあいい)

この本が凄いのは、凄いと声を大にして言いたくなる理由の一つは、どこかテキトーな頁を開いてそこから2、3頁つまみ食いしても充分読むに耐えうることである。全体としてきちんとした物語となっていると同時に様々ないわば前後関係が必ずしもそこを読むになあたって必要でないロゴスの嵐嵐。

 もしこの本を買おうか迷っている人がいたならば、上巻102頁にフリードマンのPLAYBOYのインタビューが載っている。そことその後のカワバタの感じたこと、後は下巻83頁にある「かなしい 3番」という詩を読んでみるとよい。両者読んでも2分とかからないだろう。その上で何か感じるモノがあればたぶんこの不可思議な傑作「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」が提示する世界に没頭できる。

私事で恐縮であるが、ブログで私事でないことなどないわけだから恐縮と書くこと自体が恐縮であるが、この本を読んでいる最中にすごく懐かしい動きがあった。読んでいる途中で、「これは!」と思う箇所に出会うと、本を掴んでいる手が本をぎゅっと握り締めてしまうのだ。こんな経験、最後にしたのはいつだろう。高校生のときに夢野久作の「ドグラ・マグラ」を読んで以来かも知れない。愛しい人を思わずぎゅっとしてしまう時の快楽がもたらす快楽粒子(もしくは切なさ粒子)の数と同じかも知れない。だとすれば読みたい本さえあれば女など要らぬということになるのだが、そして近年それについて考える事が多くなっているのだが、まだよく分からない。

実は「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」どころか、「この本のあちこちに貼り付けた付箋を剥がせ」状態なのだ。ここいいなーと思ってポストイットを張っていたら、だらけになってしまった。


 「きっと誰かが観ているのだ」と思う(上70頁)
 彼らには自己という存在が、ある種の機能と役割を与えられた一過性の幻影にすぎないという醒めた自己認識がない。(89頁)
 僕たちはめまぐるしく変化する無数の意識の集合体としての「僕」を持っている。これは一本の太い糸に通されたおびただしい数のビーズ玉のようなものだ。そのビーズ玉の連なる糸を僕たちはあたかも「自分の本体」だと考え、糸に通された一つ一つの玉だけがそのときどきの自分の意識だと錯覚させられている。だが、本当の僕はむしろそうやって太い糸に通されなかった、無数のあぶれたビーズ玉の中により多く含まれているのだ。
 集めるのに都合のよい、糸を通しやすいビーズ玉だけを選んでいるのは、実は本当の僕ではない。それは意識の流れが存在する限り発生する渦潮のごとき自律的な活動にすぎない。(239頁)
 「幸せになりたい」だの「誰かを愛したい」だのといった単純平明なスローガンは、グロテスクな自己意識の正体から目を逸らすために「大雑把な意味」が半ばでっち上げた自己慰安のためのトリックのようなものだ(242頁)
 全知全能であるはずの神の力が、この世界ではどうしてこうも無力なのか?神の力が金銭の力にどうしても勝てないのはなぜなのか?という問いの答えは、実は至極簡単だ。
  神とはそういうものとして規定されているのである(下巻50頁)


ちょっと哲学的(?)な引用が多くなったが、経済についても多く語られているし、それほど読みにくくはない。

では、また。


 
 
 
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小川糸「喋々喃々」を読んだ後村山由佳「ダブル・ファンタジー」を読むと

2009-02-09 | books

前略

寒い日が続きますね。いかがお過ごしですか。実に面白い状況になりました。自分がです。「喋々喃々」を読んで、次に読みたいというよりも読まないといけないという本をあれこれと読んだんですよ(レビューはしませんけど。)それが終わってからお楽しみとしての読書として、やっと待望の村山由佳の「ダブル・ファンタジー」を読み始めたんですよ。ところがですよ?これがちっとも面白くないんですよ。いやたぶん面白いんでしょうけど体が受け付けないんですよ。100ページを過ぎて読むのをやめてしまいました。さて、あたくしの肉体はどうしちゃったんでしょうか?先輩ならご存知ですか。

「ダブル・ファンタジー」は官能小説という類であるので、PTA的観点からすると(どんな観点やねん)、汚らわしい小説なのでしょうね。しかしあたくし自身が尋常でないほど汚れた人間でございますので、汚染された小説などいつでもドンと来いなのですよ。しかし、小川糸マジックが、喋々喃々イリュージョンがあたくしを浄化してしまったらしいのですよ。

わたくしはあのピュアってやつになってしまったらしいです。なんてことですか。先輩、ピュアって知ってますか。「ダブル・ファンタジー」=汚い 「喋々喃々」=キレイなんて分かりやすい2項対立で片付けてはいけないですよね?しかし、しかしですよ、どういうわけだか官能だとエロだの濡れ場だのはあたくしの大好物だったじゃないですか?それが急に嫌いになってしまった。そんなことがあるんですね。え?すっぱいものが急に食べたくなるとかあるって?ああそういうことですか。

というわけで一冊の小説が汚濁した一人の男を塵一つ残さず清掃してしまった。いや油絵の具で猥雑に書かれたキャンバスのような男が一夜にして真っ白なキャンバスになる。そんな力を持つこともあるという例なんですね。

しかしやはりですよ、汚濁した男はやはりそれなりに生きていないといけないとんですよね。そうでしょ、先輩?あたくしは何を読めばいいのでしょうかね。 草々











喋々喃々
小川 糸
ポプラ社

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W/F ダブル・ファンタジー
村山 由佳
文藝春秋

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ラーメン屋と犬

2009-02-08 | laugh or let me die




「へい!いらっしゃい!」

犬「おお、おやじ。ラーメンをくれ」

「へい、おまちどうさまです!」

犬「おお、こりゃうまそうだね。ずるずるずる・・・ん!ばかやろー」

「あ、どうかなさいましたか」

犬「なんだこのぬるい汁は!いつも言ってるだろう!俺は猫舌じゃないって」





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花畑牧場<生キャラメルカフェ>に乱入

2009-02-07 | days


横浜そごう8Fで限定オープンしてる。

行ってみた。



花畑牧場生キャラメルカフェ横浜そごう



花畑牧場生キャラメルカフェ横浜そごう



これが噂の生キャラメルですか。
偽物も登場したとか。

これで1470万円は安くはない。
生キャラメルは確かに口の中でとろけるけど、期待が大きかったがゆえに、それほどでもなかった。新発売のホワイトチョコと、ロールケーキの中のクリームが旨かった。

しかし、

何が恐ろしかったって
周りを見回したら、
俺しか男がいなかった。

女の中に男が一人。
居心地いとわろし。

女性は男の中に一人でいても平気な生き物らしい。しかし男性は女の中に一人放り込まれると萎縮しダメな生き物らしい。なぜなんだらふ。

てな話を知り合いにした。

俺「しかし、そんな女だらけの場所でも特に何とも思わないというようなメンタリティを持ってる方がさー 生きていくには楽なんじゃないかねー」
知り合い「いや、それじゃあ男としてダメでしょう」

うむ。それじゃあダメなのか。

女は生まれながらにして女であり、
男は男になろうとして男になる。

今回、なぜか妙に改行の多い記事を書いてみて、花畑の生キャラメルといふタイトルと何の関係もない方向にまた行ってしまったなと思ふ。



※余談

昨晩遅い時間に地下鉄に乗っていた。すると座席に相撲取りが座っていた。思わず私の口から飛び出しそうになった言葉は「大麻買う?」だった。太っているので二人分の席を占領していた。関取じゃなくて席取だった。



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『喋々喃々』小川糸

2009-02-06 | books

「喋々喃々」小川糸 ポプラ社 2009年

昨年ひとに会うたびに「食堂かたつむりって読んだ?すごく良かったよ」と言っていた。その「食堂かたつむり」の小川糸の最新刊。

東京谷中でアンティーク着物屋を営む28歳女性、栞。冒頭、男性が着物を買いに来るシーンがある。ここを読んだだけで、この本を手に取った自分が幸せに包まれる。ふわふわと。

栞はその男性に、やり取りの中で好意を抱くようになる。(この「喋々喃々」はその彼とのその後が大きな核になるのだが。)その彼女の好きになり方と、そして彼女が彼に感じるものを読んでいると、男性として、こんな風に女性に好きになってもらえたらいいなあとしみじみと、心がほっこりとしながら思った。思われ方として一つの理想の形だと思った。自分が女性だったら、こんな風に人を好きになりたいなあとまた、思った。

物語は正月に始まり、梅の季節、桜、花火、月見、そして・・・1年をぐるっと回る。日本に四季というモノがあって良かった。だからこんな作品が生まれるのだ。


人を好きになるとすべてが反転してしまうことを思い出した。永遠と感じていた景色が儚く、幸福だと思っていたことが切なくて物悲しくなる(26ページより引用)



糸ーー!好きだーーー!

こんな文章を書く小川糸、こんな物語を書く小川糸が(作家として)(女性として)好きだ。

喋々喃々という言葉は知らなかった。男女がうちとけて小声で楽しそうに語り合う様子だそうだ。広辞苑をひいてみたら、喋喋はしきりにしゃべる様で、喃喃は小声でしゃべる様だそうである。実にいいタイトルだ。内容とよく合っているし、男女が大声で語り合うより、小声で語り合っている様子の方がいいよね。

恋愛小説とも、和風小説とも、20代女性小説とも、東京散歩小説とも言える(自分がよく知っている地名は店の名前が出てきたが、それはこの際割愛してしまおう) 読み終わって、本を閉じてから、ああ今一番大切な人にプレゼントしたい、そんな小説だと思った。




「食堂かたつむり」小川糸に教えられる作ること食うこと
小川糸「喋々喃々」を読んだ後村山由佳「ダブル・ファンタジー」を読むとどうなるか
「ファミリーツリー」小川糸




喋々喃々
小川 糸
ポプラ社

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食堂かたつむり
小川 糸
ポプラ社

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L&G波会長逮捕で

2009-02-06 | days

昨晩、噂の波会長が逮捕される映像を見ていた。逮捕直前、膨大な数のカメラを向けられていた。そのとき私は、あれ?この後波会長って刺されるんじゃないか?と思った。そんなわけはないのだが、デジャブのような感覚に襲われた。

その後、しばらく考えていた。すると、ああ豊田商事だ!永野会長の刺殺事件だ!とのどにつかえていた小骨が取れたときのようにすっきりした。





YouTubeで動画を見つけたので貼り付けておく。


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なぜかブログが勝手に

2009-02-05 | digital, blog & twitter

全く新ネタを披露していないこのふるこりんである。今回もまた特にネタ披露はない。

それよりもである。おかしな事態になっているので一緒に見ていただきたい。

昨年11月3日の記事
「奇跡は起こるのだ(お笑いコンビふるこりん12)」

クリックしてみてくだされ。何かがおかしくないでござるか?
左側の最新記事のフォントが小さくなっている。
さらに文字の一部が赤色になっている。
なぜ?

さらに昨年4月27日の記事
「よく分からないふるこりん。」

こちらをクリックしてみてくだされ。
今度は左側のカラムのフォントがデカクなっている。
いったいどういうことなのだろうか?
さらにはコメントが赤字になっている。
(今回、携帯から閲覧している方はなんのことだか分からないはず。あしからず)

他の記事ではまだこのような事態は発見していない。
みなさんのブログでもよくあることなのか、それとも怪異現象なのか。
HTMLやらCSS的なモノはいじくっていないと思う。
ラテン語すら出来ない私がそんな高度な言語を扱えるわけがない。

ブログの効用に
「怖いと思ったら、その怖さを他の人と共有して、自分の怖さを薄くする」
という効用を一つ追加しよう。

※余談

自民党内で政府紙幣発行が検討されているという報道があった(毎日新聞2月5日)その是非は置いておいて、それって逮捕された波会長の円天と似てるなーとちょっと思った。

では、また。



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BSドラマ『ステート・ウイズイン~テロリストの幻影~』

2009-02-04 | film, drama and TV

先週からNHK BS2で始まった、毎週水曜23時の枠。ここはどうやら英国製作のドラマばかり放送する枠のようである(「ステート・オブ・プレイ」「ホテル・バビロン」)

今回のステート・ウイズインは正直に言ってなんだかよく分からなかった。

アメリカで航空機の爆破テロが起きる。乗客全員死亡。内、英国人が90人以上。事態の収拾に追われる駐米英国大使。容疑者は英国国籍だと分かり、さらに事態は混乱。容疑者は中央アジアチルギスタンの過激派との関連あり。怒る米国国防長官、なにやら裏で動く英国参事官。ヴァージニアではイスラム教徒を拘束。

てな感じ。全体として「対テロ」がテーマであることと、国防長官は見るからに怪しいのでたぶん軍需産業と金銭的なつながりがあるのであろうということ、たぶん軍産複合体陰謀説のような方向へ進むのではないかと初回は思った(予想が外れることを祈る。)

しかし、初回にも関わらず膨大な数の登場人物。しかも顔が似ている。誰が誰だかよく分からないし、ちょっとしたシーン(例えば盗撮)が何を意味しているのかさっぱり分からない。英国ドラマの凄さは大衆に迎合しない、分かり安くしないというところにあって、このドラマも同様である。

まあしかし日本のドラマ(ケータイ小説も同様)は分かり安くしようとして説明が過剰な場合が多いし、英国のドラマは説明が過少なことが多い。その中間が見ていて心地よいのだが。





ステートウイズイン




全然無関係な話で恐縮だが、

内田樹氏の「読者と書籍購入者」(1月7日)というエントリーに、久しぶりに内田節に激しくうなずいたのでおまけとして記しておく。あの人は本当にすごくいいことを言うなあ。

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線路は曲がるよー

2009-02-03 | laugh or let me die


頼まれもせずにまた、タイトルのようなものをつけてみる。




「熱くて曲がっちゃったわん」

「ここをこう折り曲げて、お、そこの君、ペンチ使いがなかなかよいねー」

「はーい!よいこのみなさーん。この下を通ってくださいねー」

「これじゃあ線路に見えちゃうなー。やっぱり箸だとは誰も気がつかないよなー」

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