まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

おばぁちゃん、しあわせですか。

2020-05-24 23:52:44 | 日常
令和2年5月24日(日)
今日は日曜日、私が起きるのが遅いためゆっくりとした朝食になりました。姉が食事の準備をする間、祖母に運動の為、歩行器具で庭を少し歩いてもらい、私はその傍らで墓所の草取り、掃除をします。
食事は姉が朝、昼、晩と三食温かいものを作ってくれます。元料理人ですから味は絶品です。今朝の朝食の献立はオニオンスライス、ミニトマト、とれたてのタケノコとヨモギの天ぷら、昨日娘が持参した呉名物のガンモトキの揚げ物、卵焼き、ほうれん草の和え物、おでん3品、牛タンの煮物、具だくさんの汁物、麦飯。デザートはクレプシを振りかけたヨーグルト。三人ともあまり違わない量が出されます。祖母はそれを自分で食べます。嬉しそうに食べます。すごい食欲です。根が食いしん坊なのでしょうか。元気の源はこの食欲、食事にあるのですね。この9月で101歳になります。食べている様子を見るとこちらまで嬉しくなります。大したものです。食糧不足を経験したためでしょうか子供に「食べなさい・食べなさい」が口癖。食べらせることが幸せなのです。美味しいものは残して息子に食べらそうとします。姉から「手を付けて物はだれも食べません。残したものは捨てますよ」と言われれば「もったいない」と再び食します。昔の習慣はいつまでも残っているのです。この年で自分で食事ができるなんて本当に素晴らしいことです。これだけでも幸せな人生と言えるのではないでしょうか。
もう一つの良いことは多くに人と接触できること。姉はお店やお茶の教室をしていた関係で友人や生徒たちがよく訪れてくれます。昨日も6人の人が来られ祖母の相手をしてくれます。下手なオセロに付き合ったり、歌集を作り歌の相手もしていただきます。話の輪にも入れていただいています。今やみんなのお母さんという感じです。
一番の悩みはおしめを嫌うこと。数回分は吸収できるのにその都度起きなければなりません。そのことをよく言いくるめて納得させているのですが駄目です。姉は睡眠不足です。私もできる範囲で休日の前の晩は姉の負担軽減のため夜の面倒を見るために来ているのですが私に悪いと遠慮して我慢しているようです。。姉をはじめ介護施設の人や多くの人に助けられ本当に良い人生を過ごしているように思います。
私や姉にしても一人、子供は当てにできません。いつまでボケずに自分でできるのか不安に感じることもあります。老々介護ながら手厚い看護を受けている祖母は「最後の幸せ者」といえるのではないでしょうか。102歳まで母をみとった人が言われました。「100歳ともなればいつ何があっても不思議ではない。今は元気でもいつころりと逝くかもしれません・・・・.注意してくださいと。
一日一日を大切に過ごしたいと思います。
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2 コメント

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おばぁちゃん、しあわせですか。 (hanasakimama)
2020-05-25 14:51:34

戦後の混乱期を、たくましくも明るく無償の愛で子ども達を育てられ、
そのご苦労は想像もつきませんが、受けた恩愛の深さにお二人が温かく返され大切な時間を過ごされていらっしゃるご様子が伝わってまいります。

私ごとですが、中学生の反抗期(^^;)? 朝食をどうしても食べたくないと冷たく言放すと、母は近所の八百屋さんへ走って行き好物のメロンパンを買って来て食べさせようとしました。
(昔は八百屋さんにパンや菓子や日用品まで売っていました)
あの時の母の大急ぎで走る姿は小さな出来事ですが、歳を重ね思いだすと胸がいっぱいになります。
こちらのブログを読ませて頂きながら、いつもいろいろな事が走馬灯のように蘇り、毎回楽しく読ませて頂いています。

ありがとうございます。
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おばぁちゃんのこと (fujio)
2020-05-26 23:32:40
いわれてみると祖母の一生は苦労の連続でした。戦争未亡人ですから父の実家に大勢で暮らしていましたが家を出て女手一つで子供二人を育てました。ある時など製材所に勤め丸太を担いでいたこともありましたよく働きました。まじめで、優しい人柄でみんなに愛されていました。昔の女性は心も体も丈夫だったのですね。私の娘もそうあってほしいものです。
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