江戸時代の延宝2年(1674)徳川家光の後の4代将軍家綱の時代。
宝殿、拝殿、湯立の間、厩が建立された際の棟札には若宮八幡宮、
明治4年、神社に社格が設けられ郷社となり、名称を遠野郷八幡宮として現在に至ります。
今年は昨年に続き、お祭り縮小ということで、例大祭ではなく例祭。
昨年は六日町にある伊勢両宮神社(通称:神明)への渡御はありませんでしたが、
今年は
14日、トラックに御神輿を載せ、人員・時間短縮ながら市内各所を回りましTた。
そして、午後一番、お神明さんでの神事となり、還御。
(例年どおりであれば、ここで御神輿は一泊)
予定時間より早く到着した御神輿一行、紅白幕で飾られた神社には人影無く、
関係者に連絡がつかず、しばらくして、役員さん一名到着となり、神事。
その後、還御となりました。
明けて昨日15日は例祭
11時からの神事前に昨日の御神輿見学です。
右側のが渡御にて使用した物で、左側のは享保5年(1720)の物、昨年で300年。
この日、久しぶりにお会いした釜石hanaさんに釜石の方が関係した御神輿だと話しました。
江戸から釜石へ舟で運ばれたのは合っていましたが、奉納関係者ではありません。
別の品々を享保15年に奉納したのが釜石の鈴木屋冶兵衛さん、お詫び申し上げます。汗
そうこうしている内に、神楽の音が聞こえてきました。
社務所前でのシンガクを撮り損ね、ここからお供です。
宵宮の神楽の時同様に、参拝後、シンガク奉納
その後、時間まで休憩となり、
11時少し前、関係者が整列して神事へ
そのまま一緒に参道を歩き出そうとしていたところ、
役じしの長野獅子踊りさんが踊り始め、社務所前に留まることに。
誉め唄ではなく、小友町のしし踊りらしく賞辞をかけます。
今年の長野は、新コロ2年目の平日ということもあってか、
しし1匹に刀かけ一人
拝殿前に到着すると、先に参拝を済ませていた八幡神楽さんが奉納
権現舞
さあ、この後は長野獅子踊りさんが来ているので、それは間違い無しとして、
後はどこが来てくれるのでしょう?
楽しみにしながら、次回へ! です。笑
役付の芸能関係者には感謝です!
少数とはいえ、こうして奉納して頂けただけも、気持ちがアップします。
撮る側も、少数ながら、見知った人たちということで
気兼ねなく過ごせました。
あとは、皆さんで一献傾けられるようになれば幸いですね!笑
奉納団体は4団体と一眼レフ、ビデオ撮影共に片手で数えるほどでしたが、それでも久々に境内の雰囲気を
楽しむことができました。
来年は以前のようになると思いますし、願ってもおります。
お疲れさまでした。