フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

戦争体験を聴く/グチャグチャになった東京五輪の顔

2015-09-07 14:00:48 | 日記

   昨日、ひいきの都議会議員が開催する『戦争体験を聴く会』に出かけた。語り手は市内在住の90歳になるNさん。事前の広報があったというものの、毎月開催される議会報告会の2,3倍の出席者があった。
   Nさんは絵を学ぶため昼働いて夜学に通っていたが、戦争末期で敗色濃い昭和20年3月、徴兵年齢が19歳に引き下げられた時に召集令状を受けたという。千葉県柏市の軍隊に入り、行先も分からぬまま汽車に乗せられて結局は満州に送られ、敗戦とともにシベリア抑留生活を送った。Nさんの話で東京大空襲に至るまでの米軍による本土攻撃の経緯やシベリア抑留生活の様がよく分かった。特に満州では、軍が南方の攻防に兵を移したため全く防備の体制がなくなり、満州開拓団の担い手である民間人の一家の主がことごとく軍に徴用されて女子供だけの集団になってしまったそうだ。そんなところへロシア兵が攻め入って来たというのである。悲惨なシベリアの抑留生活についてはこれまでにも耳目にして来たが、60万人にも及ぶ日本人が短期間に実に手際よく就労地に運ばれたのは日本軍の協力なしではあり得ないとの話に「ええっ!」と思った。 なるほど、為政者がそれらの人々を「捕虜」と呼ばないで「抑留者」と欺瞞的な呼び方をしたのか、と一人合点をした。
   Nさんは年が若く、楽観的な性分も手伝って生き延びることが出来たが、軍に召集されてからの理不尽な戦争の体験が元となってその後砂川闘争に身を投じることになったそうだ。  今、その戦争の理不尽さを体験しない政治家たちによって安保法制が決せられようとしている。 

   私が中国に行っている間に2020年東京五輪のエンブレムが採用取り消しになっていた。セレモニーまで開いて華々しく披露されたエンブレムだが、公表早々にベルギーのホテルのロゴにそっくりだとクレームが付いた。それについてはデザイナーの佐野研二郎氏が強く否定し、五輪委員会も容認していたが、その後佐野氏の事務所のデザイン盗作問題が起きて雲行きが怪しくなって来た。デザイナー自身が取り下げて幕を引いたが、盗作については否定を続けている。私もそれを信ずるのだが、家内は佐野氏の顔写真を見て”胡散臭さ”を感じたと根拠のないことを言う。マスコミも例によって俄かヒーローを袋叩きにしている。
   それにしても、新国立競技場といい、エンブレムといい、2020年五輪の顔たるものがグチャグチャになってしまった。


[2015中国訪問記]#1-2年ぶりの訪問

   中国には2年ぶりの訪問となった。私は2008年9月から北京で3ケ月、翌年9月から山東省濰坊市で1年3ケ月、日本語教師として教壇に立った。その時の教え子や同僚教師などの中国人との再会の旅である。北京での教え子は現在日本に留学中で一人もいないが、濰坊市の経済貿易学院(3年生大学)の教え子が山東省内に数多くいる。しかし、日程も訪問地も限られているため、会うのも日頃便りを交わしているような相手、つまりは私のお気に入りに限らざるを得ない。教え子と教師仲間など20人ほどとの再会であった。
   今回日程は8日間(前回は7日)であった。訪問地は前回北京-濰坊-烟台-青島であったが、今回は全く逆のコースを辿った。中国内は全て新幹線で移動したが、山東省内を長距離バスで移動した前回に比べて格段に便利になった。2年の間に新幹線網が発達した結果なのだが、これまでも中国の新幹線を7,8回利用しているが快適だし運行時刻も実に正確であった。
   そして空港でも新幹線駅でもそれぞれ教え子が出迎えや見送りをしてくれた。初めての土地ではないというものの、言葉は不自由な私には心強い限りであった。出迎えの時は旅客出口で待っている教え子がいち早く私を見つけて大きく手を振り、出口を出たところで人前憚らず飛びついて来る。見送りの時や会って別れる時もハグを交わしてサヨナラをする。これはもう教え子との間では半ば”お約束事”になっていて、彼女らが日本に来た時でも同じであった。多分日本では「何だ、このジジイは」と思われたことだろうが、中国では他人のことは余り気にしないようだ。
   日本に帰国後、私が利用しているテンセントQQという中国のSNSの投稿サイトを覗くと3人が私と会った時の写真を添えて投稿していた。そしてそれには今回会えなかった教え子から「会えなくて残念」というような書き込みがしてあった。私ももう少し滞在日数が欲しいところだが、年金生活とは言え結構決まった用事も多いので、こちらも残念な思いをしているのである。
  

    
 いよいよ山東省青島に   新設なった新幹線駅  時速304kmの電光掲示 見送りを受けて北京を発つ 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国の軍事パレード | トップ | 台風18号上陸/自民党総裁... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事