朝6時前、家内に起こされて身支度し成田空港へ。機内に着席後1時間ほど待たされたが正午にテークオフしたJAL機は14時過ぎに無事北京空港に到着。入国手続きを終えて到着出口まで来ると出迎え客が大勢待ちかまえていた。その中に実験学校のリュウ.L先生が私の名前を掲げて待っているはずだ。リュウ先生はこれから行く北京経済技術開発区実験学校の日本留学班の女性主任教師。しかし、それらしき姿は見当たらず、出迎えの人たちは三々五々引き揚げて行ってほとんどいなくなった。私はリュウ先生の顔を知らないし、携帯番号も知らない。今日行く実験学校の住所も連絡先も分からない。要するに北京空港に着いたものの何の当てもないのだ。どうすりゃいいんだ?
回りをよく見ると人だかりがしていたので、そっちの方に行ってみた。実はそこがもう一つの到着出口で、人だかりの中から一人の女性が近づいて来た。私の名前のカードを持っている。それがリュウ先生で、やっと出会えたのだった。さっそくご主人運転の車で実験学校に行き、私の宿舎となる学生寮の一室に案内してもらった。学校はまだ夏休み中で寮も森閑としていた。部屋の前の廊下にはゴミが散乱している。ちょっと不安な気分。ご主人が部屋のカギを開けてくれ中に入って目を疑った。学生3~4人用のその部屋にはベッドと机・椅子が一式あるだけであとは何もないのだ。テレビや電話は勿論、冷蔵庫など生活用具が何もない。(洗濯機はあるのはあったが、給水・排水のホースもなくホコリが積もっている) 「ええっ、ここで3ケ月生活しろというんですか???」もう愕然、絶句するしかなかった。案内したリュウ先生自身は少し戸惑っている程度で、大して驚いた風でもなかった。本来、生活できるように備品類を整えて私を迎えるのがこの先生の役目のはずなのにである。
後に分かることだが、これが中国流なのである。計画的できちんと用を果たす日本人とは全く違うのだ。ともかく北京に来てしまったのだ、後にはもう戻れない。 (つづく)
降り立った北京空港の近郊。機窓から整然とした新しい団地が見えた
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