フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

時速500キロのリニアカーを撮った/秋深まる井の頭公園

2014-10-31 18:56:24 | 日記

   
      時速500キロで疾走するリニア実験車輌      世界最高時速581キロの実車輌の展示  

   昨日、ある宿泊研修で「(山梨県立)リニア見学センター」を見学する機会を得た。そして実際に時速500キロで疾走する実験車輌を目にすることができた。リニアモーターカーの実用化を進めるJR東海では走行実験の日程を公開していない。この日も「リニア見学センター」で実験は見られないだろうとの予想で訪れたのだが、何と幸運にも我々のいる間に何回か往復する実験車両を見ることが出来たのだ。この施設に何度も案内したことのある旅行社の添乗員が初めて見られたと興奮をしていた。センターで見学できる範囲は200メートルとない。ここを時速500キロで走っている実験車両が見られるのは一瞬(1秒ちょっと)のことで、さらに左上の写真のように長いノーズから車両全体がファインダーに納まるのは大変珍しいことだとセンターの職員から言われてホクホク顔になった。別に動画でも一瞬で通り過ぎる実験車を撮ることもできたが、これがアップできたらリニアの速さが実感できるのだが・・・。なお右の写真の車両は実際に581キロの世界最高時速を記録したものでセンターのシンボルになっている。

   秋も深まり、いよいよ明日から11月である。そんな井之頭公園を散策

    
秋の七草 キキョウ 咲き始めたカンツバキ まだ夏のアベリアが  ハナミズキの紅葉と赤い実

   
落ち葉を敷き詰めたラクウショウ 紅葉し始めのたハゼノキ   静まりかえる弁財天の周り   

     
 群れ泳ぐカルガモ達       井之頭池のコイたちと話を交わす。水は澄んでいた

 

[日本語教師の中国滞在記] 北京編#32-作文と模擬面接そして後任

   日本留学班の開講から2ケ月、11月に入ると教科書だけでなく実践的な日本語の授業も試みた。それが作文と模擬面接である。
   まず2ケ月の成果を測るため作文を書かせてみた。題は「私の一日」とし、数日の時間を与えて黒板に書いて発表することにした。一応こんなことを書いてみたらとヒントは与えたが、私はその出来栄えに感心した。生徒3人は3様の内容であり習熟度の違いはあったが、(多少日本語の心得のあったリー君を除き)中学卒業後日本語を全く初めて学ぶ生徒としては上々の日本語であった。日本の大学生が中国語を2ケ月受講しただけでこれほど書けるだろうかと思ったものだ。中でリー君は「小林先生の授業は楽しい」とも書いてあって教師冥利に尽きる思いであった。
   模擬面接は日本の高校の面接試験の模試である。私は想定問答を作成し、さらに日・中の考えや習慣の違いがあるので日本の流儀を伝えるようにした。これも生徒たちの聞く力、話す力は予想以上であった。

   ところでこの時点では生徒たちは私が3ケ月の任期だということを知らなかった。「日本留学班」の募集パンフレットには「日本人の専門の教師による指導」と謳ってあり、短期の教師であることを隠してあったのである。私も口止めをさせられていた。11月も半ば近くになって、私に事情ができて帰国することになったと生徒には伝えられた。後任には北海道在住のワタナベさんという中高年の女性が赴任することになり、私は後任が戸惑わないようメールを通して引き継ぎを行った。

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ノーベル賞と出身大学/御嶽山噴火からひと月

2014-10-27 22:37:37 | 日記

   今日の朝日新聞の豆知識コラムに「最近のノーベル賞受賞者は名大(名古屋大学)ゆかりの人が多い?」という記事があった。今年の3人の日本人ノーベル賞の内、赤崎勇さん、天野浩さんの2人が名大で研究をしたことがきっかけ。日本人のノーベル賞と言えば、第1号は湯川秀樹さん、2号が朝永振一郎さんと京大出のイメージが強いが、改めてネットで調べてみると総数(複数の大学にまたがる人もいる)で見れば名大と京大が各6人、東大8人となっていた。ただし東大出では文学賞や平和賞に4人おり、科学系では4人にとどまっている。同じ旧帝大でも阪大、九大などは寂しい。 同記事に書かれているように「名大には全国から研究者が集まって自由な研究の空気がつくられた」からなのか?

   今日で木曽の御嶽山が爆発してから1ケ月になった。死者は57人、今年の捜索を断念した行方不明者は6人とある。改めて当日の爆発の猛威、恐怖が思い起こされているが、新聞によると「軽トラックや洗濯機並みの大きさの噴石」「噴火ガスの熱風」、「息も出来ないような亜硫酸ガス」「体が埋まるほどの降灰」「口の中一杯に入り込む火山灰」など読むだけでも恐ろしい光景である。
   そして、命からがら生還できても「仲間や近くにいた人を見殺しにした」と自責の念に捉われ悩む人がいるという。なんとむごい話なのだろうか、傷跡は深い。

   秋晴れの土曜日、私が見守り当番を務める小学校の校庭と体育館で市の総合防災訓練が行われ、児童たちもこれに参加した。私は会場の巡視と参加者への案内の手伝いに当った。以下訓練の模様を写真で紹介。
   ①出動した消防車など  ②救急救護(心臓マッサージとAED)の体験  ③三角布の使い方指導  ④煙ハウス(黄色いテント)の中で視界のきかない煙を体験  ⑤起震車により震度6を体感する  ⑦消火器で消火訓練  ⑧消防士らによる模擬放水

   
            ①              ②              ③               ④

   
        ⑤                 ⑥                        ⑦ 


[日本語教師の中国滞在記] 北京編#31-日常の北京市民の姿

   北京を歩いているといろいろな所で市民が楽しんでいる姿に出遭う。私が出歩くのは主に土・日だがお年寄りたちは土・日に限ったことではないようだ。大きな公園では同好のグループなどが集まって思い思いに楽しんだり、青空芸人が見世物を披露したり、あるいは日本でいうフォークダンスを踊ったりしている。たいていの公園は入場料が要るが高齢者(60歳以上?)は無料らしい。
   街角や裏通りなどでは日本の縁台将棋のようにマージャンや中国将棋をしている人たちがいる。特に何をするでもなく、家から持ちだしたイスで道端に座って話し相手を待っているようなお年寄もいた。観光案内役のハンさんの話では、中国人は人好きで家に閉じこもっているのが嫌いなのだそうだ。今ではテレビやビデオなども普及して家の中でも娯楽はありそうだが、それより人と交わる方が好きらしい。
   私も滞在中の印象として、中国人は垣根が低くて人懐っこい。街中の小さな店で私が日本人と分かると「北京は治安もいいから安心して楽しんでください」(ハンさんの通訳)と声を掛けられたこともある。現在は尖閣問題や歴史認識の問題で厳しい反日感情が取り沙汰されているが、少なくとも当時はそんな空気は全くなかった。だからひとり歩きを楽しむことができたのだが。

【写真】

①新体操のリボンを大きくしたような踊りを楽しむグループ ②珍しい形をした中国の伝統管楽器の演奏 ③中国式マージャン。現金を賭けて街角などで興じていた ④バドミントンと羽根つきの合いの子のようなゲームに誘われて、私(左側)もチャレンジしてみた 

   
       ①                ②                ③              ④ 

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北京の気候/閣僚のミソで政治の空転?

2014-10-24 17:45:27 | 日記

   先日のブログで、北京にいる私の教え子が中国のネットの投稿サイトに「北京の空気汚染(PM2.5などによるスモッグ)がひどい」と書き込んでいたことを紹介した。私の北京滞在中はオリンピック対策が功を奏してか実に快適であったことも書き添えた。
   その後昨日のサイトには同人から北京で霜が降りたとの書き込みがあった。もう霜か。地理上の緯度からいうと日本の秋田県や岩手県に相当するのでまあおかしくはないと納得はしたが、私のいた10月はまさに秋絶好調の気候であった。それが本来の北京の気候なのか、私がラッキーだったのかは分からない。 

   「政治とカネ」の問題で同じ日に2人の女性閣僚が辞任したが、小渕氏の後任に就任したばかりの宮沢洋一経済産業相がまた政治活動費の”不適正支出”でミソを付けられている。4年前の18千円の1件をほじくり返されているのだが、SMバーへの支出という品のない使途ではあるとしてもそう目くじらを立てるほどのことではないと思う。そんなことばかりで政治の空転を企てる方が情けない。政治家は清廉潔白でなければならないという観念は間違いではないが、本来の政治活動が出来ないほど萎縮してしまっては本末転倒だとも考える。益々官僚主導の保守・慣例主義政治がまかり通りそうである。

[日本語教師の中国滞在記] 北京編#30-胡同(フートン)

   「胡同」
は本来街中(まちなか)の細い路地を意味するもので、元朝時代の北京(当時は「大都」と呼んだ)の街路建設の様式であった。細い路地の両側にはトイレを共用する中庭を囲んで四方に住居を配した街並みを形成、今ではこれらの街並み自体を「胡同」と呼んでいるようだ。日本ならさしずめ江戸下町の長屋街といったところだろうか。中庭を囲んだ伝統的な建物様式は「四合院(スーフーイン)」と呼ばれる。
   胡同は都市の近代化とともに取り壊され再開発が進んでいるが、現在もなお北京市内には多く散在し、昔の北京の面影を残していることから近年は観光スポットとして人気を集めている。私も何ヶ所かの胡同を歩いた。

【写真説明】

①~③:典型的な胡同の光景。路地に面しては窓がない。敵に襲撃されないためという

  
               ①                   ②                   ③

④:写真右側が四合院造りの入口  ⑤~⑥:胡同巡りの観光客が輪タクで行き交う

  
               ④                    ⑤                    ⑥

⑦観光地になって土産物の工芸品店もあった ⑧その一角になぜか日本食の店らしい提灯が・・・(たこやき、壽司、おでん、天麩羅、刺身とある)

              
                    ⑦                           ⑧

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うちわと芝居見物で女性閣僚W辞任  

2014-10-21 20:43:31 | 日記

   先日取り上げた小渕優子経済産業大臣、やはり閣僚辞任に追い込まれた。後援会の観劇ツアーに政治資金を使ったり、親族の服飾店に支出をしたりの疑問が明るみに出て説明に窮してしまった。元首相二世にしてまだ40歳の若手女性議員、シミもシワもないお人形さんのような顔に苦渋が滲んでいた。先代小渕首相時代からの番頭だった群馬県中之条町長まで責任を感じて辞職してしまった。
   また同じ日に松島みどり法務大臣も辞表を提出。選挙区内の祭りに自分のイラスト入りのうちわを配ったことが禁止されている寄付行為と指摘され、国会での「あれは討議資料だ」と苦しい言い逃れが却って反発を招いていた。
   いずれも辞任の理由を「国政の停滞を招いてはならないから」とし、自分の不祥事よりも国会のために辞めるという言い分である。安倍首相も任命責任を問われて頭の痛いことだ。さらに言えば、高市早苗総務相と山谷えり子国家公安委員長の両名が”怪しい”団体幹部と記念写真に納まっていたことが問題化しており、女性登用を売りにした9月の内閣改造の”目玉商品”が泥にまみれてしまった感じである。
   それにしても観劇会の収支とかうちわの配布で閣僚が辞任。身の潔白が問われるなら、全て国会議員さらには全国の地方議員の政務調査費を克明に調べてみたらどうか。日本から公選の議員さんはほとんどいなくなってしまうのではと思うのは私だけであろうか。

 

[日本語教師の中国滞在記] 北京編#29―一人っ子政策&生徒に雷

   中国の人口抑制策としての「一人っ子政策」はよく知られている。そのため家では大事にされ、甘やかされていると中国人自身が嘆いている。
   日本留学班の3人の内、リー君はお金持ちの一人っ子。親は大変期待をかけ可愛がっているが、本人に甘えたところがないし、授業態度は模範生であった。ナガサキ君は一人っ子ではなくお姉さんがいる。留学班に入って来た時、お母さんが大きな荷物を抱えて階段を上って来たそうだ。本人には持つ気があるのに、親の方がそれをさせない甘やかしをリュウ先生が嘆いておられた。過剰な親心だと。当人の授業態度には問題はなかった。
   さて3人目のジョ君。母親が青島大学の教師だといい、サッカーでは全国レベルというが授業態度がまるでなっていない。私はこの生徒に3度雷を落とした。初めは、座っては頬づえ、起立しては机に肘つきとだらしのない姿勢に怒った。2回目は注意点を黒板に書いた直後の質問で、全くそのことを聞いていないような答えに怒鳴った。そして3回目、授業を始める時に教室が汚かったのでみんなに掃除をさせたら、ジョ君はモップで拭くのではなく後ろ手をしてブラブラ引きずっているだけ。これを怒ったら、ふて腐れてプイと出て行ってしまった。残る2人はジョ君が悪いのが分かっていて困っていたが、頭を冷やして反省したのか゛30分ほどでジョ君も戻って来た。怒った時は隣の教師事務室にも声が響き、リュウ先生にも伝わっていた。一度は助手のツォン君を呼んで、「留学する日本の高校を舐めんじゃないぞ」と生徒に凄んだ。
   ジョ君の授業態度に業を煮やした私は親に注意するようリュウ先生に忠告したら、母親は「うちの子はサッカーが上手なのだから、そんなことは目をつぶって欲しい」と言ったそうだ。この親にしてこの子ありである。

 
  ついでに書くと、ある日リュウ先生が怒って教室から戻って来た。朝授業を始める時に生徒が席に着いていないし、教室も汚かったと言う。「これからは時間厳守。掃除当番も決める!」と息巻いた。冗談じゃないよ、時間厳守は自分こそ守るべきことじゃないか。私に言わせればリュウ先生は時間にルーズなのである。授業前に電話していると、授業そっちのけで話し続けるのだ。いつ終るとも分からず、仕方なしに私が授業を肩代わりすること一度や二度ではなかった。
   まあよし、これでリュウ先生自身が時間を守るようになればしめしめだ、と喜んだ。  

【写真】

上の記事とは関係ないが、中国では飲食物を売る露店のようなものが大変多い。買って歩きながら食べたり、街角で座って食べたり、「買い食い」「間食」を楽しんでいる。歩道上に露店街が出現したりもする。そして食べ物の種類も実に多彩。日本人には馴染みのない食材もあって私は覗くのが楽しかった。①は繁華街の一角にある有名な露店街 ②ハンさんとヨーグルトのような北京名物の飲み物にて一休み ③公道上に堂々と店開きしている

    
                  ①                    ②                   ③

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イベント盛り、秋日和の週末

2014-10-19 17:04:48 | 日記

   このところ2週続けて台風に祟られた週末であったが、昨日今日の土・日は絶好の秋日和で秋シーズンの行事には恵まれた週末になった。 
   私は昨日、正午からは勤めた会社のOB会、夕方からは大学の出身学科の総会&懇親会があった。会社のOB会は首都圏在住の退職者がメンバーであるが遠く大分や兵庫からの出席者もあった。私は昨年までは会の司会役の幹事であったが今年からは会長となり、会社の事務局と事前打ち合わせを重ねて当日は代表者の挨拶を行った。
   出席者には80歳台がゾロゾロいるし90歳を超える方もおり、70歳の私など”若手”に入るという顔ぶれである。会社の行く末を案じる声や、遠き昔の名声を懐かしむご老体の挨拶もあった。

   2時半頃に閉会、出席者にお礼を言って回り、裏方を務めてくれた事務局のメンバーにねぎらいの言葉をかけて大学に駆けつけた。先にイベントのオチ研(落語研究会)の高座を幾つか聞いて学科の懇親会に出席した。教員経験者や歴代卒業生ら約150名、同期では物故の2名を除く18名の半分の9名が集まった。出席率が一番いい。その後一期下と合同で2次会。これも半ば定例化していい学年関係だ。
  同期が集まれば昔話に花が咲き、特に来ていない仲間の話も含めて暴露話で盛り上がるが、我々の同期には確かに話題豊富な仲間が多かった。

  今日は午前中に用事があった後、昼ごろから最寄りのコミュニティー・センターのイベントに出かけた。私も携っている地域活動グループの発表のほか、このセンターを利用しているいろいろな文化・スポーツサークルの発表や模擬店などが昨日から催されていた。天気にも恵まれて上々の人出で賑わっていてよかった。音楽や踊りなどのステージでは中国の古箏の演奏などがあったが、北京の実験学校には音楽学院が併設されていて、時々この古箏の音色が聞こえて来たので懐かしい思いであった。

写真左:会社OB会の出身職場別集合写真  中:大学のイベントでのオチ研の高座風景  右:コミュニティー・センターでの中国・古箏の演奏

     
                     
  

[日本語教師の中国滞在記] 北京編#28-中華三昧

   北京滞在中の食事は当然のことながら中国料理漬けであった。某大手食品会社のテレビコマーシャルではないが、文字通り「中華三昧」である。
   平素学校の食堂で食べる料理は名前は分からないが、多分普通の家庭料理なんだと思う。生徒たちと同じもの食べるのだから奢(おご)ったものはない。また日本のラーメン屋や中華レストランのメニューにはないものだ。米飯が唯一日本と同じものだったが、日本のようにふっくら美味しいご飯ではなく、油餅(ユービン:細長い揚げパン)などをよく食べた。
   その分市内観光などでの外食は北京らしい食べ物、ちょっとご馳走を求めた。ひとり歩きの時は不自由したが、案内役のハンさんと一緒の時は満足する食事にありついた。北京と言えば日本人ならすぐ北京ダックを思い浮かべるが、北京のパック旅行の定番コースになっている「全聚徳」にも案内してもらった。日本ではほとんどネギなどと一緒に薄餅(バオビン)で巻いて皮を食べるだけだが、北京ではアヒルの丸焼きを注文する。少人数なら半匹から注文できる。 それをウェイターがテーブル脇で切り分けてくれて、皮だけでなく身も食べるし骨はスープにしてくれる。アヒル半匹と魚料理その他を注文しビールを頼んで2人分で200元(約3000円)くらいだった。アンビリーバブル!である。
   リュウ先生にはお宅でいろいろご馳走になったが、連れて行ってもらった羊肉のしゃぶしゃぶが気に入った。北京名物の一つで、日本のしゃぶしゃぶより少し加熱しタレを付けて食べる鍋料理だ。羊肉は思ったよりは臭いはなく、魚介類や野菜・春雨・豆腐など20~30ある好みの具材を注文して鍋に入れる。美味しかったので日本帰国後も2回、北京でリュウ先生と再会した時にこの料理を所望し、ハン先生と3人で鍋を囲んだ。

   滞在中の日本食はというと、2回だけある。一度はこの連載「#24-天津へ」で書いた天津での日本料理店での食べ放題、もう一度は生徒と一緒に遊びに出た時である。私がお昼をご馳走するからと言ったら、吉野家の牛丼が食べたいと言う。北京では当時外来のファーストフードが流行り始めていたようだし、日本留学を希望している生徒たちである。その選択肢はよく理解できた。生徒の一人が店を知っていて案内してくれた。値段は日本国内並みか少々高かった。日本での値下げ競争前の値段で確か450円くらいの品であったが、中国の物価からするとメチャ高い。牛丼一杯がタクシー(初乗り)の3倍くらいなのだから。
   洋食(中国語でいう「西餐」または「西菜」)は一度も食べることなく、結局この2回を除いては「中国菜」漬けであったのだ。

【写真説明】

左:リュウ先生(左)、ハンさん(右)と羊肉のしゃぶしゃぶを。滞在当時の写真ではなく昨年再会した時のもの
中:生徒たちと吉野家の牛丼を食べてから玉淵潭公園で遊ぶ。後方に北京中央テレビ塔が見える
右:北京に進出している吉野家。写真は実際に食べた店ではなく北京南駅の店

   

 

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