日本留学班の授業の方はスムーズに軌道に乗った。次には生活基盤の整備である。
#3(愕然とした北京到着)に書いたように北京に着いた日、宿舎となる実験学校の寮に案内された時は、ベッドと机・椅子が一式あるだけで電化品はじめ生活用品が全くなかった。その後リュウ先生から携帯電話が貸与され(料金のチャージは当方負担)、室内のコンセントを取り付けてもらい、洗濯機の取水・排水ホースを整備してもらい、冷蔵庫はリュウ先生の家の使い古しを借り、給水器(ミネラルウォーターのサーバー)をセットするなど、生活用品も少しずつ揃って行った。
日本のように水道の水が飲めない中国では給水器は必須アイテムで、25Lくらいのミネラルウォーターのプラ瓶を配達してもらう。水は配達料込みで50円くらいなものであった。毎日の晩酌が欠かせない私にはビールを冷やす冷蔵庫もすぐに欲しいものだった。パソコンのインターネット接続には約10日、テレビが見られるようになるまでは4週間くらいかかるスローモーぶりであった。日本の家族や知人とのメールなどはしばらく教師事務室にあるリュウ先生のものを借りた。スーパーはリュウ先生から教えてもらったほか、自分でも見つけて買い物に不自由はなかった。不自由はないというものの、中国語が分からないのでスリリングなものではあった。銀行で日本円を中国元に両替し、キャッシュカードを作って引出すことも出来るようにもなった。これでまずまず生活基盤らしものができた。
教学楼(教室棟)エントランスに鎮座する「かんがえる人」像