フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

[中国で日本語教師]再投稿・北京編#4―北京での生活始まる

2024-08-24 11:58:09 | 日記

  北京での生活のスタートはまずスーパーに行って身の回りの日用品を調達することだった。部屋には生活用品が何もないので、リュウ先生にスーパーまで案内してもらい、洗面具や石鹸、歯磨き、トイレットペーパーの類いから、電気スタンド、グラス、えもん架け、ほうき、バスタオルその他こまごましたものを買い込んだ。取りあえずは寝起きできるようになった。
   それらを部屋に置くとすぐリュウ先生夫妻による歓迎の食事となった。その席にハン.Xさんという女性が呼ばれていた。ハンさんは実験学校の日本留学班で教鞭を取っていたが、その年の春に辞め日本語の観光ガイドの資格試験準備中であった。30歳ちょっとの独身である。日本への留学生に伴って日本で暮らしたことがあり、勿論日本語は流暢であった。
   話は前後するが、リュウ先生は関西の有名私立大学に留学、卒業後も数年間日本で仕事をしたことがあって日本語は完璧であった。しかし自身が関西に住んでいたためどうしても標準語の日本語教師が欲しくて、ボランティアを募ったのだそうだ。夫婦の間には自慢の一粒種の小学生男児がいた。 
  歓迎の食事は美味しかった。 部屋に戻ってまずは荷物を解き、シャワー(中国の家庭ではまず風呂はない)を浴びて一息ついてベッドに入った。もう12時(日本時間では午前1時)になっていたが、蚊が顔にまとわりついて眠れたもんではない。仕方なしにシーツを外して顔に掛けて寝た。多分眠ったのは日本時間で午前2時を過ぎていただろう。この長い一日から北京での生活が始まった。(つづく)

           
          この実験学校で北京での生活が始まった

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