フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【10年前の記事再投稿#1】津波被災地の植林ボランティア

2024-06-05 21:45:54 | 日記

   昨日は東日本大震災の津波被災地での植林ボランティアに参加した。
   「キッズ ナウ ジャパン」(http://www.kids-now.net/)いう震災後の復興支援を中心とするNPO法人が募集したもので、壊滅的な津波被害を受けた岩手県岩沼市の「千年希望の丘」の植樹なのだが、これは「森の長城プロジェクト」の一環であることを参加して初めて知った。「森の長城プロジェクト」というのは東日本の海岸沿いに瓦礫と土を混ぜて南北300kmにわたって土手を築き、これに植林をして緑の森の防潮堤を築こうとする壮大なプロジェクトである。 海岸地帯での植林といえばすぐマツ(松)を思い浮かべるが、マツは根が浅く横に張るので津波に対しては無力で、かえって流木となって家屋や人への凶器になることが先の大津波で明らかになった。それなのに相変らず公共事業の植林はマツに執着しているので、植林の専門家の知見に基づいて 根を地中深く張るシイ、カシ、タブなの常緑広葉樹を民間人の手で植えようというもので、細川護煕元首相を理事長として立ち上げた。

   さて、朝は弱い私だが4時に起きて東京駅に集合、大型バスで岩沼市閖上(ゆりあげ)地区へ向かった。
   ←5時45分、いざバスに乗り込む

   主催者によると、この日は全国から約5千人のボランティア参加が予定されていたが、11時の植樹開始時には6千5百人が集まっていた。(写真下)

        

   我がグループ35名も係りの人から植樹の要領の説明を受けて作業に入った。
   ←お揃いのユニフォームを着て、高さ約5mの土手に苗木を植えていく

   植樹はどんぐりから育てられた苗木を適当な間隔で植え、土面が出ないように藁を敷き詰め、さらに藁が飛んだり滑り落ちないように縄を張って抑える。こうして苗が定着するまでの間土の乾燥を防ぎ、適度な水分を保持させるのである。苗が土に定着した後は草取りが欠かせない。それは次のステップのボランティア作業になる。

       
           ↑ 適当な間隔に植えられた苗木  ↑ 藁を敷き縄を張って今日の作業は終わり

   植樹を終えた後、閖上地区の津波被災地の案内を受け、現状視察や津波に遭った人々の生々しい証言を聞いた。植樹をした場所の周りは見渡す限りの荒れ地。道路やブロック塀の土台により人が住んでいた跡がうかがい知れる(写真下)が、町が津波に飲みこまれて一瞬の内に消滅したそのままの姿だ。茫然となった。

         


   案内を受けた小学校。町民の誰もが予想もしなかった津波の襲来に気付いて、この小学校に避難の指示に来た消防団員だった方の生々しい説明を受けた。閖上地区で避難場所に指定されていたのはこの小学校と中学校と公民館の3ケ所のみ。高台などはない。この小学校では心配した親が生徒を迎えに来ても下校させず、全員をここに避難させ一人の犠牲者も出さなかった(唯一、登校拒否症だった生徒一人が自宅で亡くなったそうだが)。自宅にいた住民がほとんど犠牲になったことを考えると奇跡であった。
   写真左下は私が撮った小学校、右は「キッズ ナウ ジャパン」からいただいた資料ファイルの中の写真の一枚である。よく見ると青い手摺の階段や3階部分に避難した生徒の姿が見え、眼下にはおびただしい数の自動車などが濁流に流されて押し寄せて来たことが克明に分かる。息を飲む光景である。なお、この小学校は町の消滅に伴って廃校になっていた。

    
          ↑ 私が昨日撮った写真                   ↑ 大震災当日の資料写真

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