フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【10年前の記事再投稿#6】サッカーW杯が始まった

2024-06-16 10:31:50 | 日記

   サッカーW杯ブラジル大会が日本時間の13日に開幕した。競技場をはじめとするインフラ整備の工事が遅れるし、莫大な経費がかかる大会開催に反対するデモ行動が活発化するなど開催そのものが危ぶまれたが、開幕戦でブラジルが快勝すると一気にW杯モードになった。特にブラジルの至宝、ネイマールの活躍が大会を覆うモヤモヤの霧を吹き払ったと言ってよい。まさにスーパー・スターの面目躍如たるものがある。
   さて大会3日目の昨日、日本が初戦に登場。もう日本のマスコミはW杯一色に染まったが、結果はコートジボアールに1-2の逆転負け。私は朝用事があって出かけ、帰宅した時はロスタイムももう残りわずかの時間であった。
   大会前からマスコミでは日本の戦力分析や1次リーグの成績予測など何十人もの”専門家”や記者の解説が流されたが、私には「希望的観測」に映るものが多かった。試合相手は無作戦で来るわけではなし、周到な日本研究をして試合に臨むわけで、その分析がほとんど出来ていないのだ。サッカーの現役選手や経験者が俄か解説者になっても、それは無理なのだ。相手の分析もなしに、せいぜい選手の特性やコンディションを見て「希望的観測」を言うだけなのである。(というか、マスコミ側がそれを期待して出演させているのだ)
   1次リーグはまだ2試合ある。決勝トーナメント進出が不可能になったわけではない。つまらぬ予測・解説に満足してないで、ザッケローニ監督の手腕と選手の諦めない敢闘精神に声援を送るしかないだろう。

   ところで私の3人の息子の内、長男次男が中学・高校時代はサッカー選手。長男はそれで競技を終えたが、次男は入学した大学にサッカー部がなくて愕然、サッカー同好会を自ら創ったほどのサッカー好き。日本チームがW杯に初出場した1998年フランス大会では観戦を兼ねて、パリで結婚式を挙げている。今でも大学のサッカーOB会の世話役をし、自分の子のサッカーチームの後援会の世話をしているが、そういう子供の親である私は特にサッカーファンでもなく、W杯は国民的行事として関心を抱いているところである。

[今日の花]

  
           香りの女王 ラベンダー                                 シャボンソウ

  
              ムラサキツユクサ(紫露草)                キリンソウ(麒麟草)

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