本来なら厳しい残暑の昨今のはずが、ぐずついた天気ながら涼しい日が続いており体が楽である
昨日は今話題のアニメ映画「アナと雪の女王」を観た。私が加入している福祉法人の記念行事による会員招待で、三鷹の市民会館での上映であった。日本の映画興行史上の記録を塗り替える勢いで、「アナ雪」の言葉が社会現象にもなっている評判の割には大した感動はなく、まあお子様向けのディズニー映画というところであった。
昨日・今日、三鷹の夏の祭典「三鷹阿波おどり」が行われている。今年47回目、もう半世紀に近い歴史になり、30ほどの連(踊りのチーム)が市内中心部の商店街を踊り歩く。 私はお祭り好き人間なのだが、あの鐘と太鼓の強烈なリズムと笛の響きとが相まって阿波踊りには格別心が騒ぐ。
阿波踊り大会では前週行われた高円寺が有名で、本場の徳島に次ぐ規模と人気を誇っている。今年58回目を迎え、私も5,6回は観に行っている。
「踊る阿呆に観る阿呆、どうせ阿呆なら踊らにゃ損損」と囃される阿波踊り、実は私も一度出場したことがある。もう18年も前のことだ。市報に載った阿波踊りの初心者講習の案内を家内が見つけ、勧められてそれに応募してみた。1回2時間、5,6回ほどの講習で踊りの手ほどきを受けた後、その主催者から本番への出場を誘われ、市内でも伝統のある「銀座連」に入れてもらった。手ほどきを受けた踊りの方ではなく囃し方(伴奏)の締め太鼓を受け持たされ、本番直前会社帰りに4,5日特訓を受けて本番に臨んだ。2日間の当日はお揃いの浴衣と鉢巻にて、心地よい緊張の中で太鼓を叩いて練り歩いたことがまだ記憶に鮮明である。残念ながらその年の12月に九州へ転勤になり、阿波踊りへの出場はそれで終わってしまったが、銀座連にはかつての「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のボーカルであり、現在はNHKの紅白などで「ニューブリード」の伴奏の指揮を執っている三原綱木さんがいて、練習の時は新米の私に声を掛けてくれ、打ち上げの時には席が隣りになって飲み交わしたことがよい思い出になっている。
↓ 昨日の三鷹阿波おどりの光景
[日本語教師の中国滞在記] 北京編#9―学校での食事
外国での生活で一番気になるのが毎日の食事であろうか。私は海外の出張や旅行で、食事に困ったという記憶はない。大体何でも食べられるし、お腹を下したこともない。しかしせいぜい数日、長くて2週間くらいのことであったので、3カ月毎日のこととなると少し事情が異なる。
北京の実験学校は幼稚園と小学校を除いて全寮制であり、食事は3食とも学校内の食堂でとる。食堂は100席くらいの教職員用に学生用は500席以上のものが2つ、それに韓国人のためのものが1室あった。なぜ韓国人用が別室かというと、国民食ともいうべきキムチ食べ放題とするためであることが後でわかった。
私は原則教職員食堂で食べるのだが、ちょっと時間が遅くなると料理が無くなり学生食堂の方に行かされることが再々であった。どちらも、仕切りのついたトレイにカフェテリア式に自分で取るスタイルだが、肉料理や魚介料理などの主菜は並んで給仕係によそってもらい、米飯やパンなどの主食を含めた他の料理(副菜が3,4品)は自分で好きなだけ取るのである。3カ月の間特に苦手な料理もなくまずまず美味しかった。
私はリュウ先生から食券をまとめてもらい、それを毎食給仕係にちぎって渡す。料金は朝食40円くらい、昼と夕は100円くらいであった。
困ったことは夕食時間が早いことである。夕方6時過ぎに行くと教職員食堂の料理がなくなってしまうことがよくあった。学生食堂の方に行くのだが、こちらも7時頃にはほとんど食事が終わっている。例えば6時半頃食事をすれば、500席以上のだだっ広い食堂で2人か3人がひっそりと食べることになる。わびしい限りだ。もう一つ困ったことがある。それは晩酌である。学校の施設なのだから食堂でアルコールはご法度なのだろうが、私は缶ビールを持ち込んで飲んでいた。ある日、背広を来た事務官のような人からすごい剣幕でまくし立てられた。怒っているのは顔と声で分かるが、中国語の分からない私には意味が分からない。辛うじて「私は日本人だ。中国語は分からない」と中国語で伝えたが、剣幕は収まらない。その内、手でビールを飲む仕草をしたので意味を解した。そうか、晩酌はダメか。翌日は部屋に帰ってから飲んだが、それでは味気ない。料理あってこその晩酌である。そこで一計を案じた。冷えたビールをウーロン茶のペットボトルに移して食堂に持ち込んだ。色といい、わずかばかりの泡といい両者見分けがつかない。その後はとうとうこの手で通し切った。