フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

被災地田老 50年前の思い出

2014-03-16 18:57:30 | 日記

   3月11日を中心とした東日本大震災3周年関連報道も一段落というところだが、9日のTBSテレビのサンデー・モーニングは、岩手県宮古市田老から生中継で放送されていた。地上7.7m、海面からの高さ10m、総延長2.4kmに亘って張り巡らせた田老の防潮堤は「万里の長城」と称され、津波対策の全国モデルになっていたのだが、先の震災では全く歯が立たず町の海岸部は大津波で壊滅した。番組の関口宏メインキャスターら一部レギュラー出演者がその田老に赴いての中継であった。

   まだ復旧の見通しも立たない町、テレビに映し出された雪の光景に私は目を凝らした。だが私の記憶にある田老の姿はない。もうほぼ半世紀前に私は一度田老を訪ねたことがある。大学2年生の夏休みのこと、旅の途中でふらっと寄ったのである。その夏休みに青森の八戸にある高校時代の親友の実家へ遊びに行くところであった。1枚の東北観光地図と国鉄(当時)周遊券を片手に東京の家を出て、 途中仙台の遠い親戚の家に泊まって七夕を見物する以外気ままな10日間の旅である。その日は宮古市の名勝浄土ヶ浜から陸中海岸遊覧の船に乗り、田老で途中下船した。三陸特有の断崖や奇岩を眺めながら海岸線を歩いていると、絶壁上に何か大きな建物が見えた。それは建設中の国民宿舎で尋ねたら泊めてくれると言うので、その日はそこに泊めてもらった。まだ厨房の設備が出来てないといい、夕食・朝食は町役場の車で町内のレストランに連れて行ってくれた。まだ完成してない宿舎、しかも予約もしてないのに泊めてくれて、役場の車で食事に連れて行ってくれる・・・なんといい時代だったのだろう。夜、人気のない宿舎で聞いた断崖下の潮騒の音とともに今でも忘れられない田老の一泊である。

   それから約25年後、大蔵省から岩手県副知事に出向していた友人を盛岡に訪ねた時にこの話をしたら、秘書の方が興味深そうに聞いていて、国民宿舎はまだあると言っていた。しかし、最近ネットで調べる限りではもう無くなっているようである。50年の時間が流れていた。 
   この時の旅では田老だけではなく、仙台、松島、塩竃、金華山、石巻、釜石、宮古、八戸など震災の被災地帯を訪ね歩いている。一度その足跡を家内と車で再訪してみたいと考えているのだが、実現していない。

[今日の花]

   またまたウメと早咲きサクラで失礼。神代植物園のウメ園や井之頭公園のカワヅザクラ(河津桜)の満開状態を既に紹介済みなのだが、外を歩いていると東京圏では今こそウメが真っ盛りと見受ける。また井之頭公園のサクラについてはオオカンザクラ(大寒桜)やカンヒザクラ(寒緋桜)も進んで来たので、改めてウメ・サクラの勢揃いで登場させたい。

下の写真 右=開花のピークを迎えているカワヅザクラ(河津桜)  中=ようやく蕾が開き始めたカンヒザクラ(寒緋桜) 右=オオカンザクラ(大寒桜)も満開間近かになった。 

  

下左=神代植物園のウメ園ではサンシュユ山茱萸:中央の黄色)も加わって 、紅白黄の華やかな彩りとなっていた。 下右=植物園内でもっとも咲きっぷりの見事な白梅

     

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