冬の一と日を言う。
または冬の太陽や日差を言う。
傍題は冬日、冬日向。
どことなく頼りない日差ではあるが
陰影も濃いのが冬日である。
定期的に選句の依頼がやって来る。
高濱年尾曰く
「選者というものは常に作者の立場に立って
句を理解し選をすべきである。」と言っている。
そして作者に対して親切でなければならないとも。
高濱虚子は「選句もまた創作」と言った。
言葉をうまく変えてあげるのが添削なのか?
いつも迷うところである。
まったく変われば喜ばれることもあるし
私はそんな表現はしないと思われることもある。
あくまで作者の表現を尊重しなければならない。
ここが添削の難しいところである。
ある投句で「キリコ」という言葉があった。
最初私はその句は冬日と切子グラスの影を
詠んだものだろうと思った。
それで確かめるため、自身が愛用している
切子グラスに冬日を透かしてみた。(写真)
その影がどうなるか確かめて見たかったのだ。
しかし、ふと、いや待てよ。
これは画家のキリコが描いたある有名な絵を
句にしたものではないかと気づいた。
結論から言えば、該当句はやはり
ジョルジョ・デ・キリコが1914年に描いた
《通りの神秘と憂愁》という絵のことだろう。
しかし、実験してみてこの句は
切子硝子に透ける冬日の景でもいいのでは
とも思ったのである。