平安夢柔話

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赤染衛門

2006-01-13 20:28:01 | 歴史人物伝
 やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

あなたが来て下さると言ったから、私はずっと待っていたのよ。
 待って、待って、とうとう月が西の空に傾くまで…。
でもあなたは来て下さらなかった。
こんな事ならさっさと寝てしまえば良かったわ。

素直な歌ですよね。「百人一首」の歌の中でも、私が最も好きな歌の一つです。

百人一首59番目の歌、作者は平安中期の女流歌人、赤染衛門です。

作者の赤染衛門の妹(姉とも)の許に、少将だった頃の藤原道隆が通っていました。その妹の許に、「今夜必ずそちらに行くよ。」と言ってきた道隆でしたが、とうとうその夜は来ませんでした。そこで赤染衛門が、妹に代わって代作したのがこの歌です。でも、代作と言うには惜しいくらい、恨んだりすねたりしている感情がよく表現されていると思います。。

 では、この歌の作者、赤染衛門とはいったいどのような人だったのでしょうか?

☆赤染衛門(957?~1046以降)
 平安中期の歌人。文章博士大江匡衡の妻。『栄花物語』の作者とも言われています。

 彼女は赤染時用の娘ということになっていますが、実は平兼盛の娘という説もあるようです。彼女の母は兼盛の妻でしたが離婚し、その後赤染時用の妻となりました。時用の妻になったとき、母は兼盛の子を妊娠していました。そして産まれた子が赤染衛門……というのです。でも、DNA鑑定のないこの時代のこと、真相は不明というより他はありません。

 なお平兼盛は光孝天皇の子孫で、百人一首40番目の歌で知られる歌人です。(当ブログの2005年7月9日の記事『田辺聖子の小倉百人一首』を参照して下さいね)

 赤染衛門は10歳前後の頃、源雅信の邸に出仕したと考えられます。そして最初は、雅信の娘倫子(964年生)の女童として、彼女の遊び相手のようなことをしていたようです。やがて倫子つきの正式な女房となり、ずっと後には彼女が藤原道長との間にもうけた一条天皇中宮彰子の女房として宮中にも出仕することになります。

 赤染衛門が、最初に紹介した百人一首にとられている歌を詠んだ時期は、藤原道隆が少将だった時期である天延二年(974)から貞元二年(977)の間ということで、彼女は十代の後半~二十歳頃だったと推定されます。

 そしてちょうどその頃、法華八講にて彼女を見そめた2人の男性がいました。
 その一人は大江匡衡、、もう一人は彼のいとこの大江為基でした。2人とも文章生出身の官僚で人柄も大変優れた人物でしたが、赤染衛門は為基の方に心を引かれ、彼との結婚を決意します。しかし為基は、親の薦める娘との結婚を決めてしまいます。
 傷心の赤染衛門は匡衡の愛を受け入れることとなります。しかし彼女は為基のことをどうしても忘れることができませんでした。
 こうして彼女は匡衡と結婚生活を送りながら、為基と歌のやりとりをしたり、時には会ったりしていたようです。しかし、この時代の結婚は大変不安定なものなので、必ずしも彼女を責めることはできませんが…。匡衡にとっては「赤染衛門を為基に奪われるのではないか…」と気が気ではなかったでしょうね。そして、この状態は10年近く続き、為基の「重病と愛妻の死による出家」によりピリオドを打つこととなります。

 その頃赤染衛門は匡衡との間に娘を産み、本格的に彼と同居するようになったようです。その後の彼女は、匡衡に協力する良き妻としての人生を歩むこととなります。長保三年(1001)には、尾張守となった匡衡に付き従い、尾張に下向しています。
 赤染衛門には、歌を詠むことによって夫や息子を出世させたり、住吉明神に歌を奉納することによって息子の病気を治したりと、様々な伝承が残っています。しかしそれらは、当時の貴族の日記との矛盾もあるようで、真偽のほどは疑わしいという説もあります。それはともかくとして、彼女が夫や子供達に尽くし、王朝の世をしたたかにたくましく生きたということは事実だと思います。長和元年(1012)に匡衡と死に別れ、その後長元四年に出家しています。没年は永承元年(1046)頃に彼女の家集が完成しているのでそれ以降のようです。つまり90歳過ぎくらいまで生きていたということになります。

 赤染衛門は交際範囲が広く、多くの友人を持っていました。先に書いたように、彼女は一条天皇中宮彰子の宮廷に出仕していたのですが、同僚女房の紫式部や和泉式部はもちろん、清少納言とも親しくつき合っていました。また、色々な人から歌の代作を頼まれてもいます。これは彼女が姉御肌的な性格で、誰からも慕われる人物だった証拠ではないでしょうか。特に、道長の妻倫子の彼女に寄せる信頼は並々ならぬものだったのではないかと思います。。

 あり得ないかもしれませんが、もしどこかの放送局が一条天皇の後宮を中心にした平安中期の宮廷を舞台にしたドラマを作ることがあったら、交際範囲の広かった赤染衛門をぜひナレーター役に起用して欲しいなと、密かに思っています。登場人物すべての情報に通じた彼女のナレーションはさぞ面白いのではないでしょうか。

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