平安夢柔話

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大河ドラマ「義経」第6回&蛭ガ小島の頼朝

2005-02-16 00:05:56 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」、第6回の感想です。

 番組の最初の方で、うつぼのお兄さんから逃げる遮那王が描かれていましたが、あの飛び上がり方、やっぱり人間わざとは思えませんね。これも鬼一法眼から教わったのでしょうか。

 今回の一番の見どころは、頼朝だったと思います。
まず登場は、亀の前といちゃいちゃしている場面でしたね。でも、一目見て「何か魅力的!!」と思ってしまった私、変でしょうか…。
主人は「この頼朝、何か不気味な感じを受けて、怖いな。」と言っていました。
 確かに今回の頼朝、何を考えているかわからない部分がありますよね。三善康信からの書状を読んでいるところなどは、戦国時代の高名な武将のように真剣そのものでした。やはり頼朝は流人で終わるつもりなど、毛頭なかったのでしょうか。
 書状を送ってきた三善康信は、頼朝の乳母子に当たります。もしかして、康信によってもたらされていた都の情報を色々考察して、頼朝は再起を図る準備をしていたのかもしれませんね。
 それにしても、蛭ガ小島の監視は随分ゆるいですよね。都からの使者が出入りしていることに、監視役の北条氏は気がつかなかったのでしょうか。それに、実際の頼朝も、時々蛭ガ小島を抜け出して三島や伊東に遊びに行ったりもしていたみたいです。北条氏は、それを全く見て見ぬふりをしていたのでしょうか?そうなると北条氏は、「いつか頼朝を旗頭にして、都に反旗をひるがえしてやろう。」という野心を持っていたのかもしれないと、詮索したくなってきます。その頃の東国は、まるで都や西国の植民地のような状態だったのですから…。

 ところで、史跡にはあまり行ったことのない私ですが、蛭ガ小島には行ったことがあります。  
 私は、蛭ガ小島のある静岡県田方郡韮山町の西隣、静岡県沼津市の出身で、中学時代までをそこで過ごしました。中学校の社会科見学で伊豆の史跡巡りをしたことがあり、蛭ガ小島にも行ったことがあるわけなのです。もう25年くらい前のことです。
 蛭ガ小島周辺は今ではだいぶ開けているようですが、当時は周囲に家もなく寂しい場所でした。しかも、周りには小川が流れていて、本当に離れ小島のようになっていたと記憶しています(記憶違いかもしれませんが…ウーン…なにぶん古い記憶なので)。
蛭ガ小島の中には、頼朝が住んでいた小屋と言われる、まるで弥生時代の竪穴式住居を思わせるような建物もありました。本当に狭くて汚いところで、「こんな所に20年も閉じ込められていた頼朝さん、お気の毒に…。」と当時は同情したものです。なので、たまにはこっそり抜け出して、遊びに行きたくもなりますよね。
頼朝の猜疑心の強い性格は、この蛭ガ小島で形成されたのだと、私は子供心にもそう思いました。中学時代、日本史が好きなわけではなかったのですが、なぜか源平時代と万葉集の時代には興味があったえりかです。

それはともかくとして、頼朝の二面性をうまく演じているところは、「さすが中井貴一さん!」だと思いました。また、北条時政・政子親子もなかなか魅力的ですね。
腹に一物あるような感じの時政と、男勝りの政子の、これからの活躍が楽しみです。
特に、頼朝と政子がこれからどのように親しくなっていくか、どんな夫婦に描かれるのかも楽しみですね。何かこれからは、舞台が伊豆に移るたびに、わくわくするかもしれないです。
 今後のドラマ「義経」に、期待を覚えます。