平安夢柔話

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大河ドラマ「義経」第3回&源希義

2005-01-24 09:11:57 | 2005年大河ドラマ「義経」
 大河ドラマ「義経」、第3回の感想です。

 「母の言う事が聞けなければこれで母を刺しなさい。」と言った常磐さん。美しさの中にりんとした強さを感じました。従来の、運命にもてあそばれるだけの常磐さんのイメージとは、一線を画すような描き方ですね。
 でも、自分の産んだ子はすべて手許からいなくなってしまった彼女の気持ちを考えると、切なくなってしまいます。せめて、ドラマでも史実通り、長成さんとの間に子供が産まれたことにして欲しいです。そうしなければ、常磐さんがあまりにもかわいそうです。

 本日の放送で面白いキャラクターだと思ったのは後白河上皇です。何を考えているかわからない、まったりしたところ、本当に後白河上皇らしくていいですね。何しろ、源平合戦を陰であやつっていたのは、他ならぬ後白河上皇なのですから…。それから、今様を踊っているところも良かったです。実際、後白河上皇は今様を歌ったり踊ったりするのが大好きだったとか。現代で言うと大のカラオケ好きといったところでしょうか。これからの彼の活躍が楽しみです。
ついでに、のちに出て来るという上皇の寵姫、丹後局も楽しみです。

 ところで、牛若はしょっちゅう夜、鞍馬寺を抜け出していましたけれど、あんなに簡単に抜け出せたのか、ちょっと疑問に感じました。それに、経を読んでいる様子も修行をしている様子もありませんし…。ひょっとしたら鞍馬寺側は、最初から牛若を出家させるつもりはなかったのでは?と思ってしまいます。寺に義朝の弟の十郎を入れていることでも、「鞍馬寺って、本当はこっそり源氏に加担していたのではないの?」と思ってしまいました。

 さて、今回オープニングに流れた系図に、源希義の名前があったのはとても感激してしまいました。そこで、今回はこの希義について簡単に述べてみますね。

 源希義は頼朝と同じく、源義朝を父に、藤原季範女を母として産まれました。つまり、頼朝の同母弟です。当然、頼朝と同じ邸宅で子供時代を送っていたのではないかと考えられます。
 平治の乱で義朝が敗れると、頼朝は命を助けられて伊豆に流されました。当然、弟だけ打ち首にするわけにはいきませんので、希義は土佐に流されることになります。つまり、同母兄弟で連絡を取ることがないよう、遠く東と西に兄弟を分けたわけです。
 希義が土佐で、どのような生活を送っていたのかは不明です。
その後治承四年(1180)、頼朝が挙兵したことを聞いた希義は、密かに挙兵の準備を始めたようです。あるいは土佐を抜け出して、頼朝の許にはせ参じようとしたのかもしれません。
 しかし、挙兵の準備は平家の知るところとなり、治承四年十一月、希義は平家方によって攻め殺されてしまいました。

 歴史に「もし?」は禁物ですが……、もしも希義が頼朝の許にはせ参じることができていたならば、同母弟ということで、案外頼朝の良き相談相手になっていたのではないかと思います。子供時代を一緒に過ごしたことは、大きいと思うのですよね。それだけに、希義が早々に討たれてしまったことは、頼朝にとっても、残念なことだったと私は感じています。