わ~い!!私、今日で10歳になったのニャン!!
今日は、我が家の小さなエリカのお誕生日です。と言うわけで、エリカちゃん、お誕生日おめでとう!!☆これからもずっと元気で長生きしてね。
写真は、約1ヶ月前に撮ったものです。私が初めてエリカと会ったとき、彼女はこんな格好をしていました。この格好のことを「箱座り」というのだそうです。
本当にかわいい♪
では、今日は私とエリカの出会いを少し、書かせていただきます。
私とエリカが初めてあったのは、1995年7月24日のことでした。以前こちらに書いたと思いますが、エリカは生後2ヶ月の時に私たちにもらわれてきたのでした。でも、なぜ私たちが猫をもらうことになったかについては、その約2週間前に時間を戻さなければなりません。
それは、1995年7月10日頃だったと思います。その頃、だんなさんは県立高校の教員をしており、私たちは駿府城外堀の内にあった教員住宅に住んでいました。
その日、だんなさんが通勤の途中で、生後2,3ヶ月くらいの子猫を拾ってきたのでした。というのは、静岡市民会館前の広場でこの猫を真ん中にして、小学生の女の子達が困っていたのだそうです。その猫は全く動かず、うずくまっていたとのことでした。なのでだんなさんが、「いいよ、僕が何とかしてあげるからね。」と言って、その猫を背広の内懐に入れて家に引き返して来たというわけです。(おかげでその日は遅刻しそうになって、タクシーで学校に行くことになりました)
本当にその猫は体が冷たく、ぐったりしていました。鳴き声も「ミュー」とかすかに声を出すだけでした。それで私とだんなさんは、体を温めたり食べ物をあげたりさすったりして、何とか元気にしてあげようとしたのです。そうしたかいもあってか、一時的に少し元気になったのですが、食べ物はほとんど食べませんでした。
ティナと名付けたその猫は、拾ってきて2日後に再びぐったりしてしまいました。
そこで、私たちはタクシーを呼んで、運転手さんの連れていってくれた動物病院に、ティナを連れて行ったのです。
子猫を見た受け付けの看護婦さんが驚いてすぐに診察室に入れてくれ、すぐに診察してもらいました。医師からは「このまますぐに猫を入院させるように。」と言われました。そして、「とても危険な状態です。1日か2日ほどしか持たないかもしれませんが、覚悟だけはしていて下さい。」とも言われました。
次の日に病院に行って診察室に入って、少し元気そうになった猫に「ティナ」と呼んでみました。私たちの声を聞いたティナは顔を上げ、私たちの方を見るとよろよろしながら立ち上がって、甘えるような仕草をしたり、点滴のチュウブをかんだりしました。私たちはそんなティナを見て、「何とかなるかもしれないよね。」と少しだけでしたが希望を持ったのです。
ところがそれから3、4日経った日、私たちは病院でこう言われたのです。
「この猫はいわゆる白血病で、もう助かりません。高額な薬を使うので1日1万円近い治療費もかかりますが、どうしますか?…」
覚悟はしていたもののその瞬間はかなりのショックでした。出会って1週間だけど、情が移ってしまっていたのでしょうね。「ティナ」という可愛い名前もつけていましたし…。それで私たちは、病院の先生に「いくらお金がかかってもかまいません。途中で治療を打ちきらないでください。最後まで面倒を見たい。」と言ったのです。
すると、今までうずくまっていたティナが突然起きあがって「ニャー」と鳴いて、私たちの所によろけながら歩いてきたのでした。ティナはきっと、私たちのことがわかったのだと思います。この時のティナに、今まで一度も感じたことのない何とも言えない愛しいような、哀しいような、激しい愛情が湧いてきました。
そして次の日、外出から帰ってきた私たちは、留守番電話から流れてきた「ティナちゃんがなくなりました。」というメッセージを聞きました。病院からの連絡でした。
ティナが亡くなってしまった! 言葉がなかったです…。
今、当時のことを思い出すと、もう少しティナと一緒にいてあげたかったなと思います。ティナはおそらく、生まれてすぐに捨てられ、野良猫や野良犬にかまれたり引っかかれたりして病気を移されてしまったのだと思います。何も出来ない小さな体で雨に降られたり、食べ物もなく、寂しい毎日を送ってきたのだと思います。それを考えると私もだんなさんもティナが哀れで、今でも涙があふれてしまいます。
悲しんでいる私たちは医師から、「あなた方に出会えて、暖かい愛情を受けながら治療が受けられて、最後は幸せだったと思いますよ。」と言われました。
そう信じたいです。最後の10日ほどは私たちの愛情を受け、安心して天国に行ったのかもしれないな、と。それだけは幸せだったかも……と、信じたいです。
ティナが死んでしまったことに、だんなさんはかなりショックだったようです。とにかくティナを拾ってきたのは彼ですから…。それから、「食べ物を無理やり食べさせようとしてティナを怒ってしまい、可哀想なことをした。」とも言っていました。
そこでだんなさんは「ティなの替わりに猫が欲しい。ティナにしてあげられなかったことをその猫にたくさんしてあげたい。」と言い出したのです。私は大反対しました。「私は猫の世話をする自信はないし、また死んでしまったら可哀想だから。」と言ったのですけれど、うちのだんなさんはかまわずに猫探しを始めてしまいました。
ちょうどその頃、だんなさんの同僚の先生の家で子猫が3匹生まれていました。そのうち2匹が男の子、1匹が女の子とのことでした。だんなさんがその同僚に「猫を捜している。」という事をはなしたところ、「女の子はすぐに子供を生んでしまうのでいらないのでもらって欲しい。」と言われたとのことで、あっという間に話が決まってしまいました。ティナは女の子でしたので、女の子がもらえるというのはちょうど良かったのです。
そして1995年7月24日、すでに夏休みになっていたその日、だんなさんは有給休暇を取っていたのですが、その同僚の先生が車で猫を連れて来るというので、私も一緒に猫を引き取りに学校に行くことになりました。実はその日まで、私は猫を飼うことに全く気が進まなかったのですが…。
でも、箱座りをしているその猫を見たとたん、「かわいい!!」と声をあげてしまいました。そんな風に思ったこともどういうわけなのか、未だによくわかりません。
本当に小さくて白いきれいな猫で、目はくりくりしているし、かわいい声で「ニャー」と鳴くし……。一目見て「この猫はエリカだ。」と突然思ったのも不思議です。とにかく私は、この猫に魔法をかけられてしまったようでした。
ちなみにエリカの誕生日に関しては元の飼い主さんに聞いたところに寄ると、「5月の中頃に生まれたのだけど、はっきりした誕生日はわからない。」ということでした。そこで5月の中頃=15日と、私たちは勝手に決めました。【5・1・5」でわかりやすいですしね。
そして本日、エリカはめでたく10歳の誕生日を迎えることができました。
猫の10歳というと、人間で言うと50代半ばといった所ですが、幸い病気もなく、食欲旺盛で元気です。とにかく、ほんの2、3ヶ月しか生きられなかったティナの分まで1日でも長く元気で長生きして欲しいです。私たちと一緒にいて欲しいです。
だんなさんは「エリカなんて嫌いだ」と言いながら、エリカが「ギャー」と鳴いて近寄ってくると、膝に乗せて背中をなでながら、ニコニコして嬉しそうにしています。
今日は、エリカの大好物のマグロの缶詰や静岡特産の釜揚げしらすを出して、誕生日のお祝いしてあげようと思っています。
「ハッピー バースデー エリカ!!」
今日は、我が家の小さなエリカのお誕生日です。と言うわけで、エリカちゃん、お誕生日おめでとう!!☆これからもずっと元気で長生きしてね。
写真は、約1ヶ月前に撮ったものです。私が初めてエリカと会ったとき、彼女はこんな格好をしていました。この格好のことを「箱座り」というのだそうです。
本当にかわいい♪
では、今日は私とエリカの出会いを少し、書かせていただきます。
私とエリカが初めてあったのは、1995年7月24日のことでした。以前こちらに書いたと思いますが、エリカは生後2ヶ月の時に私たちにもらわれてきたのでした。でも、なぜ私たちが猫をもらうことになったかについては、その約2週間前に時間を戻さなければなりません。
それは、1995年7月10日頃だったと思います。その頃、だんなさんは県立高校の教員をしており、私たちは駿府城外堀の内にあった教員住宅に住んでいました。
その日、だんなさんが通勤の途中で、生後2,3ヶ月くらいの子猫を拾ってきたのでした。というのは、静岡市民会館前の広場でこの猫を真ん中にして、小学生の女の子達が困っていたのだそうです。その猫は全く動かず、うずくまっていたとのことでした。なのでだんなさんが、「いいよ、僕が何とかしてあげるからね。」と言って、その猫を背広の内懐に入れて家に引き返して来たというわけです。(おかげでその日は遅刻しそうになって、タクシーで学校に行くことになりました)
本当にその猫は体が冷たく、ぐったりしていました。鳴き声も「ミュー」とかすかに声を出すだけでした。それで私とだんなさんは、体を温めたり食べ物をあげたりさすったりして、何とか元気にしてあげようとしたのです。そうしたかいもあってか、一時的に少し元気になったのですが、食べ物はほとんど食べませんでした。
ティナと名付けたその猫は、拾ってきて2日後に再びぐったりしてしまいました。
そこで、私たちはタクシーを呼んで、運転手さんの連れていってくれた動物病院に、ティナを連れて行ったのです。
子猫を見た受け付けの看護婦さんが驚いてすぐに診察室に入れてくれ、すぐに診察してもらいました。医師からは「このまますぐに猫を入院させるように。」と言われました。そして、「とても危険な状態です。1日か2日ほどしか持たないかもしれませんが、覚悟だけはしていて下さい。」とも言われました。
次の日に病院に行って診察室に入って、少し元気そうになった猫に「ティナ」と呼んでみました。私たちの声を聞いたティナは顔を上げ、私たちの方を見るとよろよろしながら立ち上がって、甘えるような仕草をしたり、点滴のチュウブをかんだりしました。私たちはそんなティナを見て、「何とかなるかもしれないよね。」と少しだけでしたが希望を持ったのです。
ところがそれから3、4日経った日、私たちは病院でこう言われたのです。
「この猫はいわゆる白血病で、もう助かりません。高額な薬を使うので1日1万円近い治療費もかかりますが、どうしますか?…」
覚悟はしていたもののその瞬間はかなりのショックでした。出会って1週間だけど、情が移ってしまっていたのでしょうね。「ティナ」という可愛い名前もつけていましたし…。それで私たちは、病院の先生に「いくらお金がかかってもかまいません。途中で治療を打ちきらないでください。最後まで面倒を見たい。」と言ったのです。
すると、今までうずくまっていたティナが突然起きあがって「ニャー」と鳴いて、私たちの所によろけながら歩いてきたのでした。ティナはきっと、私たちのことがわかったのだと思います。この時のティナに、今まで一度も感じたことのない何とも言えない愛しいような、哀しいような、激しい愛情が湧いてきました。
そして次の日、外出から帰ってきた私たちは、留守番電話から流れてきた「ティナちゃんがなくなりました。」というメッセージを聞きました。病院からの連絡でした。
ティナが亡くなってしまった! 言葉がなかったです…。
今、当時のことを思い出すと、もう少しティナと一緒にいてあげたかったなと思います。ティナはおそらく、生まれてすぐに捨てられ、野良猫や野良犬にかまれたり引っかかれたりして病気を移されてしまったのだと思います。何も出来ない小さな体で雨に降られたり、食べ物もなく、寂しい毎日を送ってきたのだと思います。それを考えると私もだんなさんもティナが哀れで、今でも涙があふれてしまいます。
悲しんでいる私たちは医師から、「あなた方に出会えて、暖かい愛情を受けながら治療が受けられて、最後は幸せだったと思いますよ。」と言われました。
そう信じたいです。最後の10日ほどは私たちの愛情を受け、安心して天国に行ったのかもしれないな、と。それだけは幸せだったかも……と、信じたいです。
ティナが死んでしまったことに、だんなさんはかなりショックだったようです。とにかくティナを拾ってきたのは彼ですから…。それから、「食べ物を無理やり食べさせようとしてティナを怒ってしまい、可哀想なことをした。」とも言っていました。
そこでだんなさんは「ティなの替わりに猫が欲しい。ティナにしてあげられなかったことをその猫にたくさんしてあげたい。」と言い出したのです。私は大反対しました。「私は猫の世話をする自信はないし、また死んでしまったら可哀想だから。」と言ったのですけれど、うちのだんなさんはかまわずに猫探しを始めてしまいました。
ちょうどその頃、だんなさんの同僚の先生の家で子猫が3匹生まれていました。そのうち2匹が男の子、1匹が女の子とのことでした。だんなさんがその同僚に「猫を捜している。」という事をはなしたところ、「女の子はすぐに子供を生んでしまうのでいらないのでもらって欲しい。」と言われたとのことで、あっという間に話が決まってしまいました。ティナは女の子でしたので、女の子がもらえるというのはちょうど良かったのです。
そして1995年7月24日、すでに夏休みになっていたその日、だんなさんは有給休暇を取っていたのですが、その同僚の先生が車で猫を連れて来るというので、私も一緒に猫を引き取りに学校に行くことになりました。実はその日まで、私は猫を飼うことに全く気が進まなかったのですが…。
でも、箱座りをしているその猫を見たとたん、「かわいい!!」と声をあげてしまいました。そんな風に思ったこともどういうわけなのか、未だによくわかりません。
本当に小さくて白いきれいな猫で、目はくりくりしているし、かわいい声で「ニャー」と鳴くし……。一目見て「この猫はエリカだ。」と突然思ったのも不思議です。とにかく私は、この猫に魔法をかけられてしまったようでした。
ちなみにエリカの誕生日に関しては元の飼い主さんに聞いたところに寄ると、「5月の中頃に生まれたのだけど、はっきりした誕生日はわからない。」ということでした。そこで5月の中頃=15日と、私たちは勝手に決めました。【5・1・5」でわかりやすいですしね。
そして本日、エリカはめでたく10歳の誕生日を迎えることができました。
猫の10歳というと、人間で言うと50代半ばといった所ですが、幸い病気もなく、食欲旺盛で元気です。とにかく、ほんの2、3ヶ月しか生きられなかったティナの分まで1日でも長く元気で長生きして欲しいです。私たちと一緒にいて欲しいです。
だんなさんは「エリカなんて嫌いだ」と言いながら、エリカが「ギャー」と鳴いて近寄ってくると、膝に乗せて背中をなでながら、ニコニコして嬉しそうにしています。
今日は、エリカの大好物のマグロの缶詰や静岡特産の釜揚げしらすを出して、誕生日のお祝いしてあげようと思っています。
「ハッピー バースデー エリカ!!」