先日母の三回忌の法事を行った。
母に死なれたときはこんなに悲しいことがあるのかと驚き、
ずっとこんな状態でいるのかしらん、とずるずる落ち込んでいたけど、
不思議なもので2年がたち、すっきり明るくこの日を迎えられた。
49日、1周忌、三回忌・・・法事とは大したものだと思う。
あの時、母の誕生日の次の日に、マイケルジャクソンが逝き、
へ~と思っていたらその数日後に突然母が逝った。
「母さんマイケルと一緒に逝くわけ~」と、泣きながら思った。
しかし、母はマイケルジャクソンのことを知るわけもなく私がこじつけているだけだ。
その後映画「THI IS IT」に大感激したのもあって、
ますます母とマイケルジャクソンは私の頭の中で結合している。
母は認知症を患った。
反抗期が長かったわがまま娘の私にとってそんな母を受け入れるのに時間がかかった。
平気で納得のいかないことを言うようになった母に対して、
昔の反抗心が、いい年になっているにもかかわらずメラメラと蘇った。
面倒を看きれずグループホームに入ってもらったが、
他人の手を借りながら介護するのは、冷静になることができて良かったと思う。
ほかの人から見れば、ホームに入れることは介護放棄だと思われるかもしれないが、
1対1で四六時中睨み合っていると、偏屈な感情にとらわれてしまって
そのことを毎日激しく落ち込みながらも、実際ではちっともうまくいかない。
最後の1年くらいは、母の命のろうそくが短くなってきているのを感じながらも
すなおに母とのかかわりを立て直すことができ、自分もやっと大人になれたかと思われた。
親が死なないと一人前になれないなんて、まさに、親孝行したいときに親はなし、だ。
證誠寺(しょうじょうじ)の庭の奥にたたずむやけになまめかしい狸。
つぶらな瞳に吸い寄せられる。きょとんとした顔で私を見る母を思い出した。
母に死なれたときはこんなに悲しいことがあるのかと驚き、
ずっとこんな状態でいるのかしらん、とずるずる落ち込んでいたけど、
不思議なもので2年がたち、すっきり明るくこの日を迎えられた。
49日、1周忌、三回忌・・・法事とは大したものだと思う。
あの時、母の誕生日の次の日に、マイケルジャクソンが逝き、
へ~と思っていたらその数日後に突然母が逝った。
「母さんマイケルと一緒に逝くわけ~」と、泣きながら思った。
しかし、母はマイケルジャクソンのことを知るわけもなく私がこじつけているだけだ。
その後映画「THI IS IT」に大感激したのもあって、
ますます母とマイケルジャクソンは私の頭の中で結合している。
母は認知症を患った。
反抗期が長かったわがまま娘の私にとってそんな母を受け入れるのに時間がかかった。
平気で納得のいかないことを言うようになった母に対して、
昔の反抗心が、いい年になっているにもかかわらずメラメラと蘇った。
面倒を看きれずグループホームに入ってもらったが、
他人の手を借りながら介護するのは、冷静になることができて良かったと思う。
ほかの人から見れば、ホームに入れることは介護放棄だと思われるかもしれないが、
1対1で四六時中睨み合っていると、偏屈な感情にとらわれてしまって
そのことを毎日激しく落ち込みながらも、実際ではちっともうまくいかない。
最後の1年くらいは、母の命のろうそくが短くなってきているのを感じながらも
すなおに母とのかかわりを立て直すことができ、自分もやっと大人になれたかと思われた。
親が死なないと一人前になれないなんて、まさに、親孝行したいときに親はなし、だ。
證誠寺(しょうじょうじ)の庭の奥にたたずむやけになまめかしい狸。
つぶらな瞳に吸い寄せられる。きょとんとした顔で私を見る母を思い出した。
父、母、身近な身内の死は、なかなか在りし日の思い出から
現実を受け入れるのに時間がかかりますね。
振り返って見ると、確かに2年が一区切りだったように思えます。
それでも、どんな状況であれ、最後の日を意識しながら、
すごせた時があったのは、よかったのではないでしょうか。
結局、後に自分を救う助けとなったのは、その時間を過ごせた事で、
わずかながら悔いのようなものが薄らいだ気がします。
若き日は、親戚付き合いなど眼中になかったですが、
今では、法事の度に、故人が人寄せをしてくれて、
その絆の再確認の場となっています。
若い頃、親がいた頃には、言われてもわからなかった事、
後になって気付くのが、人の常なのでしょうかね。
お母様とマイケルに合掌。
そんな事決してないんですよ。
私も一時期、寝た切りのばぁちゃんと
認知のじいちゃんが重なっていた時がありましたが
本当に辛かったです。介護してきた中で、この時期が一番でした。
特に認知症は家で看るには限度がありますよ。
また本人の為にも、こういうグループホームのような所に居た方が
幸せだって事もあるんですよ。
人はみな、いろんな事情があるのです。
こういう所へ入居させて後ろめたいと言う事は
愛情の裏返しなのだそうです。
きっとお母さんも分らなくなってしまったとしても
ちゃんと分っててくれてた部分はあったと思います。
確かに時の力はすごいですね。
そして、法事を執り行う側になると親戚の有り難味もわかるようになりました。
このようなことは、おそらく多くの人が経験することで、自分自身の生まれたことや死ぬことを考えるのも一大事だけれど、他人の生死を受け入れたり見送ったりすることも人生の中で重要な位置を占めているなあって思います。
pochikoさんのブログを読むとほっとしていた私です。
ホームに入れるとき、母の弟妹にまず電話して了解を取りました。皆「それが一番いいよ」と同意してくれた時はほっとしました。
個人的には、無理をしない介護、第三者に入ってもらう介護が大事だと思っています。
ひとりで無理をすればかえって、虐待や本当の介護放棄になりかねないと実感したからです。
それでも心のどこかで、これでよかったのだろうか、もっといい方法はなかったかと後ろめたさを感じ続けています。
薬局に勤める立場上、介護で悩んでいる人を見つけたら、そんな情報を紹介するようにしています。pochikoさんの情報も支えになっていますよ。