江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

3、11

2015-03-11 23:57:48 | 日記
あれから4年が経った。
あの津波の映像を見ると、
いまだにあの時の何とも言えない感覚が蘇えってくる。
きっと多くの人々が感じることだと思う。
中にはその時の感覚があまりにつらくて、
2度と見たくないと思っている人もいることだろう。
私自身も、そうして済むならば何ぼ良いことか、とも思う。
でも実際に避難生活している人に会うと、
とても目をつむっては、いられなくなる。

原発推進者には、この現実がどう目に映っているのだろうかと
不思議に思ってしまう。
見ないようにしているだけではないのか、と。

自然に起こる現象は、人知を超えることが多い。
それを統計して法則性を導き出すのが科学ならば、
科学は自然現象を超えることはない。
とするならば、
安全基準とされることに、絶対性はあるのだろうか。

炎ならば、まだ何とかなるだろう。
と言っても、化学工場などは、鎮火まで24時間以上かかったりする。
一旦暴れ出したら手の付けられない状態になる「核」。
そのゴミも世界のどこもが処理できないのに、
どうしてそれを増やすことに平気なのだろう。
ただ単に、未来に付けを残しているだけではなかろうか。
そんなに簡単に残して良いものなのだろうか。

営団地下鉄(メトロ)は、2時46分に臨時停車すると、車内放送していた。
浅草21世紀は、芝居の途中にもかかわらず、
その時間1分間の黙とうをした。
私はその場に居合わせたが、
観客の誰からも苦言は出なかった。

あの地震を忘れてはいけない。
そして真摯に向き合わなければいけない。
その意味で、東京オリンピックが良いのかどうか、
復興の人手が、オリンピックに取られている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外皮

2015-03-11 00:08:43 | 日記
春キャベツが出回っている。
柔らかいし、甘い。

ところがいつも不思議に思うことがある。
我が町のスーパーマーケットのキャベツコーナーには、
下に段ボールの箱が置いてある。
中を覗くと、キャベツの葉っぱが捨ててあるのだ。
どうやら1玉買う時に、皮を剥くように捨てているようなのだ。

何故なのだろう。

緑の濃いのはちょっと硬いかもしれない。
でも柔らかいのも捨ててあるのは、
ラッキョウを食べるときに、
1枚皮をむいて食べるのと同じではないだろうか。

農家が出荷するときに、
既に外の硬い葉を切り捨てているのだから
無駄なことをしているとしか言いようがない。

我が家がキャベツを1玉買う時は
必ず捨ててある葉を2~3枚貰ってくる。
もったいないと思うからだ。
本心は全部貰いたいところだが、
それは流石に遠慮している。
もちろん緑の濃いのも貰う。
こういうのは千切りにして、
ジャコと唐辛子で炒め、醤油で味付けすれば
酒の肴にぴったりなのだ。

世の中、変な慣習がいくつもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする