「芸と人」(織田紘二著 演劇出版社)を読んだ。
時々芸談ものを読む。
その人の意識や演目や芸に対する考えが、時に大きな刺激になるからだ。
この本は、戦後の歌舞伎を支えた歌舞伎俳優を取り上げている。
そのほとんどが一度は生の舞台を見たことのある人たちで、
親しみを持って読むことができたし、刺激を受けた箇所も幾つかあった。
そして私も感じている気になる言葉が1つ。
「脇の払底」
テレビドラマ、とりわけ若い人が中心のドラマを垣間見ると、
全員主役のような感じがするものがある。
以前名脇役と思っていた人も、いつの間にか主役を張るようになってきた。
芝居を見ていても、「いつか主役」と思っている人たちが多いように感ずる。
私が修業していたところでは、
脇がしっかりしているから芝居がしっかりしている
と言われていた。
極端な話し、芝居は主役に誰を持ってきても、脇がしっかりしてさえいれば
見られるものなのだ。
そこを今の人は勘違いしている。
歌舞伎にしても、売れる役者を作ることばかりに気を取られているから、
脇で味のある芝居のできる人がいなくなっている。
脇が甘いと、そこを突かれる、
脇を固めると、攻めも自在になる、
ということか。
時々芸談ものを読む。
その人の意識や演目や芸に対する考えが、時に大きな刺激になるからだ。
この本は、戦後の歌舞伎を支えた歌舞伎俳優を取り上げている。
そのほとんどが一度は生の舞台を見たことのある人たちで、
親しみを持って読むことができたし、刺激を受けた箇所も幾つかあった。
そして私も感じている気になる言葉が1つ。
「脇の払底」
テレビドラマ、とりわけ若い人が中心のドラマを垣間見ると、
全員主役のような感じがするものがある。
以前名脇役と思っていた人も、いつの間にか主役を張るようになってきた。
芝居を見ていても、「いつか主役」と思っている人たちが多いように感ずる。
私が修業していたところでは、
脇がしっかりしているから芝居がしっかりしている
と言われていた。
極端な話し、芝居は主役に誰を持ってきても、脇がしっかりしてさえいれば
見られるものなのだ。
そこを今の人は勘違いしている。
歌舞伎にしても、売れる役者を作ることばかりに気を取られているから、
脇で味のある芝居のできる人がいなくなっている。
脇が甘いと、そこを突かれる、
脇を固めると、攻めも自在になる、
ということか。