マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「聲香 北原久仁香 ひとり語り」を聴く(その2)

2017年02月17日 | 映画・美術・芝居・落語

 『雪明り』を語り終えて、北原さんは作品周辺のことを語り始めた。

 「『雪明り』はどうしても寒いときに語りたいと思っていまして、それには何処でやったらいいだろうかと悩みました。今日は大寒波襲来の日ですが、やっぱり島薗邸で良かったと思います。
 
この『雪明り』では“跳ぶこと”に思いを巡らしながら表現した積りです。藤沢周平さんという方は文字通り国民的作家で、私が彼を語るなんて到底出来ないのですが、どういう方か知りたくて、喋っているところを見ました。」(写真:「歴史への招待」に出演した藤沢周平。1978年)










 「NHKの番組の「歴史への招待 四十七番目の義士」では寺坂吉右衛門を取り上げ、藤沢さんが出演していた。寺坂は四十七士の唯一の生き残り。彼については諸説あるが、身分は吉田忠左衛門の足軽であって、浅野内匠頭の部下ではない。彼の直接の主は吉田忠左衛門。藤沢さんはこれ以上は無いという慈しみをもって、彼は跳べない男だった、と語っていました。ご本人からこの言葉が語られたということは凄く大きい、と思いました。
 この放送は19781221日。『雪明り』が発表されたのは「小説現代4月号」で1976年。藤沢さんは『暗殺の年輪』で1973年に直木賞受賞。その後に会社を辞めて筆一本の作家生活に。その後『雪明り』を出筆。その頃から常識に対して己はどう生きるのか。自分らしく生きるにはどうすれば良いのか。そういった基本的・人間的なテーマが藤沢さんの中にあったのではなかろうかと思います」と語った。

 1976年に『雪明り』で、世間の常識に背いてまでも大きな溝を越えて”跳んだ”主人公を描いた。
 1978年の放送では、寺坂吉右衛門を”跳べない”男と表現していた。
 跳んだ、跳べないは結果であって、大きな溝や高い壁を前に、跳ぼうか跳ぶまいか葛藤・逡巡し、苦悩する人間を、藤沢は描いたのだと私は思う。今手元にある『サライ2月号』では、”平凡でいい。ひたむきに生きよう”の後に「負の人生に注ぐ思いやり。運の悪さを抱えつつ懸命に生きる人々への共感」と書かれている。そこには藤沢自身の人生が、色濃く投影されている。
 私の勝手な推測だが、北原さんはそのことも含め、上記「」内の赤文字の様に語ったのだと思う。

 彼女の話は続く。
 「昨年は藤沢さんの故郷山形県鶴岡市で上演することが出来ました。旧風間家住宅 「丙申堂」は重要文化財で、「蝉しぐれ」のロケ地。もう一本藤沢作品が撮られていて「必死剣鳥刺し」。若いころから無条件に大ファンの豊川悦司さんが主演。旧風間家の座敷をぶち抜いて公演をしましたが、そこで悦司さんがロケをしていた。もうどうしたら良いのかと思いました
 藤沢周平記念館にも行っ来ました。成人式を記念して著名人に共通の質問を投げかけていた。現代の二十歳になったらどう生きますか?に対して、藤沢さんはこう答えていました”又作家になります。変貌する農業を徹底的に書きます”と」(写真:「丙申堂」での北原さん)



 追記。北原さんからのメールをヒントにDVD「四十七番目の義士」を借りてきて観た。寺坂は討ち入り前に逃亡したか否かについて二説ある。藤沢は逃亡説には立っていない。その後の、長すぎる人生50年。寺坂は泉岳寺とは別の曹渓寺に眠る。 



 


 

  今日の一葉(ホテルビレッジで見た氷柱)
 


草津に憩う

2017年02月15日 | 

 本当は〈「聲香 北原久仁香 ひとり語り」を聴く〉の続きを書くはずだったが、諸般の事情で「草津」を綴ります。
 草津に最後に何時来たのか思い出せないほど草津へは久し振りにやって来た。自身のブログが備忘録になっていて、検索すると20112月1日以来の草津。6年振りのことだった。
 別荘解体で蓼科行の機会が減少する分ここを訪れることが多くなるだろうとの予感がする。クワパーク倶楽部会員の名義は”石野”となっているが、我が家は出資金の半額の負担で、“準”会員でもあったのだ。久し振りに「ホテル 中沢ビレッジ」を利用して、草津捨て難しの思いを強くしている。(写真:ホテル中沢ヴィレッジの全貌。オレンジ色が建物)
 ここの会員制ホテルの魅力を改めて記すと、
 年間宿泊
可能日数は38泊(?)。その半分19泊が我が家が宿泊可能。
 東京からの交通手段としてホテル直通バスが利用可能で往復5000円。問題は八重洲口鍜治橋からホテルまでの所要時間が4時間30分。しかしマイカー利用でも3時間30分は要するだろうから、まあ良しとしよう。
 23日の今回の滞在は「こまくさプラン」(=シルバープラン)によるもの。このプラン12食で6040円。勿論、その費用だけでは終わらないが、交通費と2泊の費用合計が17080円とお安い。
 このホテルには湯どころが三ヵ所あって、露天付き大浴場(源泉は湯畑湯)・テルメテルメの湯(源泉はわたの湯)・シャトー温泉浴室(源泉は万代湯)。私はこのうち特にシャトー温泉が気に入っていて、ここの利用者は稀で、貸し切り状態でノンビリ浸かれるのがよい。(写真:シャトー温泉浴室。今日もひとり入浴)



 草津全般に関しては、温泉全体に“循環湯”の文字が見当たらないように、どこの宿・ホテルも湯はかけ流しで、体が芯から温まる湯質が素晴らしい。
 今回は湯に浸かるだけで、スキーは考えていないが、滑ろうと思えば、ホテルからバス5分の至近距離に天狗山スキー場があり、中・上級コースの清水谷コースなどには上質の雪が待っている。(写真:草津白根)
 ”そうだ草津、行
こう” 


 
  (ホテル付属のスキー場へと続く林)
  
 
       


「聲香 北原久仁香 ひとり語り」を聴く(その1)

2017年02月13日 | 映画・美術・芝居・落語

 115日(日)、島薗家住宅で北原久仁香のひとり語り『雪明り』を聴いてきた。今回は津軽三味線や筝の演奏は無く、文字通りの”ひとり語り”。”聲香”と銘打っての公演は、藤沢周平作品より『雪明り』(新潮文庫「時雨のあと」刊)。今までは文語調の語りが多かったが、今回は平明な口語で、とても聴きやすかった。
 公演後のアンケートに“ひとり語りはひとり芝居になりました”と書いた様に、登場人物5人の表情・所作・声が見事に演じ分けられ、聴きごたえだけでなく観応えもあり、非常に面白かった。(写真:島薗家住宅)



 語り終えて、彼女は珍しく著者と作品内容について、今まで以上に一歩踏み込んだ説明を加えた。特に主人公が“跳んだ”ことに関しての思いを語った。彼女がこの作品をひとり語りに選んだのは主人公が最後の最後に”跳ぶ”決意を下したことが源にあったと思う。この“跳んだ”ことに関しては些か原作内容を綴らねばならない。

 作品は僅か4章からなっていて、全てが異なる場面である。37ページの物語ながらそれだけで起承転結が完結している。(この全てを何も見ないで、語るのだから凄い!)、

 雪の降り出した夜に、主人公芳賀菊四郎が義理の妹由乃に4,5年ぶりに再会するところから物語は始まる。菊四郎は12歳の時に御勘定預役で35石の古谷家から、物頭の家柄で280石の芳賀家に養子に入り、朋江との婚約も整っていた。由乃が宮本家に嫁に行くことも、登城先で父から聞いていた。彼女と分かれるときの場面描写"その姿はすでに闇に消えた。背を向けたとき、一瞬なまめかしくくねった”で、菊四郎が由乃を女と意識していることが暗示されていた。
 第2章では、嫁いだ由乃が大病で寝ているらしいと聞いて宮本家を訪れた菊四郎はそこで、襤褸のように、厚みを失った身体で寝ている由乃を発見する。茫然とする菊四郎に宮本の母が「身体が弱いばかりで、役立たずの嫁です」と浴びせる声に全てを悟った菊四郎は、宮本家から由乃を背負って連れ帰ってしまう。
 健康が回復した由乃は茶屋で働くようになり、菊四郎はいつしかそこへ通うようになっていたが、男女の仲ではない。第3章で菊四郎は養母牧尾と、その姪で許婚の朋江から茶屋通いを責められている。その場面を通じて、菊四郎は養家の格式ずくめの生活に索漠感を抱いていることと、朋江が美しくはあるが権高い許婚であることが語られる。
 二人から詰問されても、菊四郎は茶屋通いを止めてはいなかった。菊四郎が差し出す杯に黙って酒をつぐ由乃。養家や許婚のもとでは寛げぬ菊四郎は由乃に「俺はお前と一緒にいるときが一番気楽だ。俺が俺だということが分かる」と本音を発露してしまう。しかし由乃の手をとっても、その先には行けない。菊四郎は「跳べんな」と呟く。跳べば由乃もろとも裂け目に堕ちていくのが見えてしまうのだ。その呟きを理解したかの様な由乃。
 しかし、第4章はここで終わってはいなかった。訪ねた茶屋から由乃の姿は消えていた。ひとつの所書を置いて。由乃は江戸へ逃げたのではなかった。由乃は江戸の牛込北の遠くから、菊四郎を呼んでいた。”――いまなら、まだ跳べると由乃が言っている。江戸へいくのだ。一人の人でなしとして、故郷を出るしかない”と決意する菊四郎。そのとき、菊四郎の前には雪明りの道があるだけで、その道は江戸へと続くことが暗示されて物語は終わる。
 良くあるストーリーだと思う。しかし藤沢周平が”跳ぶ”男を描いたことに、北原さんはある種の強い思いを抱いたのだろう。語り終えた後、その思いを語ったのだが、それは次回に。

 今日の三葉(ラジオ体操時に教えてもらった、
17号腺沿いの桜。品種は不明。最下段:パンフレットより熱演する北原さん)  




”ジモトのFood”に「関口フランスパン店」が登場

2017年02月11日 | 身辺雑記

 昨日、ラジオ体操を終え、640分にAコースで「関口フランスパン店」に向かった。購入して帰宅するやいなや、妻が東京新聞を広げて「ここ見て」と言った。最終面の30面には、なんと、今行ってきたばかりのお店が“ジモトのFood”に紹介されていた。自分が良く通うお店が新聞などに紹介されれば無条件に嬉しくなるが、帰宅してすぐに、行ってきたばかりのお店の記事に接する嬉しさは格別なものだった。
 「関口パン」店については2016/1/30のブログにも書いたが、改めて書いておきたい。サブタイトルに〈「最古」の味向上続けて〉とあるように、この店は、日本に現存する製パン店の中で最も古くからフランスパンを焼いている。前身は小石川関口教会(現カトリック東京カテドラル関口教会)の製パン部。教会付属の孤児院で育つ子どもたちの就労支援を目的に、1888年に製パン工場を建てたのが始まりとあるから、それから130年近くパンを焼き続けていることになる。実に長い歴史を持つのでありました。(右写真にその記事)
 存亡の危機もあったらしい。代表取締役の高世勇一さん(55)は「1914年に始まった第1次世界大戦の影響でフランス本国からの援助金が絶たれ、教会ではパンが作れなくなりました。そこで、信者であった曽祖父が工場経営の一切を引き継いだのです」とも話す。
 現在は、同じ生地で形の違う「バゲット」「ファイセル」「長熟バゲット」など数種類のフランスパンを13回、計200本ほど焼き上げている。原材料は小麦粉、塩、水、イーストだけ。あっさりと飽きのこない味わいで、どんな料理にも合うそうだが、我が家ではフランスパンを購入したことは無い。堅いものが苦手な妻の口に適していないからで、食パンのみを購入してきていた。
 128日に、椿山荘へ「京都・花灯路」を見に行ったときの夕食時に右のパンを食した妻は「このパンは美味しいだけでなく、凄く喉を通りやすい」と語った。そのお店は目白新坂の下にある本店。店員さんに「この菓子パンは江戸川橋店でも販売していますか」と聞くと、「ハイ」との答え。それではと私の購買リストにこれが加わった。その結果、パン2種類の購買と散策の目的で2日に1回は江戸川橋まで赴くことになる。顔馴染みとなった店員さんが何時もニコヤカに迎えてくれる。(写真:ホワイトクリームが挟まれているだけのパン)
 冒頭でAコースと書いたが、これは往きが徒歩で帰りが都バス利用時のルート。Bコースと、自分なりに呼んでいるルートは往きが都バスで帰りが徒歩。このルートは神田川の低地から出発して台地を4つ上る。それに伴い昇る坂は服部坂・庚申坂・御殿坂・薬師坂の4つ。徒歩時間は45分で歩数が約5500歩。自己満足度が高い。


 今日の三葉(上の二葉は2月11日10時が満月の朝、奥多摩山塊に沈み行くお月様。6時24分頃屋上から撮影。最下段は今宵の満月。自宅ベランダから撮影)
  

 


『世界一美しい 数学塗り絵』(訳:秋山仁 出版:化学同人)を読み始める

2017年02月09日 | 読書

 表題タイトルの本を紹介されたのは昨年1230日のこと。送られてきたメールに「『世界一美しい数学塗り絵』という本は、ご存知でしょうか。私の古い知人が、ブログに書いていましたので、ちょっとご紹介します。どうぞ、ますますのご活躍で、よいお年を。
http://ameblo.jp/madaimada/entry-12232644633.html 」とあった。ブログ「轟亭の小人閑居日記」の著者馬場紘二さんからのメールだ。
 これは良い情報を教えて頂いたと、早速文京区の図書館にオンライン予約をするも、「該当する資料はありませんでした」との検索結果。そこで「検索できなかった図書をリクエスト」しておいた。有り難いことに希望図書がないときには購入してくれることがあるのだ。
 1ヶ月以上が経過して「ご用意できました」のメールが届き、借りてきて読み始めた。
 題名に“数学”の文字は登場するがほどんど覗いたことの無い図形の世界。例えば、雪の結晶のシルエット、螺旋状に並ぶひまわりの種、曼荼羅に現れる対称性などの様に、独特の抽象性的な美しさを備えたものには数学が存在しているそうな。色を塗ることで、それらに潜んでいる数学的な秘密を明らかにしてくれると「はしがきに」に書かれていた。訳者はあの秋山仁。 
 2016/9/20のブログに書いた“ウラムの螺旋”も登場するなど、全編で66の作品。これは図書館で借りるだけでは勿体ないと思い、本は「honto」でオンライン購入し、お茶の水でクレオンも買ってきた。まず「多面体」の章の“四面体の星”を味わってみた。写真の下左が何も塗っていないデザインで、下右がそれをクレヨンで塗ったもの。塗り終わると、あら不思議!平面が立体へと変身していた、と書きたかったが、何十年振りかの塗り絵なので余り上手く行かなかったが、まあしょうがない、ここに掲示した。
   
 
 ”これはある対称性に則って5つの合同な正四面体を組み合わせたもので、隣り合う頂点を線分で結ぶと、正十二面体が現れる”と書かれている。残念ながらまだ正十二面体には至っていない。嘱託時代に授業で板橋高校の生徒に正十二面体を作らせたことを思い出した。
 まだ、ぱらっとめくったくらいだが、時間をかけてじっくり味わいたいと思う。その成果はいずれこのブログで。塗り絵は少しは上手になっているかも。

 今日の一葉(富士神社の河津桜は見頃直前)