マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「聲香 北原久仁香 ひとり語り」を聴く(その1)

2017年02月13日 | 映画・美術・芝居・落語

 115日(日)、島薗家住宅で北原久仁香のひとり語り『雪明り』を聴いてきた。今回は津軽三味線や筝の演奏は無く、文字通りの”ひとり語り”。”聲香”と銘打っての公演は、藤沢周平作品より『雪明り』(新潮文庫「時雨のあと」刊)。今までは文語調の語りが多かったが、今回は平明な口語で、とても聴きやすかった。
 公演後のアンケートに“ひとり語りはひとり芝居になりました”と書いた様に、登場人物5人の表情・所作・声が見事に演じ分けられ、聴きごたえだけでなく観応えもあり、非常に面白かった。(写真:島薗家住宅)



 語り終えて、彼女は珍しく著者と作品内容について、今まで以上に一歩踏み込んだ説明を加えた。特に主人公が“跳んだ”ことに関しての思いを語った。彼女がこの作品をひとり語りに選んだのは主人公が最後の最後に”跳ぶ”決意を下したことが源にあったと思う。この“跳んだ”ことに関しては些か原作内容を綴らねばならない。

 作品は僅か4章からなっていて、全てが異なる場面である。37ページの物語ながらそれだけで起承転結が完結している。(この全てを何も見ないで、語るのだから凄い!)、

 雪の降り出した夜に、主人公芳賀菊四郎が義理の妹由乃に4,5年ぶりに再会するところから物語は始まる。菊四郎は12歳の時に御勘定預役で35石の古谷家から、物頭の家柄で280石の芳賀家に養子に入り、朋江との婚約も整っていた。由乃が宮本家に嫁に行くことも、登城先で父から聞いていた。彼女と分かれるときの場面描写"その姿はすでに闇に消えた。背を向けたとき、一瞬なまめかしくくねった”で、菊四郎が由乃を女と意識していることが暗示されていた。
 第2章では、嫁いだ由乃が大病で寝ているらしいと聞いて宮本家を訪れた菊四郎はそこで、襤褸のように、厚みを失った身体で寝ている由乃を発見する。茫然とする菊四郎に宮本の母が「身体が弱いばかりで、役立たずの嫁です」と浴びせる声に全てを悟った菊四郎は、宮本家から由乃を背負って連れ帰ってしまう。
 健康が回復した由乃は茶屋で働くようになり、菊四郎はいつしかそこへ通うようになっていたが、男女の仲ではない。第3章で菊四郎は養母牧尾と、その姪で許婚の朋江から茶屋通いを責められている。その場面を通じて、菊四郎は養家の格式ずくめの生活に索漠感を抱いていることと、朋江が美しくはあるが権高い許婚であることが語られる。
 二人から詰問されても、菊四郎は茶屋通いを止めてはいなかった。菊四郎が差し出す杯に黙って酒をつぐ由乃。養家や許婚のもとでは寛げぬ菊四郎は由乃に「俺はお前と一緒にいるときが一番気楽だ。俺が俺だということが分かる」と本音を発露してしまう。しかし由乃の手をとっても、その先には行けない。菊四郎は「跳べんな」と呟く。跳べば由乃もろとも裂け目に堕ちていくのが見えてしまうのだ。その呟きを理解したかの様な由乃。
 しかし、第4章はここで終わってはいなかった。訪ねた茶屋から由乃の姿は消えていた。ひとつの所書を置いて。由乃は江戸へ逃げたのではなかった。由乃は江戸の牛込北の遠くから、菊四郎を呼んでいた。”――いまなら、まだ跳べると由乃が言っている。江戸へいくのだ。一人の人でなしとして、故郷を出るしかない”と決意する菊四郎。そのとき、菊四郎の前には雪明りの道があるだけで、その道は江戸へと続くことが暗示されて物語は終わる。
 良くあるストーリーだと思う。しかし藤沢周平が”跳ぶ”男を描いたことに、北原さんはある種の強い思いを抱いたのだろう。語り終えた後、その思いを語ったのだが、それは次回に。

 今日の三葉(ラジオ体操時に教えてもらった、
17号腺沿いの桜。品種は不明。最下段:パンフレットより熱演する北原さん)