マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

ベラ・チャスラフスカさん、お元気でした

2011年10月15日 | 身辺雑記

 ベラ・チャスラフスカさんが来日していました。1964年、東京オリンピック女子体操で個人総合優勝した、名花と謳われたあのチャスラフスカです。私は昨年の12月16日のブログ「後藤正治の仕事」で、その著作「ベラ・チャスラフスカ最も美しく」に触れ、ベラの横顔を次の様にまとめ、紹介しました。
 
『1960年代、自国チェコスロヴァキア(ここではチェコと書きます)の民主的改革(いわゆる”プラハの春”)を求める「二千語宣言」に署名したベラは、ワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻により短い春が終わった後も、署名撤回を求める党の圧力に屈せず非撤回者であり続けます。厳冬の時代の到来です。
 1980年代に入りベルリンの壁が倒され、東欧社会主義体制も次々に崩壊。チェコでは「ビロード革命」が成就。大統領制のもとで、ベラは「大統領顧問」になり、チェコオリンピック委員会委員長にも就任します。だが、栄光に満ちた日々も数年後暗転します。ベラの息子がベラの元夫を殺害したとのニュースが伝えられます。その心労により彼女は精神に変調を来たしたとも。』

 その後、特にベラの様子を調べたこともありませんでした。もうとっくに退院し元気を取り戻していたのでした。10月6日の朝刊には次の様な記事が載りました。
 『日本刀を贈ってくれたオオツカさん、どこに――。1964年の東京五輪・女子体操で金メダルを獲得したチェコのベラ・チャスラフスカさん(69)が、東日本大震災の復興支援などで6日、来日する。47年前に「日本人の魂」を手渡してくれた男性にお礼が言いたいと、プラハ在住の指揮者、武藤英明さん(62)を通じて消息を探している。』
 五輪で個人総合優勝した後、「オオツカ・リュウゾウ」という初対面の男性から認定書のついた一振りの刀をもらい、そのオオツカさんを、音楽活動を通じて親交のある武藤さんに捜して欲しいと依頼。その結果朝日新聞等を通じての”訪ね人”となり、オオツカさんの消息が分かったと13日の夕刊記事は伝えていました。
 
 今「ドプチェク自伝」を読んでいます。プラハの春以降の、改革派への弾圧の凄まじさを読むにつれ、署名非撤回を貫いたベラの芯の強さを思います。更なる不幸からの病も癒えて、20年振りに来日し、元気な姿を見せてくれました。とても嬉しい気分です。