マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『逢対』(著:青山文平 出版:文藝春秋)再読 その1

2019年05月22日 | 読書

 青山文平が『つまをめとらば』で直木賞を受賞してからもう4年になる。その折に知人からお借りして読んだ作品のなかで、特に『逢対』(あいたい)の印象は強烈だった。
 江戸時代に行われていた「逢対」という”就職活動”と、その頃の江戸庶民がお参りする行の六阿弥陀に興味を抱いた。六阿弥陀道については、結局私は5月4日に歩くことになったのだが、それはひとまず置いておいてまずは『逢対』について。
 『つまをめとらば』は6つの短編で構成されているが、そこに登場する女性は、みな一見ひ弱に見えるが、実はしたたかであり、逞しい。




 『逢対』の前半では、三枚橋横丁で煮売屋を営む里が語られる。近くに住む竹内泰郎はここに足繁く通ううちに男と女の、理ない仲になり一緒に暮らすようになる。里は特に夫婦(めおと)になることを望まず、お妾のままでいいと言う。
 彼女の話を聞くとこうだ。母はこの界隈でケコロ(遊女)をやっていたが、三十も半ばになってから妾になる相手をつかまえ、がんばって自分を産んで、いい生涯を終えることが出来た。私もそうなりたいから、何としても子供を産みたい。
 「・・・だからあなたを食べ物で釣ったの」と屈託がない。こちらから言い寄っていった積りが、実は相手の垂らしたエサに掛ったのだ。貧乏旗本で、師を持たない算学者とはあかちゃんができるまでのお付き合いと里は割り切っていたのだった。

 里とのことでもふんぎりがつかず、武士のありようや算学のことで悶々としている泰郎のところへ、同じ小十人筋で幼馴染の北島義人が「すまんが、水を一杯くれんか」と顔を出した。「六阿弥陀だ、ひと息ついたら田端に回る」とも。彼は六阿弥陀を逆回りしている最中だった。
 六阿弥陀とは行基が一本の大木から六体彫った阿弥陀像を本尊とする六ヶ所を一日でお参りする行で、通常、豊島の西福寺から始めて、沼田、西ヶ原、田端と回り、下谷の常楽院を経て、亀戸の浄光寺で終わる。逆に巡る参り方もある。泰郎の家宅は5番目の常楽寺のそばにあった。
 義人は毎月、三と五と七のつく日に、六阿弥陀に参っていて、正と逆をかわりばんこにしていて、今日は逆だった。相変わらず逢対も毎日続けているのかと問う泰郎に義人は「むろんだ」と答える。
 本書で私は「逢対」を初めて知った。江戸時代の風習だが、江戸時代の貧乏旗本の生き辛さと忍耐の日々がありありと想像出来たのだった。そこは次回に。

 今日の三葉:新緑の六義園。今朝撮影。
 
 
 
 
 


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