マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

本郷台地の東端を歩く(弥生二丁目遺跡)

2020年01月25日 | 考古学

 武蔵野台地の東端には、二つの台地が半島の様に突き出している。上野台地と本郷台地だ。それぞれの崖線に、かつては豊富な湧き水が流れていた。又、この一帯からは旧石器時代の遺跡や、その後の縄文海進のころの貝塚が多数発掘された。ラジオ体操終了後の散策でこの2つの台地の崖線を歩こうと考えている。まずは「弥生二丁目遺跡(向ヶ岡貝塚)」を目指した。(写真:縄文海進の頃の図)





 この遺跡は本郷台地の東端崖線(南端)にある。根津谷の右岸でもある。13日(月)、根津方面から言問通りに沿って弥生坂を昇っていくと、右写真の石碑「弥生貝塚発掘ゆかりの地」に出くわした。ここ弥生二丁目は弥生土器発見(明治17年)の記念の土地で、弥生町に因んで弥生土器と名付けられたことはあまりにも有名。しかし、その後の住宅等の開発の為、土器が最初に発見された場所は分からなくなっていて、特定されていない。ここの碑には〝ゆかりの地〟と書かれている如く、この碑が建てられている場所が第1発見場所ではない。
 昭和50年に東大浅野キャンパス内でも弥生土器が発見され、そこには記念碑が置かれているとネットで知った。そこで18
日(土)に、その記念碑がどこにあるか浅野キャンパスに出掛けてみたが発見出来なかった。東大構内はよく散歩するが浅野キャンパスはがどこにあるのか知らなかった。(写真:弥生二丁目遺跡の碑のある場所で)
 21日(月)に漸く目的地に辿り着いた。浅野キャンパスを正門から入り、工学部9号校舎に突き当り右折し、その校舎の端を左折すると、原っぱのような一角に記念碑があった。そこは高台らしく、根津の街や対岸のビル群が見渡せた。概略次の様に書かれていた。

  国指定史跡 昭和51年6月7日指定
 「昭和50年、校舎の増築に先立ち発掘を行ったところ、台地の縁に沿って弥生時代の集落を含む環濠の一部が発見され、濠の中からカキなどの貝殻の層と弥生土器が出土した。この台地上に広く弥生時代の遺跡が存在したことになります。

 ところで、明治17年、考古学に興味を持つ東大の大学生たちがこの付近で大昔の土器を採集しましたが、後にその種の土器は「縄文土器」とは区別されることが分り、最初の発見地の町名をとって「弥生土器」と呼ばれるようになりました。土器が発見された正確な地点については意見が分かれていますが、この場所を含む集落遺跡に関連するに違いありません。その学史的、学術的重要性のため、増築計画は変更され、国の史跡として保存されることになりました」と。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。