マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「凹みが語る縄文文化」(その1)

2020年02月22日 | 考古学

 表記の展示の載った、2月12日付けの朝日新聞夕刊の切り抜きを送りましょうかとのメールが、ブログ“轟亭の小人閑居日記”の著者馬場さんからあった。お願いすると早速馬場夫人から郵送されてきた。そこには「電子顕微鏡で見える縄文文化」の見出しで、北区飛鳥山博物館で3月1日まで特集展が開催されていると記されていた。早速16日(日)に飛鳥山博物館を訪ねた。
 新聞記事には、
 《土器などに残された様々な跡をシリコンで型どりし、それを走査型電子顕微鏡(SEM)で観察する“レプリカ法”と呼ばれる観察法が考古学の世界に“革命”をもたらしている。
 北区七社神社の浅鉢形土器の表面には凹(へこ)みが220ヵ所あり、SEMで撮影すると内部にはさらに130ヵ所以上の凹みがあった。シリコン樹脂を流し込んで凹凸逆転の精巧な複製を作り、電子顕微鏡で拡大した結果、凹みはダイズ属種子痕跡などと分かった。》等々が書かれていた。
 新聞には浅鉢形土器やダイズ属種子の写真も掲載されていたが、実物の土器を見たくて、新聞記事の内容の大筋を理解したうえ、飛鳥山博物館へ足を向けた。
 飛鳥山博物館は飛鳥山公園内に、1998年に隣接する紙の博物館、渋沢資料館とともに「飛鳥山3つの博物館」として開館した。地下1階・地上3階建ての実に立派な博物館で、主として北区の過去から現代までの歴史や地理などが学べるよう様々な工夫がなされている。
 向丘高校同僚の花見の宴は最近「飛鳥山博物館を背にしてに京浜東北線方向へ50m進んだ辺りに席を設けています」の連絡をするなど馴染み深い博物館だ。博物館受付で写真撮影の許可を貰い、撮影しながら同時に展示や内容を学んだ。

 本郷通り沿い飛鳥山公園すぐ手前にある「一里塚」から七社神社へとお参りしたこともあった。展示はまずはその七社神社前遺跡について記されている。
 《遺跡は、北区西ヶ原2・3丁目付近に広がる遺跡で、縄文時代~近代のさまざまな時期のくらしの跡が見つかっています。今回展示する土器は縄文時代前期後葉のお墓から出土しました。この縄文土器は1996年の発掘調査で見つかったものです。
 凹みの存在は、調査時より指摘されていましたが、どのようなものかは分かりませんでした。ところが近年、各地でこのような凹みのある土器の分析が行われ、縄文人のくらしの解明につながる発見となることから、本資料の分析調査を行い、その成果をご覧いただきたくて本展示を開催するものです》として凹み分析の方法としてレプリカ方が紹介されていた。
 上の縄文土器以外に圧痕レプリカ・圧痕のレプリカ採取方法の写真が展示されていた。
 《土器表面のなかにシリコン樹脂を流し込んで凹凸逆転の精巧な複製を作り、それを電子顕微鏡で観察。さらに今回はX線透視撮影を行い、土器内部の凹みの有無も観察した。
 その結果、この土器から350ヵ所を超える凹みが観察され、ヌルデの近似種の内果皮・ダイズ属の種子・シソ属の果実の3種類が確認された。ダイズ属種子が大量に混入した土器としては最古の出土例です》とも書かれていた。
 武蔵野台地の端にあった七社神社遺跡。その付近の崖下からは1996年に中里貝塚も発見されていた。北区もまた縄文時代の遺跡が豊富であることを改めて知ったのだった。