マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

本郷台地の東端を歩く(千駄木貝塚)

2020年02月07日 | 考古学

 「弥生二丁目遺跡」から本郷台地東端崖線上の北側に「千駄木貝塚」が存在することを知って、図書館から『文京区千駄木貝塚他発掘調査報告書』を借りて来た。













 その報告書によれば
 「千駄木貝塚は千駄木町太田邸内発見として明治34年以来報告されてきたものの、正式な発掘調査もなく遺跡の具体的位置は不明であった。昭和63年に至って千駄木1-11-3(A地点)で緊急調査が行われ、縄文中期住居1軒・弥生後期住居1軒・方形周溝墓2基が発見されるに及び、本遺跡が湧水池をめぐる集落址として相当の広がりをもっていることが明らかになってきた」とある。そこで、同じ年の昭和63年に、A地点付近の下記2ヵ所が発掘調査された。

 B地点 千駄木1-10-5 
 C地点 千駄木1-9-2 
 A地点、B地点、C地点を併せて一つの「千駄木遺跡」と考えている、とも書かれている。

 
私は上記3点は現在の何処にあたるのかを知りたくて1月に数回千駄木1丁目を訪れ、漸く3点の位置を特定出来た。その地点は大雑把に言えば「鴎外記念館」の南側に位置し、C地点は汐見小学校を見下ろせる崖線の直ぐ傍にあった。(写真:C地点付近から見る汐見小学校)
 C地点の面する通り(薮下通り)に立ち、下を見下ろすと断崖である。崖線の上に立っていることが実感出来る地点だ。B地点のお宅、C地点のお宅とも30年前と同じ苗字の表札が掛っていて何故かホッとした。この近辺は坂や階段が多いし、又強大な共同住宅開発が2つも進められていた。土地は掘り返されているが遺跡は出なかったのだろうか?

 調査書に戻ると
 B地点は標高19mほどの台地縁地の位置し、崖線から50m離れている。縄文土器は加曽利E式が主体で弥生土器は後期後半のものが主体。
 C地点も標高19mほどの台地縁地に位置し、薮下通りから約3m。こちらの地点でようやく完全な形で遺存していた貝塚が発見された。また人骨も発見された。その人骨のレプリカは「文京ふるさと歴史館」に展示されている。(写真:上は歴史館内にあるレプリカ。下はC地点内での人骨出土状況)