マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

本郷台地の東端を歩く(千駄木ふれあいの杜)

2020年02月16日 | 東京散歩

 『ブラタモリ』でタモリさんが「台地は縁が面白い」のようなことを語っていた記憶がある。確かにその通りだと思う。私が足繁く通い出した本郷台地東端の縁でまだ地質の断層は見ていないが、縄文貝塚や弥生遺跡以外にも面白いものに多々出会っている。高台だから眺めが良く、書斎から東京湾を眺め楽しんだのが「観潮楼」で、今は「鴎外記念館」になっている。崖線からの湧水の流れが池となった「太田が池」は今は「千駄木ふれあいの杜」となっている。根津神社ではその縁につつじ苑が造られている。
 さて長いこと気になっていた「千駄木ふれあいの杜」に行って来た。千駄木貝塚のすぐ傍にあるのだが、朝7時台には入園出来ない。
 入り口脇に掲示板が立てられていて、それによりこの杜の由来・概略を知ることとなる。大凡次の様に書かれている。
 《江戸時代この辺りは太田道灌の子孫である太田備中守資宗の下屋敷で現千駄木1丁目一帯に及ぶ広大な敷地だった。そこからの眺めは『太田備牧駒籠別荘八景十境詩・画巻』に描かれている。そこには湧き水を源泉とする池があり、明治以降これは「太田が池」と呼ばれていた。昭和の初めまでに池はなくなり、湧き水も涸れ、本郷台地東縁崖線の姿を伝える崖地の緑も、現在は「千駄木ふれあいの杜」を残すのみとなった》

 朝7時台には開園していないこの杜は9時には開門する。鬱蒼と見える杜に入り、そこが池だっただろうと思える一体を中心に細い小道を一周する。100mあるかなきかの短い回路だ。何ヵ所に「立ち入り禁止」の看板が立っているから、以前はもっと奥まで入れたようだ。階段跡も見えた。高台には庵が建てられ、そこから池まで降りてきて散策をしたり、緑豊かな風景を楽しんだろうと往時を想像した。(写真下:立ち入り禁止ながら階段が残されている)




 一周の途中に右写真の画(作は狩野安信)が掲示され、江戸時代の様子を微かに知ることも出来た。(写真は『太田備牧駒籠別荘八景十境詩・画巻』と書かれた立て看板。下はその拡大図。「翫月亭」が微かに見える)





 実はこの杜の所有者は太田氏(多分太田道灌の子孫の方)だった。その太田氏と文京区が契約を結び、平成13年より市民緑地として一般公開されてきたが、できる限り樹林を後世まで残すよう配慮することを条件として、太田氏より文京区に寄付されたのだった。
 区は、都市に残る多様な動植物の生息空間(生物多様性)を保全する都市公園と位置づけ、保護に努めているようだ。 
 千駄木の森を考える会なるものも作られていて「屋敷森通信」が31号まで発行されていた。(右写真は杜に隣接する階段。台地までの高さの大きさを物語る)