マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

中山道を歩く(蕨宿)

2016年11月14日 | 街道を行く

 蕨宿のあった現蕨市は全国の市の中で最も面積が狭いそうで、街道筋に当たらなければ、訪れることはなかったと思われるほど、私には縁薄き市だった。大学時代には毎日の様に京浜東北線を赤羽から北浦和まで利用していたが、途中下車したことは一度もなかった。その蕨市を初めて訪れて驚いたことが2つあった。一つは蕨宿の保存状態の良さである。二つ目が「三学院」とうい謎多きお寺の存在。(地図は最下段に)

 旧道と17号線とが分岐する地点に下木戸があり、ここよりが蕨宿。本陣跡に建てられたのが歴史民俗資料館。古い商家がよく残っていて、住民あげて保存に熱心なのだそうだ。資料館分館では市民ボランティアの方数人が庭の手入れをしていて、話を聞くことが出来た。この建物は、織物業が盛んだった蕨宿の買継商の建物で、母屋は寄棟平屋。蔵には“わらび文庫”が設置されているそうだ。手入れが行きわたった庭を眺め、私たちは旅の疲れを些か癒されたのでありました。(写真:右は建物。下右は館内案内図)

  

 
       (街道沿いの薬屋)                   (街道沿いの蕎麦屋)

 昏くなる前に浦和宿へ到着したかった私たちは、横道へは逸れずに街道筋のみを歩いて来た。ここまで来て先の見通しがたったこともあり、気分的にも時間的にも余裕が出てきて、“地蔵の小道”に入っていった。お地蔵様の更に奥に三学院の巨大な建築物が建てられていた。門内に一歩足を入れた時の驚きは下の写真で見て頂こう。(写真:仁王門)






 写真は本堂・阿弥陀堂・三重塔を掲示した。どの建物も頭抜けて大きい。三重塔の九輪に
は金が塗られている様に見える。弘法大師像も大きい。しかも寺院に付属するように「三学院極楽殿」が建てられ、そこは斎場になっていて葬儀が執り行えるとか。お寺に付属する斎場!如何なる由緒の寺かと立札を見渡すが見当たらない。(写真:右が本堂。下左が三重塔。下右が阿弥陀堂)





   
       (三重塔)                    (阿弥陀堂)

 帰宅後に知ったことだが、実は案内板は立てられていた。大筋以下のことを知った。
 「この寺は京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院といい、創立年代は不明。本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられている。・・・又、江戸時代には真言宗の”関東七ヶ寺”に数えられ、僧侶の教育機関であった・・・」と。
 それにしても、この蕨市に何故真新しい巨大な寺院が建てられたのか、謎は謎のままだ。
 仁王門前には子育地蔵や六地蔵が並び、その傍で人々が憩う日常風景は門内とは対照的だった。
 旅の楽しさの一つは新発見にある。それを味あわせて呉れたのが蕨宿。
 
今回の旅での驚きを3つ挙げれば、その一つがこの三学院だ。