3月4日(金)が、荒川5中勤務の最終日だった。主として水曜日と金曜日の、週2回のボランティア教員としての勤務は、この中学の居心地が良かったからか、4年間も勤めさせて頂いたことになる。「来年度も如何ですか」と管理職に勧められていたが、思うところあって今年度限りとさせて頂いた。
数学を教える先生の補助が仕事内容だったが、授業中数多くの質問を受けたときが一番嬉しかった。高校受験を前にし、私を心待ちにしている生徒もいた。しかし、上手くいかない日もあった。お節介が過ぎて嫌な顔をされたこともあった。「俺たちのクラスには来なくていいよ」と言われ落ち込んだときもあった。彼らから見てオジンの私に教えて貰うことを潔しとしない気持ちも理解できた。初め「おじいちゃん先生」と私を呼んでいた1年生が3年になると“大将”とか“長老”と呼ぶようになった学年もあった。私はささやかな“喜怒哀楽”を味わったことになる。
授業以外では今までにない経験をさせて貰った。荒川自然公園での“ホタル観賞”、卒業式や“合唱コンクール”も見せて頂いた。忘年会にも大相撲観戦にも参加させて頂いた。給食は特に美味しかったな。今後街歩きをご一緒させて頂ける先生にも出会えた。人々が集う場所に出掛けていくとそこには色々のドラマが待っている、ということだと思う。ラジオ体操然り、退職教員組織然り。
さて、このブログの冒頭で“思うところあって”と書いた。
私は15歳の時から74歳の今日まで毎年の様に定期的に働いてきた。中学卒業後はニコンに5年。大学入学前の東京ガスのアルバイトが6ヶ月。大学中は週3日程度の家庭教師。都立高校は正規勤務が35年+嘱託4年。その後、芝浦大学付属柏中学の講師は6ヶ月。ボランティア教員は5年。もうこの辺で“お役御免”と行きたくなってきていた。それにも増して、少しはじっくりと江戸時代の和算の書を紐解き、和算家の活躍の様子を調べたいとの思いが強くなっていた。それ故のラスト勤務。来年度以降の町会の役職等も下ろさせて頂くことにした。