昨夜は元日産会長のゴーン氏の記者会見と、トランプ大統領のイラン爆撃への声明など視聴するのに混雑感があった。主にBBCとCNNを同時交叉視聴した。007映画のようなゴーン氏は西山陰謀、日本の司法制度の問題を国際的に批判し、西洋と異なる日本社会が露出する契機となった。イランは国民統合熱情の報復の爆撃、卵を岩にぶつげるような鬱憤の爆竹、花火のようなものであった。戦争にならないような自制があったようである。
混乱緊張の時に演歌を聞くのはどうか。友人でもある小林孝行氏著『日韓大衆音楽の社会史』(現代人文社)を開いた。私は以前、彼に招請講演していただき「釜山港へ帰れ」の分析を聞いたことがあり、多く議論したことがある。韓国での出版を勧めていたがまず日本で出版された。私は唱歌、軍歌、演歌の中に生きてきた者であり、自分史を読むような気分になった。特に植民地文化(残滓)として注目してきた。それについて
「トロット」は倭色歌謡という「日帝残滓」の一環として、民族主義的イデオロギーと捉えられてきた経過がある。したがって「トロットは韓国人の心だ」という言説には異論を唱える人もいるだろう。これらの問題については、植民地政策下で同化政策の一環として捉えられる側面もあるだろう。政治的、経済的強制はなかったとしても、植民地大衆に対するイメージ操作が行われていなかったかどうかは疑問である。(228ページ)
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