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崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

下川 正晴氏の書評

2019年10月17日 05時12分13秒 | 研究業績
下川 正晴氏が拙著『帝国日本の植民地を歩く』(花乱社)を読み始めたと言いながら感想を投稿してくださった。抜粋してみる。
 
  •  韓国の「反日」を、辺境から、考える!!!
  •  「反日だ、親日だと言われ、時には『日韓の架け橋』とも言われた」人物である。そのアンビバレンツな立ち位置が、民族感情の形成史研究を平衡感覚のあるものにした。
  • 文末にサハリン在住の韓国人のコメントが載っている。「日本がそのまま支配していれば、大金持ちになっていたのに」と言ったというのである。
  • MBCテレビの女性レポーターが、独島(竹島)問題取材のために鬱陵島に出かけて、島民をインタビューした。すると、ある老女が「鬱陵島もそのまま日本領土だったら、もっと発展していただろうに」と言ったのだという。もちろん、彼女はその話を放送しなかった。笑笑

 当時私はサハリンの北の町で朝鮮人たちが討論する現場で聞いていた。日本時代、ソ連時代、ロシア時代を比べると日本時代が一番良かったという意見が多かった。ある青年が突然私に意見を求めた。調査者としては意見を出さないのが良いと思い黙っていた。ただロシアに高麗人(韓国人)が存在することは国際的に貴重だと言った。そうしたら「貴方だけ日本のような良い国に住んで、私たちはロシアに住むべきか」と激しく反論された。
 昨日1999年8月29日、サハリンでの初日に調査に歩いたところ、共同墓地、学校、花、誕生日パーティなどを撮った自作ビデーオを長く見た。少人数のロシア人を含め30余人が集まって乾杯、食事、雑談、演奏、歌、二人組のダンスから群舞、そしてクライマックスへ至るノーカット場面がリアルに映っていた。彼等の他郷暮らしの悲しさを感じていたが、見ている内に私自身の悲しに変った。それは他郷暮らしの感情ではない。私自身、酒を飲めず、酒宴など社交の場を避けて、娯楽を知らない人生、それは多くの楽しみを放棄した私の人生である。ただ研究が私の最後、唯一の砦である。しかしそれも非難されることがあり、悲しい。
 


私の恩師の任晳宰先生

2019年10月12日 06時07分38秒 | 研究業績

 2週間ほど校正に大部時間を費した。近刊となる本に共同執筆者として論文を書いたものである。文を書く時は文や思索の流れに沿って書き走るので文献や参考資料を気にしない。後に校正が煩雑になるのが私の書き方である。この度の論文の要点は植民地時代の日本人の朝鮮研究が戦後どのように評価され、継承されたかに関するものである。校正の中で県立広島大学の上水流久彦さんからこれもとても貴重な話ですね。驚きました」といわれた。なぜであろうか。私の恩師のこと、私事でもある。私の恩師の任晳宰先生が一九三八 年朝鮮総督府機関誌『朝鮮』に寄稿した「朝鮮の説話」を真木琳というペンネームで書いたことである。誰も知らない私の恩師任晳宰先生の当時の筆名が真木(任せるの意味の音読み、家族も知らない)名前の琳であった。私が先生に文化人類学を教えていただいた1960年代に聞いて後に確認することが出来た。しかし反日感情が強いので発表を控えてきた。先生の論文の冒頭に「恩師秋葉教授」と記しており、私はその恩師の弟子である。

 


山路勝彦先生の書評

2019年10月11日 18時00分17秒 | 研究業績

関西学院大学名誉教授の山路勝彦先生の書評

『帝国の植民地を歩く』、ありがとうございました。興味深い内容で、一気に読み通しました。以下、読後感を述べてみます。

「戦後、半世紀をはるかに超えているのに、韓国においてはまだ多くの国民の意識構造の中で植民地は終わていない」(p.26)という問題関心から出発した本書は、1970年代まで主流を占めていた植民地研究、具体的には井上清、遠山茂樹、家永三郎、大江志乃夫らの左派的、もしくはレーニン主義的立場の研究とは隔絶の差異を見せつけている。結論的に言えば、ホセ・リサールやガンジーを例に挙げながら、「植民地政府の恩恵を受け」つつ、彼らの内面的には「裏切りと報恩の葛藤が存在し」ていて、だからこそ一層、「民族主義的」立場を止揚して「人間の平等と平和を追求する」(p.176)立場からの歴史記述が必要だ、と説くことにある。この主張こそが、本書に一貫した立場である。この立場に賛同したうえで、いくつかの話題を取り上げてみたい。

1) 本書では、中心課題に植民地当局が建立した文化遺産の評価づけが大きな比重を占めている。ここで、評者が見聞した話を付け加えてみたい。中国東北部の長春には満州国皇帝の溥儀の宮殿が現存していて、今では観光名所になっている。しかし、この宮殿は仮の建物であって、終戦まじかには本宮殿を建てようとして、今の長春駅から南へ数キロの場所に敷地(公園)を用意し、その土台造りに着手していた。しかし、敗戦により計画は頓挫する。戦後、中国政府は、幸運にも残っていた設計図をもとに本格的な宮殿を建立する。現在、広大なその公園には復元された宮殿が威容をもって建っている。2010年、評者が吉林大学を訪れた時、そこの大学の先生に、こう質問した。「韓国では総督府の建物は日帝残滓ということで取り壊されたが、なぜ中国ではわざわざ復元したのですか?」その先生は笑って、「たぶん、もったいなかったからでしょう。」

その時、中国と韓国とで植民地遺産の扱いが違うのに、評者自身は戸惑ってしまいました。もっとも、歴史遺産は時の政治権力によって扱いが違います。1983年、中国の済南・曲阜にある孔子廟に行った時のこと。文化大革命が終わって7年後です。孔子廟内にあった康有為 (清朝末期の開明派)の銅像は無残に打ち砕かれたまま、そして東岳大帝を祀る岳帝廟はいまだ修復ならず、という状況でした。「文革四人組」による「四旧」打倒の爪痕、いまだ癒えずという状況は悲惨さを感じさせました。こうしてみると、時代によって、時の政権、権力の在り方によって、文化遺産は残されたり、復元されたりするものであって、韓国でも、いまは「日帝残滓」ということで破壊されていても、後世には復元されるのかも知れません。問題は、後世の人間が、いかなる歴史認識を持って植民地建造物に普遍的な美的価値を与えるか、ということになるでしょう。

2) この件で言えば、シンガポールのラッフルズの記述は興味がそそられました。軍政の問題と切り離して、文化遺産に関して本書に付け加えていえば、ラッフルズの業績は偉大です。ラッフルズ・ホテルはその一つですが、このほかラッフルズ博物館の存在も重要です。本書では触れられていないので、いささか補足しておきたい。ラッフルズを記念して命名された、この世界的に有名な博物館は、戦時中に危機に瀕しましたが、図書文献や展示品の散逸を防ぎ、その窮地を救ったのは、日本人学者の貢献でした(田中館秀三1944『南方文化施設の接収』、山路勝彦2004『台湾の植民地統治:無主の野蛮人という言説の展開』)。こうした学者の献身的行為でラッフルズの名は今もかがやき、文化遺産は守られてきました。文化遺産という観点から、こうした学者の存在は闇に消してはいけないと思いました。

3) アイルランドのケースメントの歴史的位置づけは、日本人には馴染みが浅かっただけに、貴重な紹介です。70年代の日本で紹介されても、植民地統治に加担した人物の典型として片付けられてしまうでしょう。ここで思いされるのは、独立宣言(3・1)の唱道者で、かつ建国大学(満州国)にいた崔南善であり、有名なダンサーであった崔承喜です。こうした人たちが、ケースメントとともに、再評価されるのは、「善と悪」との二分法では歴史は語れないという基本的事柄があることです。

本書の一番の評価点は、この論点を真正面から論題に据えたことにあります。植民地統治者と一般住民との間に立つ人物、すなわちコラボレーターに光を与えることによって、歴史記述はいっそう深みを増してきます。こうして、21世紀、人類学者が組み立てる歴史研究がさらに発展し、「善悪の彼岸」に到達できるよう願っています。本書が、そのための導き手になることを期待してやみません。

東京新聞 広告10月11日


『帝国日本の植民地を歩く』

2019年10月03日 05時34分23秒 | 研究業績

 京城帝国大学、ソウル大学の恩師たちから私の植民地研究が引き続いてきたという内容の研究論文の校正を私の弟子、上水流久彦さんとネット上で作業をするために研究所で仕事をした。そこに新著『帝国日本の植民地を歩く』を瞬報社の大崎多恵氏が持ってこられた。花乱社の別府社長の尽力、彫刻家前原氏のブラックデザイン、家内と同僚たちの校正などに感謝と喜びが爆発寸前であった。反日の韓国から出発して親日の国々へ、世界の植民地を歩いて考えたことを以て報告した内容である。今の日韓関係を見直すのに一助になれたらと思う。SNSなどにコメントを書いてくださる方には差し上げたい。この勢いで科研もトライしようと鵜澤先生の説明会に参加した。今まで調査した膨大なサハリンの資料をもってのいる。これを分析し、今後の若手研究者のために残したいし、刺激にもなって欲しい。


シベリアでの現地調査ノート

2019年09月21日 05時45分12秒 | 研究業績
今から20余年ほど前のシベリアでの現地調査ノートを見ながら報告書を書いている。ハンガリーのシャーマニズム研究者のDioszegi氏と共同研究者であったSharakshinova氏にブリヤトBuryat村であったこと、現地の有名な学者のMikhailov氏との出会いは懐かしい。彼が生きていたら90才を越えているだろう。平均寿命が日本より短いロシアではどうだろうか。世界を調査旅行した時に撮った映像miniDV200本をDVD化しようと専門業者と相談した。私には高額、期間も長いという。ただ残したいだけではない。当時の現場感を再び感じたい。私の研究は続く。韓国の多くの研究者たちは学者から政治家へ出世しようとする。李朝時代の科挙、そのままのように感じる。

「覗き」

2019年09月04日 05時54分46秒 | 研究業績

今度の1泊二日の日文研の研究会、発表と聴講・討論に終始積極肯定的に参加した。日記、日傘などの発表、私にとっては生疎な、また新鮮な感もあった。学会研究会とは違って研究代表者井上章一カーラーの濃い、ファッションに絞られた研究会、私もその傾向に合わせ、露出ファッション、春画について発表した。老人男性のヌード以外女性の完全ヌードがほぼない韓国の春画をどうみるか。発表の中に特に「覗き」が聴者たちに印象付けられたようである。「春画を見ている自分自身が絵の中を覗くような構造」「覗きについて、是非、発展して書いていただきたいです!読みたいです」という言葉、勇気付けられた。
*写真左から井上、私、劉、濱田


日本の美と性

2019年09月03日 03時30分59秒 | 研究業績

 昨日2019.9.2京都日文研までは長かった。老人割引、のぞみおれなく4回乗り換え、桂川駅で大阪市立大学の堀まどかさんが迎えてくれた。タクシー代も研究センターへ、発表状況の写真入れの投稿もあり、感謝感謝、ここに写真と文を全載させていただく。

崔吉城先生「セクシー:性と美の文化人類学」文化人類学者マリノフスキーの性と美に関するフィールドワークの方法から話が始まる。性と美の追求が、芸の追求に向かっていく、また性と美の表現方法は、西洋では、宗教空間のなかで写実主義のなかで追求され、東洋では、社会・風俗のなかで描かれる傾向。(そして、とくに儒教的貞操観の影響つよい韓国の春画では、風景や生活空間のなかで描かれていく。日本の春画の圧倒的な豊かさにくらべて、地味で素朴。)日本の美の特徴としては、後ろ姿の美。

・・・新しい事を学ぶポイントが満載の、議論がすすんだ講演でした。

韓国の春画についての質問が多くでてました。
・女性がヌードになることは少なく、むしろ男(たまには老人)がヌードになっていることが多い!⇒いったいこれは、どんな需要のためなのか?
・朝鮮通信使が日本の春画を持ち帰ったという具体的な資料があるか?
・「襟足を抜くのは、基本は玄人の女性。また、着物の性質上、前にお端折りが多くなりすぎないように、抜く必要がある、とか。
・後ろ姿を重んじるというのは、確かにそうかも・・・背中や後ろ側の身体の表現が多い。ex.「背中さびしい」とか肩を落とすとか、「背中をみて育つ」とか、外国語に翻訳できない。
・韓国の春画によく描かれる「覗き」はどういう意味なのか???覗く/覗かれるということがエロティシズムに繋がっているか?「笑い」の一要素なのか?覗くのは醜悪という倫理を教えているのか?(日本では、覗きは醜悪なイメージがするが、韓国では初夜を親族や近所の者たちで覗くなどが当然の伝統だった・・・!←理由はいろいろあるようだが、女性が初夜で殺されないように、という意味もあったとか!!びっくり)
・扇子の使いかた、扇子を使う意味が、日韓で違うようだ

などなどなど、、、このほかにも沢山の話題、議論が繰り広げられたが、面白い。

ところで・・・・
日本の春画や浮世絵は、外国の方には、まるで奔放で猥褻すぎるのように見えるのかもしれませんが、、、、(たしかに、圧倒的にデフォルメも多いし、エロティシズムにあふれていると思いますが、)・・・注目すべきは、見立てや象徴性、遊びの要素も圧倒的に優れているという点。浮世絵を眺める面白さは、「絵解き」だということ。じっくり眺めるに足る芸術、ユーモアやアレゴリーが分からないと読み解けない芸術だということ。
印象派の画家たちが狂喜したことは、まったく驚きとは思えない。

 (崔)討論の時は私の耳も多少遠く、また日本語も理解出来ず、要約の記録に感謝・・・・・・.


「読解力が高い」

2019年09月01日 05時30分37秒 | 研究業績

 昨日も触れたが「月刊朝鮮」には日本の実態を多く紹介している。今度の日韓の「喧嘩」「戦争」では韓国の大統領から「加害者が賊反荷杖」という悪口まで出たが、他のメディアやネットニュースなどに日本に関する多量の情報が流れていることを歓迎する。中にはOECD統計調査によると日本人の「読解力が高い」と(p.225)紹介されたものもある。韓国では受験勉強に必要な時は読書に熱心だった人が社会人になってから一切読書をしないことを私は常に指摘してきたので、その記事を大変嬉しく歓迎する。
 韓国人の知識人の中には親日派と宣言し、積極的に日本のことを知る努力をしている人も多い。親日派とはただ拍手をしながら応援するレベルは超えなければならない。日本文化の精粋を理解するのが本当の親日かもしれない。私は今の日韓戦争を機に互いに知る機会であると肯定的にも考えたい。親日になるのも難しい。私は今浮世絵と春画を比較する論文を書いている。

 


女性の裸体の美

2019年08月30日 05時47分43秒 | 研究業績

 昨朝の暴雨は怖かった。関門大橋は停止渋滞、そんな中、出勤し、中国のある大学から博士課程の入学を希望する人とWeChatで中国にいる女性にインタビューした。学科長の古川先生が研究計画書を見ながら話をはじめ、私が日本文化の研究への学熱はどうか、特に映画・映像に関心があるというのでその話を進めた。林楽青氏が満洲映画研究で学位を取得しており、二人目になればと期待して、話を進めた。その後その場で私の研究発表をした。フランスの日本研究者キブルツ氏の理論の枠から朝鮮の春画を日本の美人画、浮世絵と比較を試みたものである。「性と美」。女性の裸体の美の話、来週月曜日に京都・国際日本文化研究センターでの発表のリハーサルのようなものになった。


<죽어서라도 평가 받고 싶어서>

2019年08月11日 05時31分11秒 | 研究業績
先週仁川空港に出迎えにきてくださった民俗苑ホン・ジョンファ社長と車中で対話したことが印象に深く残っている。 私がなぜ今高齢にもかかわらず執筆するのか弁解のような自慢話のような一言<死んでからでも評価されたい>と言うと、彼がすぐ<すでに評価されている>と話しをしてくれた。彼のフィードバックに感謝した。彼の言葉が大きい慰めになった。
一昨日夜放映された<サハリン、光復は来なかった>を見た人から私のインタビューに良いコメントをしてくれた。そして昨日担当取材したKBSイ・ジョンフン記者から感謝のメールがきた。 その中で

 初めに申し上げたようにドキュメンタリー企画意図は反日感情をそそのかさないで悲劇的な歴史を記憶して記録するために国家の責任を問う方向で製作しました。意味のあるインタビューと資料提供してくださって心より感謝申し上げます。
 
 <反日感情をそそのかさないで>という話に、私は感激した。 今のように日韓関係の悪化の中では珍しい言葉である。

 지난주 인천공항에 마중 나와 준 민속원 홍종화사장이 운전하면서 대화를 한 것이 인상에 깊이 남아 있다. 내가 왜 지금 고령에도 글을 쓰고 있는지 변명같지 않은 자랑같은 한 마디 <죽어서라도 평가 받고 싶어서>라고 하자 그는 대뜸 <이미 평가 받고 있다>고 말했다. 너무나 감사했다. 나에게 험구가 들려와서 한 말인데 그가 진지하게 말해 주어서 큰 위안이 되었다.
 그저께 밤 방영된 <사할린, 광복은 오지 않았다>를 본 사람들로부터 나의 인터뷰에 좋은 평가를 해 주었다. 그리고 담당 취재한 KBS 이정훈 기자로부터 감사의 메일이 왔다. 그 가운데 
 
   처음 말씀드린 다큐 기획 의도처럼 반일 감정을 부추기지 않고 비극적인 역사를 기억하고 기록하기 위해 국가의 책임을 묻는 방향 으로 제작했습니다. 의미있는 인터뷰와 자료 제공해 주셔서 진심으로 감사드립니다.

<반일 감정을 부추기지 않고>라는 말에 나는 감격할 지경이다. 지금과 같이 일본때리기에 집중하고 있는 그 방송에서 이런 말을 들을 수 있다는 것만으로도 감복할 정도이다. KBS뿐만 아니라 한국 정부, 사회운동자들이 이런 태도를 본 받기를, 그리고 일본도 자중하기를 간절히 바란다. 


「教育は平和に寄与するか」

2019年08月06日 05時50分54秒 | 研究業績

 日韓関係の最悪という時にソウルへの旅は気が重く、嫌な気分であった。出版社社長と営業部長が仁川空港で迎えてくれた。ホテルへ直行「2019ワンアジアコンベンション」という垂れ幕が目立つロッテホテルについた。数年間参加して知っている顔が多く、和気あいあいの時間であった。32か国325校から650人が参加した国際会、日韓関係の最悪という圧気から完全に解放された。韓国から中国や東南アジアへ職を異動した人、中国から東南アジアへという人もいる。韓国の海外進出は意外に大きい。私は激励して上げた。ホテルに戻ってテレビスイッチ、KBS9時ニュースは日本向けの対策というか一般報道放送とは言いにく、日韓関係に関する特種取材バッシング深層番組のように感じた。台風8号が日韓を通過するか恐れている。日韓の悪化状況を吹き飛ばしていけば願っている。帰国が心配。
 
今度は韓国ソウル、コリアンパーワーが直感できる国際会であった。そのパーワーは戦後の教育であったことを私は体で知っている。日本への開放、影響が大きかったのは間違いない。それは北朝鮮と比べても明確である。韓国が如何に日本に依存してきたか悟り、協力を続けるべきであろう。

 

 


「歴史認識」

2019年08月02日 05時21分56秒 | 研究業績

 昨日の読書会は研究会のようであった。正規メンバー以外に熊本学院大柴教授、山口大学の山田寛人講師が参加した。事前に来られた柴氏と私は韓国のシャーマニズム文化について長く話をした。彼は朝鮮戦争時に韓国へ越南した避難民にインタービューをしたという。クリスチャンが多く、北朝鮮では富裕層であったという。韓国人は過去を豊かな時代として話す傾向があると指摘した。日本から韓国への引揚者にインタービュー調査をしている倉光氏は日本人は過去のことを苦労話として語る人が多いと言った。私は過去をどう語るのか重要なポイントであること、日記と証言は質が異なることをコメントした。
 読書会が終って韓国に向かう山田氏、彼は「歴史認識」に関して、数回『正論』に寄稿したので、私は韓国の歴史認識というカードは今ほぼ無効になっていているのではないか。逆に日本の研究力、技術、経済力のカードが韓国の急所を突いているのではないかと質問した。植民地をした日本は受け身になって消極的に対応せざる得なかったが今日本は「切れた」。韓国は教科書問題、靖国問題、慰安婦問題、徴用工問題などで数多く日本を苦しめてきた。今その歴史認識カードを捨てる時点に来ているのではないか。韓国は反日カードを日本に向けず国内用にとどめるべきであろう。


悲劇的な人物

2019年07月25日 05時13分24秒 | 研究業績

 昨日はシベリアのシャーマンのことについて書いたが、また昨日出版社から新著の本題について電話相談により『帝国日本植民地を歩く:文化人類学者のノート』と決めた。二十余年前の調査旅行ノートを基に自分史的な出版の気分である。私の調査ノートを見る。稚拙な絵や写真入り、ハングルでの乱暴な書き方である。しかしそこに感動がある。新著ではロンドンの本屋で見つけたケースメントという人物、イギリスとアイルランドの植民と被植民の板挟みで処刑された悲劇的な人物発見、すぐダブリンへ行った。後にスペイン植民地のフィリピンでも悲劇的な人物リーサルに絞って調査をした。それらの悲劇的な内容を新著にを詰め込んだ。より民衆、読者へ接近した新作といえる。


「無礼」

2019年07月20日 06時22分12秒 | 研究業績

 日本外相の「無礼」ということばに韓国政府の反撃、それは喧嘩であり、日本側は実戦のような感。私は今日台風の中,その根本問題、否、学問的な問題意識を持つために発表、話し合いたい。悪天候で集まりが良くないかもしれないが楽しい時間を持ちたい。その前には今私が世界の旧植民地を歩いて考えたことについての本の校正紙を渡す。世界の植民地といっても、反日感情が一番強い韓国から出発して、中国や台湾、パラオ、そして日本の占領地であった東南アジア、シンガポール、フィリピン(写真リサール処刑銅像)など。広島と南京の悲劇の展示についても述べた。それで終わりではない。イギリスの植民地のアイルランドから南アフリカ共和国の旧宗主国まで、そして植民地遺産保存の問題に至る。シベリアは次の本にしたい。

 私の慰安婦問題は日韓の政治的な問題とは関係がなかった。戦争と性、その研究が日韓関係と接点になったのは事実である。韓国が日本の左派説に便乗した。日本政府はその問題に便乗せず、軽視していたが簡単には終わらない。韓国は日本への依存から独立するとは言うけど、研究蓄積が弱い、無理せず和解を求めるのが本当の勇気であろう。

           記

日時:2019年7月20日(土) 午後2時30分~
場所:西南学院大 学術研究所 第四会議室

講師:崔吉城氏(東亜大学教授、広島大学名誉教授)
演題:「戦争と性:慰安所帳場人の日記を中心に」


コピペ(copy-paste)

2019年07月18日 05時00分06秒 | 研究業績

 インターネット時代になって情報が便利になったのは言うまでもない。その利便性には問題点も多い。学生たちにネットを利用させながら授業をするとコピペが多い。その一つはコピペ(copy-paste)、つまり他人の文をコピーして貼り付けることである。私は自分自身の経験、考え方を強調し、明後日福岡での研究会ではそのことについても触れようと思っている。過去の多くの著名な学者もコピペが多かった。いわば資料集め、それはほぼコピペのものである。朝鮮戦争といえばただ新聞記事などの資料のコピペ、分厚い本を作って有名人になった。直接経験、体験に基づいて書いたものではない。私はまず自分の見聞と考え、自分の日記を読んで執筆を始める。『自叙伝人類学』Autobiography、マリノウスキー『未開人の性生活』を読んでいる。
 数人から県日韓親善協会連合会の機関誌の「ふれあい」への寄稿文「近い人・・・」に関するコメントが寄せられた。その一つ、「先生をバッシングした方がどなたで、心中お察しします。」

友人関係では「信」が大切だというお話、我が身を振り返って耳が痛いです。日韓関係に置き換えると、民間では「信」は生まれている一方で、政府間ではまだ生まれてないということでしょうか。最近の貿易を巡るやりとりを見ていても、官僚を含めて日韓互いに大人げないやりとりに正直暗然とする思いです。トランプ流の分断政策が各地で蔓延し、またそれが一つの戦略として結果的に追認されてしまっている現状は相当に深刻で悩ましいです。ただ、それを受け入れる要素が私たちの中にあるからこそ広まっているという現実を見つめ直す必要があります。考えの異なる人の発想を理解しないことには、意見を変えさせることもできないでしょう。どうやって理解できない人の考えを理解するか、そして意見のかけ離れた人にどうやって話を聞いてもらうのか。ここ数年ずっとその問題が頭を悩ませていますが、答えは見えてこないです……。