昨日は我が家でも異様な猛暑を感じた。韓国人二家族を招いて、昨夜門司と下関の合同花火大会を鑑賞した。例年の恒例の行事のようでありながら発展の様子が伺われた。爆竹から花火へ、より美化へ進んでいると感じた。ある方は言った。門司と下関が同時発射であればハモニーはどうであろうと。観衆はただ門司は美しい花火、下関は爆竹的雰囲気である対照を感じているが、二か所の花火がよりハモニーになればと言った。1キロ以内の距離で空で交じり合うことは出来ないか。できないことはないだろう。生活や経済も豊かになればより美的になることを願う。高級化は美化であろう。人も豊かな生活から美しくなれる。
シベリア調査旅行、1998年7-8月夏は写真作家加藤敬氏と一緒だった。新潟、ウラジオストク、ハバロフスク、イルクーツク、ウランウデ、内モンゴル、大連など「シャーマンを探して」長い旅だった。9回の飛行機、重い荷物で加藤氏の苦労に謝罪と感謝を言いたい。そのフィルムがX検査での損傷を受けていたが昨日20枚ほどを写真の資料をいただいた。素晴らしい。調査旅行中シベリアシャーマンSiberia Shamanismの著者Diozegi氏をブリヤトBuryatボカン村へ案内したイルクーツク大学の元文学教授宅を訪ねて、話を聞くことが出来た。感激した。当時、私はシャーマニズム研究の最中であった。その後サハリンへ、朝鮮人虐殺事件に出会い、サハリン植民地研究へ没頭した。今シベリア調査旅行記の執筆に夢中である。
国家や社会のためにと訴える人の映像や画像が氾濫する。私はどうだろうか。自分の研究歴を振り返って見てもそのような愛国心や愛族心の熱気は見当たらない。世界への調査旅行もほぼ自分の好奇心によるものであった。ただ現地で問題点を感じ、日程変更が多かった。シベリアのシャーマニズムの調査中、サハリンの朝鮮人犠牲碑石を見つけ、ショックを受け、そして急転向、民族とは何かへの問題点を考え、調査し、拙著に書き残した。南アフリカで植民地支配者が憎まれず記念されている碑石を見てもショッキングであった。新しく出版予定の原稿を、今校正中である。それは社会へ貢献する意識とは全く異なる。今ドストエフスキーの『罪と罰』と山本孝夫氏(写真)の『杏林の坂道』を読んでいる。慰められる。個人の創作と社会への貢献はどう関わるのだろうか。
京都の国際日本文化研究センターでの研究会から昨夜無事に帰宅した。無事とは前回に比べて健康状態も良く、指定席であって、予定通りに帰り、韓ドラの連続テレビに間に合ったことである。研究会でも日韓、日中の関係が悪いと言われても民間レベルでは関係が悪くないと発言した人もいた。
帰りの電車の中で『Homo Deus』を読んだ。これからは戦争は起こらない。経済が重要な抑止力になると述べている。文大統領は南北統一という反日平和商品で人気を図ったが経済的に困るだろうというメッセージが読み取れる。前回の京都での講演について書いた新聞コラム「日本人は勤勉と正直」の掲載紙が届いている。
年末回顧のプログラムが多い。私が何より気になるのは日韓関係の悪化である。私も一助加えたように反省する。国基研の「日本研究特別賞」を受賞し、韓国東亜大学校からは「名士」から落下させられたこともある。反日者たちの談笑の話題にもなっているようである。嬉悲・善悪に挟まれているような感もする。拙著『慰安婦の真実』を出版して下さったハート出版の社長からコミックな回顧絵が届いた。屋代に座っている三人が昭和のHeart、ハツ、こころ、しんぞうが溢れる酒を飲みながら創業時代からの回想を語るようである。顔がアップされる。そこには犬猫がいる。「平静が終わったら昭和が遠くなって昔になりました」大正、明治が、そして昭和が遠く感ずる。美空ひばりの歌の「過去たち」が悲しくも感じるのはなぜだろう。(ハート出版から届いた絵は私と家内の二人だけで見るのは勿体ないのでここに公開します。承諾を願う。)
朝早く新幹線で出発、10時頃大阪淀川区にある第七芸術劇場に入った時は真っ暗でただ立っていた。手を取って席に案内してくれ、後に壇上で対談した人は50年ほど前からの友人の北村皆雄氏。壇上から見ると、多比良建夫、堀まどか、映画人の康の諸氏の顔がクローズアップされる。嬉しい再会であった。ムーダンたちによるクッの映画を再度視ながら20代に調査した時を回想し、考えさせられた。私はムーダンの内部生活から村との関係に密着していた。ムーダン社会には男女平等、恋愛自由、能力主義などがあり、先進的であると思い、調査を続けた。当時被差別集団へ接近し過ぎ、堕落していくと非難されたにこともあったが、私は調査に専念した。半世紀以上の社会変化とともに巫俗も大きく変わった。特に韓国のナショナリズムにのって差別芸能集団だった彼らは無形人間文化財へと、大きく変わった。終わってフェイスブック友の村田憲司氏ご夫婦が持ってこられた拙著にサイン、お会いできて嬉しかった。昼食後帰宅した。疲れた。
下関の文化人総動員のような行事に今週日曜日、私が2年目に登壇する。昨年末出した『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦」について語る。市民と語り合いサインもしたい。まだベストセラーマークが付いたりする。下関では既に出版記念会、日本研究特別賞受賞記念などで挨拶のように語ったことはあってもこのように直接市民と向き合って話すのは初めて。楽しみにしている。昨朝の毎日新聞下関版では主催の実行委員会は「地元にこれだけの文化人、研究者がいることを知ってもらいたい」と参加を呼び掛けている。すでに沖縄、台湾、京都などで行っていて、これからも下関12月12日、釜山11月20日、広島11月24日、大阪などでの講演会の日程が詰まっている。忙しく、楽しい。
東洋経済日報 固定コラム 連載 2018.10.12 「私の戸籍について」
数日前読書法について触れたところ台湾の頼氏からその方法を教えてほしいという投稿があった。その模範的な答えのような話になるかも知れない。すでに数回読書感想を書いた火野葦平の『インパール作戦従軍記』を読んで、昨日家内の運転で福岡県北九州市若松の火野葦平資料館「河伯洞」を訪ねた。地方作家ながら芥川賞を受賞し、戦中ベストセラー、戦後に戦犯作家と言われ、今は戦争文学者として注目されている。戦前300万部ベストセラー、印税で85余坪の自宅を建てたその家で多くの作品を書き、1960年自殺した。その時だ、息子は22才だったという。無料で観覧できるのに、彼の息子玉井氏夫妻が説明してくれる贅沢な観覧であった。作家の書斎をそのまま再現している。映画、映像の鑑賞会、読書会が行われているという。これから参加してみたい。日記から文学作品への昇華の過程を考察してみたい。
昨日午前中はハノイ市内観光をした。わが夫婦と韓氏夫婦とホテル推薦観光会社によるもの、貸切りの車だった。日本語ガイドはおらず、英語でのガイドのシンさんに案内された。まだ観光システムがきちんとなっていない。雨の中、ホ―チミン博物館、孔子廟、道教寺院などを見て回った。重労働のような観光であった。80年間のフランス植民地、日本の占領についてガイドさんに国民に反日や反仏の感情はないのかと質問した。彼は強く、否定NOと強調した。韓国の反日とはとても対照的に感じた。ガイドと別れて食堂に入った時、韓氏の携帯電話などを車においてあることに気づき、ガイドの連絡先も知らず一時パニクになった。ホテルに電話して解決できたハプニングであった。帰国の飛行機は翌日早朝であり、時間待ちの中でロビーで顔見知りの方々にあった。彼は慶熙大学の教授、京都大学留学の学歴者、楽しい長いストリーが深夜まで続いた。疲れて福岡駅に着き、桃太郎にになった感じがした。
朝食から夜の飲み会まで人との出会いであった。古い弟子や新しい人との立ち話、飲食の嬉しい時間であった。ワンアジア財団(佐藤洋治)に感謝したい。アジア共同体へを目指して世界から人が集まった。参加者は国別では中国が多かったが朝鮮族か、韓国人であり、圧倒的多数は海外朝鮮人であった。日本人は少ない。日本発祥の動きからで出来上がったことを知らなければならない。韓国のロッテのベトナムへの進出により良い会場であった。このような多人種、多言語の集まりでは発表の内容も内容であるが、英語、スピーチなどのプレゼンテーションが重要である。英語で画像と動画などを利用しながら建築を通してのワンアジア(国士舘大学の国広ジョージ氏)は面白かった。後に国広氏と長く立ち話をした。彼はアメリカ生まれの米国籍、ネーティブの英語であった。
昨日の晩餐会では国ごとに唄って良いフィナーレであった。また二次会に誘われた。ホテルの外の町の中のキンバブというバーで本当に最終の集まりであった。そこはフィナーレではなかった。オランケイ(野蛮)という5-60代の若手の集まりの準備会であった。そこには早稲田大学の李成市教授がいて、36年前韓国の我が家を訪ねてきた話、彼のゼミ学生の弟子である毎日新聞の西嶋正法氏の話をした。日本時間では深夜、大連大学の呂秀一教授がホテルまでのタクシーで送ってくれた。
福岡からベトナムのハノイへ一気に飛んだ。空港では財団案内の学生たちに迎えられ大型シャトルバスでコンベンション会場のロッテホテルに向かった。20数年ぶりの訪問である。会場へには少し遅れたが歓迎の民俗舞踊の観覧、そしてサプライズ、元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏の講演を聞いた。地球温暖化について悲観的と楽観的な二つの見方があると言う話、分かりやすい英語、説得力あるパーワーポイントに感動した。地球全体が暑くなり、洪水、旱魃などで多くの人が死んでいく。楽観的な見方とは前者の意見へ反対するとか逆論ではなく、対策の在り方を提示した。私は両面の見解を提示し、どちらを選ぶかというレトリックと思ったが否定的な現象から対策への政策論であり、やはりアメリカの大統領のにふさわしい発想であると思った。政治家のスピーチの上手さに感動した。続いて「未来への希望」というセッションが行われた。東大の田中節三教授の話には鱗が落ちる。寒帯地域でもバナナが栽培できるという研究発表であった。早速挨拶を交わして著書をいただいた。世界から集まった650余名の学者に旅費、滞在などを提供し、研究発表、文化交流、ネットワーク構築へ寄与するワンアジア財団の佐藤洋治理事長に感謝である。私は韓国や日本などで活躍する弟子、後輩に会った。ベトナムの伝統音楽の中で豪華な食事、わが夫婦は日本での受賞の時の、豪華な帝国ホテルに続き幸せな時である。今日は学術発表会などに参席、明日の深夜便で帰国する。
沖縄名護の「宮里キリストの教会」には二度目の訪問、前回は観光のようであったが、今度は礼拝時間の前について礼拝、聖餐式にも参加した。牧師翁長良明先生は入院中、メッセージは「十戒」の上映になった。敬虔な礼拝、式順から聖公会のようである。許氏はその教会の信者、その私の指摘には否定的であった。全ての信者、牧会者が平等であるという。私が紹介された。私は信者の許点淑氏の恩師であり、私の恩師もクリスチャン、許氏は三代目のクリスチャン先生、その教会で皆様と聖餐を共に受けたことに感謝の言葉を述べた。許氏のインタビュー調査記録の「恨をかかえて:ハラボジの遺言」(2016)を読んだ。戦中「軍夫」として沖縄に労働動員された姜仁昌氏の証言録である。慰安所の経験も書かれている。巻頭に許氏は「実は、私の軍夫問題への関心の傾斜には恩師である崔吉城先生(東亜大学教授・広島大学名誉教授)の存在が大きい。先生の足元にも及ばない小さき者ではあるが、先生の急所を得るアドバイスと、送ってくださった書物の『恨ハン 朝鮮人軍夫の沖縄戦』(海野福寿・権丙卓著、河出書房社、1987)に奮いたたされたのである。ここに記して感謝とお礼を申し上げる」。学問が継承されていると嬉しく、イヌ好きも継承されていると知りビックリ。李鎮栄教授の学生たちの扱いや、犬や猫を愛する行動を彼らの家庭で実感し、自分の日常生活を見るような気持だった。生活面まで本当に「先生」(?)になったのかな。
午前中教会、聖餐式に賜わる。名護のJA農協でマンゴ、ゴーヤ、まくわうり、角煮など買って急にカバンが膨らんだ。乗車のまま注文式のアメリカンフード食のA&Wでハンバーグとコーラを口にしながら空港へ、許点淑准教授にさよならをして、飛行機内へ。降りる態勢に入る時、機長から福岡空港に落雷。福岡空港閉鎖のため、佐賀空港へ行くと短いアナウンスがあった。乗客の反響は全くない。そのまま降りてANAのバスで博多駅へ向かった。私は以前もこのようなことがあったがその体制、対備の航空会社、日本人の教養に驚く。これが先進国であろう、嬉しい。
沖縄で雨、風、晴れと変化する気候とは違った田園風景の中、旅行は続いた。ただ沖縄の雑草、ジャングルから整頓された風景に変わった。下関に着いた時駅の構内が停電してエレベーターも使えず駅員が照らす電灯をたよりに歩き帰宅したのは夜の9時であった。ミミちゃんも花たちも元気であった。留守番をしてくれたまどかさんに感謝、長い旅であった。