「確かに母者の出自は何ではあるが、そう卑下することもない。第一、今やおことは我が平氏の大将軍にあらせられる。この縁組みに何の不足があろうものか」
「しかし・・・」
智盛は口ごもりつつ、視線を顕姫から後ろに下がって脇に控えている白拍子の群に移動させた。その内の一人の様子を、伺うようにかいま見る。目ざとくその動きを見た時忠が、ここでもう一押しと智盛に言った。
「もちろんわしも智盛殿が今、誰に心奪われておるかはちゃんと知ってござる」
智盛と、白拍子の一人がかすかにびくっと身を縮めた。
「じゃがのう智盛殿。亡き入道殿も正室の尼御前殿の他、幾人もの側室を迎えておられた。また、今は席を外しておられるようだが、あの小松中将殿のように仲むつまじき夫婦仲の家でさえ、二人の側室を置いておられる。じゃから、側室を一人二人持ったからと言って、この時忠、智盛殿に何の注文も付けはすまい。ただ、我が娘を正室に迎え、おことと我らの縁を深う取り結びたいのじゃ」
確かに時忠の言うとおり、この時代、それなりの地位に就いた者が、正室の他に側女を幾人か抱え込むのはごく当たり前の事であった。一つには世継ぎの男子を確実に生み出す必要があったからでもあるし、一つには、まだ中世の妻問い婚、即ち夫の方から夜毎妻の元に通うという習慣の名残があったからでもある。それは智盛も自然のこととして肌で理解している。だが、だからといって一生の大事をこのような宴席で返事をするのははばかられた。第一、今智盛が全身全霊を尽くして愛しているのは、ただ一人の白拍子なのである。
智盛は軽くため息をつくと、威儀を正して正面に向き直った。
「わが不肖の身を案じて下さるお話の儀、まことに忝なく、智盛、深謝いたしまする」
「では、お聞き入れ下さるか? 智盛殿」
「いえ、今は一身の栄華よりも一門の無事こそ大事かと存じ奉ります。一応の小康は保ち得たとはいえ、まだ都への還御もままならず、帝の宸襟を安んじ奉ることもかなわぬ今、我一人吉事にふける訳にも参りませぬ。何卒、しばらくの猶予を賜りたく」
「うむ、智盛の申す通りじゃ」
意外な助け船が、智盛の正面から降ってきた。事の行方を苦々しげに眺めていた宗盛が、ここぞとばかりに口を挟んだのだ。
「今は婚儀で浮かれておられるような時ではない事は、尼御前殿も大納言殿もわきまえておられよう。この儀、宗盛が預かる。しかるべき時が参れば、このわしが仲を取り持ってくれる」
「お、お待ち下され、宗盛殿」
二位の尼が少し慌てて宗盛に言った。
「しかるべき時と申されるが、そはいかなる時の事じゃ」
「知れたこと。我が平氏が憎き源氏を叩きつぶし、父上の御遺言通り、頼朝がそっ首を父上の墓前に奉る時までじゃ」
「そんな! 姫は既に十八、そのような時を待っていては、嫁がずして年を重ねてしまおうぞ」
「だからといってこの宗盛、帝と平氏の行く末を預かる身として、今この婚儀に費やす時も費用も出すわけには参りませぬ。お聞き分けなされ」
宗盛は、自分の知らぬ間に、兄妹の仲をいいことに内々で叔父と母とが事を進めるのが気にくわなかった。平氏の統領が誰か、はっきりとしめしを付けておかねば。そんな気持ちでこの話をぶち壊しにかかったのである。
「あいや、内府殿がそこまで仰せなら、従いましょう」
時忠は、一転して宗盛の肩を持った。機を見るに敏な老獪さこそが、時忠の持ち味である。時忠はまだ渋る妹をなだめると、改めて宗盛に言った。
「では内府殿、婚儀はしばらく置くとして、智盛殿と我が顕姫との仲は、ご承認いただけましょうな?」
「む? う、うむ。もちろんじゃ」
いつもながらの時忠の変わり身の速さに面食らいながら、宗盛はつい返事をしてしまった。時忠は、取りあえずこの言質を取れた事に満足した。二人だけの間ならともかく、こう一門が居並ぶ席で婚儀の事を承認したからには、もはやこれを覆すことは出来ない。時忠は、不機嫌そうにふんぞり返る宗盛と、その前で下がろうとする「婿殿」を交互に見ながら、自信たっぷりに杯を傾けた。
「ささ、皆も飲め。白拍子共も舞え、歌え。今宵は目出度い夜となろうぞ」
はぁい、と嬌声を揃えてそれぞれの配置に散っていく白拍子の群を見やった智盛は、そこに、つい今さっきまでいたはずの想い人の姿がないことに気が付いた。
(どこへ行った? まさか、この婚儀に気を病んで出ていったのではあるまいな)
智盛は、目出度い目出度いと脳天気に酒を勧める一門から杯を受けながら、気もそぞろにただ一人どこかに去っていった白拍子の行方を案じていた。
「しかし・・・」
智盛は口ごもりつつ、視線を顕姫から後ろに下がって脇に控えている白拍子の群に移動させた。その内の一人の様子を、伺うようにかいま見る。目ざとくその動きを見た時忠が、ここでもう一押しと智盛に言った。
「もちろんわしも智盛殿が今、誰に心奪われておるかはちゃんと知ってござる」
智盛と、白拍子の一人がかすかにびくっと身を縮めた。
「じゃがのう智盛殿。亡き入道殿も正室の尼御前殿の他、幾人もの側室を迎えておられた。また、今は席を外しておられるようだが、あの小松中将殿のように仲むつまじき夫婦仲の家でさえ、二人の側室を置いておられる。じゃから、側室を一人二人持ったからと言って、この時忠、智盛殿に何の注文も付けはすまい。ただ、我が娘を正室に迎え、おことと我らの縁を深う取り結びたいのじゃ」
確かに時忠の言うとおり、この時代、それなりの地位に就いた者が、正室の他に側女を幾人か抱え込むのはごく当たり前の事であった。一つには世継ぎの男子を確実に生み出す必要があったからでもあるし、一つには、まだ中世の妻問い婚、即ち夫の方から夜毎妻の元に通うという習慣の名残があったからでもある。それは智盛も自然のこととして肌で理解している。だが、だからといって一生の大事をこのような宴席で返事をするのははばかられた。第一、今智盛が全身全霊を尽くして愛しているのは、ただ一人の白拍子なのである。
智盛は軽くため息をつくと、威儀を正して正面に向き直った。
「わが不肖の身を案じて下さるお話の儀、まことに忝なく、智盛、深謝いたしまする」
「では、お聞き入れ下さるか? 智盛殿」
「いえ、今は一身の栄華よりも一門の無事こそ大事かと存じ奉ります。一応の小康は保ち得たとはいえ、まだ都への還御もままならず、帝の宸襟を安んじ奉ることもかなわぬ今、我一人吉事にふける訳にも参りませぬ。何卒、しばらくの猶予を賜りたく」
「うむ、智盛の申す通りじゃ」
意外な助け船が、智盛の正面から降ってきた。事の行方を苦々しげに眺めていた宗盛が、ここぞとばかりに口を挟んだのだ。
「今は婚儀で浮かれておられるような時ではない事は、尼御前殿も大納言殿もわきまえておられよう。この儀、宗盛が預かる。しかるべき時が参れば、このわしが仲を取り持ってくれる」
「お、お待ち下され、宗盛殿」
二位の尼が少し慌てて宗盛に言った。
「しかるべき時と申されるが、そはいかなる時の事じゃ」
「知れたこと。我が平氏が憎き源氏を叩きつぶし、父上の御遺言通り、頼朝がそっ首を父上の墓前に奉る時までじゃ」
「そんな! 姫は既に十八、そのような時を待っていては、嫁がずして年を重ねてしまおうぞ」
「だからといってこの宗盛、帝と平氏の行く末を預かる身として、今この婚儀に費やす時も費用も出すわけには参りませぬ。お聞き分けなされ」
宗盛は、自分の知らぬ間に、兄妹の仲をいいことに内々で叔父と母とが事を進めるのが気にくわなかった。平氏の統領が誰か、はっきりとしめしを付けておかねば。そんな気持ちでこの話をぶち壊しにかかったのである。
「あいや、内府殿がそこまで仰せなら、従いましょう」
時忠は、一転して宗盛の肩を持った。機を見るに敏な老獪さこそが、時忠の持ち味である。時忠はまだ渋る妹をなだめると、改めて宗盛に言った。
「では内府殿、婚儀はしばらく置くとして、智盛殿と我が顕姫との仲は、ご承認いただけましょうな?」
「む? う、うむ。もちろんじゃ」
いつもながらの時忠の変わり身の速さに面食らいながら、宗盛はつい返事をしてしまった。時忠は、取りあえずこの言質を取れた事に満足した。二人だけの間ならともかく、こう一門が居並ぶ席で婚儀の事を承認したからには、もはやこれを覆すことは出来ない。時忠は、不機嫌そうにふんぞり返る宗盛と、その前で下がろうとする「婿殿」を交互に見ながら、自信たっぷりに杯を傾けた。
「ささ、皆も飲め。白拍子共も舞え、歌え。今宵は目出度い夜となろうぞ」
はぁい、と嬌声を揃えてそれぞれの配置に散っていく白拍子の群を見やった智盛は、そこに、つい今さっきまでいたはずの想い人の姿がないことに気が付いた。
(どこへ行った? まさか、この婚儀に気を病んで出ていったのではあるまいな)
智盛は、目出度い目出度いと脳天気に酒を勧める一門から杯を受けながら、気もそぞろにただ一人どこかに去っていった白拍子の行方を案じていた。
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