かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.智盛 困惑 その2

2008-04-13 20:08:40 | 麗夢小説『麗しき夢 屋島哀悼編』
 現在の平氏の勢力は、瀬戸内の制海権を抑えつつ、何とか余喘を保っていると言ったところであった。特に平氏戦力の中核をなした重衡が囚われの身となり、驍将を歌われた忠度や能登守教経を戦死させてしまった今は、もはや陸戦で源氏に対抗することは難しかった。ただ、残存兵力は水軍を主体に八〇〇〇騎を余す数があった。知盛はこれを屋島と長門国彦島の二つに分かち、東西からにらみを利かせることで、瀬戸内海を平氏の海に仕立て上げたのである。一方源氏には、平氏に対抗できるだけの水軍がない。一ノ谷の圧勝後、衝撃さめやらぬ平氏本陣を一挙に突いてこないのも、この天然の要害瀬戸内海を外堀とする屋島本陣の攻めにくさと、平氏水軍の戦力が、いまだ侮りがたい勢いを保持していたからであった。
 源氏がいかに舳先を揃えて大軍で押し寄せようとも、この態勢なら一泡も二泡も吹かしてやれる。平氏一門の士気は、ただその一点で保たれている。だが逆に言えば、到底こちらから攻めることはできないということである。和平交渉も決裂した今、平氏には、もう京都還御の未来はない。知盛、そして智盛にはそれが判る。それでも平氏に残された二人の勇将は、平氏の命脈を保つため、精一杯文字通り命がけでやるしかないのだ。
「それは上々。さすがは中納言殿よな」
 そんな息子達の悲痛な決意も知らず、二位の尼は相好を崩して智盛に言った。
「智盛殿もご苦労じゃった。帝もさぞお喜びのことだろうて」
 帝、後に安徳の名を冠される幼子は、既に母である建礼門院に手を引かれ、奥の寝所に下がられていた。智盛はその姿が見えないことに、内心安堵の溜息を禁じ得なかった。幾ら十善の位につく帝とはいえ、所詮今年十才になるばかりの幼児である。まだそんな童の行く末が暗く閉ざされている事を知りつつ、その面前でおくびにも出さず振る舞うのは、さしもの智盛にも難しい。
「時に智盛殿、本日はおことに目出度き話が一つあるのじゃが」
 溜息をついたばかりの智盛の耳に、ほぼ真横から、張りのある声が届いた。
「おお、そうじゃったそうじゃった。まずはこの話からせねば」
 兄時忠の言に忘れていたものをふと思い出したかのように、二位の尼は満面を喜色と変えて智盛に言った。
「智盛殿、おことに今日、是非娶せたいものがある。大納言殿」
 おう、と応えて、時忠は末席の方に目配せをした。するとたちまち後ろのふすまが音もなく左右に開き、白拍子達も脇に控えて道を開けた。示し合わせたように諸将がふすまの向こうに目をやった。つられて振り向いた智盛の目に、目にも鮮やかな朱の打ち掛けに、艶やかな黒髪を流した一人の貴婦人の姿が映った。頭を下げているので顔立ちこそ判らないが、そ、と前に美しく揃えた指の白さが、袖口の朱に映えて神々しい光を放つかのように見える。
「さあ、遠慮は要らぬぞ。近う」 
 二位の尼に勧められて、その女房はにじるようにわずかに席を改め、更なるお声にまた前に進んで、ようやくふすまのこちら側に来た。
「我が娘、顕姫だ。以後、お見知り置き願おう。さあ、姫、智盛殿にご挨拶なされい」
 自慢の娘を披露できてうれしさや誇らしさを隠せないのであろう。いつになく弾んだ時忠の呼びかけに、顕姫と呼ばれた女房の身が、さざ波のように打ち震えた。
「顕姫にございます」
 鈴が転がるような麗々しい声とともに、姫はゆっくりと頭を上げた。同時に、部屋全体に微妙な震動が走った。ため息、感嘆、あるいは刺激された情欲の吐息が、一同の間に渦を巻く。意中の相手が挨拶を返すのも忘れて呆然と凝視する様子を満足げに見やった時忠は、一拍の間をおいて智盛に言った。。
「尼御前殿とも相談申し上げていたのだが、智盛殿よ、我が娘、貰うてやってはくれまいか」
 智盛が惚けたように時忠に向きを変えると、今度は二位の尼が声をかけた。
「驚かれたかの、智盛殿。じゃが安心召されよ。顕姫は今年十八になりなさる。大納言殿が掌中の玉のようにして育て上げた自慢の娘御じゃ。見目美しさも、智盛殿におさおさ劣るものでもない。似合いの夫婦となると思うのじゃが」
「お気にめさなんだか? 智盛殿?」
 時忠が笑みを堪えながら、答えを返そうととしない智盛に促した。もとより断られるなど露も考えていない。故入道殿の正妻にして安徳帝の御祖母にあらせられる二位の尼の兄、この大納言時忠の娘をやると言えば、舞い上がらぬ者など一人もいまい、と言う自信だ。
「い、いえ、滅相もございません」
 智盛は、しどろもどろになりながらも辛うじて答えた。
「ですが、これは私如きには過分の娶せ、なにとぞ御再考願わしゅう存じます」
「ほほ、智盛殿は遠慮深いの」
 二位の尼は口元に手をやり、さもおかしげに笑声を漏らすと、智盛に言った。

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