目覚めは急であった。
文字通りの跳ね起きに夜具は他愛なく吹っ飛び、体当たりされた紗の帳が不満げに揺れ動く。闇を透いておぼろに見えるその景色にほっとする暇もなく、軽いくしゃみが鼻を襲う。途端に背筋がぞくと冷えて、もう一度くしゃみが帳を揺らした。じっとり冷や汗を吸った単衣が、まだ恐怖に戦く主人に絡みついてくる。
寒い。
しん、と静まり返った中で、己の息と高鳴る心の臓がうるさいほどであるのに、四肢は夜の気に侵されてすっかり冷たくなっている。
喉も渇く。
ひりひりと痛むのは、一昨日歌った今様のせいもあるだろう。若い頃は何度も声が出なくなるほどに歌い詰め、ついに一巻の書物にまとめるほどに今様を愛していたというのに。年をとるというのはなんと味気ないものであろうか。あの程度で喉がやられてしまおうとは。
何とはなしに拳を作ったおのが手に目を落とし、その張りのない染みの浮き出た様子に、五〇も半ばを過ぎた老いの実感を思い知らされた。そういえば、自分が御位を継いだときの父の手が、こんな姿をしていた。老いさらばえた、権力の権化の手。もちろんそれは勝利の象徴でもあったのだが、今、丑の時を幾分か過ぎた頃合いの闇の中で、その勝利こそが、今こうして老体を苛んでいるのだ。
「誰やある? 誰やある?」
賽の目と、川の流れと山法師の他は意のままに出来たはずの権力者は、その権威がまるで通じない引きつるように痛んだ喉を堪え、すぐ近くに寝ずの番をしているはずの宿直を呼んだ。
「有信に候」
即座に寝ずの番につく役目の者が一人、ひかえめに名乗りを上げる。
「水を持ってたも。それと、着替えじゃ」
「はっ」
忌々しいはずの北陸なまりの声が、いっそ小気味よく、また頼もしく聞こえるほどに、この夜の心はさっきまでの夢におののいていた。
(やはり急がねばならぬ。この様ではどうにもままならぬが、何が何でも疾く遷してねんごろに祭り上げてやらぬと、あの兄君はこの心の臓が止まるまで、悪しき夢を送り込んで来るであろう)
寿永二年(1182年)12月のある夜。今は本来なら心安らぐはずの新居にて幽閉の身をかこつこの老人-死後後白河の追号を受ける万乗の天子は、六条西洞院の屋敷の奥で、ただ一つ、賀茂川の向こう岸にある一枚の鏡に心を囚われていた。
(急がねば。既に評定は済んでおるのだ。早くせねば・・・)
その評定は、つい一月前に、前宅五条殿にて公卿等を集めて済ませている。その席で、縁ある春日河原という賀茂川の対岸に粟田宮と名付けた社を建立し、遷宮する旨詮議したのである。だがそれも、あの北陸から来た乱暴な田舎者、木曽冠者朝日将軍源義仲の為に話が前に進まなくなってしまった。世に言う「法住寺焼討ち」の為である。おごり高ぶった義仲は、畏れ多くも法皇の御所法住寺を襲撃、法皇を五条殿、続いて六条殿へ幽閉した上、法皇の親任厚い公卿達のほとんどを朝廷から一掃、自分の意のままになる人物を高位に付ける人事を強行した。このために、折角苦心してまとめ上げた粟田宮遷宮の沙汰がその他の諸事全般と共に停止(ちょうじ)され、法皇は夜毎の悪夢にうなされるようになったのである。
(兄君も祟るなら義仲に祟れ! 我に何を言おうと、どうにもならぬわ!)
心中憤りつつも、このままではいずれとり殺される、という恐怖が癒される事はない。法皇はやるかたなく頭を左右に振り、ため息を一つ付くと、懸命に般若経の一節を口ずさんだ。こうして僅かに人心地付いた法皇だったが、結局この老体は、殺されるまでにはいたらぬまま、生殺しの恐怖を毎夜味わわされ、ついに桜が青葉に衣替えし、義仲が源義経の手で成敗されるまで待たされることになる。あらゆる権力を一身に集めたはずの法皇であったが、この激動の時代に突き転がされる無力さこそが、実は本当の祟りだったかもしれなかった。
文字通りの跳ね起きに夜具は他愛なく吹っ飛び、体当たりされた紗の帳が不満げに揺れ動く。闇を透いておぼろに見えるその景色にほっとする暇もなく、軽いくしゃみが鼻を襲う。途端に背筋がぞくと冷えて、もう一度くしゃみが帳を揺らした。じっとり冷や汗を吸った単衣が、まだ恐怖に戦く主人に絡みついてくる。
寒い。
しん、と静まり返った中で、己の息と高鳴る心の臓がうるさいほどであるのに、四肢は夜の気に侵されてすっかり冷たくなっている。
喉も渇く。
ひりひりと痛むのは、一昨日歌った今様のせいもあるだろう。若い頃は何度も声が出なくなるほどに歌い詰め、ついに一巻の書物にまとめるほどに今様を愛していたというのに。年をとるというのはなんと味気ないものであろうか。あの程度で喉がやられてしまおうとは。
何とはなしに拳を作ったおのが手に目を落とし、その張りのない染みの浮き出た様子に、五〇も半ばを過ぎた老いの実感を思い知らされた。そういえば、自分が御位を継いだときの父の手が、こんな姿をしていた。老いさらばえた、権力の権化の手。もちろんそれは勝利の象徴でもあったのだが、今、丑の時を幾分か過ぎた頃合いの闇の中で、その勝利こそが、今こうして老体を苛んでいるのだ。
「誰やある? 誰やある?」
賽の目と、川の流れと山法師の他は意のままに出来たはずの権力者は、その権威がまるで通じない引きつるように痛んだ喉を堪え、すぐ近くに寝ずの番をしているはずの宿直を呼んだ。
「有信に候」
即座に寝ずの番につく役目の者が一人、ひかえめに名乗りを上げる。
「水を持ってたも。それと、着替えじゃ」
「はっ」
忌々しいはずの北陸なまりの声が、いっそ小気味よく、また頼もしく聞こえるほどに、この夜の心はさっきまでの夢におののいていた。
(やはり急がねばならぬ。この様ではどうにもままならぬが、何が何でも疾く遷してねんごろに祭り上げてやらぬと、あの兄君はこの心の臓が止まるまで、悪しき夢を送り込んで来るであろう)
寿永二年(1182年)12月のある夜。今は本来なら心安らぐはずの新居にて幽閉の身をかこつこの老人-死後後白河の追号を受ける万乗の天子は、六条西洞院の屋敷の奥で、ただ一つ、賀茂川の向こう岸にある一枚の鏡に心を囚われていた。
(急がねば。既に評定は済んでおるのだ。早くせねば・・・)
その評定は、つい一月前に、前宅五条殿にて公卿等を集めて済ませている。その席で、縁ある春日河原という賀茂川の対岸に粟田宮と名付けた社を建立し、遷宮する旨詮議したのである。だがそれも、あの北陸から来た乱暴な田舎者、木曽冠者朝日将軍源義仲の為に話が前に進まなくなってしまった。世に言う「法住寺焼討ち」の為である。おごり高ぶった義仲は、畏れ多くも法皇の御所法住寺を襲撃、法皇を五条殿、続いて六条殿へ幽閉した上、法皇の親任厚い公卿達のほとんどを朝廷から一掃、自分の意のままになる人物を高位に付ける人事を強行した。このために、折角苦心してまとめ上げた粟田宮遷宮の沙汰がその他の諸事全般と共に停止(ちょうじ)され、法皇は夜毎の悪夢にうなされるようになったのである。
(兄君も祟るなら義仲に祟れ! 我に何を言おうと、どうにもならぬわ!)
心中憤りつつも、このままではいずれとり殺される、という恐怖が癒される事はない。法皇はやるかたなく頭を左右に振り、ため息を一つ付くと、懸命に般若経の一節を口ずさんだ。こうして僅かに人心地付いた法皇だったが、結局この老体は、殺されるまでにはいたらぬまま、生殺しの恐怖を毎夜味わわされ、ついに桜が青葉に衣替えし、義仲が源義経の手で成敗されるまで待たされることになる。あらゆる権力を一身に集めたはずの法皇であったが、この激動の時代に突き転がされる無力さこそが、実は本当の祟りだったかもしれなかった。
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