いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

福島地裁判決と医師法21条違反の考察

2008年09月07日 15時20分37秒 | 法と医療
大野病院事件で、医師法21条違反には該当しない旨判示されたが、これについて過去の最高裁判例をもって「判例に反する」といった意見が散見されないわけではない。そこで、医師法21条違反について、若干考えてみたい。

条文を確認しておく。
○医師法 第二十一条
医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。

ポイントだけ書くと、
(a)検案して
(b)異状がある
(c)と認めた時は届出義務がある
ということである。(c)に関しては、特に論争はないだろう。問題となるのは、(a)と(b)である。
個々に考えてみる。

ア)近時における最高裁判例

平成15(あ)1560(平成16年4月13日判決)では、次のように判示されている。

=====
医師法21条にいう死体の「検案」とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することをいい、当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かを問わないと解するのが相当であり、これと同旨の原判断は正当として是認できる。
(中略)
本届出義務は、警察官が犯罪捜査の端緒を得ることを容易にするほか、場合によっては、警察官が緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にするという役割をも担った行政手続上の義務と解される。そして、異状死体は、人の死亡を伴う重い犯罪にかかわる可能性があるものであるから、上記いずれの役割においても本件届出義務の公益上の必要性は高いというべきである。
(中略)
本件届出義務は、医師が、死体を検案して死因等に異状があると認めたときは、そのことを警察署に届け出るものであって、これにより、届出人と死体とのかかわり等、犯罪行為を構成する事項の供述までも強制されるものではない。
(中略)
以上によれば、死体を検案して異状を認めた医師は、自己がその死因等につき診療行為における業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも、本件届出義務を負うとすることは、憲法38条1項に違反するものではないと解するのが相当である。このように解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和27年(あ)第4223号同31年7月18日判決・刑集10巻7号1173頁、昭和29年(あ)第2777号同31年12月26日判決・刑集10巻12号1769頁、昭和35年(あ)第636号同37年5月2日判決・刑集16巻5号495頁、昭和44年(あ)第734号同47年11月22日判決・刑集26巻9号554頁)の趣旨に徴して明らかである。
=====

平たく表現すると、次のようなことである。
①「検案」とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査すること
②検案対象となる死体は、自己の診察していた患者か否かを問わない
③届出義務は、犯罪捜査の端緒を得ることを容易にする
④同、緊急に被害拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にする役割を担う
⑤届出義務の公益性は高い
⑥届出義務は犯罪行為を構成する事項の供述までも強制されるものではない
⑦自己が業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも本件届出義務を負う
⑧届出義務は憲法38条1項に違反するものではない

過去の判例から明らかである、ということを最高裁は指摘しているので、よく用いられがちな「憲法38条1項違反」という主張をする場合には、判例をよく検討してからにした方がよい、ということはあるだろう。「憲法違反だ」と安易に主張する傾向があるのではないか、という指摘をしたことがあるが、案外と当たっているのかもしれない、と最近思いつつある。

それから、古い学説や判例は(新しいものではないので)当てにはならない、とか思っているのかよく判らないんですが、古いことに文句を言う法曹?の人もいるみたいですけど、最高裁でも古い判例を蔑ろにしたりはしていない、ということをご確認下さればと思います。判決文は一部分とかだけではなく、できるだけ全文を読んで判断することが必要ではないかと思います。部分的「切り取り」だけですと誤解や理解が不十分であることもあるので、評釈っぽいものやダイジェストだけを頼るのは注意が必要かと思います。

話が逸れましたが、本判決の意義としては、当然に「憲法違反ではない」と判示したことはありますけれども、①~④の再確認を行ったということにあるかと思います。すなわち、判決当時の時点における司法の考え方が判る、ということです。
ここで重要な指摘をしておくと、最高裁判例では「検案」についての定義を示してはいるものの、「異状」については何らの定義を示していない、ということがあります。上記(a)については判例通りということですが、(b)については何一つ述べていません。届出義務の目的や当該行政手続の義務が違憲ではないということも明らかにされていますが、(c)が肯定されただけです。


イ)診療中か否かの論点

前項の最高裁判例で②が示されたので、これについては答えが出ています。すなわち、「『検案対象』は診療中か否かを問わない」ということです。ただ、このことが「届出義務は(死んだ人が)診療中か否かを問わない」ということを自動的に決するものではありません。


ここで、「検案」や「診療中か否か」については、医師法20条も関係しているのです。これを見てみます。

○医師法 第二十条
医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。

「診療中の患者」という用語が本条文で登場しているのですが、これが判り難くなっているかもしれません。

まず、初歩的原則としては、死亡診断書か死体検案書を交付する、ということで、診療中の人なら死亡診断書、診療中ではない人なら死体検案書、ということになります。20条の但書部分についての解釈は、局長通知が出されています。

=====
厚生省医務局長通知(昭和24年4月14日 医発第385号)

医師法第20条但書に関する件

標記の件に関し若干誤解の向きもあるようであるが、左記の通り解すべきものであるので、御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配慮願いたい。

     記

1 死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、苟しくもその者が診療中の患者であった場合は、死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し、この場合においては法第二十条の本文の規定により、原則として死亡後改めて診察をしなければならない。
 法第二十条但書は、右の原則に対する例外として、診療中の患者が受診後二四時間以内に死亡した場合に限り、改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。

2 診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである。

3 死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるものである。

=====


少し整理しますと、「診療中の患者」とは外来か入院かを問わず、医師から見て診療を行っている途上の患者ということになります。心臓疾患があって外来通院しており投薬していた、とか、そういう関係です。以前に足を骨折して治療したけど、その後診療していない患者が死亡したなら「診療中の患者」ではないので、死亡診断書交付はできず検案書ということです。

◎「診療中の患者」以外の者→死体検案書

20条と通知から、「診療中の患者」であっても場合分けがあることになります。
(便宜的に診療中の「中」を取って名称を付けています)
・中-1:受診後24時間以内→死亡診断書
・中-2:受診後24時間以上経過→死亡診断書
・中-3:全然別個の原因→死体検案書

中-1の場合には、20条規定の「自ら診察(検案)しないで、診断書(検案書)を交付してはならない」の例外的措置として、但書の診察し(立ち会ってい)なくても死亡診断書を交付していいですよ、ということを認めているのです。24時間以上経過している場合には、中-2に該当するので「死後診察」を行って死亡診断書を交付しなければならない、ということになります。中-3の場合には、時間経過には無関係に検案をして、死体検案書を交付しなければなりません。

したがって、死体検案書を交付する場合というのは、「診療中の患者」以外の者と、「診療中の患者」であっても全然別個の原因により死亡した者の2通りあることになります。これは最高裁判例の②に矛盾せず、「診療中の患者」か否かという点では、「検案」はどちらも有り得るということになります。


ウ)「検案」と「異状」

前述ア)のように、「検案」についての定義や届出義務の意義・目的を考慮すれば、医師法21条の届出義務は死亡診断書を交付した場合に適用されているとは考え難い。「検案」が適用されているのは、「診療中の患者」以外の者か中-3の場合であり、届出するのは犯罪捜査か社会防衛の目的に合致しているようなものである。例えば手術中に合併症で死亡した場合が、緊急に社会防衛すべしという場合に該当するとは考え難いのである。最高裁判例においても、そのような指摘がなされたわけではない。

次に、「異状」または「異状がある」ということの定義についてであるが、法学的な定義や判例からは明確になっていない。そうであるが故に、この本文下段に挙げたような日本学術会議の見解と提言が出されているのである。

この大変不明瞭なものを、ある個人が正確に識別できなかったとして、そのことをもって刑事責任を問われてしかるべきである、ということは言えないだろう。少なくとも、罪刑法定主義には反しているのではないかと私には思われた。

再掲すれば、医師法21条というのは、死体を
(a)検案して
(b)異状がある
と認めた場合にのみ届出義務があるのであって、診療中の患者を「検案する」のは中-3の場合であり、なおかつ「異状がある」という要件が満たされなければならないのである。

大野病院事件では、「癒着胎盤」という医学的状態に付随的に生じ得る「止血困難」(大量出血)ということであり、このことから「全然別個の死亡原因」であったと判断できるのであろうか?福島地裁は、一連の医学的状態(疾病、病態等)ということを認めたのであり、「診療中の患者」かつ「妊娠~癒着胎盤~止血困難」という一連の医学的状態にあった、ということで別個の死因ではない、という立場を取るものであろう。また、「異状がある」ということについても、「癒着胎盤」という医学的状態であれば「止血困難(大量出血)」は同様のケースが複数例ある、すなわち「普通に近い状態=ままあること」なのであって、「異状」(=普通とは違う状態)ではない、という判断をしたものと思われる。これは極めて妥当な判断であったと思う。

変な例かもしれないが、「空腹」状態であれば「足がふらつく」ことは有り得るので、異状とは言わないであろう。そうではなくて、空腹でもなければその他特別の理由もなく「足がふらつく」のは異状かもしれず、そうであるなら届け出てね、ということだ。

この届出義務違反であるが、「異状がある」と認める状態を完璧に見極められない(判断できない)からといって刑事罰を与えるということになれば、例えば「検察(警察その他行政機関とか)に通告しなければならない」というような通告(通報)義務のある条文に違反している事例は、全例義務違反で刑事罰を与えることが可能であろう。以前に例示したような会計検査院の検察への通告義務違反は、明らかに刑事罰を与えるべきということになるだろう。よく談合事件とか裏金事件とかが明るみに出たりするが、こういうのも「事後的に」何故検査で発見できなかったのか、ということを問うことができ、発見できなかった職員(公務員)は全員刑事責任を負わせて処罰可能ということになる。そういう法の運用の仕方も、有り得る、ということではないかと思う。
が、福島地裁はそうした運用の仕方を肯定したわけではなかった、ということであろうと思う。


医師法21条の立法趣旨や判例から見て、検案というのは刑法(それとも法学?)上の判断を医師に求められるものではなく、あくまで医学上の状態を判断することが求められているのである。精神鑑定で被告人の刑事責任能力というようなことが問題となったりすることはあるが、あれも同じで「医学上の状態」を記述することが必要なだけであり、刑法(法学)上でいう「責任能力」の判断というのは、裁判所が行うべきものである、ということだ。最高裁判決では、医師という専門家の出す鑑定意見を尊重するように、という方向性が示されていたと思うが、医学的に見た場合の「能力」と法学上の「能力」というのは、必ずしも同一ではない。それと同じだ、ということ。よって、医師が「検案」した結果「異状がある」と判断するのは医学上の基準においての話であり、そこに法学的基準を持ち込まれて「異状がある」状態を正確に判別できなかったことをもって刑事責任を追及されるというのは、精神鑑定で医師が完璧に法学上の「責任能力」について判定できなければ刑事罰を負わされる、というのと同じようなものである。


長々と書いてしまったが、福島地裁判決は過去の最高裁判例、医師法条文や医務局長通知との不整合がある、ということにはならないであろう。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。