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保守は革新に対抗できるか

2006年08月17日 00時35分26秒 | 社会全般
昨日早朝に小泉総理の靖国参拝がありましたが、国内外で色々と議論があったようですね。最後の「置き土産」としては、中々重たいものであり、良くも悪くも小泉総理らしい「パフォーマンス」であったと思います。


戦後日本の「お詫び」「反省」というひたすら平身低頭の時期を脱して、ようやく過去の「自分たちの国」が行ってきたことを冷静に見つめられるようになってきたのだろうと思います。それは、「触れてはいけないもの」「犯罪者・加害者の家族」というようなトラウマに支配されていた期間が非常に長かった、ということであるように感じます。それだけ先祖の犯した過ちは大きく、その過去を全て引き受けざるを得なかったのです。これもまた、歴史の重みであると思いますし、日本人が「得たもの」の代償はとても大きな犠牲を伴うものであったのです。日本人がほんの僅かに賢くなるには、あまりに大きな代償でした。


小泉総理が参拝を貫いたことで、中韓にとって「靖国問題」は外交カードとしての威力(魅力?)は小さくなり、より「国内問題」へと引き戻すことになったと思います。これを総理が国民に説明してしまえば、それこそ外交上問題が大きくなると思います。その点、安倍官房長官は「好ましい」選択をしたと言えるでしょう。「行ったとか、行ってないとかは言わない」というのは、中韓に対するメッセージとしては明確であるからですね。


日本人が考えるべきこととしては、「靖国神社」をイデオロギーに利用させない、ということでしょうね。そういう勢力を封じ込める、ということです。靖国神社の持つ政治性を完全に消し去って、例えば「徳川家康が祭られている神社」というのが現在政治的役割もイデオロギーも持たないのと同じようになるならば、今のままの靖国神社であっても誰も問題視しなくなるし、取り上げられなくなるであろうと思います。昔、一向宗が何らかの「政治性」を胎蔵していた如く、宗教が利用されてしまうことはあるのであり、宗教がイデオロギーから完全に切り離されてしまえば、殊更問題にされることもなくなるのではないのかな、と思います。こうした政治利用をさせているのは、中国でもなければ韓国でもなく、日本人そのものではないかと思えます。そのような煽動に便乗し、勢力を拡大しようとする連中に加担している日本人がいる為でしょう。


今の状況というのは、傾向としての右派・左派という区分と、保守・革新という区分はややズレがあるように思われ、どちらかと言うと「革新右派」と呼ぶべき勢力が存在していると思います。安易な排外主義に傾いているのは、主にこうした「革新右派」であり、反米を掲げるのもその一環なのではないかと思えます。従来の「保守勢力」とは大きく異なり、単純に右派とは呼べないように思えるのです。若年層の右傾化というのは、欧州などでもよく観察されるのであり、こうした「革新右派」に陥りやすいのは日本に限ったことではないでしょう。若年層の置かれている経済状況が貧困化へ向かえば向かうほどその傾向を強めるであろうし、ネットの影響もあるかもしれないけれども、「革新右派」はこれらを背景にして勢力拡大を図ってきていると思われます。


これらに対抗するのは勿論旧来の左派ということでもいいのですが、多くの先進国で左派勢力の衰退が起こっているし、日本国内においても左派の政治的役割が認められているとは到底考えられず、このことは選挙での結果が如実に物語っていると思われます。戦後に左派勢力が何一つ成果を残してこれなかったことを反映しているのです。ひたすらに「攻撃対象」を見つけては攻撃を続けたが、そうした闘争に多くの国民が疲弊しすぎ、いつまで経っても埒の明かない攻撃に飽き飽きしたというのが本音ではないかと思えます。対象を単に攻撃したところで、何も生まれてこないということを大衆は悟ったのです。長い間に大衆が得た教訓でした。堕ちて行った左派に代わって、こうした攻撃的な姿勢を作りつつあるのが「革新右派」であり、左派への攻撃だけではなく、従来の「保守勢力」をもその対象としているのでしょう。それ故、「反米」とかその他排外主義的な主張を繰り返し、右派に対しても「腰抜け」「ポチ」「隷従」などの罵倒を行っているのではないでしょうか。


こうした「革新右派」に対抗できるのは、やはり「頼りにならない左派」などではなく、「保守」勢力であると思います。




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