いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

マスコミ批判の感想2

2004年11月19日 10時46分45秒 | 社会全般
続きです。



理解派にしても、マスコミの肩を持ってるわけではないのですが、一定の理解を示すと「お前はマスコミの仲間だ」というような感じで攻撃されてしまいます。ちょっと怖いですね。

このような現象は日本だけなのか知りませんが、今までにも同じような印象を受けた事件として思い出されるのはイラク人質事件ですね。初めの時も、この間の時も、ネット上では当事者やご家族に対して罵詈雑言が蔓延していました。マスコミの論調に同調した人達が、行き過ぎた発言を繰り返し、当事者以外にまで誹謗中傷を行っていました。

当然のことながら少数の擁護派は叩かれました。このことはマスコミがやってることと何にも違いがなく、一方良心ある人達もたくさんいた訳で、これらが皆「ネットの住人は酷い」みたいに同一視されたくはないのでは?全部をひっくるめて「マスコミ」と呼び非難できるのかな?でも自分が非難する立場にいると、忘れがちになるものです、自分の行為を。

私自身もそうです、大した人間ではないので。色々間違ったりしてます。

吊るし上げ状態の時、「同じ事をマスコミはやってきたんだ」的非難の浴びせ方は、同じように仕返ししていいんだ、ということでもあり、次につながるものがないように思えます。


非難はあっても当然ですし、批判を受けて次の発展とかにつながっていけるなら意味があると思いますね。で、非難の種類はだいたい似たり寄ったりのものなら、一定の非難が出尽くしたらあとは「こんなのもあった」みたいな個人のカルト的知識披露合戦みたいになってしまうので、だいたい出尽くした後は、一言「枚挙に暇がない」で済んでしまうように思います。皆が発言している面と違う面から見た非難とかなら、より意味があると思います。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。