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信用と財政再建を考えてみる

2007年08月20日 17時22分09秒 | 経済関連
財政再建というと、新聞の社説などでもよく取り上げられるのだが、危機感を煽るだけのことが多いのが常である。危機が本格的に信じ込まれれば、サブプライムローン問題と同じく債券価値が消滅しかねないだろう。みんなが手放そうと一斉に売り始めれば、暴落の損失を回避しようとして我も我もと売ろうとしてしまうであろう。すると、本当にゼロとなってしまうのだ。なので、不安を煽るのはよくないことが多いのである。これは以前にも書いた。

国債償還と借り換え

国債償還と借り換え(2)

2年くらい前のNHKの「日本のこれから」?みたいに、国が破綻したらこうなる、みたいな近未来シミュレーション劇までやってくれて、一種の煽りというか、恐怖感植え付けには一役買っていたことだろう。あれを見れば、大変なことになる、と誰しも思うだろうからね。財政再建派の強力な応援部隊を養成するにも好都合と言えるであろう。元大蔵出身者たちにもそういった一派は恐らく存在しているだろう。あの番組にも出ていた村尾教授(当時)とか。今は、司会者業なんかをやっているらしいけど(笑)。


上の参考記事中にも書いたが、日本の債務の場合には、対外債務ではなく国内債務であることは救いだろうと思う。買い手が付かなくなるという危険性を軽減しているだろう。父ちゃん(国)が好きなように使っていた部分は無きにしも非ずであったが、流石に一家のサイフは無尽蔵ではないので、厳しい目が向けられるようになった。父ちゃんを支えてきた母ちゃんや息子・娘たち(国民)の懐事情が非常に苦しくなってきたから、ということだろう。
本当は借金の大きさを考える上では、フローとストックを正確に調べた方がいいのだが、ちょっと面倒なので割愛。

とりあえず、単なるイメージで考えると、次のような感じだ。

母  25
息子 3   = 父 30
娘   2

一家の家計を思い浮かべてもらえば、稼ぐのは左側の人たち。使うのは右側の父ちゃんだ(笑)。家に金を入れている(要するに税ということ)のが30で、使われるのも30だけある、ということになる。子どもの小遣いのようなごく普通の金の出入りだけだと、入ってきた以上に使うことはないので、左の数字が小さくなれば父ちゃんの使う量はその分だけになる。ところが、信用という制度が機能するとどうなるか考えてみる。

貯金箱 5
母  22
息子 2   = 父 30
娘   1

上の3人以外に、母や子どもたちが共同で設けた貯金箱があるとしよう。
そこにお金が溜まれば、時々出して使うことが可能になる、ということだ。例では稼ぎが5減っても、貯金箱から出して使えば、同じ30だけ使うことが可能だ。稼ぎがたまたま減少して苦しくなっても、普段から貯金箱に溜めておけばそこから出して穴埋めできるので、収入の変動リスクに対して一定範囲の安定化をもたらす機能が期待できる。問題は貯金箱にどの程度溜まっているか、ということになろうか。量が多ければ緩衝作用は大きくなるだろうし、少なければ当然のこと大きな変動には対応できなくなる。変動幅は確率的な問題であるので、リスクを軽減できることはできるが、完全ではない。

日本経済の基本的性質というのは、貯金箱の中のお金はかなり多いということだろう。左側の稼ぎ手は収入がそこそこあって、世界レベルで見ればまあまあ上位クラスである。父ちゃんは無駄に使ってきた(笑)部分が多かったので、色々と批判されたりしているのと、今や貯金箱の存在なしでは立ち行かなくなっているということがある。その依存度は高いであろう。貯金箱部分というのは元々がストック部分なので、ちょっとズレてるのだと思うが、一応入れた。本来であれば、父ちゃんが後から貯金箱に金を返してくれていれば問題ない、ということで、財政再建というのは「父ちゃん、金返せ!」というものであるということだ。でも、父ちゃんは自力で稼げないので、結局は稼ぎ手たちが貯金箱に戻すということと変わりがないことになるかな。

あと、稼ぎ手たちの全体の収入と、借入比率の問題があるのかも。普通の人間ならば、例えば返済負担が年収の半分とかになってしまうと、「到底返せそうにない」という風に感じてしまうからね。生活をギリギリまで切り詰めて、家族全員が協力すれば返せるかもしれんが。
(サブプライムローンの返済にしても、頑張って返済しようと思えば返済は不可能な水準ではないかもしれないけれど、平凡な家庭ならば「そこまで生活費を切り詰められない」みたいなことはあるだろう。初めから「返そうと思って借りてない」というようなこともあるかもしれない。住宅価格上昇を当てにしていればそうなるだろう)
なので、返済負担が稼ぎに比べて大きすぎるということになれば、貸し手の多くが「本当に返してくれるんだろうか?」という疑心を抱くようになったりして、そうなると「耳を揃えて返せ!」みたいなことになってしまって、本当にパンクすることになる。そういう疑いを持たれるのを予防するには、返済負担比率があまり大きくならないように抑制しておくことである。更に、「返す気満々です」という姿勢を示さねばならず、そうなると「贅沢品は買いません、生活費を極限まで切り詰め、節約生活で頑張ってます」みたいなことを行動で示さねばならない、ということになるでしょうか(笑)。

日本全体の経済規模(左辺の稼ぎ手たちのお金全部)で考えると、返済余力はまだあると言えるだろう。これまでの水準では、大体500の稼ぎの規模で、税収等が約45くらい、返済額は20~30程度くらいだろう。気になるのは、借金が積みあがっていて、対GDP比率が諸外国に比べるとデカイ為に目立ってしまいやすい、ということかな(笑)。100%超というのは、ダメな国っぽいからね。経済全体で見ると対外債権国で要するに金貸し屋っぽいので、経済破綻リスクということは外部から見ればあまり深刻には受け止められないであろう。でも、父ちゃんがだらしなく見えそう、ってのが辛いのかもしれない。国債残高で見れば、政府収入(税収)に比べてもの凄く多いし、政府部門の肥大化(資産も借金も)が成長力を削ぎ落としているのではないか、と見られてしまうのかもしれない。

まあ、いずれにしても、父ちゃんの金の使い方をどうにかしようね、ということと、貯金箱部分はどうなっているの?ということがあるだろう。「信用」というのは、「貯金箱にはお金が入っている」という幻想(信頼?)ということと、将来、この貯金箱に金を戻してくれるだろうという「約束」のようなものだ。ただ単にロールオーバーだけ繰り返していって、実質的には返済していないかのようであるとしても、「返してもらえる」という信頼が常に必要ということだ。
(サブプライムローンの如く、返済負担よりも住宅価値の増大の方が大きければ「返さずに済むし、キャッシュアウトできる」というようなことを信じていて、その前提が崩れてしまうと債券の暴落につながりかねないことがある、ということかな。国債残高増大より経済(規模の)成長が大きければ、借金は相対的に負担軽減となるはずが、長きに渡るデフレでそれが狂ってしまい、返済負担に苦しんでいるというのがこれまでの状況であった。)
みんなに約束を信じてもらうには、見かけ上、あまりに借金が大きくなりすぎたり、貯金箱依存の部分が大きくなりすぎるのはよくない、ということかな。ちょっと危険、ということでもある。


貯金箱 30
母  25
息子 3   = 父 60
娘   2

こんな感じで、貯金箱部分が大きくなっていくと、母ちゃんや子どもたちから「父ちゃんばかり使いすぎだ」という疑問の声が上がってくる、ということになるのかも。それから、貯金箱は金がいつまで出せるのだろうか、という疑念が湧いてくるということかな。父ちゃんは「将来払うから」ということを約束していて、貯金箱に金を戻してくれるはずだろうということを前提としているのだが、戻ってる気配がなさそう、という不安かもしれない。貯金箱がない場合に比べて、父ちゃんの大きさが30の時よりも随分大きく見えるので、父ちゃんは立派に見えるのかもしれない。素朴な質問として、「貯金箱があった方が良いか?」というのがあるとすれば、答えは「あった方が良い」ということになるだろう。たとえ、「父ちゃんばかり使いすぎだよ」と思われてしまう可能性があるとしても、ない場合に比べると有利ではある。父ちゃんの使う額が問題になってくるのは、母ちゃんや息子や娘の稼ぎが伸びないからだ。もしも、彼らの稼ぎが父ちゃんの使える額の伸びよりも大きければ、ちょっとくらい貯金箱から出してあげたとしても、あまり文句が出ないだろう。なので、左辺の人たちの稼ぎの大きさ全体を大きくしてあげることが必要ということ(=上げ潮ってこと、笑)。

母ちゃんや息子や娘の将来不安が大きい時、自分の貯金箱により多く入れようとするだろう。いずれ取り崩さねばならない時がくるかもしれない、と考えて、その変動に備えをしようとしてしまうからだろう。給与が上がって行かないだろう、とか、年金は(あまり)もらえないだろう、といった将来時点での減収(昔の年功序列的な賃金体系に比してということ)予測が大きいとすれば、「今使うより、将来に備えて蓄える」ということをしようとするだろう。結果的に消費は抑制されることになり、余計に世の中全体の金回りが悪化することになるだろう。このような不安を軽減することが大事だろうと思う。