いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

自民党公募体験談(爆)~その1

2005年08月19日 20時32分04秒 | 俺のそれ
いやー、暑かった。死ぬほど。体が溶けるかと思うくらい。
田舎者の私は、人が多くて参りました。
今日は、「ほりえもん出馬」のニュースに多くの人々の関心があると思いますので、その隙に、こっそり告白してしまいます。

皆さん、いよいよコイツは狂ったか、と思われるでしょう。きっと、大笑いするでしょう。そして、冷ややかというか失笑の種にしかならないでしょう。でも、笑わないで下さいね。


本当に恥ずかしい話ですが、応募してみたんですよ。馬鹿だと思っているでしょ?そうなんです、大馬鹿者です。
妻にも、「死ぬから、止めて。馬鹿じゃないの?これから、どうするのよ。破産したらどうするの?」と、散々罵倒され、「止めて」と何度も念押しされました。でも、「東京に行く」と言って、旅立ったのでした。その顛末を、少しお話したいと思います。
人生でこんな経験が出来るなんて、滅多にないことです。それに、まさか本当に呼ばれるなんて思ってもみなかったですし(笑)。

ネットだけではなく、現実世界でも何か行動してみようと思い、ダメもとで一応出してみたのです・・・。

あれは、火曜日の夜11時20分ころに携帯に電話があったのですが、それは気付かず、翌朝携帯を見て、東京から2回電話がかけられたことが分りました。それで、「まさか、自民党から?」などと変な期待をしながら電話してみたら、「はい、自民党改革実行本部です」みたいな感じで、言われて、「あと1時間以内くらいに、こちらからお電話します」と言われました。

率直に驚きました。ええっー!うそ、まさか、自分が??という感じで。

それから、電話が来るまでの時間がとても長く感じられました。半分舞い上がってしまい、「審査に通ったってことなのかな・・・」などと、色々な想像をしながら、待ちましたよ。私にとっては、一大事ですから。

そして約40分後くらいに、「党改革実行本部のS参議員と申します。一次選考を通過されました。それで、ご意思の確認ですが、選ばれたら選挙に立候補するということでよろしいでしょうか」と唐突に訊かれました。ここでも、「うそ、マジかよ、本当なの??」と内心思いましたが、勢いで「はい、出ます」と言ってしまいました。すると、「それでは、明日4時に党本部まで来て頂けますか?」と訊かれ、「はい」とそこでも即答してしまいました。「えー、仕事どーしよ」と思ったのですけれども。でも、勢いで答えたのでした。「遠いですが、宜しくお願いします」と、議員だけに「お願い」は上手で(本当にそう思います)、こちらが拒否できないような感じの声なのかもしれません(笑)。

議員の後で、今度は党の職員の方から、来る時の簡単な説明をされて、「党本部がどこにあるか分りますか?」と聞かれて、「いいえ知りません」と答えたら、行き方を詳しく教えてくれました。永田町にあるんですね、当たり前なんですが。テレビで見てると、国会議事堂と自民党本部が近くにある、なんていうのは全く分りませんからね(笑)。私、マジで田舎者ですので。


急遽翌日仕事を休む段取りをして、バタバタと手配などをしました。そして、家に帰ってから、妻に切り出しました。
「絶対に笑わないでね。実はね・・・」と、応募した話をして、東京の自民党本部に呼ばれたことも説明しました。

すると、話を聞いた妻が、「そんなの本気にする方がどうかしてるのよ。仕事はどうするの?落ちるに決まってるでしょ」とか、色々反対されました。でも、自分が試してみたい、ということを話すと、最終的には諦めというか冷淡な笑いを浮かべながら、「じゃあ、行ってくれば。それで気が済むんでしょ?」ということで、納得してもらいました。でも、どこか半信半疑。きっと、私が選ばれる訳が無い、と思っていたんだろうと思います。だって、それまで家で政治の話とか、自分が候補者になりたい、とかそんなことを言ったこともないですし。単なる平凡な生活をしている人間でしたので。


一次選考の基準はどういうことなのか、全く分りません。ただ言えることは、私のように大した学歴でもなく、特別立派な経歴でもないのに、一応呼ばれるチャンスがある、ということです。全く何の政治的活動や実績がなくても、また、親が立派とかそういうことでなくとも、選ばれる可能性だけはある、ということです。きっと、候補者選びには、知られた名前とか、地方議員の2世とか、代議士秘書とか、そういう経験が何も無くとも、本当の「熱意」だけ(爆、私のようなショボクレもの程度でも)あれば、面接してもらえる可能性があるということです。案外公平なんだなー、と思いました。コネも名声も関係なく、誰でもチャンスがあるのです。


そして、いよいよ出発の朝、木曜日です。夏物のスーツは結婚前に妻が買ってプレゼントしてくれたものが一着だけで、それを着ていくとにしました。悩んだのは、ネクタイ。して行くと、抵抗勢力みたいだし、クールビススタイルで外すと、貧相で締りが無いし、「なめてるのか」とか思われるんじゃないかな、とか。考えた挙句、ネクタイをすることにしました。日帰りだし、着替えなどは持たずに、大した荷物もなく、本とか筆記用具とかカギくらいです。昔使っていた、革のブリーフケースだけ持って行きました。

それと、今は夏休みシーズンなので、交通機関はとても混んでいて辛かった。移動は、人が多いとキツイです。苦手かな、やっぱり。


東京には予定より2時間ほど早く到着しました。だって、よく知らない場所を行くのですから、余裕を持って行った方がいいかな、と。


そこで、ちょっと東京見物をしてから行こう、と考えました。以前皇居と警視庁は見たことがあったので、今回は国会議事堂を見てみよう、と。JR有楽町の駅に着き、地下鉄に乗らずにそこから歩いてみよう、と思ったのですが、これが非常にまずかった。


死ぬほど暑かった。予想以上に。甘く考えていましたよ、東京の暑さを。有楽町から皇居に沿った大きな道路を歩くのですが、どっちに向かっているのか分らないまま、トボトボと進んでいくのですけれども、3分もしないうちに汗が出てきて、止めとけば良かった、と後悔しました。蒸し暑い、日差しがキツイ、地獄でした。でも、大きなビルばかりで、中に入ることも出来ないですし、丸の内のビル街を歩いて行きました。すると、東京駅に着いてしまい、大きく方向が間違ってしまったことが分りました(爆)。私は、はっきり言って方向音痴です。そして、迷子になり易いです。


でも、地下に入ってようやく少し生き返りました。暑さが凌げるし。仕方がないので、途中の本屋で「東洋経済」8/20号を買って、地下鉄に乗ることにしました。「霞ヶ関」とか「国会議事堂」という駅があり、ここが日本の中心なんだー、きっと官僚諸氏もこういう地下鉄に乗っているんだろうな、などと考えたりしました。霞ヶ関駅では、やはり「公務員顔」をした男性がぞろぞろと乗ってきましたよ(笑)。みんなクールビズスタイルだった。白シャツ姿で、みんな結構似ていた。何となく「なるほど」と思いました。


そして、次が国会議事堂駅です。

地下鉄を降りて、地上へと向かいました。制服姿の警官があちこちに立っていて、びっくりしました。こんなに警備が厳重なんだなー、って。

地上に着くと、再び熱風が顔に吹きつけられました。立っていた2人組の警察官に、「永田町は、どちらの方向ですか?」と尋ねると、「向こうのほうです」と指差して教えてくれました。

そちらの方角へ歩いて行くと、議事堂の裏側を進んで行ってしまいました。テレビで見る、国会議事堂のてっぺんの形をしていました。それから、首相官邸や議員会館とかが並んでいて、なるほどなー、とひたすら感心しました。議事堂の裏側には、見学申し込みの入り口とか、議員の入り口とかがあって、警察官が立っていました。遠くには、自民党本部のテレビで見る看板が見えました。

国会議事堂の正面側を是非見てみようと思い、議事堂の周りをひたすら歩きました。また灼熱地獄を味わうことになりました。歩道でひたすら立っているしかない、途中で出会った若い警察官の1人が、微笑みかけて「コンニチハ」と言ったので、全く知らない人だったが(当たり前ですが)、私もにこやかに「コンニチハ」と返しました。次に出会った警官は、歩道にある送風口のような鉄格子状になった板の上に立って、涼んでいた。「ズルイぞ、この野郎」と思い、私も一緒に立たせて欲しかったが、我慢しました。

そこを通り過ぎてしばらく行くと、いよいよ正面の門の辺りが見えてきました。門の周りには警官が数人立っているのが遠くから見え、彼らに何事か尋ねている一般人がいました。やっぱり、私のように道が分らない人達が来るんだよ、などと共感を覚えつつ進んで行きました。きっと反対側から来ると、こんなに遠回りしなくても済んだのだろうと、思いました。素直に、「国会議事堂の正面はどちらですか」と警官に聞けばよかった・・・。

これもテレビで見る通りでした。疲れたけれど、また来た道を戻ることにしました。国会図書館とか、こんな風になっているんだなー、とか、社民党の本部はあそこかー、とか色々見学できました。この界隈で、政治が動いたり、色んなドラマが繰り広げられたりするんだろうなーって思いました。ただ感心するだけでした。


戻る途中で、さっき出会った、送風口の鉄格子の上に立っていた警官は、今度は日陰側へと移動していたので、私が今度はその上に乗ってみると、下からもの凄い勢いで風が上がって来て、やっぱ、涼しいんじゃんか、と思いました。それから、「コンニチハ」と言ってくれた警官は、今度は怪訝そうな顔をして、怪しそうに見ていました。何か彼には思い違いがあったのでしょう、多分。誰かと私を見間違えたのでしょうか(笑)。暑くて死にそうになりながら、自民党本部入り口を目指しました。付近には、テレビ局の中継車や黒塗りの車などが路肩に停車しており、こうやって張り付いているんだなー、などと思いながら、何処かに入れる涼しい場所を目指しました。党本部の門の前を通り過ぎると、ローソンやマクドナルドがあって、マクドナルドに向かって歩きました。きっとあそこなら涼しいだろう、と。


へとへとになりながら店内に入ると、店員は外国人でした。見かけはフィリピン人風でしたが、日本語は上手でした。にこやかに「ご注文はお決まりですか」と聞かれたので、アイスコーヒーを注文し、汗まみれになった背広を乾かせる場所を探す為、二階へと上がって行きました。やっとの思いで座り、アイスコーヒーを飲みながら、買った「東洋経済」の記事を読みながら、汗が引くのを待ちました。東京の中をあちこち見るのは、夏は厳しいということがよく分りました。そういえば、田中秀臣先生が書いた文章が何処かに載っているはずだな、と思いながら読み進んでいきましたが、中々発見できず。違う号だったかな、などと思っていたら、書評にありました。ブログ記事で読んだ時と、雑誌で読んだ時には分量が増えたような錯覚とか、内容が多少変わったかのような錯覚がありましたが、多分同じなんだろうな、とも思いました。時計は3時過ぎで、まだ間がありましたので、ひたすら涼んでおりました。

テレビ局の車で待機している人達とか、きっと地獄だろうな、とか思いました。張り付いているのは、単なる「暑さ我慢比べ大会」出場者みたいなもんですね(笑)。こういうお仕事も大変だろうな、と思いました。


(続く)