風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『風立ちぬ』 3

2013-08-29 13:57:48 | 映画

一本の作品に、何度もすみませぬ。
というのも、鑑賞後に色々とレビューを読んでいて、今回の映画に関してはその内容に驚くことばかりだからです。
先日も書きましたが、賛否以前に「何が言いたいのかわからなかった」という感想や、「煙草が云々」に代表される道徳の授業のような感想。
そして先ほどふと気付いたのが、そもそも、「もしかして今の世の中って、自分が映画の主人公に共感できなければ感動できない人が多いのだろうか?」ということです。

たとえば私が二郎の立場だったら、殺人兵器となる零戦を作ること自体にものすごく悩むだろうし、また仕事よりも愛する人との時間を大切にすると思います。
ですが、当然ですが、私と二郎はまったく違う人間です。生きている時代も違う。
なので私は、「私だったらそうはしないけれど、この主人公ならするだろう」という風に観ます。そして映画全体の言おうとしていることを、客観的に考えます。それに私が感動できたかどうかが、「良い映画」か「そうでない映画」かの基準です。
しかしレビューを読んでいると、自分の考え方と全く違う行動をとる二郎を「薄情だ」「無責任だ」「理解できない」という理由で映画の出来を評価しているものが非常に多く見受けられ、驚きます。

プラスのレビューも同様です。
二郎の性格や作品のテーマを、自分が共感できるように、スクリーンに描かれている以上に「道徳的に良い方向」に解釈しようとしているレビューを多く見かけます。
そういう人達は、映画の中の「ピラミッドのある世界の方がいい」という言葉をどう解釈しているのだろうか?と本当に不思議です。
これは二郎の台詞ではありませんが、二郎もそういう世界に惹かれていることは明らかです。
この言葉はもちろん、ピラミッドの二面性を意味しているわけですよね。その美しさと、その建設のために失われうる数えきれない命。その二面性、危険性を承知の上で、「それでも」ピラミッドのある世界の方がいい、と言っているのです。
二郎は積極的に「殺人兵器」を作ったわけではありませんが、そういう矛盾も抱えた人間なのです。
決して完全無欠なヒーローなどではない。
※ちなみに私が以前ピラミッドの例えを微妙だと書いたのは、ピラミッドは王の「夢」の象徴というよりも、「権威」の象徴というイメージの方が強いからです。余談。

そんな二郎のエゴイズムはエゴイズムとして、それも含めてこの映画の重要な一部分であるのに、どうしてそれを客観的に観ることができないのでしょう。
この映画は決して二郎の優しい性格を描こうとしているわけでも、戦争の悲惨さを描こうとしているわけでも、菜穂子との純愛を描こうとしているわけでもないでしょう。
この映画が描きたかったのは、生まれ落ちた時代の中で、精一杯に“夢”を追って生きた一人の青年の姿です。
それ以上でも、以下でもありません。
宮崎監督ご自身が述べられているとおりです。

もちろんこれも私一個人の感想にすぎませんから、これが「正しい」ということではないでしょう。
映画の感想なんてどれも主観的なものですし。
とはいえ、作品それ自体に対して「もうちょっと鳥瞰的に観られないものかねぇ」と多くのレビューを読んで感じたので、ここに書いてみた次第でございます。作品と自分との距離感、といいますか。うまく言えないのですが・・・。
そういう視点からこの映画を観た上でのレビューは批判的なものでも私は理解できるのですが、マイナスレビューであろうとプラスレビューであろうと“それ以前”の内容のものがとても多いことに、残念というよりも、日本の将来が不安になりました・・・。


さて、話は変わり。
先ほど知ったのですが、鈴木プロデューサーの『風に吹かれて』というインタビュー形式の本の中で、こんなエピソードが語られているそうです。

鈴木 「宮さんの考えた『風立ちぬ』の最後って違っていたんですよ。三人とも死んでいるんです。それで最後に『生きて』っていうでしょう。あれ、最初は『来て』だったんです。これ、悩んだんですよ。つまりカプローニと二郎は死んでいて煉獄にいるんですよ。そうすると、その『来て』で行こうとする。そのときにカプローニが、『おいしいワインがあるんだ。それを飲んでから行け』って。そういうラストだったんですよ。それを今のかたちに変えるんですね。さて、どっちがよかったんですかね」

鈴木 「やっぱり僕は、宮さんがね、『来て』っていってた菜穂子の言葉に『い』をつけたっていうのはね、びっくりした。うん。だって、あの初夜の晩に『きて』っていうでしょう。そう、おんなじことをやったわけでしょ、当初のやつは。ところが『い』をつけることによって、あそことつながらなくなる」

興味深いですねぇ。
私は、そうだなぁ、やっぱり今のラストの方が好きですかね。
菜穂子の言葉が『来て』であっても『生きて』であっても、この作品が最も描きたかったであろう「その時代の中で力を尽くして生きた二郎の十年」には何の変わりもないので、そういう意味ではどちらのラストでも大差はないと思う。でも、現実として二郎の夢がもたらした決して小さいとはいえない重い結果がそこに存在している以上、これから二郎がどのような人生を歩むにせよ、自分のしたことを悔やむにせよ悔やまないにせよ、彼は生きて、自分の“夢”がもたらした結果を見続けていくことが、この作品のラストとしては良いように思います。
さっさと死んで菜穂子の待っている世界に行ってハイ終わり、というのはやはり違うのではないかな、と。

しかし、よくぞこの映画を作ってくれました宮崎監督、と本当に思います。
監督は「戦闘機が大好き」で「戦争は大嫌い」という矛盾を抱える自身の内面を、この映画でありのままにさらけ出してくれました。その矛盾を解消できないまま生きてきた、その矛盾ごと「自分」なんだと、隠したかったであろうそういう部分を、ジブリのファンである私達に見せてくれました。映画のラストで「じたばたしていく」二郎の姿は、宮崎さんご自身の姿でもあったのでしょう。
世の中にはオブラートに包んだ方がいいこともありますが、包まなくていいことだってあります。
この映画は、包まないことによって傑作となった映画だと、私は思います。
そして傑作の価値は、子供にとっても、大人にとっても、同じですよ。
それを理解するのがいつかだけの違いです。


『風立ちぬ』 1

『風立ちぬ』 2

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インタビュー:坂東三津五郎

2013-08-26 23:54:52 | 歌舞伎


「人間の思いを人間がどう受け継いでいくか、そのことによって、ひとりの人間だけじゃなくて、それまでこれを作った人、使っていた人の思いも、もしかしたらプラスになって、倍の力になるかもしれない。それが伝統の力じゃないですかね。いろんな方の荷物をお預かりして、今ここに生きている。この荷物は次の時代に預けて伝えていかないといけない。それを若い、次の世代に伝える責任の重さをいま、痛感しているところです」


(坂東三津五郎  納涼歌舞伎に込める思い

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三津五郎さん

2013-08-26 22:21:56 | 歌舞伎

三津五郎さんご自身のお話によりますと、7月の検査で既にわかっていらしたのだとか。
にもかかわらずあの猛暑のなか、一日のお休みもなく八月納涼歌舞伎を務められたのは、おそらくご自身のご希望もあったのでしょう。
特に納涼歌舞伎は三津五郎さんにとって特別な興行でしたから、なおさらだったと思います。
それでも、言わせてください。
ご自身のために、ご家族のために、そして三津五郎さんの歌舞伎が大好きなファンのために、8月は休んでいただきたかったです!
お願いですから、ご自身の体を大事にしてください。
三津五郎さんの代わりはどこにもいないのですよ。。

第二部は拝見していませんが、三部の『棒しばり』。
踊りの難易度はわかりませんが、体力的に決して楽な踊りでなかったことは素人の私にもわかります。普通の筋肉の使い方ができないのですから。
定期健診で発覚したとのことですから自覚症状の有無はわかりませんが、もしご体調が悪い中であれだけの踊りを見せてくださったのだとしたら、驚くべきことです。
でも、そんな頑張りは観客は望んでいません。
私達が望んでいるのは、これからも少しでも長く、三津五郎さんの芸を観つづけられること。それだけです。

とにかく。
絶対に完治するまでムリしちゃだめですよ、三津五郎さん!
たとえ松竹が許しても、勘三郎さんが許しませんよ!
十一月の巡業も、もし完治されないまま無理に出てこられたりしたら、たとえどんなに素晴らしいお芝居を見せてくださっても、私は悲しいです。
ファンを悲しませてはいけません。

ぜひしっかりと病気を治されて、ゆっくり療養されて、完全な体調で歌舞伎の舞台に戻られるのを、楽しみに待っています。

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『風立ちぬ』 2

2013-08-25 15:55:55 | 映画

宮崎:嫌んなっちゃったんですよ、いろいろ。
庵野:役者さんですか?
宮崎:うん、役者さんが。その、声優じゃないんだけど、なんかみんな同じような感じでしゃべってるんだよね。相手の心をおもんばかってるばかりでね。ばかってるフリをして、それで感じを出して、感じが出てる僕、っていうね。

『風立ちぬ』メイキングより)


宮崎監督が庵野監督の起用を決めたときの、お二人の会話です。
これ、今の時代についても、そのまんま当てはまる気がするんですよね。
みんな同じで、「いい子」ばかりな時代。
「周りに迷惑をかけないエラい僕」みたいな。

今回の映画についての感想を読んでいても、その批判の内容にびっくりします。
「貧しい人達を尻目に二人は楽しく恋愛している」「肺病患者の隣でタバコを吸っている」「肺病患者なのに周りの迷惑を考えず町を出歩いている」「感染させるかもしれないのに、二郎を床に誘っている」「菜穂子は辛い病人なのに、二郎は抱く」「二郎は自分の満足のために兵器を作った」・・・・・・。
いったいみんな、どれだけ品行方正な生き方をしているのだ?と言いたくなります。
芸能人のスキャンダルに対してもそう。
そして世の中で事件があると、自分は関係者でもなんでもないのに鬼の首をとったように加害者を糾弾する人たちのなんと多いことでしょう。
「周りに迷惑をかけずに生きてるエラい俺」を声高に言いながら、その実本人が誰よりもそんな自分にストレスを感じているように私には思えます。
それもいい歳したおっさんではなく、まだ若い人達がそうなのだから不思議です。
若者なら悟った顔をして他人の批判をしていないで、多少周りに迷惑をかけても思いきり生きてみればいい。
まあそれを許さない世の中を作った大人にも、多少の責任はあるかもしれませんが。
こう言うと「そうだ、大人のせいだ」という若者がまたいるのでしょうね。
ちがいますよ。
一番は、あなた達自身の責任です。

もしかしたら戦争の時代よりも、窮屈な時代なのかもしれませんね、現代って。
それも国家から強制されているわけではなく、自分達で自分達の生き方を狭めてしまっているように見えます。
「みんな同じ」の世界を作り上げ、外れる者を声高に非難し、その小さな世界の中にいることで「安心感」を得るのでしょう。
つまらない生き方ですね。
『みんなちがって みんないい』
そんな言葉が流行っていても、世の中には根づいていない。

そういう意味でも、「いい子」を描かなかった今回のこの『風立ちぬ』、いいなあと思ったんですよね、私は。
もし今のような閉塞感のある時代でなければ、ここまでいいとは思わなかったと思います。


毒舌、失礼いたしましたm(__)m


『風立ちぬ』 1

『風立ちぬ』 3

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『風立ちぬ』 1

2013-08-25 00:29:09 | 映画




「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである」


(宮崎 駿)


『風の谷のナウシカ』が公開されたのは、私が7歳のとき。
以来ジブリと一緒に歳を重ね、大人になり、新作が公開されればやはり映画館に足を運び、そして人生の半ば近くまで来てしまったわけですが。
今回この『風立ちぬ』を観ながら、宮崎監督、この映画を作ってくれてありがとう、と心から思いました。
おそらく監督にとってこれまでの作品と違う、作るのに覚悟を必要とした作品だったであろうことが、わかったからです。

私はこの作品を宮崎監督の「最高傑作」と言うつもりはありません。
そう言ってしまうには、これまでの宮崎作品が放ってきたファンタジーの魅力は強烈すぎる。
あの積乱雲の合間から天空の城が姿を現すときのワクワク感、不思議な生き物が棲む深い森のちょっと恐ろしいようなざわざわ感、八百万の神さまが去った朝の静謐で透明な油屋の空気、緑の荒野の向こうから突如ロボットのような巨大な動く城が現れたときの息をのむ光景――。
それぞれのテーマは重くとも、宮崎監督が作り出したそれらの世界に、どれほど心躍らせてもらったことか。

しかし今回の作品がそれらと完全に異質かというとそうではなく、やはり、その延長線上にあるのだとも強く感じました。
夏の高原の爽やかな空気感、主人公の夢の世界の躍動感、見事な“風”の描写、時空を超えた人の繋がり、古い日本家屋の木の香り、それらの合間にそこはかとなく漂う寂しさ。
そのどれも、これまでの作品と共通する、これまでの作品があったからこそなしえた、描写の美しさ、豊かさだと思います。

この映画について賛否以前に「何が言いたいのかわからなかった」という意見があることを知り、驚きました。私はあらすじさえ読まず、まったくの前知識なしに観に行きましたが、「わからない」ことなど何ひとつなかったからです。
これまでのジブリ作品と比べてもテーマはとても明快で、はっきりとスクリーン上で表現されています。つまり、上で引用した、監督ご自身が述べられていること、それがすべてでしょう。
零戦という多くの人を殺す道具にもなりえる飛行機を作った主人公についても、同様です。
カプローニ(萬斎さん、よかったなぁ)がはっきりと言っているではありませんか。「君ならピラミッドのある世界とない世界、どちらを選ぶ?――私はピラミッドのある世界がいい」と(まぁこの例えもちょっとどうかとは思いますが)。
夢がはらむ危険性。
その葛藤は、ラストの風景の中にちゃんと描かれている。
二郎は決して神様でもなければ、完全無欠なヒーローなどでもないのです。
完成披露記者会見で監督は「(ラストは)じたばたしていく過程なんですよ。形を出してしまったらこれは違うなということが自分でわかったんです」と言っていました。
それでもなお、“夢”をもって生きることの大切さを、宮崎監督はこの映画を通して言いたかったのだと思います。

そしてものすごく乱暴な言い方をしてしまえば、菜穂子との「愛」も、主人公の「夢」の前では、二次的なものなのだと思います。
だからといって愛の重さが軽いわけでは決してなく、それは二郎にとっても菜穂子にとってもまったく自然なことで、限られた時間の中で、限られた人生の中で、二郎は「夢」を追い、菜穂子はそんな二郎を愛し、二人は「愛」を育んだ。
周りからどんな風に見えようと、二人は誰よりも「幸福」なのだと思います。
二人だけにわかる、しかし何よりも確かな愛の形でしょう。
他の宮崎アニメのヒロインと同様に、この菜穂子も、自分の価値観をしっかりと持っているとても素敵な女性。
震災のとき二郎から「君たちの荷物は?」と聞かれて、「いいんです」と躊躇せずにきっぱりと答えるところに、そんな性格がよく表れています。
周りに流されず、自分にとって何が一番大切か、何が一番幸福か、よくわかっている。
『ひこうき雲』の歌詞の少女そのものです。
そんな女性に、瀧本美織さんの芯のしっかりした声はよく合っていました。

庵野監督の声も、とてもよかった。
私は今まで宮崎監督が声優を起用したがらない理由がいまひとつ理解できなかったのですが、今回の映画を観て、とてもよくわかりました。
下手でもいいから、「演技」ではない、“ありのままの声”を望んでいたのですね。
そして今回は声優はもちろん、俳優でも納得がいかず、そして庵野監督。
素晴らしい選択だったと思います。

宮崎監督は「なぜ今あの時代の日本を描いたのか?」という質問に、「また同じ時代が来たからです」と答えられていました。
亡くなった私の祖父は、「今の時代は戦前によく似ている」と言っていました。
空に美しい飛行機を飛ばしたいという少年の夢が、二度と戦闘機という形になることのないように。
私達は、何が最善の道か、それぞれが自分自身で考えて、しっかりと答えを出さなければならないでしょう。

そして、たとえ戦争はなくとも、どんな時代でも、どんな人にとっても、「生きる」ということはそれだけで、本当に大変です。
それでも、どんなに過酷な状況下でも、“夢”をもって生きる主人公の姿をただまっすぐに描いたのがこの映画です。
映画のコピーは「生きねば。」ですが、私には宮崎監督が「それでも、生きろ」と、「力を尽くして生きろ」と、この映画を通して言ってくれているように感じました。

青空いっぱいに真っ白な飛行機が飛ぶラスト。
気付けば泣いていました。






『風立ちぬ』 2

『風立ちぬ』 3

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歌舞伎ストラップ

2013-08-18 14:43:38 | 歌舞伎

歌舞伎座1階の売店に行かれたことのある方なら皆さんご存じ、羽紋屋さんの歌舞伎ストラップ
和紙の風合いがそれはそれは美しく、杮落しの全演目揃えたい!と心底思うわけですが、なにせ1200円とストラップとは思えぬお値段。。。
そこで数ある中からたった一つを選び、私の携帯にぶら下がっているのがコチラ↓



『廓文章 吉田屋』の伊左衛門さんのお着物の柄です
和紙という材質も、まさにピッタリですね。
携帯を見る度に「ごきげんさ~ん♪」なニザさまを思い出し、いつでもどこでもニヤニヤしております。

そして昨日。
私は再び一直線に人でごった返している売店へと向かいました。
目的はただひとつ。
コチラでございます↓



そう、『東海道四谷怪談』の伊右衛門さんのお着物の柄です
黒白格子の着流しに、黒無地の紋付。
写真では少々わかりにくいので、羽紋屋さんのサイトからイラストを拝借しました。
こんな感じです↓



実物は、単一でない和紙の質感が四谷怪談のあの禍々しい雰囲気をよく表していて、実に素敵ですよ。

これで、いつでもどこでもあの伊左衛門とあの伊右衛門と一緒です(名前が紛らわしいったら・・・)
『四谷怪談』が杮落しの演目で本当によかった!
もっとも私の伊右衛門は、歌舞伎座の伊右衛門ではなく、文楽劇場の伊右衛門ですが、笑。
台紙もシックで素敵なので、本の栞に使えますよ。

この歌舞伎ストラップは羽紋屋さんのオンラインショップでも購入できますので、遠方の方もぜひ
(四谷怪談はオンラインショップにはまだ出ていないようです)

『寿曽我対面』もカッコいいなぁ・・・・・・

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歌舞伎座新開場こけら落 八月納涼歌舞伎 第三部(8月17日)

2013-08-18 01:13:01 | 歌舞伎




先日の竹三郎さんの会の感動が大きすぎてしばらく他の舞台を観る気になれなかった私でございましたが、既にチケットを取ってしまっておりましたため、夏の夜の納涼もよかろうと、夕方からお出かけしてまいりました


【江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)】

えどみやげ こりこりばなし。
なんて可愛らしい演目名。
内容はめっさアダルトだけれども(そこがいい)

扇雀さんの伊之助が素晴らしかったです。
これ、ものすごくニンなお役なんじゃないでしょうかね。
元上方の歌舞伎の女形という役がそれはお似合い。
ねっとり粘着質で、だけど下品じゃない色気。
とくに目の表情にとても色気があるので、オペラグラスをなかなか下ろせませんでした。
はんなりした声での柔らかな演技と低い声での凄みのある演技の緩急のつけ方も、ほんとに上手。
幽霊(正確には違うけど)のふわ~~~~っていう歩き方も上手かったなぁ。
屋台でお蕎麦を入れてる場面のとぼけた空気、最高です。何度でも見たい。一緒に食べてるし、笑。
物干し竿横の小さな三角巾をつけたお地蔵さんも可愛かった そして洗濯物をぱんぱんって叩いているだけなのにこの可笑しみ!
最後の花道で紫色の羽織を着て傘をさして歩いていく姿は、惚れ惚れいたしました。
扇雀さんってこんなに個性的な華やかさを作れる役者さんだったんですねぇ。

七之助のおきわも、とても良かったです。
“あの”玉さまの跡を継いでくれそうな人がこんなところに!と思いました。あのカッコおもろい系の玉さまですよ。
綺麗の系統も、細っこいところも、よく似てる。
一番最後、三味線を掻き鳴らして(ほぼ地声で)歌うところ、「ふるあめりか~」の玉さまを思い出しました。
ここの場面、綺麗だったなぁ。春爛漫の庭先に、空から桃色の花びらが降ってきて、緋毛氈の上に花びらと赤い花札が散らばっていて、なによりも七がそれは美しくて。。。
前半の雪からの繋がりも素敵で、うっとりといたしました。
「坊主」の花札を食べちゃうところ、面白かった、笑。

橋之助さんの重善。
これがまた、とても良かった。
悪役のくされ坊主というと先月の『杜若~』の願哲と重なるけれど、女好きでぬけてるところがある今回の役の方が、どこか人の好さそうな雰囲気のある橋之助さんに合っていました。

勘九郎の又市。
前半の阿呆は彼の得意とするところなので上手は上手なのですが(客席大爆笑でしたし)、どうもワンパターンに見えてしまうのが残念なところ。。
後半のハキハキ演技はとても良かったと思います。
あと、意外な気がしますが、扇雀さんと相性いいですね~。二人の掛け合い、すごく面白かった。「江戸ことばには、ほとほと疲れましたわ~」「いや、あんさん江戸ことば上手いで~

亀蔵さんのおそめ。
亀蔵さんがお得意とするはっちゃけた役ですが、ニューハーフにしか見えな・・・(あ、言っちゃった)。
もうすこし女形っぽく演じてもよかったのではないだろうか。
しかし“牛娘”って・・・笑

巳之助の福蔵。
意外なほどしっかりした演技で、驚きました。とても良かった。

以上、狐と狸の化かし合い。
こればかりは内容を予習しないで行って、本当によかったです。
初めてご覧になる方は、絶対にストーリーを予習せずに行かれることをオススメします。
まんまと騙されたラストに、大満足♪


【棒しばり】

棒に両手を固定されたまま踊るのがどれくらい難しいのか、舞踊に心得のない私にはまったく想像がつきませんが、後半、まるで棒がないかのように自在に踊られている三津五郎さんの踊りには、目が釘付けになりました。
しかし、結構観ていて手に汗握る舞踊ですね、これ。
棒に縛られたまま扇子をくるっと持ち代えるところ、思わず「おお~」と声を上げてしまったわ。

勘九郎は、狐狸狐狸に続いてまたも阿呆面なお役。上に小うるさいことを書いてしまいましたが、やっぱりうまいですね、こういう役。ほろ酔いな雰囲気がよく出ていました。
定評のある彼の踊りの技術は、踊りに詳しくないのでこの演目だけではよくわかりませんでしたが(鏡獅子も観るべきだったか)、三津五郎さんと二人で踊っているところを観て、勘九、(勘三郎さんの親友だった)三津五郎さんと一緒にこの踊りを踊ることができてよかったね、と感じました。観客の勝手な自己満足かもしれませんが、なんだか二人の踊っている姿を観て、そんな風に感じたのです。
きっと勘三郎さんも天国から楽しんで観ているのではないかな。
(いや、ハラハラしているかも、笑)

『狐狸狐狸』も『棒しばり』も何度でも観たくなる演目で、東京の夏もそう悪くないな♪と思えました
楽しかったぁ^^


《インタビュー》
中村扇雀 『狐狸狐狸ばなし』

←前掛けのピンクの紐がキュート

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富姫さまの棲家 @姫路城大天守

2013-08-16 01:08:12 | 旅・散歩



薄 これは、まあ、まことに、いい見晴しでございますね。
葛 あの、猪苗代のお姫様がお遊びにおいででございますから。

(泉 鏡花 『天守物語』より)


竹三郎さんの会の前に、日本列島が連日最高気温を記録するなか、猛暑の近畿地方を旅してまいりました。
その目的の一つが、姫路城(白鷺城)の見学。
ご存じ、『天守物語』の富姫さまの棲家です。
その大天守は現在、平成の大修理中。
富姫さまは「騒がしいことよのぅ。これだから下界の者は・・・」と、図書之助とゆっくりラブラブできず、ご機嫌ナナメなことでございましょう。
そんな姫さまにはお気の毒ですが、この大修理は我ら下界の者が富姫さまや薄さんの棲むおうち天守の五重目の“外観”を間近に拝見させていただけるまたとないチャンスでもあります。

というわけで、姫路城大天守修理見学施設『天空の白鷺』に行ってまいりました~。


エレベーターで昇っていくと・・・


じゃ~ん。
大天守の五重屋根。
お城の一番てっぺんですよ。
すでに修理も完了し、ピッカピカです。


今回新調された五重屋根の鯱瓦。
フォルムが美しゅうございます。


家紋入りの鬼瓦と、軒唐破風。
この「天空の白鷺」が解体されたらもう間近で見られることもない部分なのに、まったく手の抜かれていない美しい彫りに感嘆。。


塗り替えられたばかりのまっ白な漆喰が眩しいです。
美しいものをこよなく愛する富姫さまにも、きっとご満足いただけることでしょう。


一つ下のフロアーからも、見学できます。


壁一面のガラス窓から見た大天守からの眺め。
こんな開放感も今だけかも。


私が生きている間にはおそらく二度とないであろうレア体験に大満足してお城を去った後は、微妙に時間が余っていたため、近くにある姫路文学館へ。
そのミュージアムショップで、こんなもの↓を発見。


2001年に同館で催された「泉鏡花と『天守物語』の世界展」の図録のようです。
天守物語ファンの私は、迷わず購入。
もっとも旅行中はゆっくり読む時間がなかったため、ちゃんと中身を見たのは家に帰ってからでした。


姫路城の美しい写真とともに作品の言葉が紹介されていたりと、非常に美しいつくりの冊子です。
やっぱり鏡花の世界はええのぅ~~~とウットリしながらページをめくっていたところ、


おお!玉さまのコラムが!
玉さまの語る鏡花世界が大好きな私には、嬉しいオマケです。
富姫の舞台衣装のお写真も。

そしてふと上を見ると・・・
見ると・・・

昭和56年(1981年)12月「天守物語」公演
左、富姫・坂東玉三郎、右、図書之助・片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)


な・・・なんというお宝写真
オマケどころかメインディッシュですよ!
姫路文学館さん、ファン心理をわかっていらっしゃる!

このほか、富姫@六代目歌右衛門さんと亀姫@四代目時蔵さん、富姫@二代目扇雀さん(当代藤十郎さん)などの貴重写真も。
1200円とちと高めではありましたが、歌舞伎の天守物語ファンにはたまらない一冊でございました♪

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傘寿記念 坂東竹三郎の会 @国立文楽劇場(8月11日)

2013-08-13 00:25:45 | 歌舞伎




友人との旅行の帰りに大阪に立ち寄り、行ってまいりました、『坂東竹三郎の会』(昼の部)。
舞台も客席もみんなが「歌舞伎が大好き」「竹三郎さんが大好き」な気持ちが溢れていて、劇場中が不思議な一体感のある公演でした。
拍手も単なる約束事ではなく、役者さんの演技に私が「うわ、拍手したい…!」と感じると皆さんも大拍手、でも誰一人台詞にかぶらせることなくピタリと静寂に戻る様はもはや芸術的。大向うさんも音羽屋、澤瀉屋、松嶋屋と偏りなく盛大にかかっていて。
あの場所にいることができて幸せでした。


【夏姿女團七】

猿之助って本当に竹三郎さんが大好きなんだなあ、と観ていて思わず頬が緩んでしまいました。
あいかわらずの冷静な演技の中にも「大好きな竹ばぁの大切な舞台に立つことができて嬉しい」という気持ちがひしひしと伝わってきて、先日の『四の切』で感じた技巧的にすぎる部分を今回は全く感じませんでした。夜の部のカーテンコールでは目を真っ赤にして竹三郎さんに抱きついていたそうですし、可愛いなあ、もう。
しかし、猿之助は華がありますねぇ。
壱太郎の一寸お辰とのケンカの場面。容姿は壱太郎の方が顔も小さくスタイルも良いのに、猿之助のお梶から滲み出る魅力といったら!この場面、圧倒的に「美しい」のは猿之助でした。煙管をのむ指の色っぽさ、団扇を仰ぐ姿のたおやかさ、最後の花道で水を払うときの凛とした華やかさまで(手拭いの端を口に咥える色気がまた凄まじく・・・)、とにかくひとつひとつの仕草が美しく、魅せる魅せる。「姐御!」って呼びたくなりました。猿之助のこういう女形、もっともっと観たいなぁ。
もっとも、壱太郎が明らかに見劣りしていたかというと、決してそんなことはなく。それは外見だけに頼らない彼の芸の確かさ故で、今の年齢でこの猿之助とバランスを保てただけで、すごいことだと思います。本当に今後が楽しみ。
ちなみに『夏祭浪花鑑』にある「むさい團七→カッコいい團七」の見せ場は、今回はありませんでした。最初からカッコイイお梶さん。出の場面の夏の着物が涼しげで素敵だった

竹三郎さんのおとら。
「待っってました!」の大向うに、思わずホロリ。。。
竹三郎さん、雰囲気のある役者さんですねぇ。
最初に姫君の乳母として登場→正体現わしの差が、よかったな~(ザ・黙阿弥)
おとらのお供が薪車さんだったのも、観ていてほっこりしました。
この義平次婆さん、もちろん嫌味は嫌味なのですが、お梶は決して憎くて殺そうとしたわけではないのですよね。辛抱できずに刀に手をかけたら図らず傷をつけてしまい、「親殺し」と叫ぶおとらをもう殺すしかなくなっただけで。この「仕方なかった」自然さは、前回観た3月の『夏祭』より今回のお二人の方がわかりやすかった気がします。唐突感が否めないのは毎度のことですが^^;

もっとも今回の舞台を観て、3月の海老蔵もあれはあれで良かったのだな、と改めて感じることができました。
荒削りではありましたが、海老蔵にしか出せない空気があったのだなと。
猿之助が猿之助にしか出せない空気を持っているように。
どちらもまったく違う個性で、案外歌舞伎の未来は明るいかも!と思えました。

今回の部では、松之助さんの佐賀右衛門にプロンプが2回入ったのが、少々残念でした(四谷怪談の喜兵衛は安心の出来でしたが)。
でもプロンプを見たのは実はこれが初めてだったので、そういう意味では楽しかったです。これか!と、笑。


【東海道四谷怪談】

この暗さ、この深み、この美しさ。これぞ歌舞伎、これぞ南北の四谷怪談。
こういうことは本当に言いたくはないのだけれど・・・・・・、先月観た花形歌舞伎と同じ演目だとは思えない迫力でした。

幕が開くと、伊右衛門の家。伊右衛門が傘張りをしています。
このときの拍手の変化が面白かった。
(幕が開く)パチパチパチ→(客が舞台上のニザさんを認識)パチパチパチパチ!!!
上方の現役アイドル、69歳。
みんな、ニザさんが大好き

しかしこの客席効果を横に置いても、仁左衛門さんってもう異星人のように一人だけオーラが違いますね。
あまりのオーラに正直最初は「伊右衛門にしては貫録ありすぎじゃ?」と感じましたが、ものの1分でそんな思いは消えました。
この凄み、この色気、このぞくっとする冷たさ、そして容易く女を落とせる甘さ。はじめて「色悪」という言葉が心底理解できました。
そして、過去に2回のみ、それも30年間演じていないとは信じ難いほど完成度の高い役の作り込み。最初から最後まで伊右衛門のキャラクターが一貫していて、矛盾がないのです。
隣の部屋から聞こえてくる赤ん坊の泣き声に鬱陶しそうに顔を顰める様子。この僅かな表情だけで伊右衛門という男の性格がよくわかる。
お梅を貰い受けることに決めるときも、「師直に推挙してもらおう」という計算がはっきりと目の表情に出ているので、伊右衛門の内面がとてもわかりやすかったです。
岩の顔が変わった後は、染五郎は岩の崩れた顔を見る度に大袈裟に驚いて客席の笑いをとっていましたが、仁左衛門さんは「嫌なものを見ちまった」という風に僅かに顔を歪める不快そうな感じが、リアルですごくよかった。
「首が飛んでも動いてみせるわ」の台詞も、この伊右衛門が言うと全く自然。
はじめて伊右衛門という人間が、すっきりと腹に落ちた気がしました。

以下、不純な感想。
(お初な)お梅ちゃんとの床入り。お布団の上で俯いて座り込むお梅ちゃん(実は竹さんだけど)に後ろから「恥ずかしくとも顔を上げよ」って、仁左さん、エロすぎ。ヤバすぎ。最高。
お梅ちゃん@隼人くん19歳と、お岩さん@竹三郎さん81歳という驚くべき守備範囲の広さに全く不自然さを感じさせない、色男伊右衛門@仁左さま69歳。甘い声と低い声の使い分けが最高すぎる。
この前の花嫁一行が花道から現れる輿入れの光景がぞくりとする美しさだったのですが、それはこの仁左衛門さんの持つ凄み故だと思います。
キセルの吸い方もいちいちエロすぎて、もうどうしようかと・・・。
黒白の格子模様の着流しと黒無地の紋付も、色っぽくてとてもお似合いでした。

隠亡堀の場で直助と別れてから釣り具を持って歩み去るときに小箱が派手に落ちたのはハプニングだと思いますが、このときの仁左衛門さんも上手かったなぁ。今でもハプニングだったのか自信がもてないくらい自然に悠々と拾われていて、不安感が皆無(一緒に行った友人はハプニングだと気付いていませんでした)。
その後に花道に出て上手から戸板が流れてくるところで「誰だ、俺の名を呼ぶのは誰だ」と言うところも、今思い出しても背筋がざわっとする暗い陰を感じさせて、素晴らしかったです。

こんな最高級レベルの伊右衛門は、全国の歌舞伎ファンのために、歌舞伎の未来のために、ぜひとも本公演でも演じるべき。それは仁左衛門さんの歌舞伎役者としての責務でもあると思う。
それくらい魅力のある伊右衛門でした。
それに誰より仁左衛門さんご自身がそれはノリノリで演じられていた、ように見えましたです。


竹三郎さんのお岩。
こういうお岩が見たかった!というお岩を見せてくださいました。
赤ん坊をあやしているところ、ご年齢からすればひ孫に見えてもなんら不思議はないのに、ちゃんと母親に見えるのがすごい。仁左衛門さんとも、違和感なく夫婦に見えました。
武家の女の凛とした雰囲気は菊之助と同じですが、違うのはお岩の“悲しみ”が胸が苦しくなるほど伝わってくること。
赤ん坊に対する思い、伊右衛門に対する思い、自分を陥れた伊藤家に対する思い(「両手をついて礼をした自分が恥ずかしい」と言うところ、すごく真に迫っていました)――。それらの情は強いのに、彼女自身はあくまで目立たず控えめで(薬を飲む場面もあくまで自然)、だからこそ際立つ女の悲しみ。
髪梳きの場面で恨みが“爆発”して人間ではなくなった菊之助と異なり、この岩は愛する伊右衛門に裏切られた深い悲しみや恨みがじわじわと彼女の中で“怨念”という形になり、幽霊となったように見えました。
こういうお岩さん、また見たいなぁ。
仁左衛門さんとともに、とてもいい伊右衛門&お岩でした。

そうそう。壱太郎の小平も、とても良かったです。美しさも声の良さも菊之助の小平と似ていましたが、菊之助よりも下男らしさが出ていて良かった(でも菊ちゃんは与茂七が絶品でしたから♪)。

橘太郎さんの宅悦。笑いに頼らない、気負いのない自然な演技が良かったです。
橘太郎さんに限らず、今回の舞台は『夏姿~』も『四谷怪談』も、安易に笑いに走らなかったところが、非常に好感を持てました。
先月の四谷怪談でも澤瀉屋の舞台でも感じたことですが、笑いをとれば簡単に客席を沸かせることができて役者さんは楽かもしれませんが、決してそれが「良い舞台」に結びつくわけではありません。
真に素晴らしい演技であれば、質の高い舞台であれば、客はたとえ一度も笑わなくてもちゃんと心底満足して「楽しかった!」と劇場を出るのです。
その力の入れどころを、もう一度役者さん達は考え直していただきたいと心から思います。
初心者なのにエラそうにすみません。でも常日頃、安易に笑いをとろうとする演出にも、笑わないと損とばかりにすぐに笑う客にも感じていたことなので、書きました。私がいつか歌舞伎から離れることがあるとすればそれが理由だろうな、と思っているので。。
そういう意味でも、笑うところは笑わせ、泣かせるところは泣かせ、品と情の溢れる素晴らしい舞台を観せてくださった竹三郎さんに、心底感謝しています。

そしてラスト。
だんまりで幕切れって(いくら照明がぱっと明るくなるとはいえ)難しいのではないかなと思っていましたが、そこは皆さんさすがの上手さで、見事な幕切れでした。ここでも仁左衛門さんの魅せ方が素晴らしく、この地味な場面を華やかな幕切れに持って行けたのは、あの仁左衛門さんあってこそだと思います。


幕切れ後は、鳴り止まない拍手に竹三郎さんが与茂七姿でご登場。
出演を快く受けてくれた仁左衛門さん&猿之助他の役者さん達への御礼とお客様への御礼。涙声での「生きててよかった」という言葉に、竹三郎さんがそういう気持ちになってくれてよかったと、こちらも感じました。
この部では最前列に竹三郎さんの同級生の方々が座られていたので、それについても触れられ、「皆さんいつまでも元気でいてください」で満場の拍手^^
そして、「命の続く限り歌舞伎に貢献していきたいと思っています。どうかこれからも歌舞伎を愛してください」は、これまでに幾度となく聞いた「歌舞伎をよろしく」の中で、一番泣きました。。。竹三郎さんも泣いてるし、周りのお客さんも泣いてるし。。。
「(歌舞伎に)東京も大阪もありません」ってはっきりと言ってくれたのも、なんか嬉しかったなぁ。考えてみれば猿之助も東京人ですしね。
竹三郎さんのご挨拶後にしつこく拍手をして仁左衛門さん達の出をせがむような客がいなかったのも、素晴らしかったです。これは「竹三郎さんの会」ですものね。みなさん、わかっていらっしゃるなぁ。
もっとも、この日の夜の部の最後のカーテンコールでは仁左衛門さんや猿之助が登場して、竹三郎さんに花束を贈られたのだとか。いいなぁ、観たかったなぁとも思いましたが、最後に仁左衛門さんの音頭で全員で手締めをされたそうで、よく考えてみたら私は大阪締めに全く不慣れなので、もしその場にいたら最後の最後で一人だけ参加できず疎外感を感じてしまったと思うので(一緒に行った友人も生粋の関西人でしたし)、やっぱり昼の部で良かったかも・・・です^^;

というわけで。
ずっと三階席か一階席か迷っていた10月の歌舞伎座の夜の部『すし屋』ですが、こんな舞台を観てしまっては、一階席を買うしかないですね。
歌舞伎座は客層がアレなのが気になりますが、まあ今回のお客さん達が特別だったのですから、そこは諦めます。。。

「上方歌舞伎の火を消すまいとやってきた。年齢のこともあり今回が集大成。命がけでやります」と意気込みを語った。市川猿之助(37)も出演して花を添える。竹三郎は「猿之助は私のことを『竹バァ』と呼んで。でもかわいいんですよ」とニッコリ。
デイリー「坂東竹三郎 傘寿公演を8月に大阪で」





綺麗で、和の雰囲気の素敵な劇場でした。


帰りの新幹線のお供は、もちろん伊右衛門♪
筋書は来場者全員に無料で配られました。



※『演劇界』2013年11月号の感想

《インタビュー》
・坂東竹三郎 「竹三郎が自主公演「坂東竹三郎の会」を語る」

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『華麗なるギャツビー』

2013-08-07 00:01:56 | 映画




3Dではなく、2Dでの鑑賞。
バズ・ラーマン監督独特の目にも耳にも全く優しくない映像から、あの時代の“狂騒”を嫌になるほど感じることができました。
これ、褒め言葉ですよ。
ド派手で五月蠅い映像とニック&ギャツビー以外の軽薄な人間模様に観ているこちらが「いい加減うんざり!」となった頃にニックの「I've had enough!」(もうたくさんだ!)の台詞がくるので、ひどくニックに共感してしまうのです。決して狙ったものではないと思いますが。
もしかしたらレッドフォード版のような正統的な映像より、こういう映像の方がフィッツジェラルドの世界観には合っているのかも、とさえ思ってしまいました。それくらい、イライラした、笑。繰り返しますが、褒め言葉です。

さて、ディカプリオのギャツビー。
登場シーンの「全世界へ向けた微笑み」の演出。ここは笑うシーンか?と思ってしまった。。。あれはないよなぁ。。。
と、ちょっとどうなのかね?な部分もありましたが、レオ様はやっぱり魅せてくれますねぇ。
夜の庭のシーン、美しくてよかったなぁ。絶対に喜ぶだろうと思ってニックに裏の金の儲け話をもちかけて、きっぱりと「自分は好意(favor)でやっているだけだ」と言われたときのギャツビーの驚きと、嬉しそうな顔!こういう純粋で繊細な表情が本当に上手いですねぇ、レオは。

トビー・マグワイアのニック。
素晴らしくイメージどおりでした。
この映画の一番の見どころですよ。
ていうか、トビ―って私より年上なのね。本当に童顔だなぁ、このヒト。
ただ、これもトビ―が悪いわけではありませんが、現在のニックがアル中と不眠症で病院にかかっているという設定はいかがなものかと。原作で中西部に帰るときのニックは、確かに傷ついても疲れ切ってもいますが、それでも彼なりのきっぱりとした心の区切りもついているように思うのです。自分の価値観に対する自信といいますか、ギャツビーに「君だけが価値がある」という最大級の賛辞を送ったそんな自分に対する確固たる自負を持っていると思うのですよ。だからこそ、最後にトムと握手を交わすこともできたのだと思います。そしてそういうニックなら、中西部に帰った後も大きく精神のバランスを崩すようなことはないでしょう。原作の握手シーンをまるごとカットしてまでこういう設定にした監督の意図が分かりかねます。

キャリー・マリガンのデイジーとエリザベス・デビッキのジョーダンは、イメージどおりでした。
ニックとジョーダンの関係は、原作よりあっさりめですね。もうちょい深くした方が、最後に“ジョーダンも含めた”東部社会全体に対して向けられるニックの心情が引き立つと思うのだけれど。

ジョエル・エドガートンのトムは、ちょっと違うんじゃないかと。。トムって、もっと知的なイメージです。一応イェール大学でニックと同窓だったのですから。でも映画のトムは、脳みそまで筋肉でできてるみたい。。

まあ色々言いたいことはありますが、私は好きです、この映画。
なにより原作で一番好きなギャツビーとニックの別れの場面を非常に美しく映像化してくれたので、この場面のためだけでももう一度映画館に行きたいくらい。
とにかく映像がDVDではなくスクリーン向きなので、ご興味のある方はぜひ映画館で観られることをオススメします。
もっとも、3Dでなくても、2Dで十分だと思います。その方がストーリーに集中できますし、2Dでも十分に迫力ある映像を楽しめましたから。

※村上春樹訳についての感想はこちら

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