風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

2019年の大晦日に ~筑紫哲也さん 最後の多事争論

2019-12-31 13:24:48 | テレビ

自分のブログを振り返っていたらこんな動画が出てきたので。
2015年の正月にあげた記事より。
なぜか私はいつも5年おきくらいに筑紫さんの記事をあげているのだな。
筑紫さんが亡くなってもう11年が過ぎたんですね。
でも、まだ11年なのか、という感覚の方が強いです。
たった11年で日本も国民もメディアも随分変わってしまったような気がする。
と後ろ向きなことばかり言っていたら筑紫さんに怒られてしまいますね。

「論」も愉し

近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。
その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。
そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、
失なわれるのは自由の気風。
そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。
二〇〇八年夏 筑紫哲也

(Web多事争論 公開に寄せて)

最後の多事争論(2008年7月5日)



先日の谷川俊太郎さんの『みみをすます』(1982年初出)のなかの下記の部分にも通じるものがあると思います。

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

2020年がよい年になりますように!

私は今から年末大掃除をします(今から?)

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地球交響曲第九番プロジェクト ベートーヴェン第九演奏会 @サントリーホール(12月25日)

2019-12-30 16:04:09 | クラシック音楽


いよいよベートーヴェン・イヤーが始まりますね

今年のクリスマスは、サントリーホールへ第九の演奏会に行ってきました。
龍村仁監督の地球交響曲第九番の公開収録をかねた、小林研一郎さんの指揮による特別演奏会です。
龍村監督のお姿を拝見するのは、パシフィコ横浜にダライ・ラマ法王がいらしたとき以来なので、2016年11月以来3年ぶり。あのときの法王、話の途中で突然子供のようにててててっとステージ端へ行かれるからどうしたのかと思ったら、ちょうど最前列の端の席に着かれたばかりの龍村監督のお姿が。パシフィコ大ホールの五千人の聴衆を放って無邪気に監督に話しかけている法王(笑)。やあ、と軽く手をあげて挨拶している監督。仲の良い友人同士みたいで(実際そうなのだと思いますが)、微笑ましい光景でした

今日の席は、1階後方のセンター。第一部の映像もよく見えて、これまでの出演者の方達も近くにおられて、いいお席でした。
今回のチケットは表だっての一般発売はされていなかったけれど、私のような龍村監督ルートの方とコバケンさんルートの方のどちらが多かったのかな?私の後ろの席の人は「去年明治神宮の喫煙所で監督とお話しして~」と仰っていて「サントリーホールは初めて」とも仰っていたからおそらく龍村監督ルート。隣の席の人はずっとコバケンさんの話題をされていたので、コバケンさんルート。半々くらいだったのかな。

【第一部】
まず最初に地球交響曲のナレーションをされている榎木孝明さんが監督とトーク。榎木さんがぜひ改めて聞いていただきたいとのことで、「かつて人が、花や樹や鳥たちと~」のフレーズの朗読も(生ナレーション)。
今日のプログラムについては第九の演奏以外の情報は知らなかったのですが、榎木さんはきっといらっしゃるだろうなと思っていました。これまでの龍村監督関係のイベントに、いつもいらしていたので。砂曼荼羅のときは気付くと隣にいらして一緒に曼荼羅を覗きこまれていたりと、芸能人ぽくない行動の榎木さん。全曲上映会の明治神宮でもロビーのベンチでパンを食べていたら近くにいらっしゃったので「あ、榎木孝明だ」と見ていたら目が合ってしまい、困ってペコリと頭を下げたら「知り合いだっけ?」と不思議そうな顔をされてしまった。いやあなたは芸能人なんですから見られることに慣れてくださいと思ったけど、監督関係の集まりのときはそういう意識がないのかも。その後同じく明治神宮で休憩時間に誰もいない冬の庭でぽけーっと一人で空を眺めていたら、あちらから監督が歩いてこられるじゃないですか。私は一体どういう反応をすればと小心者ゆえ内心慌てていたら、すれ違いざまに監督の方からニコッと爽やかに笑いかけてくださったのでありました。ああ監督、大好き

続いて、今日客席に来られているこれまで出演された一部の方達(中嶋朋子さん、高野孝子さん、名嘉睦稔さん、雲龍さん、中澤宗幸ご夫妻、奈良裕之さん、星野直子さんなど)が名前を呼ばれ席を立たれて紹介。これまでの上映会などでお目にかかったことがある方が殆どだけれど、星野直子さんは今日初めてお会いしました。星野道夫さんは監督と同じくらいに私にとって特別な方なので、感慨深かったです。
先日急死された木内みどりさんからも出席のご返事をいただいていたそうで、「木内さ~ん。どこにいるの~?立って~!」と監督。「木内さんもこの会場にいらっしゃってると思います」と榎木さん。
ダライ・ラマ法王もいらしたりして、なんて来る前は思ったりしたが、さすがになかった(そりゃそうだ)。これまで行ったあらゆる会場の中で突出して警備が厳しかったのが法王の法話のときだったものな(法王ご自身はいつもの子供のような雰囲気だったけど、会場警備は天皇陛下の100倍くらい厳重だった)。

そして榎木さんのお話で、今日の撮影が第九番のクランクアップであることを知る。
そうだったのか・・・。今日撮影が入ることは知っていたけれど、それがクランクアップだとは思っていませんでした。

それから、これまでの地球交響曲全曲の30分間のダイジェスト映像の上映。
今日ダイジェスト映像の上映があるなんて知らなかったから、とても嬉しい。
ステージから去り際に「短いから(我慢して)!」と監督(笑)。
そして私はといえば、スーザン・オズボーンの『浜辺の歌』が流れ出した途端にもう涙が溢れ出そうに・・・。
音楽の力って本当にすごくて、色んなことが蘇ってきて。
15歳のときの、NTTデータスペシャル『宇宙からの贈りもの』での龍村監督との最初の出会い。その3年後の『未来からの贈りもの』で星野さんに出会って。あの頃星野さんはまだお元気でアラスカにいらっしゃって、私は星野さんの写真集やエッセイをお守りのようにしていた。いつか星野さんに会いに行こう!と10代の私は本気で思ったりしていて(アラスカ一人旅は28歳のときに夢を叶えました)。その本の中に登場されていた奥様が、いますぐ近くの席に座っていらして、地球交響曲の映像を一緒に観ている・・・。
星野さんや木内さんだけでなく、ジャック・マイヨールさんも、佐藤初女さんも亡くなられて。
この27年が長い夢のように感じられる。

以前もここに書きましたが、龍村監督作品との出会いは、私にとって「こんな考え方があったとは」というものではなかったんです。物心ついた頃に(3~4歳の頃の記憶では)既にその感覚は私の中にあって、でも私の周囲の親や友人達にはそういうものを感じていそうな人はいなくて、ずっと一人でその感覚と一緒に生きてきて、世界でこんなことを感じている人間は自分一人なのではないかと諦めかけていた10代半ばの頃、龍村監督や谷川俊太郎さんの作品に出会って、「仲間に出会えた。自分は一人じゃなかったんだ」とほっとしたんです。だから龍村監督が仰ってくださった「魂の友」という言葉は、私にとってはどんな言葉よりも自然な言葉でした。
今日久しぶりに観て、やっぱりいいな、地球交響曲。
演出はしっかりなされているのに、龍村監督の作品からはこの手の作品にありがちなあざとさのようなものを感じないんですよね。あるいは嫌なあざとさじゃないというか。初女さんが「この笊をこう置いて撮ると効果的じゃないかしら?」とか積極的に提案されていたという裏話を以前アフタートークで聞いたことがあるけど(笑)、この方達の場合、そういう現実的なところも素敵だと思える。
ダイジェストの最後では、撮影済みの第九番の一部映像も上映。
そして、監督が再び拍手で呼びだされて、階段のないところから舞台によじ登り挨拶(笑)

(休憩)

【第二部】
“炎のコバケン”ことマエストロ・小林研一郎は、スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じて社会参加を応援するという「スペシャルオリンピックス(SO)」の趣旨に賛同し、2005年3月、SO冬季世界大会・長野の公式文化事業の一つとして白馬村でコンサートを開催しました。
「コバケンとその仲間たちオーケストラ」は、このコンサートを機に設立されました。プロ・アマ・障がいの有無を問わず、活動趣旨に賛同する不特定多数の演奏家たちとそれを支えるスタッフで構成され、知的障がいのある方々も招待し、「支え合い、共に生きる」ことで大きなエネルギーが生まれることをオーケストラという集合体で具現化することを目指して活動をしています。
(「コバケンとその仲間たちオーケストラ」とは)

第二部はオーケストラによる演奏会。私が唯一この曲を生で聴いたことがあったのが世界一の弦と言われるイスラエルフィルだったこともあり、今回のオケの音に慣れるまでに少々時間がかかってしまったのだけれど、第三楽章、あの”愛”を歌うメロディが流れてきたところで不意に「あ。あと少しで30年近く続いてきた地球交響曲の撮影が終わるんだ」ということを強く感じ、その音楽とともに胸が締め付けられる想いに。
音楽は時間である、と。そして時間は前へ前へと進むのだな、と。必ず終わりがくるのだな、と。どんなに寂しくても、音楽はとまらずに奏でられてゆく。

自分で最後を決められた人とそうでない人、どちらが幸せなのだろう。
前回この一階席に座って聴いたのがヤンソンスさんの最後の来日のときだったから、やはりヤンソンスさんのことを思い出してしまう。でもヤンソンスさんはいつが最後になってもおかしくないと意識して生きてこられた(意識せざるをえなかった)方でもあって。ハイティンクさんは自分の最後の演奏会を自分で決めた人で、今年9月に予定どおりにそれを終えた。龍村監督も、この第九番を最終章にすると決めていらっしゃる。
いずれにしても、自分で決めても決めなくても、どんな人も物も、永遠に続くものなどない。終わりは必ず来るんだ…。

でも――。
「終わり」とはなんだろう?
続いて演奏された第四楽章を聴きながら思う。

「ガイアシンフォニーはなぜ、こんなに長く続くことができたのですか?」
私がよく受ける質問である。その理由は私にははっきりしている。
人間なら誰しも持つであろう「喜び、哀しみ、怒り、寂しさ」という感情や、必ず起きる「誕生、不自由さ、死」という出来事を、「地球はひとつの生命体である」という根底に流れるテーマのもと、多様な出演者を通して、映像と音楽と言葉で構造化したのがガイアシンフォニーである。スクリーンの中の出演者たちの心の動きに共感しつつ、観客一人一人の感性が開かれ、自分の中に眠っている「自分という生命体はすべてのものに生かされているのだ」という体感が呼び起こされてくる。(中略)人間の身体は、もともとすべての自然、すべての生命とつながったものだ。”私”はもともと”我々”だったのだ。
(龍村 仁。公演プログラムより)

"私"というものの終わりは必ずくるけれど、”私達”が消えるわけではない。
その”私”と”私達”の境界の曖昧さ、全てのものは繋がり、生と死は同義であり、終わりと始まりは同義であるという感覚は、ベジャールの第九から受けたものと同じで。
ダライ・ラマ法王も「死とは何か」という質問に、同じように仰っていて。
地球交響曲の第一番で描かれていたケルトの文化も。
そして私が子供の頃から肌で感じてきたものも、みんな同じ。

地球交響曲集大成となる「第九番」に流れるテーマは、人間たちのシンフォニーです。
ベートーヴェンの「第九」で歌われるシラーの詩のなかに
「すべての世界の人々は兄弟になる。そういう優しい世界、素晴らしい世界が来る。戦争が起こって、人々と人々の心が、諍いのなかで苦しみのなかにいても、それを神の力はいつの間にか優しく結び合わせる」という意味の部分があります。
「それはいつのまにか、みんなの努力によって元に戻るのだよ。
だから我々はつねにひたむきに生きるということを止めてはならない」
(地球交響曲第九番製作に向けて)


第四楽章の最後に繰り返される合唱。
それはベートーヴェンの最後のメッセージであり、龍村監督の最後のメッセージ。
でもそれは”最後”ではなく、私達全ての中でこれからも生き続けるものなのだと。

第四楽章のオケと合唱のハーモニーと熱量、素晴らしかった。
今回、合唱団も一般からの募集でした。ベジャールの第九でも、様々な人種やバックグラウンドの人達が参加していたのを思い出します。この第九の音楽にはそんなあらゆる異なったものを全て受け入れてしまう大きさがあることを改めて思い知らされる。最初は気になったオケの音も、最後には全く気にならなくなり、というよりもこれでなければならないのだ、とまで感じてしまっていました。そんな音楽を作り出してくださったのは、コバケンさん。
そして演奏後のコバケンさんのオケや合唱団やソリスト達への感謝の表現が半端ない(笑)。各楽章の間にも毎回オケに頭を下げていらしたし。お隣の方が「コバケンはこういうのが好きだからなあ」と笑っていた。”炎のコバケン”、その音楽とともにたっぷり体感させていただきました。ブラボー!
そんなコバケンさん、舞台袖に何度も誰かを呼びに行くけど、応答がないようで。そして客席に向かって「監督をお呼びしたいんですが、舞台袖にはいらっしゃらないみたいで。龍村監督~~~!!!客席にいらっしゃいますか~~~???」。
客席にいらっしゃった監督、再び階段のない場所からステージにずり上げられる(今度はコバケンさんのサポートで)笑。

コバケンさん:今日は龍村監督のおかげで特別な空気の演奏会をさせていただくことができました。ベートーヴェンの作品はもちろん素晴らしいのだけれど、ベートーヴェンの音楽にある”それを超えた何か”を演奏会で出せるかどうかは別のことで。今日は仲間たちオーケストラが本当に献身的に演奏してくれて、合唱も献身的で、そういう特別な演奏ができた。なので、(監督に向かって身体を下げて)いい映画が撮れたのではないかと思います(笑)

龍村監督:(客席に向かって)すべてここにいる、この地球交響曲を支えてくださった皆様のおかげです。ありがとう。

それは私達の言葉です。地球交響曲という作品をこの世界に生み出してくださった監督に、誰もが「ありがとう」と思っているはずですよ。
そしていっぱいの拍手に送られてコバケンさんと退場しながら、コバケンさんとご自分を指さされて「同い年!」と

撮影は終わったけれど、第九番の製作はまだまだ続きます。
どうかどうかお元気でご無事で、第九番が出来上がりますように。
完成を楽しみにしています。

【楽団】コバケンとその仲間たちオーケストラ

【出演】生野 やよい(ソプラノ)
    山下 牧子(メゾソプラノ)
    笛田 博昭(テノール)
    寺田 功治(バリトン)
【合唱】コバケンと歌う「第九」合唱団

©龍村ゆかり
階段のないところからよじ登る監督

©龍村ゆかり
監督を呼びに行く?炎のマエストロ

以下は、私が撮った写真です。
クリスマスの装いのサントリーホールとその周辺















メリークリスマス、シャンシャン
相変わらずのおっきいぬいぐるみ感


世界一可愛いほっぺ、世界一可愛い内股


おやすみシャン
ライブカメラは終わっちゃったけど、一年後に中国に還るまでいっぱい会いにくるからね


子供のような無邪気な寝顔で爆睡中のシンシン


眠ってしまった妻&娘の分もしっかり営業してくれる、上野家の大黒柱リーリー
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谷川俊太郎 『わたし』

2019-12-29 13:45:29 | 
『わたし』

わたしがはじまったのは
いつ?
ハハがみごもったとき?
 
それからずっとつづいているわたしは
だれ?
それともなに?
 
わたしはだいたい まいあさわたし
でもときどきだれでもなくなる
なにでもなくなる
 
わたしがおしまいになるのは
いつ?

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谷川俊太郎 『あったことのないきみ』

2019-12-29 13:33:32 | 



『あったことのないきみ』

どこかがいこくのいなかまち
りょうがわに にたようないえがつづいているみち
そこにおとこのこがひとりたってる
それはあったことのないきみ

いえにはハハとチチがいるけれど
いまはそのみちのうえでひとりぼっち
わきにいっさつのほんをかかえて
あったことのないきみは まるでぼくのようだ

きみはどこへもいきたくないとおもっている
いつまでもここにいたいとおもっている
しぬまでいまのじぶんでいたいとおもっている
あしもとでこいぬがしっぽをふってる

いつかよんだ ものがたりのなかのきみ
きみはもうおとなになっておじいさんになって
もしかするともうしんでいる それなのに
いつまでもいつまでもきみは ぼくのようだ

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対談と詩と音楽の夕べ「みみをすます」2 @TOKYO FM HALL(11月29日)

2019-12-27 02:39:53 | 

第二部(20:05~20:50) ※第一部についてはこちら

15分間の休憩を挟んで、第二部は谷川さんの息子さんの賢作さん(作曲家/ジャズピアニスト)によるコンサート。
以前谷山浩子さんが猫森集会で鉄腕アトムの主題歌(作詞は谷川さん)を歌われたときに「谷川さんの息子さんによるジャズアレンジがものすごく難しいんですっ」と仰っていましたが、賢作さんのことですネ。ちなみに賢作さんは有名どころではNHK「そのとき歴史が動いた」のテーマ曲などを作曲されています。
それにしても賢作さん、写真ではそう感じたことはなかったけれど、実際にお会いするとお父さまによく似ていらっしゃる
谷川さんのご結婚歴を思うと賢作さんの心に波風が立ったことが一度もなかったとは考え難いけれど(賢作さんは谷川さんの2番目の奥様との間の息子さん)、お二人の間のエピソードで私がとても好きなものがあるんです。谷川さんのお父様は谷川さんが大人になっても詩だけで食べていけなかった頃に文句を言わず生活費を援助してくださったそうで、だから音楽という難しい道を選んだ賢作さんに谷川さんも「お前が90になるまでは僕が面倒をみるから(だからお金の心配はしなくていい)」と言ったら、「その頃あんたはもういないでしょ」と返された、と笑。谷川さんは夫婦の関係では色々あったかもしれないけど、きっとお子さん達に対しては愛情を惜しみなく注いで育ててこられたのではないかなと、それがお子さん達にちゃんと伝わっているのだろうなと、賢作さんを見ていてそう感じました。
前置きが長くなってしまいましたが、第二部はまず賢作さんがお一人でステージにご登場。

賢:すぐ息子が出てくると皆さん思っていらっしゃると思いますが、今日はASKAや〇〇や中島みゆきにコンペで勝ってここにいるんですからね!・・・・・冗談ですよ、2~3人は信じる方がいるので。今日はDiVaで出る予定だったんですけど、ヴォーカルのまこりんが松本で舞台に出演していて来られないので、僕だけでもいいかな~と(笑)。せっかく僕だけなので、後でまた主役にも登場してもらおうと思います。

谷川さんの詩『泣いているきみ』を賢作さんが朗読。
※谷川さんは「本を丸々一冊ネットに載せるとかでなければ詩の著作権は気にしない」とご自身の本の中で仰ってくださっているので、お言葉に甘えさせていただきます…。

『泣いているきみ 少年9』

泣いているきみのとなりに座って
ぼくはきみの胸の中の草原を想う
ぼくが行ったことのないそこで
きみは広い広い空にむかって歌っている

泣いているきみが好きだ
笑っているきみと同じくらい
哀しみはいつもどこにでもあって
それはいつか必ず歓びへと溶けていく

泣いているわけをぼくは訊ねない
たとえそれがぼくのせいだとしても
いまきみはぼくの手のとどかないところで
世界に抱きしめられている

きみの涙のひとしずくのうちに
あらゆる時代のあらゆる人々がいて
ぼくは彼らにむかって言うだろう
泣いているきみが好きだと

続いて、賢作さん作曲の『We know we forget almost everything but still we remember something』の演奏。
賢:中学英語ですね。僕たちは殆ど全てを忘れてしまうけれど、それでも覚えているものがある

続いて、谷川さんの詩『愛のあと』を朗読(たしか…)、演奏(作曲は賢作さん)。
同じく『かぼちゃ』『はくしゃくふじん』の歌、演奏。賢作さん、素晴らしい表現力
賢:こういう政治家いますよね~。っと今日はそういう話はしないのだった。

賢:尾崎真理子さんは僕と同学年で、父とは長い付き合いで本もよく読んでくださっているので僕もすごく安心なんですが、それでもまだ父に敬意を払いすぎているので、もっと突っ込んでヤツを活性化させた方が面白い話が聞けると思うんですけどね~。
賢:「音楽は意味がないから羨ましい」といつも言われるんですが、意味がない・・・ですかねえ?(納得しがたそうな賢作さん笑)

ここで背後から谷川さんご登場。
俊:朗読うまいじゃない!
賢:いえいえ。
俊:(席に着いて賢作さんを振り返って)僕の紙がないんだけど?
賢:(紙をもってきて)はい、どうぞ。 ※詩が書かれた紙のようです。

※これ以降、朗読と演奏とトークの順番に関して、まっっっったく記憶に自信がありません・・・。『おばあちゃんとひろこ』と『みみをすます』のどちらが先に朗読されたかでさえ(なんか逆のような気がしてきてる…)。この第二部は私の感情がいっぱいいっぱいで…。なので以下は順不同ということで。大枠では違っていない、と思う…。

賢:この前○○(※たぶん東松山市の美術館で行われていた「へいわとせんそう」展のことかと)に行ったときに、父は「今日は沢山エネルギーをためてきたんだ」って言っていて、とても鋭い朗読を聞かせてくれたんですけど。(谷川さんに向かって)覚えてる?忘却しちゃったね。それで先週は神奈川学園っていう中高一貫の女子校で一緒にミニコンサートをして。
俊:それは覚えてる!
賢:覚えてるよね。(コントか笑) 
賢:そのあと横浜中華街で食事をしたんですけど、疲れちゃって途中で具合が悪くなって動けなくなっちゃったんだよね。
俊:うん。
賢:どこに行っても「お父さんお元気ですね!」と言われるんですけど、僕から見てると、人ってこうして歳をとっていくのかというのを感じます。
俊:僕ももっとちゃんと父親を見ておけばよかったな。
賢:ちゃんと見てたじゃない。
俊:見てなかったよ。細かいところは全然。
賢:あの頃は佐野洋子との恋愛に夢中だったから(笑)?
俊:なんでその話になるの(苦笑)!?今日はそういう話をするんじゃないでしょう?国際交流基金だよ!?(会場笑)

俊:ひろこという女の子とおばあちゃんの詩があって。聴いてください。

『おばあちゃんとひろこ』

しんだらもうどこにもいかない
いつもひろこのそばにいるよ
と おばあちゃんはいいました
しんだらもうこしもいたくないし
めだっていまよりよくみえる

やめてよえんぎでもない
と おかあさんがいいました
こどもがこわがりますよ
と おとうさんがいいました
でもわたしはこわくありません

わたしはおばあちゃんがだいすき
そらやくもやおひさまとおなじくらい
おばあちゃん てんごくにいかないで
しんでもこのうちにいて
ときどきわたしのゆめにでてきて

おっけーとおばあちゃんはいいました
そしてわたしとゆびきりしました
きょうはすごくいいてんき
とおくにうみがきらきらかがやいて
わたしはおばあちゃんがだいすき

谷川さんの「おっけー」の言い方がすごく可愛い
でも私、谷川さんのこの詩を知らなくて、この夜に初めて知ったんですが、これ、やばいでしょう・・・・・。泣くしかないでしょう・・・・・。谷川さんって決して大仰に声を張り上げたりはしないんです。終始静かに朗読をされる。なのに、とても温かいの。

俊:今日のタイトルにもなっている『みみをすます』という詩ですが、「耳を澄ます」というのは英語に訳すことができない言葉なんです。「耳をそばだてる」とかそういうのはあるんですけど。だから英訳ではただ「listening」となっています。河合隼雄さんがこの詩をとても気に入ってくれて、朗読者第一号として認定証を発行してほしいと頼まれたので発行してあげました。でもあの方が読むとイントネーションが「みみをすます ̄_ _ _ ̄  ̄」となるので、東京人の僕には違和感があったんですけど(笑)。

谷川さんによる『みみをすます』の朗読。
この朗読、予想を超えてものすごかった・・・・・。繰り返しますが、谷川さんの朗読って、決して大袈裟に感情を歌い上げたりはしないんです。でも谷川さんが朗読をすると、その詩の世界がそのままの裸の姿でこちらに届く。全ての言葉が音ではなく「世界」として届くんです。ぶつかってくるといった方がいいくらいの威力で。
この詩もその静かな口調に最初のうちはニュートラルな心持ちで聴いていると、次第にぞわぞわとただらなぬ気配になってきて(といっても谷川さんはあくまで静かに朗読されている)、このあたり↓にくると、「これ・・・・やばい・・・」と気づき始め。

みみをすます
しんでゆくきょうりゅうの
うめきに
みみをすます
かみなりにうたれ
もえあがるきの
さけびに
なりやまぬ
しおざいに
おともなく
ふりつもる
プランクトンに
みみをすます
なにがだれを
よんでいるのか
じぶんの
うぶごえに
みみをすます

そしてこの辺り↓に至ると、知らぬ間に自分がとんでもないところに連れていかれていることを知り呆然となり、時間や空間の感覚がなくなってゆく(「じゅうまんねんまえ」以降の追い込みの物凄さよ・・・)。

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

みみをすます
じゅうねんまえの
むすめの
すすりなきに
みみをすます

みみをすます
ひゃくねんまえの
ひゃくしょうの

しゃっくりに
みみをすます

みみをすます
せんねんまえの
いざりの
いのりに
みみをすます

みみをすます
いちまんねんまえの
あかんぼの
あくびに
みみをすます

みみをすます
じゅうまんねんまえの
こじかのなきごえに
ひゃくまんねんまえの
しだのそよぎに
せんまんねんまえの
なだれに
いちおくねんまえの
ほしのささやきに
いっちょうねんまえの
うちゅうのとどろきに
みみをすます

ここで、すっと、この詩は再び私達がいる「いま、ここ」の時間、場所へと戻るのです。カメラのズームが一瞬で衛星映像から人の顔へと切り替わるように。でもそれらは「同じ世界」なんだ。

みみをすます
みちばたの
いしころに
みみをすます
かすかにうなる
コンピュータに
みみをすます
くちごもる
となりのひとに
みみをすます
どこかでギターのつまびき
どこかでさらがわれる
どこかであいうえお
ざわめきのそこの
いまに
みみをすます

みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます

はあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
もうほんと言葉がない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
90分間の交響曲を聴き終えたときのような、あるいは人間や宇宙の一生を描いた長編映画を観終えたときのような、そんな気分で体がぐったり。
そこにあるのはただ谷川さんの声と詩だけなのに、こんな時空の旅を体験させられるなんて。それもとっくの昔から知っていた詩で。改めて、なんというスケールの大きく、なんという優しい詩だろう。
今更な私が言うのもなんですが、もし谷川さんの詩がお好きでまだその朗読を生で聴いたことがない方がいるなら、絶対に絶対に機会を逃さずに聴いておいた方がいいですよ(youtubeじゃなくて生で聴いて下さい)。本当に。谷川さんの朗読でしか体験できない強烈な何かがそこにあるから。

賢:こういう後に歌うのって難しいんですよ。本当は何も歌いたくないんです。武満さんが『音、沈黙と測りあえるほどに』という本を書いていらっしゃったけど、ただ沈黙していたい。
賢:(時計を確認されて)ああ、あまりもう時間がないんですね。
俊:もうそんな時間?・・・ほんとだ。(この飄々とした言い方が可笑しくて、会場笑い)
賢:『みみをすます』を朗読させる時間を僕がちゃんと考えておかなきゃいけなかったんだけど。
俊:考えてなかったの(笑)?
賢:考えてましたよ。考えてましたけど、・・・ってこうやって話しちゃうからいけないんだな。

賢:今から歌うのは、国立第七小学校という学校の校歌と、そしてこれは滅多に歌わないんですが「よりあいの森」という福岡の宅老所のために書いた歌です。

『くにたちだいななしょうがっこう』
作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作

たびしてみたい いろんなところ 
はなしてみたい しらないひとと 
ちきゅうはとっても たのしいほしだ
まなぶ みとめる たすけあう
からだとこころ すこやかに
だいじにしよう たがいのきもち
まもっていこう みどりのこかげ
ちきゅうはとっても ゆたかなほしだ
うたう ゆめみる といかける
からだとこころ しなやかに
くにたちだいななしょうがっこう

『よりあいのうた』
作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作

おはよう ごはんはまだですか
そよかぜふいて ことりもないて
いまはむかしで むかしはいまで
てにてをとれば こころがかよう

こんちは おはなししませんか
うれしいときは なみだをこぼし
かなしいときは にこにこわらい
ここがごくらく えんまもいっしょ

おやすみ よぞらがすきとおる
このよでうたい あのよにあそび
こころのおくに ほしがまたたく
ゆめかうつつか よりあういのち

賢:(『よりあいのうた』のユーモアのある温かく優しい歌詞と賢作さんの歌声に大盛り上がりな会場に)今日一番拍手が多かったですね(笑)

※賢作さんがこれらの曲を歌っているとき、谷川さんはとても穏やかな嬉しそうな表情で聴いておられました。

俊: 最後にもう一篇。なんだか恥ずかしいんですけど・・・、『生きる』という詩を。 

恥ずかしいというのは、きっと朗読を頼まれる機会があまりに多い詩だからなのでしょうね
私ももちろんこの詩は知っていて、「最後はこれか。谷川さんの詩の中ではあまり好きな方の詩じゃないのだけどなあ。でも人気がある詩だし、しょうがないか」などと不遜なことを思っていたのだけれど。
まさかの。
谷川さんの朗読だとどうしてこんなに胸に迫ってくるのぉぉぉぉぉ
『みみをすます』のときと同じで(あちらは元々好きな詩だけど)、途中から「え・・・ちょ・・・なんかやばいかも・・・・・」となり。

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

ここで涙腺決壊・・・・・を必死に堪えました。でないと自分が声をあげて泣いてしまうことがわかったから。周りもみんな啜り泣いていた。
今夜のこれまでの流れと、友人のこと、祖父母や親のこと、震災や台風で亡くなられた人達のこと、それらが一気に浮かんでしまって。
しかもこのタイミングで賢作さんのピアノが入るんだけど、それがルイ・アームストロングの”What a Wonderful World”のアレンジという。こんなドストレートすぎる演出、普段の私だったらかえって醒めてしまい涙が引っ込む状況のはずなのに、目の前のお二人の姿を見て、聴いているともうダメ。朗読が終わってピアノの独奏だけが残って、それに静かに耳を傾けている谷川さんの表情はとても穏やかで優しくて・・・。
なんか谷川さん、先月からさらに透明度が増しているような。このまま透けて空気に溶けてしまいそうで。ご自分でも仰っていたけど、もうすこし自我を強くされて人間に近付かれた方がいいです。でないと見ていて不安になります。。。

最後に賢作さんが谷川さんに「受賞おめでとうございます」と忘れずに仰って(笑)、いっぱいの拍手のなか、お二人がご退場。後ろから段差を気遣う賢作さん。

外に出てもずっとぼんやりとしながら半蔵門から電車に乗り。
金曜夜の喧騒のなか、もう少しだけあの空気の中にいたくてイヤホンをしたけど、一体いまどんな音楽を聴けるというのか。聴ける音楽なんてあるのか。
思いつくのはこれしかない。
谷川さんがお好きなグールドが弾くバッハ。ゴルトベルク(グールド晩年の、ハミングが入っている方)を静かな音量で聴きながら帰りました。記憶が薄れないうちに今夜のことをメモっておかないとと思ったけど、この選曲のせいで再び胸がいっぱいになってしまい文字を打つどころじゃなかったという

というわけでいつも以上にグダグダな、でも精一杯に書いた第二部の覚書でした。


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谷川俊太郎×ASKA 奇跡の対談が実現(2019年2月)
賢作さんのトークの中でみゆきさんのお名前が出たのはわかるけど、なぜASKAさん?と思っていたら、こんな対談があったんですね。へえ、ASKAさんも谷川さんのファンだったのか。ASKAさんは賢作さんより2歳上ですね。
動画もありました↓

【ASKA書きおろし詩集】谷川俊太郎×ASKA 奇跡の対談

これは阿佐ヶ谷のご自宅でしょうか。谷川さんって誰が相手でも本当にいつも謙虚で自然体でいらっしゃるなあ。
そんな谷川さんだから、こちらも(といっても私は客席でお話を聞かせていただいているだけですが)自然体に、知らず自分にこびりついてしまっていた無駄なものが落ちて裸の自分に戻れるような、そんな感覚になれるんですよね。嘘で自分を防御したり誇張しても何の意味もないと自然と感じるようになるというか。ASKAさんもきっと同じだったのではないかな。映像からそういう感じ、伝わってきます
ところで谷川さんが対詩をなさっている覚和歌子さんって『いつも何度でも』の作詞の方なのか!『いつも何度でも』、大好きです

最後に、谷川さんがよく仰る「音楽には意味がない」について。
言葉というものは本質的に必ず「意味」を伴ってしまう。それが言葉というものの避けられない性質だから。でも音楽というものは本質的には「意味」は伴いませんよね。例えば、どんなに寂しそうなメロディを作ったとしても、聴く側が楽しい曲だと判断することもあり得るわけです。でも「寂寥」という単語を「楽しい」と解釈することはできません。文脈の中でそういう意味合いになることはあり得ても、言葉そのものの意味としてはあり得ない。それ自体にもう意味が伴われてしまっているから。それが言葉というものの性質だから。そしてそういう音楽の性質を谷川さんは心から愛されていて、言葉より優れたものだと考えていらっしゃるのだと思います。
ASKAさんが仰っている「音楽も嘘をつきますよ。ハンサムにみせようとか」というのは谷川さんが仰っているのとは僅かに次元が違う話で(ここはお二人の会話が少々噛み合っていない)、これもそのとおりだと思います。作曲家が音楽に対して誠実にならずに「大衆にウけそうなメロディ」を大量生産することは可能ですし(ウけそうなメロディを書くことが悪いわけではなく、自分は良いメロディだとは思っていないのにただウけそうという理由だけで書く場合のことです)。それでも、それをどのように受け取るかは最終的には聴衆の感性に委ねられるわけですよね。その余地が残されているか否かは、言葉と音楽のはっきりとした違いだと思います。ちなみに政治家などが嘘をつくのではなく敢えて曖昧な言葉を使って聴衆を誘導する、というようなことについては、また別の種類の話。


ほぼ日刊イトイ新聞 - だからからだ  谷川俊太郎と覚和歌子、詩とからだのお話。(2005年2月)

ほぼ日刊イトイ新聞 - 谷川俊太郎、詩人の命がけ。(2012年4月)

詩の朗読とインタビュー「谷川俊太郎さんに聞くー河合隼雄との思い出」(2015年10月)

谷川俊太郎さんが明かす「子どもに媚びない絵本を作ってきました」(2017年7月)

谷川俊太郎さんが「よくできた詩とは思っていない」と言う代表作「生きる」は、なぜ愛され続けるのか?(2018年9月)

谷川俊太郎さんに聞く、からだの中にある、言葉、音、音楽(2019年3月)

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対談と詩と音楽の夕べ「みみをすます」1 @TOKYO FM HALL(11月29日)

2019-12-21 00:26:29 | 




遅くなりましたが、先月行った谷川俊太郎さんの国際交流基金賞受賞記念イベント「対談と詩と音楽の夕べ『みみをすます』」についての覚書を。
このイベント、なんと無料でした

第一部(19:05-19:50)は、谷川さんと尾崎真理子さん(読売新聞社)による対談。
尾崎さんは、以前このブログでご紹介した『考える人』の谷川さん特集のインタビュアーの方で、谷川さんの『詩人なんて呼ばれて』(新潮社)の共著者の方でもあります。どちらもとても充実した内容だったので、今回お二人の対談を生で聞くことができて嬉しい
しかし前回の長島さんとの対談のときも思いましたが、谷川さんってこんなにトークが上手で面白いのに、”人間関係が苦手”でいらっしゃるんですねぇ。
以下、対談の一部を順不同に。時間がたってしまっているので記憶違いがあったらすみません・・・。

尾:この度は受賞おめでとうございます。
谷:語学は全くダメなので、こんな賞をいただいていいのかと迷いましたが・・・。昔〇〇さん(←聞き取れず)と初めてお会いしたときに「あなたは何と何ができるの?」と聞かれて、あの方は何ヶ国語も話される方なので、こちらは日本語しか話せないので恥ずかしくて。
尾:そんな風に仰いますが、私が谷川さんを知ったのは『ピーナッツ』『マザー・グースのうた』『あしながおじさん』といった翻訳が最初でした。
谷:子供達には「谷川さんって詩も書くんですねー!」なんて言われます(笑)。でもこういうのは国際交流というのとは違いますよ。
尾:この賞は、大岡信さんや武満徹さんも受賞されています。
谷:大岡や武満がもらってるなら自分もいただいちゃってもいいかなーと思って(笑)、いただくことにしました。

・・・

尾:谷川さんは大変長く活躍されているので、谷川さんの歴史は日本の国際交流の歴史とも重なります。
谷:僕は武満と親しかったから、彼の音楽が爆発的に世界に広がっていく過程を全部見てきました。羨ましかった。詩はそういう風にはいかないから。詩にはどうしても言語という壁があるけど、音楽にはそれがない。詩を外国の方に読んでいただくためには、まず翻訳が必要となる。
尾:谷川さんの詩は20数ヶ国語に翻訳され、世界中で愛されています。
谷:詩を外国語に訳すのはすごく難しい。今回の賞は翻訳家や通訳の方と一緒にいただいたものだと思っています。
尾:翻訳されたご自身の詩を読まれて違和感を覚えたことは。
谷:翻訳の案を読んで感覚的にこの訳は違うのではないか?と感じるときはあって、そういうとき翻訳者と実際に会って話せると意思が通じやすい。以前ウィリアム・エリオットと〇〇とビールを飲みながら気になるところを確認し合えたのはとてもよかった。
尾:谷川さんの詩を中国語に翻訳されている田原(でんげん、ティエンユアン)さんという方がいらっしゃいます。
谷:僕は中也が好きだから彼に中也の詩を訳してみたら?と勧めたことがあるんだけど、中也の詩は中国語に訳しにくいそうです。この人はとても自信家な人で、僕の「かっぱかっぱらった」を意地でも訳すと(笑)。訳したものを聴きましたけど、どこが“てにをは”なのかさっぱりわからない。聞いたらちゃんとあるらしいんですけどね。でもそういう風に頑張ってくれる人がいるというのは嬉しいことですよね。

・・・

尾:谷川さんは対詩や連詩も積極的にされています。観客は詩ができていく過程をライブで見られるので、とても人気がある企画です。今日も、私は進行の原稿を持っていますが、谷川さんは持たれていません。対詩や連詩について、谷川さんはどのようにお考えですか?
谷:対詩や連詩では必然的に詩の型が崩れるから、それが楽しいですね。
尾:詩人祭にも参加されています。ロッテルダム詩人祭などが有名ですが。
谷:以前、参加している詩人が女性の詩人を好きになって追いかけまわしたことがあって、詩人祭はそういう周囲の人間関係の方が面白い。
尾:谷川さんが追いかけられたことは?
谷:あったら自慢してます笑。僕は人と集まるのが嫌いで部屋にこもっちゃう方だけど、実際に行くと楽しい。
尾:ヨーロッパの詩人とアメリカの詩人の違いのようなものはありますか。
谷:国による違いよりも、その人個人による違いの方が大きい。
尾:谷川さんは長期間アメリカを旅されたことがありました。
谷:そのときネバダ州の山奥にゲーリー・スナイダーを訪ねて、彼の詩はもちろんいいんだけど、彼からはライフスタイルを多く学びました。普通の詩人のように都市部に住まずに山奥の小屋に住んだり、反権威の姿勢とか。あと、○○と旅していたときにヒッピーの祭りのようなものが近くでやっていて、森の中のプールで男女がすっ裸で騒いでるんです。僕は一人っ子だからそういうのに慣れてなくて遠慮したけど(笑)、ああいう雰囲気は好き。背広が苦手な人間だから。

・・・

尾:谷川さんはツイッターで作品を発表されていましたが、やめられた理由は「140字は長すぎる」と。
谷:それは冗談ですが(笑)、人と常に交流しているのは自分にはしんどい。

・・・

尾:谷川さんの詩は教科書に合っていると言われますが。
谷:誰がそんなこと言ったの(笑)
尾:今回の受賞理由の一つも、教科書に使われているというものですし。
谷:僕は平仮名を大切にしているからね。
尾:谷川さんは安野光雅さんや大岡信さんと『にほんご』という本も出されています。(詩の朗読)これは「日本語が世界の全てではない」という意味ですよね。
谷:そう。僕達は「こくご」じゃなく「にほんご」にしたかったの。でも「日本語」という教科書はまだできないね。

・・・

尾:『ピーナッツ』の全集が発売されることになりました。
谷:今では『ピーナッツ』の登場人物はみんな親戚みたいな感じがしています。
尾:谷川さんは「good grief!」を「やれやれ」と訳されました。村上春樹さんはそれを使われたのではないかと私は思っているんですが。
谷:それはわかりませんけど(苦笑)、予約がいっぱい入って驚いています。あれ、印税が2%なんですよ。2%というと結構儲かるなあ、と(笑)。

・・・

谷:僕は飽きやすいから、同じスタイルで書いてると、それに飽きてくる。でも新しいスタイルは意識的にできるものではなくて、無意識的に浮かぶもの。詩を作るときも、待つ。「夏の海についての詩を書いてください」と具体的に依頼されても、かえって上手く作れない。右脳ではなく左脳で作ってしまうから。一度そのことは忘れる。そして待つ。

・・・

尾:外国語を勉強しようという方へ何かアドバイスはありますか。
谷:翻訳のときは日本語の意味が大事。僕は日本語なら負けないと思って翻訳をしてきました。それは辞書の意味のことではもちろんなくて。
尾:語学の習得については。
谷:言語というものは一人で教科書と向き合って勉強するのではなく、大衆の中で覚えた方が早い。外国人の恋人がいると覚えるのが早いというのも、そういうことだと思う。

以上、第一部(のほんの一部…)についての覚書でした。
休憩後の第二部は、谷川賢作さんによる演奏と谷川さんによる詩の朗読でしたが、これが圧巻で。。。。。感想&覚書は後日アップいたします。

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私も写ってる・・笑

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マリインスキー歌劇場管弦楽団 @東京文化会館(12月7日)

2019-12-12 23:44:04 | クラシック音楽




5日
6日に続き、ゲルギエフ×マリインスキー歌劇場管弦楽団によるチャイコフスキー・フェスティバル最終日の夜公演に行ってきました。

【チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番ト長調Op. 44】
この日のチケットを買ったのは、ババヤンさんのピアノを聴いてみたかったから。リサイタルが開かれる武蔵野はあまりに遠く、せめて協奏曲だけでも、と。そしたらまさかの直前(12月2日)の出演者変更。もちろん凹みましたよ、ものすごく。慌てて武蔵野のサイトをチェックしたけど既に完売・・・。リサイタルがキャンセルにならず協奏曲だけが変更ってどういう理由なのか・・・。聞いてはいけない大人の事情というやつなのか・・・。

気を取り直して、変更後のピアニストの藤田真央君。
今年のチャイコフスキー国際コンクール2位入賞だったということは今回初めて知ったのですが(相変わらず情報収集能力ゼロのワタクシ・・・)、真央君というピアニストに対する印象は以前から悪くありませんでした。なぜなら私が聴きに行くピアノの演奏会の客席に彼もいる、ということが度々あったからです(ポゴレリッチとか、先日のシフとか)。他の人の演奏を聴きに行く音楽家ってなんかいいなと思う。でも彼自身の演奏を聴いたことは録音も含めてこれまで一度もありませんでした。で、今回の演奏。

いやあ、真央君すごかった。。。。。。。
なんだあれ。
私、今回の曲の予習をギレリスでしていたんですよ。それがとても好きな演奏で(ギレリス好きなんです)。予習しながら「ヤバイなあ、こういう演奏で予習しちゃうとよくないんだよなあ」と思っていたのです。好きすぎる演奏で予習してしまうと演奏会でがっかりする、というのはよくあるパターンなので。
ですが今夜の真央君の演奏、ものすごく好みな演奏で吃驚した。
世界って広いんだねえ。ちゃんと次から次へ新しい才能が出てくるものなのだなあ。
音色の深み、透明感、表現の豊かさ、自然さ、大胆さ、コントロールと熱量、聴衆の耳を惹きつけるカリスマ性。
この子は聴いている人を幸せにするピアニストだ、と聴きながら思いました。3楽章の豪速も早ければいいという演奏ではなく、オケと一緒にしっかり”聴かせる”。一方で2楽章のあの叙情。音楽を聴く喜びをいっぱいに感じさせてくれる演奏。
舞台上が完全に彼の世界になっていました。ときにオケのみならず指揮者までがその支配下に入ってしまっているようにさえ感じられたほどで。しかしそこはゲルギエフ&マリインスキー、もちろん押されっぱなしのわけがなく。ピアノとオケが刺激し合って、戯れ合って、絡まり合って、高まり合って、どこまでも飛翔する最高の場所へと連れて行ってくれました(言葉がエロチックになってしまったな。でも協奏曲のそういうところがとても好き)。そしてどちらの音も、ちゃんとロシア。大ブラボー
21歳の子にあんな演奏をされたら、オケもいい演奏をしなきゃってなるよね。

カーテンコールではコンマスさん&チェロさんと並んで拍手を受けていたけれど、今日の演奏の中心にいたのは完全にこの子だったと思う。そして真央君がお気に入りであることがめっちゃ顔と仕草に現れているゲルギエフなのでありました。
こんな子がいるんだねえ。
まだ学生なのに、いやはや。
舞台に出てきたときのふにゃんとした雰囲気からピアノを弾きはじめた途端の変わりようも楽しかったわ。そして演奏が終わると再びふにゃん。自分が弾いていないときもオケと向き合って音楽の中に入っていたのも、よかったです。
この3日間の一番の拾い物はこの子かも、とコンクールのときのゲルギエフのようなことを思ってしまった。
主催者発表どおりだとしたら、短いリハーサル時間でこのレベルまで仕上げてしまうことにも吃驚。このコンビでこの曲を演奏するのは今回が初めてとのこと。真央くんは暗譜だったけど、既にレパートリーの中には入っていたということ? 聴いていてすごく楽しい曲だし、もっともっと演奏されてほしいなあ。真央君、このまま十八番にしちゃってください。今日の演奏ならもうそう言っちゃって全く問題ないから!

So how to explain the thrill of Tchaikovsky's Piano Concerto No 1, a showcase for the 21-year-old Japanese pianist Mao Fujita? Fujita is a musician of tremendous versatility and taste, with a poetic sense of pulse and eloquent, insightful, fearless articulation. What made the concerto sing, however, was the intense collaboration between soloist, conductor and orchestra, and the subtle dissolve between each gesture.

上記は、先日ご紹介したThe Timesの記事の「待たされたことも、カーペットの染みも・・・」の直前の文章です。先々月ロンドンで演奏された真央君×ゲルギエフ×マリインスキーのチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番についての絶賛評。今夜の第2番にも、全く同じことが言えました。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は、若くすばらしいピアニストの藤田真央が演奏します。彼の存在はチャイコフスキー国際コンクール2019における大きな発見でした。彼は私達にたくさんのすばらしい気づきと解釈を提示してくれました。彼の音楽は、様式的に優れ、真の想像力と芸術性、音楽のアイデアに満ちあふれていました。真央はコンクールにおいて極めて大きな貢献を果たし、彼の成功は非常に大きな意味をもたらしました。コンクール後すぐに、私は彼と共演し、ロシアとロンドンで大成功を収めました。近いうちにミュンヘンでも共演します。彼のファンがすでにたくさんいるこの東京で、協奏曲第2番を彼と初めて演奏できることを、非常に嬉しく思います。
(ゲルギエフ)

マエストロ・ゲルギエフ、マリインスキー歌劇場管弦楽団と、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番を演奏できることになりました。とても光栄です。ロンドン、モスクワに続いて日本でも、こんなに早く共演することが出来るとは思ってもいませんでした。チャイコフスキー・コンクールに参加したころから、本選では演奏しなかった『2番協奏曲』にも惹かれていました。優美さ、秘めた情熱、躍動感、メランコリックなメロディー、オーケストラとの対話――誠心誠意、作品に向き合いたいと思います。マエストロとオーケストラと一緒に音楽を奏でることを、緊張しつつも楽しみにしています。
(藤田真央)

【グリーグ:叙情小曲集第3集愛の歌(恋の曲)(ピアノアンコール)】
アンコールは、同じく北方の国の作曲家であるグリーグ。
声高に歌っているわけではないのに、ふわりと滲むピュアな情感。
21歳でこんな演奏ができるんだねえ。いや、21歳だからできるのかも。
しっとりと、いいアンコールでした。

(休憩20分)

【チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op. 64】
最高に幸せなピアノ協奏曲を聴かせてもらえたから例え5番がどんなにひどい演奏だったとしても許しちゃう!と思っていたら。

楽しいし幸せだし感動するし(語彙力ぶっとんだ)。。。。。。
良い演奏を聴いていると、その音楽が舞台の上で生き物みたいに浮かび上がる。その形状は光だったり竜のようだったり様々ですけど。色もすごく繊細に移り変わっていくのが目に見える。
第1楽章の重みと躍動感(興奮した!)
第2楽章の最後の繊細な弱音、美しかったなぁ・・・。このオケ、あんな音も出せるんですね。
ずっといつまででも聴いていたかった第3楽章(運命の動機が現れたときは、ああもうすぐ終わってしまう・・・と寂しくなった)。
そして第4楽章
コーダの最後の盛り上がり前に一旦減速させたのはやらない方がいいように感じられたけど、演奏全体からもらえた大きな大きな満足感の中では些細なこと。
聴いていて本当に楽しくて、幸せでした。
ありがとう、ゲルギエフ。
ありがとう、マリインスキー。

【チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」《パ・ド・ドゥ》(アンコール)】
これぞチャイコフスキー&マリインスキーの真骨頂とバレエファンでもある私は思うのである。
いっぱいの楽しさ、いっぱいの優しさ、いっぱいの幸福、そして切なさ。
『くるみ割り人形』の初演は、1892年12月、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場。
12月に生演奏で聴くゲルギエフ&マリインスキーの『くるみ』なんて、これ以上ない最高のクリスマスプレゼントです

この日の東京はとてもとても寒くて。でも心の中は暖かく、上野を後にすることができました。
やっぱりチャイコフスキーは冬に聴くのが一番。
そしてなんだか久しぶりにバレエを観たくなってしまった。
ロビーに貼りだされていましたが、来年冬にボリショイが来るんですね。白鳥とスパルタクス。行こうかな。
マシューボーンの白鳥 in cinemaも終わる前に観に行かねば。

※ゲルギエフとムーティが来年1月14日、ヤンソンスさんの77歳の誕生日となる筈だった日に、ウィーンフィルの追悼演奏会で指揮をされるそうです。バイエルン放送響の追悼演奏会は1月15日で、指揮はメータ。

以下は、「very good concert」と「cosmic concert」の違いについてのヤンソンスさんの言葉。cosmic concert、すごくよくわかります。それに出会えることは決して多くはないということも。でもヤンソンスさん×BRSOの演奏会は私の中で間違いなくその一つですよ!
'If the public says to you after the concert, "Oh my God, I was in heaven for two or three hours"―then you know it was one of those cosmic concerts. But if somebody says, "It was a very good concert, the orchestra played very well, there were nice tunes, it was very polished," then it is not right. That is the difference between a very good concert and one of those excellent concerts. But of these excellent concerts, there are not so many.'

(Tom Service "Music as Alchemy: Journeys with Great Conductors and their Orchestras")












真央君のインスタより。ツィメさん、いらしてたんですね。
このひと月以内にシフ、ベルリンフィル、マリインスキーと私が知っているだけでも3つの演奏会に来られている。シフのは2日とも来られていたようですし。
ツィメルマンが毎年秋~冬を東京で過ごすのは演奏会通いのためもあるのだな、きっと


Japan Arts twitterより。7日夜のソロカーテンコールのゲルギエフ。

日本フィル&サントリーホール とっておき アフタヌーン Vol. 12 藤田真央 インタビュー


Tchaikovsky - The Nutcracker, Ballet in two acts | Mariinsky Theatre (HD 1080p)

マリインスキーバレエの『くるみ』 ソーモワとシクリャローフ。指揮はゲルギエフ。

Tchaikovsky - The Nutcracker, Grand Pas de Deux - Gergiev

本日のアンコール曲。ゲルギエフ×マリインスキー(2015年)

Tchaikovsky on the road: Valery Gergiev and Mariinsky Orchestra in Europe (Documentary, 2010)





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マリインスキー歌劇場管弦楽団 @東京文化会館(12月6日)

2019-12-11 20:04:36 | クラシック音楽




前日に続き、ゲルギエフ&マリインスキー管によるチェイコフスキー・フェスティバル交響曲編2日目に行ってきました。
サントリーホールから会場を移して、2日目と3日目は東京文化会館です。サントリーホールと違い音が飽和せず、つまり地味なんですけど、このオケの音にはこちらも合っているように感じられました(これまでこのオケを聴いたのが全てここだったので聴きなれた音というのもある)。

しかし今日はですね、隣の席の高齢の女性がずーーーーーーっと指をパタパタさせて手揉みされていまして・・・・・。こういうの、すごく気になるのよぉ~~~~~
いやいや私もいつか歳をとるではないか、この人も敢えて指パタパタしているのではなくご体調が悪いのかもしれないし、私だって遠くなく他人事じゃなくなるかもしれないし、と精一杯気にしないように努めたけど・・・・・・・ムリ~~~~~~~
音(鼾とか補聴器とか)を発せられるよりは100倍マシ、と無理矢理自分を納得させました・・・。
というわけで本日はちょっと集中力とぎれ気味の鑑賞となってしまったのでありました・・・。

【チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調Op. 17 「小ロシア」】
前日に比べるとオケの緊張感が少々減ったような気もしないでもなかったですが(私の環境も関係ある可能性大)、連日チャイコフスキーを好みの演奏で聴ける幸福を改めて噛みしめる。
やっぱり海外の楽団って、金管の弱音がしっかりしてる気がする
このオケはバスの地の底から響くような重低音、木管の躍動感、金管の大音量のときの綺麗なだけじゃない輝かしさも素晴らしいですよね。柔らかみの少ない硬めの弦の音もロシアの曲には合っているように思う。
四楽章の盛り上がり、聴いていて最高に楽しかった

ところで今回のゲルギエフ×マリインスキー来日公演についてのネットの感想は多くが絶賛のようですが、「緩急強弱が作為的。今までのゲルギエフはこんな演奏はしなかった」というものもいくつか見かけました。“今までのゲルギエフ”については詳しくないので何とも言えないのですが、今回の演奏については、ああなるほど、とも。聴いているときに何度か「オケのドライブのさせ方がちょっとラトルと似ているなあ」と感じたことがあったので、ああいう部分のことを言っているのかな、と。
私は作為的とは殆ど感じずとても生き生きと自然に歌っているように聴こえましたが(ラトル&LSOのときも)、それはオケがあまりにも鮮やかにコントロールされていたからというだけでなく、今回は曲がチャイコフスキーだったからという理由もあるのかも。私のチャイコフスキーとの出会いはバレエだったので、交響曲もバレエ音楽の感覚で聴いている部分があるのです。マリインスキーはそうでもないですけど、ボリショイなどは踊れるダンサーがいると急に早回しに演奏して舞台を盛り上げたりすることがあるじゃないですか。コーダで笑っちゃうくらいにジャンジャカ鳴らしまくったり。不仲なダンサーのときは指揮者が敢えてゆっくり演奏してイジワルしたりという噂も・・・(ゆっくり踊るのは難しいので)。なので私の場合、チャイコフスキーの音楽は緩急強弱の変化が他の音楽よりもあまり気にならないのかもしれません。
ただそれとは別に、個人的好みというものはあるわけで。

【チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op. 35】 
ヴァイオリンソロは、五嶋龍さん。
オケの音&演奏は好みでした。
が。
ファンの方、ごめんなさい。この曲の五嶋さんの演奏、私は全く受けつけられませんでした。。。。。。。
最初は一瞬良い音と思ったのだけれど、主題に入った途端に体に拒絶反応が・・・。
そもそも私の好きなタイプのこの曲の演奏がシャハム×ネルソンス×ボストン響のような明るくストレートな演奏なので、五嶋さんの音のねっとり具合?が私にはダメだった・・・。ヴァイオリンソロのときは音楽の流れが止まり、オケが演奏し始めると音楽が再び動き出すように聴こえてしまいました。
そしてソロのときにオケを放って一人だけ舞台前方へせり出してくるアレは一体・・・・・。これはソロ曲じゃなくて「協奏曲」なのに!
なんだかソロとオケがブツ切りに別々の演奏をしているように感じられてしまい、こんな協奏曲を聴いたのは初めてでありました。
ゲルギエフがそれでいいなら別にい・・・くはない。私がいくない。
ちなみに演奏後は拍手&ブラヴォーの嵐でした。。

【クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス op.6(ヴァイオリン・アンコール)】
おお、これはいいのではないでしょうか。重みと軽みとお洒落感のバランスが絶妙
このアンコールが聴けてよかった。これを聴いていなかったら、五嶋さんのヴァイオリンの魅力が理解できずに終わるところだった。オケの奏者も笑顔で拍手を送っていました

ここで五嶋さんのファンと思しき方々が続々とご帰宅の光景がロビーに。曰く、「交響曲の方は聴かなくていいと思ってたけど、意外と悪くなかったわね」・・・。ヤンソンスさんの最後の来日のときにシャハムのヴァイオリン・アンコールにオケが伴奏をつけてくださったのですが、ソリスト・アンコールにオケが伴奏をつけるなんてものすごい贅沢なのに(それもヤンソンス&バイエルン放送響というものすごい贅沢な伴奏なのに)、「アンコールはオケなしで聴きたかったわねえ」などと言いながら後半のオケ曲を聴かずに帰っていくシャハムファンがぞろぞろといて・・・(あんなに温かな素敵な伴奏だったのに!!シャハムも幸せそうだったのに!!)。別世界の人達の会話を聴いているような気がしたのを今日久しぶりに思い出しました。。。

(休憩20分)

【チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調Op. 36】
この曲を聴くのはムーティ&シカゴ響に続いて2回目(正確にはアシュケナージ&フィルハーモニアも入れて3回目だけど、咳だらけの客席以外全く記憶にない)。そのときに「アメオケのチャイコフスキーは二度と聴かん」と思ったのだけど、その認識を覆してくれたのが先程書いたミューザ&サントリーホールで聴いたネルソンス×シャハム×ボストン響によるヴァイオリン協奏曲だったのでした。
といってもムーティ&シカゴ響もすごいという意味ではものすごかったんですよ。東京文化会館の壁がぶっとぶくらいの大音量なのに決して濁らない壮麗さで(あれ以上の大音量を東京文化会館で経験したことは未だかつてありません)。でも私は綺麗な音が聴きたかったわけではないのです。今日の演奏のようなごちゃまぜな色合いの祝祭感が聴きたかった。この楽しさ かつ最高に美しい
マリインスキーの洗練されすぎていない音はゲルギエフの指示なのだろうか、元々なのだろうか。バレエで聴いたときもそういう音をしていたので、元々もあるのだと思う。こういう音の魅力ってある。

【メンデルスゾーン:夏の夜の夢 "スケルツォ"(アンコール)】
この時点で21時50分。
さすがにアンコールはないだろうなと思っていたら、やってくださいました
隣の席のあの女性は4番が終わると同時に帰ってくれたので、この曲だけは演奏に集中できる!
ああ、いいねえ。パックや妖精達が飛び回るのが目に見えるよう。ヤンソンス&バイエルンで聴いた『火の鳥』を思い出しました(あのときも舞台上に魔王の庭園を飛び回る火の鳥が見えたの)。youtubeで聴いたことがあるけど、ゲルギエフの『火の鳥』もとてもいいんですよね。禍々しさと色っぽさがあって。8日の大阪公演のアンコールでやったそうで、聴けた方が羨ましい!

今夜はソロカーテンコールはありませんでしたが(もう22時だし)、カテコのゲルギエフはとても嬉しそうでした。
本当に昨年とは雰囲気が全然違うのだが、一体なぜなんだ。

翌日は最終夜に行ってきました。昼(交響曲3番&P協3番&P協1番)のチケットは買っていないので、夜のみです。感想は後日。

※追記:
チャイコフスキーの交響曲は、自筆のスコアにはテンポの指定は殆どないのだそうです。へえ。どころかインテンポを嫌ったのだとか(これはなんかわかる気がする。インテンポを好む作曲家ならああいう曲を作らないように思う)。指揮者の藤岡幸夫さんがゲルギエフの師匠でもあるムーシン教授の授業で聞いた話。

例えばチャイコフスキーの交響曲については、彼の自筆のスコアには本来テンポの指定はほとんどなくて、今印刷されてるテンポ指定の中にはチャイコフスキー本人の指定ではないものが多いこと。またチャイコフスキー本人のものであったとしても、チャイコフスキーは自分が指揮しててリハーサルが上手くいかないときに、よくその時の思いつきで指定してまい、それがそのまま(決して良い指定とは言えないのに)印刷されてしまったものも多いらしい。

またその一方でチャイコフスキーはインテンポの演奏を嫌った(これはブラームスも同じことを言ってる)。つまり、「何にも指定がない=イン・テンポ」ではないということだ。(最もこれは僕もルトスワフスキに言われたことがあるが、作曲家側からしてみればテンポが生き物なのはすごく当たり前のことで、指定がないからテンポが変わらないという考え方自体がおかしいということだ)。

(藤岡幸夫氏のブログより。チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の話

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マリインスキー歌劇場管弦楽団 @サントリーホール(12月5日)

2019-12-08 18:48:24 | クラシック音楽




ゲルギエフ×マリインスキー歌劇場管弦楽団によるチャイコフスキー祭に行ってきました。
私が聴いたのは交響曲編全4回のうちの3回です(12/5、6、7夜)。
ゲルギエフを聴くのは、昨年12月のミュンヘンフィルとのブルックナー9番に続いて2回目。マリインスキー管は4回目で、前3回はバレエ公演で聴いています。
この日、客席に通されたのは開演20分前。それまで客はロビーに待機。今回私が行った3回の演奏会全てでそうでした。
直前までリハなのか?(まあ7分前まで客の前で弾いてるポゴさんのような方もいるけども)
結局オケが舞台に揃ったのは開演予定時刻の10分過ぎ。それから音合わせ。
日帰り遠征の方は気が気じゃなかったことでしょう。
それでも東京はマシだったようで、先々月の19:30開始だったロンドンのcadogan hallでは、同様の遅れで後半のメインプロを聴けずに帰宅する人が多数いたとか(余談ですがcadogan hallは建築が素敵でスタッフもフレンドリーなとても素敵なホールです)。
これについては「ゲルギエフだからいつものこと」と言われながらも、当然賛否両論あるようで。上記演奏会に関するThe Times紙の批評が面白いのです(訳は私です。間違ってたらゴメンナサイ)。

We all know this type of house guest. They drive you crazy, spill red wine on your carpet and stub their cigarettes out in your pot plants. They turn up late, then overstay their welcome, absurdly confident in their charm and brilliance. If you had any sense you would let the relationship cool. Yet when they are on form they are the best company.
(こういうタイプの来客を我々はよく知っている。人を苛立たせ、カーペットに赤ワインをこぼし、鉢植えで煙草を消す。遅れて現れて長居して、自分の魅力と才気に馬鹿げたほどの自信をもっている。もしあなたに分別があるなら、彼らと距離を置こうとするだろう。しかしそれでもなお、いい状態のときには、彼らは最高の客なのである。)

以前ジャパンアーツ会長の中藤さんがゲルギエフに「時間を守らないのはよくないことだよ」と諭したことがあったそうで、そのときゲルギエフはむっつりと黙ってしまったそうです(中藤さんの御本より)。なんか子供みたいで可愛くて好きなエピソードなんですが、そんな風に思えるのはあくまで相手が「いい状態のとき」であって、もしミュンヘンフィルのあの演奏会で同じ状況だったら私は「ふざけんな」となったはず。
でも今回の演奏は、、、何も言えなくなるよねえ。「終演0時になろうが深夜になろうが好きなだけ演奏しておくれ」と思ってしまった(奏者とスタッフには残業代払ってあげてね)。
ちなみに上記Timesの記事は主に藤田真央君のチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番に対する絶賛評で、この曲におけるピアニスト&指揮者&オケが聴かせたコラボレーションについて、
It was an outstanding performance, well worth the wait, well worth the carpet stains, well worth the cigarette butts in the pot plants.
(待たされたことも、カーペットの染みも、鉢植えの吸い殻も、全てが報われた極めて見事な演奏だった。)
と結んでいます。
真央君のピアノ協奏曲に関しては私も全く同意見で7日の感想で改めて書きますが(私が聴いたのは第2番ですが)、英国のこういう文章、ユーモアがあって大好き。そのぶん皮肉のときはストレートに言われる何倍も嫌味炸裂に聞こえますけど。上の文章もゲルギエフに対しては軽い皮肉だよね  記事によると、ピアノ協奏曲以外の2曲(ベルリオーズとリムスキー・コルサコフ)はリハ不足の出来だったとのこと。カーペットの染みと鉢植えの吸い殻、ですね笑。

前置きが長くなりましたが、そういうわけでようやく開場して、オーケストラが入ってきて。
・・・ん?このモジャモジャ頭のバッハのようなコンマスさんはミュンヘンフィルのコンマスさんではないですか。ミュンヘンフィルのというより、ゲルギエフのコンマスのように見える方。昨年12月も、
ゲルギ:この後予定(マリインスキーバレエ鑑賞)入ってるから、カーテンコールさくっと切り上げて帰るわ。あとは適当によろしく
コンマス:御意
てな感じであった(そう見えた)。
今回はゲストなのかな。ゲルギエフのお気に入りなのでしょうね。お名前は、ロレンツ・ナストゥリカ・ヘルシュコヴィチ(Lorenz Nasturica-Herschcowici)さん。

【チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調 Op. 13 「冬の日の幻想」】
今回のチャイコフスキー・フェスティバルは前半日程がオペラ編で、後半日程は交響曲(&協奏曲)編でした。
交響曲編は全4回で、今夜が初日。
なのだけど。
ゲルギエフ&オケは今夜にクライマックスを持ってきてしまったのではないか・・・?と初っ端から心配に。
だってゲルギエフの気迫が普通じゃない。昨年のあの醒めた指揮&音とは別人28号。それに触発されてかオケの集中力も半端ない。
残り3回どころか今夜の悲愴までこの人達の集中力はもつのだろうか・・・。ロシア人って飽きやすそうだし・・・(偏見)
それにしても。
今夜はオケがしっかりゲルギエフの楽器になってる
そして音が、ああやっぱりロシアだ。。。オケ毎の音の個性は薄れてきていると言われるけれど、やっぱりミュンヘンフィルはしっかりドイツの音がするし、マリインスキーはしっかりロシアの音がする。良い意味で洗練されすぎていない音。
ロシアの風俗、粗野なところもあるけどおおらかで温かく、色気もあって、大地の土の匂い。それらの美しさ。
この曲をこんな風に演奏してもらえてチャイコフスキーは嬉しいだろうな、と思いながら聴いていました。よかったねえ、チャイコフスキーと。
ミュンヘンフィルとのブルックナーのときとは異なり、今日はずっとチャイコフスキーの体温を近くに感じていました。

私、この曲を聴いていると『ムーミン谷の冬』が思い浮かぶんですよね(ムーミンはフィンランドだが)。原作のあの空気。ちょっと怖くて、ミステリアスで、冷たくて、でも温かな。谷が雪に閉ざされて、皆寝静まっていて、普段は目に見えない生きものたちが出てきて。
白鳥の湖もそうだけど、チャイコフスキーってこういうファンタジックで民謡的な情景や空気感の表現が天才的!
4~6番が三大交響曲と言われているけれど、私はロシアの温かみを強く感じさせるこの1番も大好きだ。
大大大満足の演奏でした。
ゲルギエフ&マリインスキー、ブラボー

【チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲 イ長調 Op. 33】
【J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より”サラバンド”(チェロ・アンコール)】
チェロはアレクサンドル・ブズロフ。くせの少ない、自然に柔らかに広がるいい音。
このオケは優雅な演奏もうまいよねー。でもウィーンフィルやコンセルトヘボウのような音とは違って、優雅に演奏しててもやっぱり音はロシアなので、まさに「チャイコフスキーが書いたロココ風」で、この曲にピッタリだと思いました。

(休憩20分)

【チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op. 74 「悲愴」】
この時点で既に20時50分。終演は一体何時になるのか・・・。 ※21:40でした
今回のマリインスキーの来日公演の中で、私の一番の目的はこの曲でした。友人が最も好きだった曲がこの『悲愴』でした。彼女は2015年のゲルギエフ×ミュンヘンフィルのこの曲の演奏にとてもとても感動していて、翌日「仁左さんの盛綱陣屋以来の感動だったよ。大好きな曲をこんな演奏で聴けて嬉しい!」と興奮したように話してくれました。その言葉で彼女がどれほど感動したかがわかりました。彼女にとって仁左衛門さんの盛綱陣屋はトップオブザトップだったから(私の仁左さんのトップオブザトップは吉田屋なので、私達は好みが全く違うね~とよく笑っていたものだった)。「私も聞いてみたいな、ゲルギエフの悲愴」と言ったら、「また数年以内に演奏してくれると思うよ。お気に入りの曲みたいだから」と。そして彼女の言ったとおりになりました。生きていたら今回の演奏会、絶対に聴きに来ていたと思います。
ちなみに私が昨年ゲルギエフ×ミュンヘンフィルのコンビを聴きに行ったのも同じ理由でしたが、感想は当時書いたとおりで。そして今回のマリインスキーとの『悲愴』。

6番までもつのかしら…?と心配していたオケの集中力ですが、全く無用な心配でした。
完全にゲルギエフの楽器になっていた。いつもいい演奏を聴くと指揮者が音楽そのものに見えるのだけど、今夜はゲルギエフが『悲愴』そのものに見えました。この人にとって特別な曲であるということがよくわかる演奏だった。
そして今夜の6番は、私の耳には絶望だけではなく、その中に確かな温かな何かが感じられた演奏でした。それはチャイコフスキーの心を表しているというよりは、ゲルギエフからチャイコフスキーも含めた何かに向けられた歌であるように強く感じられ、その感覚はヤンソンスさんのマーラー9番を聴いたときを思い出させました。
作曲家の存在や体温も感じるのだけど、同時に作曲家も含めた人間への弔いの気配を音の中に強く感じた。考えすぎなのかもしれないし、実際のところはわからないけれど、自然にそういう風に聴こえたんです。
私の中に友人と、そしてヤンソンスさんへの気持ちがあったことは否定しません。でも、もしかしたらゲルギエフも同じだったのではないか、と。ゲルギエフは今年8月にお母様を亡くされているんですよね。そしてヤンソンス。
この音は天国にも届いているように感じられて、思わずサントリーホールの天井を見上げてしまいました。
残響を長めにとられた4楽章の銅鑼の音も、今夜は運命の一撃というより弔いの音に聴こえました。
3年前、ここであのマーラー9番を指揮していたヤンソンスさん。その同じ場所でいまゲルギエフがサンクトペテルブルクの楽団を指揮して、ロシアの音楽を魂を込めた音で演奏してくれていて。
ゲルギエフよ長生きしておくれ、と心から思ってしまった。

最後の音が消えた後の長い長い長い(本当に長かった)静寂は、私にとっては深い意味のある時間でした。そしてゲルギエフへの感謝の時間でした。
友人が一番好きだった曲をこんな演奏で聴かせてくれて。そしてヤンソンスさんが“I have the brain of a Latvian and the heart of a Russian.” と仰っていた国の音楽をこんな演奏で聴かせてくれて。
昨年のミュンヘンフィルのときと違い、今日は「あなたの心ゆくまですればいいよ」とゲルギエフの体が動くまでゆっくりと待ったよ(手は演奏と同時におろされていました)。
友人が亡くなってもうすぐ2年。ずっと心の奥にあった友人との最後の約束のようなもの(ゲルギエフの悲愴を聴くこと)が、これで終わってしまいました。もう約束はなくなってしまってとても寂しいけれど、ちゃんと、そして最高の形で終わらせることができました。ゲルギエフとマリインスキー管のおかげです。
ちなみに覚書として書いておきますが、ゲルギエフはオケのP席への挨拶はなし。来日公演では非常に珍しい。でもこんな演奏を聴かせてくださったのだから、何も文句なし。ソロカテコのときはこちらへもニコっと笑いかけてくださいました。

サントリーホール前のカラヤン広場にはクリスマスツリー。
3年前のヤンソンスさん×バイエルンのときもそうだったなあ。

翌日も第2夜に行ってきたので、感想は改めて。







※ヤンソンスとゲルギエフ:その1
永田音響設計の豊田泰久氏のエピソード。
元旦にサンクトペテルブルクでヤンソンスと正月ランチ中のゲルギエフ。酔っぱらって日本の豊田氏へ電話
曰く、「今マリスとコンサートホールの音響について話してるんだが、私は札幌がベストだと思うんだが、マリスは川崎だと言ってきかないんだ!で、どっちがベストなんだ?」と。世界の巨匠が二人揃って何やってるのか笑。これに対する豊田氏の返答が秀逸です。
He remembers, three years ago, being phoned up by Gergiev, with whom he had worked on “Mariinsky III”, the
new hall in St Petersburg. Gergiev was having his annual New Year's Day lunch with his fellow conductor, Mariss Jansons. “He was a bit drunk,”Toyota remembers. “He said: 'We are talking about the acoustics of concert halls —I think Sapporo is best, but Mariss insists it's Kawasaki!So which is it?' ”Toyota chuckles to himself. “I said, 'Valery, I did both of those halls. How many children do you have? ' He understood what I meant and he didn't ask again.”
(October 31 2016, The Times "How this sonic wizard makes every maestro’s dream come true")

※ヤンソンスとゲルギエフ:その2
2017年4月のヤンソンスさんのインタビューより。他の一部抜粋部分は先日のヤンソンスさんの追悼記事に載せました。その他のインタビューや記事もいくつか載せておきましたので、ヤンソンスさんがお好きな方はぜひ。
ここではゲルギエフ関連の部分のみ。ヤンソンスさんとサンクトペテルブルク、そしてマリインスキーとの繋がりについて。率直でいいインタビューだと思います。
Why leap back to Europe, though, instead of staying in America where salaries for top conductors are much higher?  “Because I cannot imagine life without St Petersburg,” he says . “My home is there still, and so are my memories — the Conservatoire, the Philharmonic Hall, the Mariinsky.” Though he doesn't conduct in St Petersburg now, he is still connected to the Mariinsky through his daughter, a senior répétiteur (pianist and coach), and his granddaughter. “She was taken to the opera so many times as a little girl that she knew everything that went on backstage,” Jansons recalls proudly. “So at 13 she started to assist the stage manager, and when she became 16 they gave her a salary. Now she's 25 and is the Mariinsky's leading stage manager, doing 60 different opera productions a year. Valery Gergiev [the Mariinsky's boss] told me that when she is backstage he knows the show will run properly .” What's the secret of her success? “Well, she's very nice but has a great authority about her,” Jansons replies. A chip off the old block, then. 
(April 10 2017, The Times ”Mariss Jansons, the maestro with the magic touch”)


※ヤンソンスとゲルギエフ:その3
コンセルトヘボウから解任されたガッティを、自分達のオケに招待するヤンソンスとゲルギエフ。私はこの問題についてあまり詳しくないのですが、ハイティンクもRCOのガッティ解任は尚早だったとインタビューで仰っていましたよね。よくわからないけど、色々事情があるのかな。
"JANSONS AND GERGIEV PUT DANIELE GATTI BACK ON TRACK"
The Italian music director fired by the Concertgebouw orchestra over #Metoo allegations is conducting the Bavarian Radio Symphony Orchetsra in Munich this weekend.

The invitation came from his Amsterdam predecessor Mariss Jansons.
Gatti’s next stop, it is reported, will be St Petersburg where Valery Gergiev has offered him dates.
(October 14 2018, Slippedisc)

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ヤンソンスさん

2019-12-02 22:35:56 | クラシック音楽

ヤンソンスさんが30日夜にサンクトペテルブルクのご自宅で亡くなられたことを、昨夜知りました。
長年の心臓の持病が原因の心不全だったとのこと。
自分でも意外なほどの寂しさと喪失感を感じてしまっていて、今日は一日ぼんやりと過ごしてしまいました。あの3回の演奏会でヤンソンスさんからいただいたものが私にとってどれほど大きかったかということを、じわじわと思い知らされています。
3年前の川崎公演は友人も同じ会場で聴いていました。たった3年の間に友人もヤンソンスさんもいなくなってしまうなんて、なんだか夢をみているような気がします。そして一人の人がこの世界からいなくなるということはこんなにも世界が違って感じられるものかということを、改めて感じています。

皆さんが様々な追悼文や想い出をSNSにあげられていますが、私の場合は最後の来日公演のときの感想記事が一番ヤンソンスさんへの感謝の気持ちを伝えられるように思うので、ここにリンクを貼らせてください。

2016年11月26日 『R.シュトラウス:アルプス交響曲』他 @ミューザ川崎
2016年11月27日 『マーラー:交響曲第9番』 @サントリーホール
2016年11月28日 『ストラヴィンスキー:火の鳥』他 @サントリーホール

Mariss Jansons 1943 - 2019


昨日掲載された、バイエルン放送響による追悼動画です。
彼らが”Love song to life and mortality”、”Hymn to the end of all things”と呼んでいたマーラー9番の、最後の9分間の演奏です。
上記記事にも書きましたが、サントリーホールで聴いたヤンソンスさん&BRSOによるこの曲の演奏は、この世界に生まれ、やがて死んでいく全ての生きとし生けるものにヤンソンスが贈ってくれた慈愛の歌であるように感じられました。
公演の後、ヤンソンスさんはインタビューでこんな風に仰っていました(独語からのgoogle翻訳です)。

――Mr. Jansons, you and your orchestra have made people cry in Tokyo with Mahler's Ninth. You, too, have been taken very seriously. Can you feel death in this piece?

Jansons:
Absolute! You can imagine the music in such a way that a person lies in bed and knows that his death is coming soon. He does not know when, but he comes. And then he remembers almost his entire life: moments that made him happy, moments that were difficult and tragic for him. It's a retrospective to the end. I feel that death comes sooner than the end of the fourth sentence. The cellos play their last notes, then I take a big break, and then the strings play this incredible music, where you can really cry. For me, this music is no longer on earth, there Mahler's soul is already in heaven - and we feel his spirit and his genius that remain for us on earth.

もしヤンソンスさんに最後に聴こえていた音楽があったとしたら、このマーラー9番の最終楽章だったのではないかと思えてなりません。
BRSOはヤンソンスさんの逝去の報に「We are devastated.」とコメントをしています。来日公演最終日のアンコールでヤンソンスさんが舞台上で転倒したとき、ショックを受けた表情を最後まで消すことができないでいたのは誰よりオケの人達だったことを思い出します。そんな彼らを安心させるようにおどけて笑ってみせたヤンソンスさんの姿も、昨日のことのように覚えている。
2003年の首席指揮者就任時からずっと尽力されてきたミュンヘンの新ホールに響く彼らの音、ヤンソンスさんに聴かせてあげたかったなあ…。BRSOの方達も、どれほどヤンソンスさんと一緒にその日を迎えたかったろうと思います。

長い間爆弾を抱えた体で音楽に献身されてきたヤンソンスさん。
あなたがくださった音楽はこの先の人生でどれほど私を励まし続けてくれることでしょう。
どんな感謝の言葉も足りません。
本当にありがとうございました。
どうか安らかにおやすみください。





2016年11月28日、来日公演最終日のソロカーテンコール。BRSO twitterより。

#5 Asia 2016: Jansons dirigiert Mahler 9 (Ausschnitt)

2016年11月27日、サントリーホール。マーラー9番の最終楽章冒頭の映像。
今気づきましたが、BRSOの追悼動画に使われている映像はこの日のもの、ですよね…?映っている物や角度が全く同じだもの…。音もこのときのものだ…。コンマスさんが"It was a historical concert for our orchestra"と仰っていたこの日の演奏。ヤンソンスさんが愛した"BRSOのピアニシモ"。
だめだ、涙がでる……。
BRSOはいつかフルの映像をあげてくださらないだろうか…。

Happy Birthday, Maestro!

2016年1月14日のBRSOからヤンソンスへの73歳のバースデーサプライズ。
ヤンソンスさんもオケもとても幸せそう。

If you tell someone, "I love you," then you can not say it neutral, it demands something different from human beings. It's absolutely the same in music!
Symphonies like a "I love you": Dec 13, 2016)


※コンセルトヘボウからもメールが届きました。
BRSOもRCOも12月1日と発表していますが、メディアの情報によると11月30日の夜遅くに亡くなられたようです。

On Sunday December 1 our beloved conductor emeritus Mariss Jansons died in St. Petersburg. Mariss Jansons was chief conductor of the Concertgebouw Orchestra from September 2004 up to and including the 2014/2015 season, after which he was regularly a guest.

The music world not only loses a great conductor, but also a warm and honest person. We sympathize with his dear wife Irina and his family and loved ones.

※Het Concertgebouw twitterより

We look back with gratitude and pride on the wonderful concerts of #MarissJansons in The Concertgebouw and what he has meant for The Concertgebouw and the Concertgebouw Orchestra. This photo is of the last concert that he conducted in the Grote Zaal on 22 March with @BRSO

※RCOからヤンソンスさんへの追悼の演奏
ヤンソンスさんがアンコールで好んで演奏していたという『悲しきワルツ』。美しいですね。。。

In memory of our conductor emeritus Mariss Jansons we play one of his most beloved encores, the Valse triste by Sibelius. Dear Mariss, rest in peace.

※ジャパンアーツtwitterより


※ネルソンスのインスタより



【過去のインタビュー等より抜粋】

-You still seem eager to learn.

Oh yes. There is always something new to learn. That’s why I go to my colleagues’ rehearsals as often as possible. It is so interesting and enriching to watch Haitink, Harnoncourt, Rattle, Muti, Barenboim, and many others, at work! It is very important to question not only tradition but also your own convictions.

・・・

-What would be the greatest virtue in a conductor?

Honesty.

-That is a human virtue, not a musical one.

Honesty is necessary both for humanity and for music. 

(An Interview with Mariss Jansons, November 2012)


'If the public says to you after the concert, "Oh my God, I was in heaven for two or three hours"―then you know it was one of those cosmic concerts. But if somebody says, "It was a very good concert, the orchestra played very well, there were nice tunes, it was very polished," then it is not right. That is the difference between a very good concert and one of those excellent concerts. But of these excellent concerts, there are not so many.'
(Tom Service "Music as Alchemy: Journeys with Great Conductors and their Orchestras")


Mr Jansons, in an interview with our newspaper in 2009 you said: I will fight for a new concert hall in Munich, even if it takes until 2020.
Mariss Jansons: You know, it is now clear that the hall will be built. I can't say now I don't care how long it takes. Absolutely not. If you build like in Hamburg, it's a disaster. You have to check that all the time! This is not my first task, but you have to initiate a little. But the main thing is that the decision is made!

At that time you said that you would like to open the hall as chief conductor. Your contract runs until 2021.
Jansons: Of course, that's right. But I don't think that will happen. The builder said he believes the hall will be finished in 2023/24.

That would be a good reason to hang on for two or three years?
Jansons: Yes, I'm not sure about that. I do not know. You know, I've been here a long time. I absolutely cannot tell you that. It depends on the relationship we have in the orchestra. If that's still fresh, lively and interesting, then maybe. But if you say: Thank you, we have had a fantastic time together, now a new direction has to come, then you have to say: Thank you very much! Otherwise we play and they fall asleep in the audience (laughs). You have to understand when it's time. Fortunately, conductors live very long. But I don't want to sit in the chair like a clown when conducting and falling asleep. You have to feel when it's time.

How do you spend the day on tour to always have enough energy?
Jansons: On concert days I try - that does not mean that it always works - not to arrange meetings, not to give interviews and to save my energy. And after lunch I go to sleep. When I get up again, I'm absolutely focused on the work and the performance. Then there is no phone and no distraction anymore. Now comes a difficult moment on the tour: At the beginning everything is very fresh and everyone is excited, then the second and third and fourth concerts come, and then it is very dangerous that the routine comes. Routine is the most dangerous thing! I know what I'm talking about: we had incredibly long tours with the Leningrad Philharmonic, sometimes up to two months with at least 25 recordings. From where do you get the emotion and tension of the 16th Tchaikovsky Symphony in a row?

Where do you get them from?
Jansons: When you conduct, you always have to remember that your first task is to inspire the orchestra. If they don't inspire it, it's routine and boring - even for the orchestra. It is bad if you inspire and the musicians don't inspire you back. That happens sometimes, but luckily not with our orchestra. I just have to light the fire with the match and they make a big fire out of it. But as a conductor you have to light it.

You and your orchestra made people cry in Tokyo with Mahler's Ninth. You, too, looked very battered. Do you feel death in this piece?
Jansons: Absolutely! You can imagine the music so that a person lies in bed and knows that his death will soon come. He doesn't know when, but he's coming. And then he remembers almost his whole life: moments that made him happy, moments that were difficult and tragic for him. It's a retrospective to the end. I feel that death comes earlier than the end of the fourth sentence. The cellos play their last notes, then I take a big break, and then the strings play this incredible music, where tears really come. For me this music is no longer on earth, Mahler's soul is already in heaven - and we feel his spirit and ingenuity, which remain on earth for us.

Your orchestral musicians say they feel a very strong emotional bond with you when you conduct and read a lot on your face. Can you describe what is happening there?
Jansons: I don't know what I'm doing with my face. I only know that when I conduct, I do not only conduct notes and signs and dynamics and ensemble sound. I try to show what kind of atmosphere there is, what is happening, what the composer wants to express - or what I want to express. But that's abstract. So if I feel that there is something malicious in the music, for example, my face might show that too. It is the same with speaking: we make movements, our eyes react - neither of us are sitting here like the mummies. And that's much stronger in music. When that hits the musicians, it makes me happy.

How do you convey this emotion to the orchestra?
Jansons: It doesn't matter whether you conduct a little longer or further, or whether you communicate with your hands or eyes. But the conductor has to feel the charisma and character of the music, it has to come, you understand? Instinctively! And if it doesn't come instinctively, it means that he has no connection to this music. If you say "I love you" to someone, then you cannot say it neutrally either, that requires something different from human beings. It's absolutely the same in music!
("You have to feel when it's time" December 13, 2016)


Mariss Jansons’ earliest musical memories are largely operatic ones. He was born in Nazi-occupied Riga in 1943, son of the great Latvian conductor, Arvīds Jansons, and soprano Iraida Jansone. When Mariss was only three, his father was chosen by Yevgeny Mravinsky to be his Assistant Conductor at the Leningrad Philharmonic. The rest of the family eventually joined him in Leningrad ten years later, where the young Mariss would succeed his father as Mravinsky’s assistant, then Yuri Temirkanov’s, at a time of great transition in the former Soviet Union. Russia is still Jansons’ home – “I have the brain of a Latvian and the heart of a Russian” he recently stated – and he speaks to me on the phone from St Petersburg.. We begin our conversation by reflecting on his childhood.

・・・

Did the heart attack change his approach to making music?

“Oh yes, very much. In such a moment when you are between life and death, you start to analyse what life actually is. Why are we here? What is important? I’m not Mahler, but I’ve raised for myself these questions that Mahler asks many times in his symphonies. I feel I’ve become much richer, a more profound musician, better at fulfilling slow tempos. I can’t say it’s completely changed my mentality but it’s given me new characteristics, new perspectives.”

Early this century, Jansons took the helm of not one, but two of the finest European orchestras, the BRSO and the Royal Concertgebouw. When asked about their respective qualities, he reflects on excellence in orchestral playing. “When you think about the Berlin Philharmonic, the Vienna Philharmonic, the BRSO, the Concertgebouw, the level is so high. Everything is first class. There was a ranking in Gramophone but it’s very difficult to do that in music… it’s not like sport. This group of leading orchestras is very special. The BRSO is a very spontaneous orchestra, very virtuosic, with a German sound, a cultivated sound and they can play wonderful pianissimos. In Amsterdam, meanwhile, there’s an intelligent sound, well balanced. Both orchestras have their individualities but both play at the highest level.” We pause to discuss the internationalisation of orchestral sound – “this comes through recordings and what you can do with microphones” – before considering the role of the conductor as a guardian of an orchestra’s character.

“When I went to Amsterdam and Munich,” he explains, “there were many journalists asking me what I wanted to change. I said ‘I don’t want to change anything, because they are great artists and great personalities. If they can learn something from me and I can learn something from them, then this will naturally evolve in a new direction.’”

"From Riga to Munich: Mariss Jansons on his musical journey" bachtrack, April 18, 2018)

「オーケストラの音の個性を自分に合わせて変えようとは思わない」。ハイティンクも同じことを仰っていましたね。


It's 20 years since Mariss Jansons, 74, had a heart attack while conducting La Bohème. A year of enforced rest followed. Since then his friends and advisers have pleaded with him to stick to an austere diet and go easy on his workload. Cheerfully, almost fatalistically, he carries on just as before. “I know I must reduce my work, but I can't do it,” he says. “When I have free time I always feel ill. The tension goes, my immune system stops, and I get sick. So work keeps me alive!” Not, perhaps, the most scientific of diagnoses but thousands of music-lovers round the world will be grateful that Jansons believes it. At least he now has only one orchestra to fret about. For a decade until 2015 he was chief conductor of two of Europe's best, simultaneously: the Royal Concertgebouw in Amsterdam and the Bavarian Radio Symphony Orchestra in Munich. The clashes of repertoire, tours and everyday demands were insane. Yet when Jansons bowed to the inevitable and dropped one of them he surprised everyone by sticking with the less famous Bavarians — the orchestra he brings to London on April 11.
・・・
It's unlikely that the hall will be finished before 2024, which means that it may be built at the same time as the Barbican builds its proposed new concert hall in London. What a fascinating comparison of budgets, design, acoustics and efficiency that might make. “Perhaps I won't be around in 2024,” Jansons muses, “but I will know that at least once in my life I did something important for Munich and my orchestra.” 
”Mariss Jansons, the maestro with the magic touch”, The Times, April 10, 2017)


-One core feature of the Bavarian Radio Symphony Orchestra brand is that it often gives invitations to guest conductors, including many famous ones with their personal touch. How do you nevertheless manage, as principal conductor, to maintain supremacy over the orchestra’s sound?

I don’t intervene at all in the work of the guest conductors. I’m not even present. Actually, guest conductors tend to support my efforts: the better they are, the more the orchestra learns from them, and the better we become. What I aspire to do is hard to put into words without sounding banal: the orchestra must play well – in a technical sense. The intonation must be flawless, and I put great store in sound.

-What does the orchestra sound like?

Quite good, I think (laughs). We have a very full sound, very emotional, brilliant and dark, the full spectrum. What pleases me most is our pianissimo: it’s easy to play soft, but extremely hard to sound vibrant and expressive at the same time. This orchestra can do it.

・・・

-When you conduct a concert, how often are you satisfied with what you hear? Do you ever think, “Now it’s perfect”?

There’s no such thing as “perfect.” To be honest, I don’t waste much thought on that during a concert. Of course I have to analyze what’s happening when I conduct; I can’t focus simply on emotions and expression. But emotions have top priority. Besides, it’s too late to correct anything. Once I’ve heard it, it’s over. There’s time for analysis after the concert. Then I can consider what was good, what I have to watch out for next time, and what part of the sound I’d like to change.

-A tightrope walk between gut, heart, and brains.

Then I’m in my own inner world, somewhere between feeling and reason – I can’t pin it down more accurately than that. But in any case I have to be fully involved in this process if the music is to emerge. If I think too much about what already happened, the things yet to come can easily go wrong because I’m not focused on them. I have to foresee what’s coming and prepare it in my mind.

-In such moments, does your initial ideal sound still play a role?

It can well happen that I spontaneously decide to try out something new, especially on tour, when we play a work four or five times. Then I’m very fond of improvising a bit. The musicians know this, and of course I take care not to exaggerate so that things don’t get out of hand. Besides, I don’t like it when a concert simply replicates the rehearsal. A concert must be more than that. It’s like a rocket: the first stage is the preparation, the second the rehearsals in the hall, but there still has to be a third stage if it’s to reach the cosmos – namely, the best I can give, combined with the best the orchestra can give.
”Interview wish Mariss Jansons: Wish and Reality", BRSO)



The 1996 heart attack that nearly killed him was almost a case of history repeating itself. His father, too, had a heart attack while performing, in 1984; his was fatal. Mr. Jansons said his own near-death experience changed him musically.
“Of course, you start to analyze what is important in life, really, and what is a priority, and how to divide your time and calculate your energy,” he told The Times in 1997. “But then something comes unconsciously, and this is what I felt in music. I started to like calmer music, quieter music. I like slower tempos. I enjoy it more, because
I enjoy, perhaps, a more philosophical approach.”
"Mariss Jansons, Who Led Top Orchestras, Dies at 76", The New York Times, Dec 2, 2019)



It was April 25, 1996, three months after his 53rd birthday. Jansons later attributed his survival to the emptiness of the Oslo streets through which he was driven to hospital. The omens were not good: 12 years earlier his father, Arvid Jansons, had died aged 70 after suffering a heart attack while conducting the Hallé Orchestra in Manchester.Jansons Jr had a second heart attack a few weeks later, but doctors declared his arteries too frail for a bypass. Instead they prescribed a year’s recuperation in Switzerland, not an easy prospect for a conductor brimming with ideas and enthusiasm. Yet it was a period that turned him from a precocious firebrand into a mature maestro. Later he would be fitted with an internal defibrillator.

A specialist in Russian music, notably that of Tchaikovsky, Prokofiev and Shostakovich, Jansons rode to prominence with a little-known Norwegian orchestra that found fame with him. Richard Morrison in The Times said that orchestral musicians revered him for three reasons: “He is genuine. He is genial. And he is a genius.”

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During the early years of this century Jansons gave memorable accounts at the Proms of Dvorak’s Ninth Symphony, Tchaikovsky’s Fourth and Berlioz’s Symphonie fantastique. Yet regardless of the venue, Jansons wanted every performance to be a special event. “A concert should be something extraordinary, what I call cosmic,” he said. And for many appreciative audiences they were just that.

Mariss Ivars Georgs Jansons was born in German-occupied Riga, the capital of Latvia, in 1943 while his Jewish mother, Iraida, was in hiding because her father and brother had been killed in the ghetto. As a toddler he would watch Iraida, an opera singer, rehearse Carmen: “In the first act, when José took her and put the handcuffs on to take her to prison, I was shouting out, ‘Don’t touch my mother!’ and I started to cry because I thought they were really taking her away.”

He studied violin with his father and began conducting a toy orchestra. “It started when I was four or five,” he said. “I made an orchestra of buttons, of paperclips, and rubber erasers — thousands of things — and I would conduct concerts.” There was a near digression when he was spotted displaying skill at football by the Latvian national coach. “Football?” his mother screeched in horror. “Are you crazy? He is going to be a musician.”

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Through it all he retained his Soviet-era humour. On one occasion he was entertaining a Times journalist in Pittsburgh, but had neglected to book a table at his favourite restaurant, which turned out to be full. He asked to speak to the manager, who recognised him and conjured up a table overlooking the river. “See,” Jansons said, beaming with pride. “Just like in the Soviet Union.”
”Mariss Jansons obituary”, The Times, Dec 2, 2019)

※追記:
Muziek uit hart en ziel: Mariss Jansons (1943-2019)  door Thiemo Wind
コンセルトヘボウが12月11日に掲載してくれた、亡くなる9日前の電話インタビュー。コンセルトヘボウとのブルックナー8番の演奏予定について。

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