風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

マリインスキー・バレエ団 『愛の伝説』 @東京文化会館(11月27日)

2015-11-29 17:18:06 | バレエ



マリインスキー・バレエ団の来日公演、『愛の伝説』1日目に行ってきました。
感想は――

ロパ様、圧倒的

ロパートキナの全幕を観るのは今回が初めてでしたが、マリインスキーの、いやバレエ界の至宝という言葉は全く大袈裟ではないのだなあということが、心底わかりました。
実は今回の来日公演、白鳥は3年前のリベンジで早々に押さえたんですけど、こちらの方は少々迷ったんです。でもロパ様が以前「一番好きな役は?」という質問に「愛の伝説のバヌー」と答えていましたから、オデット・オディールよりも好きだというのなら、、、買わないわけにはいかないじゃないのーーーー!
というわけで買ったのですが。
予習しようとyoutubeでこの作品を観てみたのです(ロパ様、テリョーシキナ、スコーリクのを少しずつ)。そしたら、・・・微妙で・・・。ダンサーがどうこう以前に、作品が・・・。男性の衣装はいわずもがな、女性二人の衣装と振付もクリオネにしか見えず・・・。

音楽もうーん・・・、ストーリーもうーん・・・。


しかし実際に生で観たら、すんごい楽しかったんです

こんなに映像と生舞台でギャップのあった作品は初めてだなあ。
一番の理由は、間違いなく生オケ効果。
こういういわゆる不協和音系の音楽(作曲はアゼルバイジャン出身のメリコフ)って、家でCDや映像で聴いても全く楽しくないのよね^^; 生音で聴いてこそだなぁと。いやぁ、楽しいねぇ。興奮した。ロシアの楽団で聴けてよかったわ。
オケは今回も帯同でしたが(アレクセイ・レプニコフ指揮)、予想以上に気合が入っていて美しくて吃驚。クラシックコンサートを聴いてるようでした。後から知りましたが、客席にゲルギエフ(←ミュンヘンフィルと来日中)が来ていたそうで。なるほど。昼間バレエ団と記者会見をしていましたから、そのまま一緒に来たのかな。
とはいえトランペットの真ん中のケヴィンベーコン似の兄ちゃん(近くで見たらおっちゃんかもしれないが)、「二日酔いですか・・・?」なダルそ~なかったるそ~な雰囲気で、おいおいやる気なしかよ(ーー;)と思っていたんですけど。二幕でやる気いっぱいなソロが聴こえたからふと見るとその兄ちゃんで。ロシア人って読めない・・・^^;(ロシア人じゃないかもだが)。
あと三幕でおい!って箇所もありましたけど。バヌーとシリンが山に到着して三人が対峙した瞬間の静寂場面でプッと鳴らした奴がおった。あそこ一番のクライマックスなのに(T ^ T) 。でもいいです、盛り上げてくれたから。

今夜楽しめたもう一つの要因は、ロパ様のインタビューとファテーエフさんのプレトークのおかげ。
「舞台装置はとてもシンプルで、象徴的です。舞台装置はページがぼろぼろになった大昔の本なのです。それぞれのページにはこの物語の中の出来事が起こった場所と時代がおぼろげに示唆されているだけです。これらのページには時間の流れの中で擦り切れてしまった文字が見えます。まさにこの本の中から、愛の伝説の主人公たちが蘇って登場してくるのです。ただし、それは生身の人間ではなく、文字であり、フレーズであり、記号なのです。それが生きた人間に変身するのです。私はこの作品のスタイルが大好きです。それは私を子供の時代に引き戻してくれるからです。メルヘンの世界が生き生きとした現実の世界だと信じ、奇跡を信じ、ハッピーエンドが待ち受けていると信じていたあの頃に連れて行ってくれるのです。」(ロパートキナ)
この「メルヘン」という言葉は、youtubeで唐突なストーリー展開に戸惑っていた私には、すごく参考になりました。なるほど!と。かなりソヴィエト的なメルヘンではありますけど^^; そう思うと、最後に舞台上の本のセットが静かに閉じていくところ、一つの壮大な昔のお伽話を読み終えたときのような気持ちになります。

そして、ファテーエフさんによるプレトーク。
情報が行き渡っていなかったのか、客席はガラガラ&出入りする人達でざわざわ^^; それを全く気にする様子なくにこやかに話し始めるおっさん。ロシアだ笑。自己紹介もなし。ロシアだ笑(偏見)。
でもこのおっさんは見たことがあるぞ。たしか先日の記者会見で真ん中にいた人だ。で、何をしている人なのだろう(所詮その程度の知識)。マリインスキーのシャチョーさん?シャチョさんにしては品があるというか佇まいがエレガントだけども。
帰宅して知りました。舞踊監督さんでした。そして元ダンサー。納得。
20分トークの内容は、作品の概要。ではあったのだけど、これが私の作品理解に非常~~~に助けになりました。
・この作品には三つの愛が描かれている。バヌーのフェルハドに対する愛。フェルハドのシリンに対する愛。大臣のバヌーに対する愛。
・これは交響曲的な作品。ストーリーをマイムではなく振付で表現している。独特の難しい振付で、アラビア文字のようなイメージ。
・交響曲的と言ったもう一つの理由は、物語や感情を音楽で表現していること。常に音楽をよく聴いてください。例えば兵士の行進場面は、始めは数人の兵士が登場して音楽も静か。兵士が増えるに従って色々な楽器の音が混じって最後は壮大な音楽になる。それから三人になったときの囁きのような音楽は、三人の言葉というよりも心の声の会話。

以下、公演の感想をざっと。

ウリヤーナ・ロパートキナのバヌー。
最初に書きましたが、彼女のバレリーナとしての存在感と魅力が際立っていた夜でした。どの分野でも、基本は客観的なスタンスのアーティストが私は好きなのですが、彼女もそういうタイプのダンサーなのですね。
「バレエとは感情や情緒を肉体の動きで形象化することなのです。なぜなら、私たちダンサーには言葉がありません。あるのは動きとマイムだけなのです。言い換えれば、《感情の絵》を描くということであり、決して簡単なことではありません。…感情を《準備》しなければならないのか?と問われれば、私は「イエス」と答えざるを得ません。しかし、バレリーナが舞台に出て行く時、魂と心を自由に解き放つためには、稽古場での作業を活用しなければならないのです。私にとって大切なことは《音楽の中に》に融け込み、作品の本質に没入し、バレエの観念の中に《実人生》を注ぎ込むことなのです。バレエ作品の中で主要な観念とは何か? それは魂の苦悩であり、愛、苦しみ、幸福、歓喜、思索、再生なのです。」(ロパートキナ)
彼女のバレエって、指先の動きから、決めのポーズから、歩き方一つから、一瞬一瞬の体の動き全てが音楽に溶け込んで、感情を表しているんだなぁと観ていて感じました。動きが計算し尽くされていて、それが完全に自分のものになっているから、顔の表情を観る必要がなくなって、オペラグラスが不要に感じる(細かな動きまで見たいから、結局要りますけど)。分野は違いますが、三津五郎さんの舞踊もそうだったなぁと思い出しました。無駄な動きがなく、体が音楽そのものになっているというか。まさに至芸の美しさ。

そして彼女の孤高の雰囲気が、この役にぴったりだった。youtubeで観たときはこの役のドロドロした感情が足りないように感じられたのだけど、今回観た彼女のバヌーは、内面の深い苦悩や激しさや絶望や脆さが伝わってきました。それが大袈裟に表に出ていないからこそ、一層切ない・・・・。それを表に出さないのが、女王でもあるバヌーという女性なんでしょうね。そんな彼女が内面を見せる三幕の上の写真の場面。ロパ様、神がかってました。。。

以上。
で終わらせてもいいくらいロパートキナが圧倒的だったのですけど、それではあんまりなので、他のダンサーについても(あ、他のダンサーが悪かったわけではなく、ロパ様が際立って圧巻だっただけです)。

そんなロパ様のバヌーと好対照だったのが、クリスティーナ・シャプランのシリン。
こちらも可憐な少女というよりは、凛としたところのある王女らしい王女。決して性格は悪くないのだけれど、自分の心にまっすぐな、王家育ちの、悪意がないがための残酷さがよく出ていて、ロパートキナのバヌーとよく合っていました。若くてとても美しい容姿をしているところも、説得力がありました。

シリンと恋に落ちるアンドレイ・エルマコフのフェルハド(宮廷画家)。
wiki等によると28歳のファーストソリスト(身長195cm!)。ラントラートフと同世代なのか。たまに立っている姿が棒になっていたり粗い感じもあったけれど、時々はっとするキレと大きさがあって面白いダンサーだなぁと。サポートも上手。基本控えめだから、ロパ様と踊るときなどにふいに強引な仕草をすると独特の色気が出て、それがとても素敵でした。ああいうガツガツした面をもっと前面に出すといいと思うのだけどな。youtubeで観たロパ様とのカルメンも、色っぽくてとてもよかったもの。品があるところも◎^^ しかしこのフェルハドって役、最初から最後まで踊りまくりですね。姉とも妹ともソロでも踊ってるものな~。
「『愛の伝説』のフェルハドは、自分自身にとても近い役です。愛の成就をめざしながらも、最後は人々のために尽くす生き方に共感します。と同時にこの作品は男性ダンサーにとって、肉体的にも精神的にも最も難しいバレエです。」(エルマコフ @japanarts twitter)

大臣役のユーリ・スメカロフは、フィギュアのプルシェンコの振付も担当してるんですね~。youtubeでイリヤ・クズネツォフ(この方、ボリショイの先生と同名別人なのね)が大臣でバヌーがロパートキナの映像を観ていたのですが、そちらの方がバヌーへの愛情がはっきりしていて、踊りもダイナミックで好みではありました。でも比べれば、の話で、決して悪くはなかったです。彼が率いる兵士達も、迫力あるのにエレガントで素敵だった♪ エルマコフのインタビューによると東京文化会館の舞台は狭いそうで、そんな中ぶつかることなくあれだけの踊りを見せてくれた群舞の皆さま、さすがでございました。

さて、今回はボリショイの『白鳥の湖』、『ラ・バヤデール』につづく、私にとって三回目のグリゴローヴィチさんの振付作品。プログラムによると、昨年上演された改訂版ではなく、原典版だそうです。グリゴロさんなので想像力駆使を覚悟していましたが、あの白鳥の湖よりずっとわかりやすくて吃驚&ほっといたしました笑。それもこれもファテーエフさんのプレトークのおかげ。
この作品、とにかく素直に音楽に身を預けていれば、そして今回のように作品世界を表現できる演奏をしっかりオケがしてくれれば、ただボーと観ているだけで自然とストーリーや感情が伝わってくるのですね。本当に楽しい体験でした。また一つバレエの楽しみ方を教えてもらった。
ただ、最後にバヌーがフェルハドに「シリンと一緒になりたいのなら山から去りなさい」と選択させたところ(@プログラム)は、私には振付だけではちょっと理解しにくかったかな。民の後ろをゆっくり歩くバヌーの様子でそうなのかな?とは思いましたが。私は観ていませんが、テリョーシキナの演技だったらわかりやすかったのだろうか。
あ、そうそう。ラストを男性ダンサーで終わらせるのも、Theグリゴロさんだな~と感じました笑。

ヴィシニョーワ&コールプは今回来日していないんですね。三年前のコンダウーロワのガムザッティと三人のバヤ、素晴らしかったなぁ。次回はぜひ二人もご一緒に!

来週末はロパ様白鳥。
ロミジュリはこれ以上仕事を早退できないので、諦めました。すごーくすごーく観たかったけれど



左は2012年の、右は今回のプログラム



ロパ様&エルマコフの『カルメン』(二人の絡みは26分以降)。ラテンな踊りってロシアと合わないイメージでしたが、意外や、やりますね~ロシアン。いわゆるカルメンという感じではないけれど、二人とも素敵。ザハロワ&ロヂキンのカルメンも意外によかったし(もちろんヴィシニョーワのも素晴らしかった)、ロシアの洗練され過ぎていないところがラテンに通じるのかな。


同じ二人で、『The Death of the Rose』。こうやって見ると、ロパートキナってやっぱり背が高いんですね。


ロパ様の愛の伝説の映像はこの映画でどうぞ~。公式サイトはこちら。1/30よりロードショー。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔から雨が降ってくる

2015-11-20 01:09:57 | その他音楽

昔、僕はこの池のほとりの 1本の木だったかもしれない
遠い空へ手を伸ばし続けた やるせない木だったかもしれない
あの雨が降ってくる
僕は思い出す 僕の正体を
昔から降ってくる なつかしく降ってくる

昔、大きな恐竜も 昔、小さな恐竜も
同じ雨を見あげたろうか 同じ雨にうなだれたのだろうか
あの雨が降ってくる 
昔から降ってくる

(中島みゆき 『昔から雨が降ってくる』)

世の中はアルカディアDVDや組曲や一会の話題で賑わっておりますね^^
一会のセットリストには命の別名が入っているのだとか。聴きたかったなあ(チケットとれませんでした・・・)

命につく名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

20代前半にどん底の精神状態になったときがあって、自分の体が傷ついても全く痛みを感じないという状態を初めて経験しました。あのとき私を救ってくれたのが、この曲でした。みゆきさんは私の命の恩人なんです。

30代前半にやはりどん底の精神状態になったときに、眠れなくなってしまった私を眠らせてくれたのはビートルズのLET IT BEでした。

When I find miself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

Mother Maryはポールが14歳のときに病気で亡くなった母メアリーを指しているそうですが、当時私は聖母マリアのことだと思っていました。ポールもメアリーもカトリックだそうなので、それもかけているのかもしれませんが。私はキリスト教徒ではありませんが、この中のマリアに不思議なほど救われました。自分の力ではどうにもならない状況で苦しんでいるとき、人知を超えた存在を思うことは、それがどんな形のものであれ、すごく大きな慰めになった。宗教というものが人に必要とされ続けてきた理由を本当の意味で理解したのはこのときでした。

さて、今回の記事のタイトルのこの曲。『昔から雨が降ってくる』。
以前も書きましたが、私は小説的な意味での輪廻転生というものは信じてはおりません(仏教的な意味ではなく、一般的な意味で使ってますので、そこはつっこまないでね)。前世の恋人に次の世で再び巡り逢って前世の記憶を思い出して、というようなあれです。そういう小説や映画は大好きだけれど、たぶんないだろうと思っている。“私”が“私”である時間は、おそらく今生きているこの数十年間だけ。
でも、もっと科学的な意味での(科学という言葉は正確ではないかもしれませんが)輪廻転生は信じています。というより事実としてあるはずだと思っています。

どういうものかというと、この歌詞のようなイメージなんです。みゆきさんの意図とは違うかもしれませんが。
私達の体も、植物も、風も、水も、この世界のあらゆるものは無数の小さな物質でできている。それは現在の科学では解明できていないレベルの、細胞よりも原子よりももっともっと小さな単位の何か。あるいは科学でまだ発見されていないような種類の何か。それらは人間の体の一部になったり、土になったり、植物になったり、再び別の人間の一部になったりしながら、それを繰り返しながら、この世界を巡っているのだと思うのです。細胞の死とともに全てがリセットされるのではなくこの宇宙に一定の法則(いわゆる大いなる意志と言われるようなもの)があるのも、それを裏付けているように思います。
だから私のこの体は、ずっとずっと昔、一頭の恐竜であったかもしれない。今はない一本の木だったかもしれない。世界のどこかで生まれて死んでいった一匹の魚だったかもしれない。そして空から降る雨にうたれた記憶も、私達が泣いて、笑って、一生を生きた分の記憶も、“その物質”は憶えているのではないかと思うのです。具体的に意識される形ではなくとも。そしてそういう意味では、この世界では別れてしまう恋人や友達や家族とも、いつか再び違った形で巡り逢えることもあるかもしれない、と。
そう信じたいのではなく、そのように考えるのが私にとって一番自然なのです。子供の頃からずっと体で感じてる感覚なのです。今でも、ふっと「正体を思い出す」ような感覚があるのです。実際に思い出せることはないのですけれど。子供の頃ステゴザウルスが大好きだったのは、おそらくステゴザウルスだったときがあったからではないかと思うのです。これは半分冗談ですけど(でも半分本気です)。

何が言いたいのかといいますと。
すごくいい曲ですよね、ということ笑。

ちなみに、ただいま人生3回目のどん底に近づきつつあったりしてます。さすがに3回目にもなると近づいてることが自分でわかります。てかサイクル短くなってるし。もしかしたらこれまでで最深になりそうな予感もあったりしてるのですけれど・・・。
沼の底に沈みそうになっている私を引き上げてくれているのは、今回はペラ様(ペライアですよ)のピアノです
私の幸運なところは、いつも救い上げてくれる音楽に出会えていることだと思います。ただただ、感謝。
何事もきっとなるようになる、よね・・・?

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山崎豊子 『大地の子』

2015-11-19 00:00:42 | 



「日本語で〝妹(メイ)〟は何というのですか」

(山崎豊子 『大地の子 第一巻』)

内蒙古の労働改造所で、一心が華僑の黄に言う言葉。この作品の中で最も好きな言葉の一つです。
一心のここに至るまでの人生と、彼にこれを言わせた黄の人生と、この言葉がどれほどの命の危険を伴ったものであるかという彼らの現在の状況と、それでもなおこれを言わずにいられなかった一心の心と体の奥の何ものか。すごく重く、美しい言葉だと思う。
その彼が最終巻で実父に告げる「私はこの大地の子です」という言葉。その重さは私などには到底想像することはできません。

「今日の日本の平和というのは、そういう孤児たちを戦後四十年近くも捨てておいた犠牲の上で成り立っていることを反省したいです。日本人はみんな健忘症なんでしょうか。それとも人道主義欠如症なんでしょうか」
(『オール讀物 1991年5月号』対談)

この山崎さんの言葉は、『不毛地帯』で描かれたシベリア抑留の歴史にも、『二つの祖国』で描かれた在米日系人の歴史にも、そして世界中で今なお続く様々なことにも、通じるものだと思います。
などとこうして他人事のように書いている自分を、恥ずかしく感じます・・・。
問題は決して単純ではないかもしれませんが、少なくとも不感症にだけはならないようにしなければ。

先日の山崎豊子展で、熱心に展示を見ている中国語を話している女の子達を見かけました。外見は純粋な中国人のようでしたが、もしかしたらそうではなかったかもしれません。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内田光子ピアノ・リサイタル 2015 @サントリーホール(11月15日)

2015-11-16 22:10:31 | クラシック音楽



どうも私はペライアが好きすぎて似たような音のピアニストばかり探してしまう傾向にあることにふと気付き、あえて違うタイプのピアニストの演奏会に行ってみることに。
というわけで、内田光子さんです。
最初にこの方のモーツァルトをyoutubeで聴いたとき、正直なところ、その魅力が私にはわかりませんでした。打鍵はカッチリしてるけれど醒めてるようにも聴こえますし、ふっと心が解放される瞬間がなく息が詰まるようにも感じたり。
ですが今回生で聴いて、この方のピアノのどういうところに人が惹かれるのか、わかったような気がしました。
最初の一音から緊張感と力強さ(打鍵の強弱ではなく)で彼女の世界にぐいっと引っ張られて、目(というか耳)が離せなくなって一瞬も気が抜けずに最後まで連れて行かれる。でもそれは生で聴いてみると意外と不快な感じではなくて、そこにはっきりと見える光景が気持ちいい。
今夜のシューベルトで、よくわかりました。その後のベートーヴェンでも。
誤解を恐れずに言えば、日本人的ではないピアニストですよね。
一方で、思いのほか人間味のある音を出されるのだな、ということも今夜知りました。

【シューベルト: 4つの即興曲 op.142 D935
シルクのような透け感のある黄色のシャツに光沢のある上下黒のパンツ。ステージに登場されたときの印象は「わ・・・、かっこいい」でした。背筋が伸びていて、仕草がとてもエレガント そして椅子に座るか座らないかであの第一音。ハイティンクもそうでしたけど、精神を落ち着ける時間とかはこの方達には不要なようですね^^;

4つの即興曲なんていう題だからてっきり統一感のない軽めの小品集なのかと思いきや、通して聴くとまるでソナタのようなのですね。なんて美しく深遠な4曲でしょう。
この曲についてシューベルトがどういう言葉を残してるかとか、そういう知識は私には一切ありませんが、光子さんの解釈のとおりにこの曲を聴くなら、つまり「死に向かって近づいていく美しさ」がシューベルトの音楽の特徴であるなら、この夜の光子さんの演奏はまさにその世界観そのものだと感じました。
そして怖いくらいの美しさのその最後にあるのは、少なくともこの曲に限っては、救いの光ではなく、死の沈黙そのものに私には感じられました。

そしてこの後のディアベリ変奏曲でも感じましたが、光子さんの音は時々とても厳かで祈るように響きますね。そんなとき、パリの同時多発テロがあった直後でしたので、音楽の力というのはどういうものなのだろう、とかやっぱり考えてしまいました。

~休憩20分~

【ベートーヴェン: ディアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 op.120
次々違う表情を見せていく33個の変奏曲。光子さんが弾くと57分くらいだそうです。初めてyoutubeでこの曲を聴いたとき、なんと奏者の体力のいりそうな曲だろうと感じました。聴いているととっても複雑怪奇ですけど、光子さんによると奏者にとってもやはり複雑怪奇なのだそうで(それを暗譜で弾いちゃう光子さん)、ひどく体力と集中力を必要とする作品なのだとか。だから光子さんは70歳になる前に挑戦したかったのだと。この曲を弾かないまま死んでしまうのは嫌だった、と。そして一昨年から演奏会で弾いているそうです。光子さん曰く「ベートーヴェンには死に近づく際に宇宙を見渡すような特別な世界観がある」「作品の全体像は、人間が生きていく上で遭遇する最大の深みにスポッとはまってしまったようなもの。その一方で、深みに落ち込んだ者を上に引き上げる力がある。それはベートーヴェンにしかできないこと」とのこと。
youtubeで何人かのピアニストの演奏で聴きましたが、それぞれ全く弾き方が違っていて面白いのです(元の楽譜は一体どうなってるのだろ~?)。
が。
間違っても私のような素人が聴いていて楽しい曲とは言い難い曲でもあります^^; 明らかに玄人向きの曲ですよね。
とはいえyoutubeで聴いたときは1時間弱が拷問のように感じられましたが、この夜はほぼ飽きることなく集中して聴くことができました。生演奏であったことと、万華鏡のように変化しながらも全体では一貫している光子さんの世界と、ピアニストの気迫に連れていかれたといいますか。
特に最後のジャーンは、これまで聴いたこの曲の演奏の中で一番自然に納得できるジャーンだった(自分にしかわからない感想でスミマセン)。
今後他のピアニストの演奏でもぜひとも聴きたい曲かと言うと微妙ですけど、こういう曲をこのピアニストはこんな風に演奏するのかということが説得力をもって知ることができて、この夜この曲を聴けたことは幸運だったと思います。
圧巻の演奏でした。

あ、サントリーホールは今回が初だったのですが、とても素敵なホールですけど、音の反響?が強いのですね。お風呂場の中で極上のピアノを聴いているような妙な気分でした(^_^;)

次回のピアノリサイタルは、来年のクリスチャン・ツィメルマンの予定。

日本も、パリも、世界中の人達が芸術を安心して楽しむことができる日が遠くなく訪れますように――。

内田光子「心技体そろった今だからこそ≪ディアベッリ変奏曲≫」

ピアニスト 内田光子
(1)16歳でウィーンにとどまる選択
(2)“名もなき国”イギリスへ
(3)シューベルトの孤独感に惹かれ
(4)苦しいながらも楽しい弾き振り
(5)日本の“湿った静寂”が好き
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳田國男展講演会 京極夏彦「柳田國男の視点」 @神奈川近代文学館(11月7日)

2015-11-08 00:08:01 | 美術展、文学展etc



最近毎月のように出没している近代文学館。先日うっかり谷川俊太郎さんの講演会チケットを捨ててしまった近代文学館。
今回の講演会は、作家の京極夏彦さんでした。
これまでも何度かここに書いていますが、私は京極氏の作品が昔からとっっっても好きでして(最近は追えてないケド)。でもご本人にお会いしたことはなかったので、今日は朝からドキドキ。
それに京極さんのイベントって個性的な方達が多いと聞いたことがあったので、そういう意味でもドキドキ。
しかし実際に行ってみると全然怖い方などおらず、いつも文学館でお見かけしてるような品のいい和やかな方達ばかりでした^^
しかし千円って柳田國男展のチケットも含んだ料金かと勘違いしてたわ(だから招待券を持ってたのに家に置いてきちゃったよ)・・・ 谷川俊太郎さんのときは確かセットだったのに。ちょっと高いよね。。。

さて、初めてお会いする京極さん。
上の写真ではめちゃ顰め面をされておりますが、実際は笑顔の多いユーモアいっぱいの大層楽しい方でございました(*^_^*) トーク、上手いなーーー(時間配分も神業レベル)。1時間15分、たっぷり堪能させてくださいました。
以下、自分用の覚書。
講演中はメモらない人間なので、記憶違いがあったらお許しを~。。。
ちなみに「京極さんは幽霊とお化けと妖怪という言葉を使い分けてるのか否か」という長年の疑問が晴れて、個人的にスッキリ 同じもの、だそうです。


・小説を書く場合、一人称、二人称、三人称の三つの視点がある。一人称はその人物が知りえない情報は書かないので、ミステリーなどでは使いやすい。二人称はあまり使われない。三人称も、書きやすさ&読みやすさの点から主人公が知らないことは書かないようにすることが多く、一人称視点とさほど変わらない。
この他に神の視点(作者視点)というものがあるが、これは非常に使うのが難しい。作者は登場人物の知らないことを当然知っていて、知らなくても作り出すことができるから、この手法でミステリーなどを書くと「お前犯人わかってんだろ!早く言えよ!」と読者に思わせてしまう。神視点の場合は時系列で書くとよいが、そうしない場合もあって、時代小説などに多い。池波正太郎先生は脚本の手法で小説を書いた人。ト書きを使う。また司馬遼太郎先生は、新聞記事に会話文を入れた人。「土方は〇〇へ向かった。筆者は以前この道を通ったことがあるが~」とズルいやり方(笑)だが、難しい方法でもある。

・死者の霊魂という概念がない文化圏では、幽霊の話をしても理解されない。それだけでも明らかなように、幽霊というものは存在しない。日本は死者の魂があるという文化だから「幽霊を見た」と言うと「そうだね、見たね」「それはコナキジジイだね」となったりする。それが一概に悪いわけではない。お墓参りとかなら問題ない。しかし祟りが怖いから壺を買うとか家を建て替えるとかなってくると宜しくない。

・現代で言うような幽霊が出てきたのは、実はつい最近、昭和40年代くらい。昔はそんなものはなかった。
「でも幽霊画とか残っているじゃない」と思うかもしれないが、あれは殆どは芝居の幽霊を描いているにすぎない。写生で書かれた幽霊画なんてない。円山応挙の幽霊なども暗くて足元が見えにくかったから足がなくなっただけで、大した発明ではない。体が透けてる絵は芝居でできなかったことをやろうとしただけ。

・室町時代の猿楽師である世阿弥は、夢幻能を大成させた。wikipediaでは能は「超自然的なものを題材とした高尚な歌舞劇」などと書かれてあるが、そもそも能に超自然的なものなど登場しない。現代の感覚でシテ視点で観ようとするから、見誤る。能のシテは神、無機物、死者、狂女などであるが、それらに共通するのは「コミュニケーションをとれない存在」ということ。神は語りかけても答えないし、岩(@殺生石)も、死者も同じ。狂女もやはり普通の会話をすることはできない。しかし客はワキを通して彼らの物語を見ることができる。ワキがいなければ客は石をずっと観ているだけになり、面白くもなんともない。能はシテ視点ではなくワキ視点で観るべきものである。

世阿弥は息子の元雅が作った『隅田川』に対して何故舞台に子供の幽霊を登場させたかと怒った。子供の幽霊は狂女にしか見えないはずで、客に見えているのはおかしいと。この論争からわかるのは、「幽霊は個人が見るものである」という認識が世阿弥の時代の常識としてあったということ。
このように個人にしか見えないはずのものが、やがて江戸時代になると、芝居などで客も見るようになってくる。四ツ谷怪談の幽霊も伊右衛門にしか見えていないものなのに、客も見ている。

明治に入り尾崎紅葉らによる言文一致運動が起こる。講談が流行り、講談本が作られ、まるでそこにいるように読者も幽霊を体験するようになる。池波正太郎の手法がそれ。
自然主義が流行する。
江戸の読み物は作者が途中で変わったり、仇討ち物として書き始められたものが人気がないから途中で恋愛物に変わったり、突然化け物が出てきて話が収束したりしていた。それはそれで個人的には好きだが、自然主義では事実をありのままに書く。これに傾倒したのが松岡國男(のちの柳田國男)。その友達が田山花袋。しかし國男は次第に日本の自然主義文学や私小説に抵抗を感じ始める。朝私が何を食ってどう感じたとかそういう田舎の親父のブログのようなものなど読みたくはない、と。そして文学を捨て、官僚になる。

ある時國男は佐々木喜善から遠野の民間伝承を聞き、大きな衝撃を受ける。まじか!?と。なぜならそこでは、個人にしか見えないはずの幽霊を複数の者が同じように見ていたから。
國男は実際にそういう事実があったのか否かではなく、そういうことを皆が信じるような文化に興味を持った。そして自ら遠野に行き聞き取った膨大な資料をカードで分け、今でいうデータベース化した。

・『遠野物語』では、「私」の視点は徹底的に排除されている。近代人である「私」は幽霊を認めるわけにはいかないから。その代り序文ではその反動か「私」がいっぱい主張している。
彼はこの時とっくに文学を捨てていた。しかし幸か不幸か彼には文才があった。これは彼が書いていない『拾遺』と比べると一目瞭然。そこでは、まるで幽霊がいるかのようであった。彼は意図していなかったろうが、後の時代の実話怪談は遠野物語の完全なパクリ。

・『遠野物語』の「平地人を戦慄せしめる」という言葉は「幽霊こえ~!」と思わせるという意味ではない。私達の国にはこんな面白い文化があるんですよと知って、かつての自分と同じようにまじか!と吃驚して、自分の国についてもっと知って学んでほしいということ。この柳田が感じたまじか!という驚きはとても大事だと思う。
幽霊は文化装置。柳田は冷徹な人。誤解している人がいるが遠野物語に幽霊など書かれていない。
たとえば祖霊という概念は柳田が作ったが、それは現代のTVから出てくる幽霊とは全く違うもの。きちんと奉れば守ってくれるという存在。
柳田に興味があるなら少なくともそこをわかって読んでほしいと思う。
また遠野物語が民俗学の発端と言うのも間違い。これを書いた当時柳田に民俗学という意識はなかった。

・最近は皆さん幽霊がお好きなようで、よく「うちの地方は幽霊が多いんです」「心霊スポットが多いんです」というような話を嬉しげになさる方がいるが、そんなものは嘘です。たまたまその地方のインフォーマントが幽霊を嫌いで、書き残されなかっただけ。実際、幽霊の話は大体どの地方も同じくらいある。

・雪女も磯女も産女も同じもの。妖怪は因数分解していくと一つか二つしかなくなる。それが土地や文化によって変わってくるだけ。雛祭りも川に流したり様々。だからオシラサマを研究すると一概に言っても、その大本が何であったかを探っていくか、その上澄みの部分を研究するかの二種類ある。楽しいのは、圧倒的に後者の方。
柳田がどちらを目指したかはわからないが、後世の私達がすべきことは彼と同じことをするのではなく、せっかく科学的な手段に恵まれているのだから、資料をデータベース化し、そこから何が導き出されるかなど、その先に目を向けてもらいたい。

・全ての伝承には由来があるが、あとから由来が作られることもあるから注意が必要。オシラサマに纏わる馬娘婚姻など。由来を探っていくのもいいが、答えに辿り付けるかどうかは分からないし、その答えが正しいかどうかもわからない。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 山崎豊子展 ~不屈の取材、情熱の作家人生~ @横浜高島屋ギャラリー

2015-11-01 20:21:58 | 美術展、文学展etc


『大地の子』の取材で上海宝山製鉄所にて(文芸春秋)

人類の不幸は戦争から始まるのだ。ああ平和、これこそ今、全人類の希求するものだ。白煙のもうもうと立ち上る焼きただれたこの姿、私の胸から一生忘れられない焼き印だ。地下鉄の改札口にべったり坐ってうずくまる人々は、昨日までは豪華な生活をしていた船場商人ばかりなのだ。まことに人の運命のはかなさをまざまざと知る。
(昭和20年3月14日の日記。21歳)

山崎豊子さんの作品は、小説は『大地の子』を、ドラマは『大地の子』、『白い巨塔』、『華麗なる一族』、『不毛地帯』を観たことがあるくらいでしたが、今日の資料や映像を見て、他の作品も読んでみようかナと感じました
『山河燃ゆ』(松本幸四郎)、『沈まぬ太陽』(渡辺謙)、『運命の人』(本木雅弘)などの映像作品も観てみたいな。

以下、展示についての覚書。

・生まれ育った大阪船場の老舗昆布屋の模型など

・年表
ええと私の年齢(39歳)のときは・・・と・・・『白い巨塔』の連載開始とのこと。わが身に照らして、はぁ・・・と溜息

・遺品の中から出てきた、昭和20年1月~3月(20~21歳)の日記
恋人の出征や3月13日の大阪大空襲時の様子が克明に記されていました。日記というよりも小説に近く、若さを感じさせる文章。恋愛に対しても情熱的な女性だったのですね。

『花のれん』で直木賞を受賞したときの、作家井上靖(毎日新聞社時代の元上司)からの手紙
「橋は焼かれたのだからもう仕方がない。あせらないで、自分のペースで頑張ってください。数は少なくとも力作を期待します」

・膨大な数の取材ノートと録音テープ
取材で訪れた国:17ヶ国
取材国が一番多かった作品:『不毛地帯』の8ヶ国
一番多くの人に取材した作品:『大地の子』の500名
一番長期間取材した作品:『大地の子』の中国3年、日本1年
取材した人の数:5300名
名刺の数:4000枚
取材ノート:980冊
録音テープ:5500本

『二つの祖国』(『山河燃ゆ』の原作)執筆資料
東京裁判の英語記録など。
昔ワシントンDCの歴史博物館で見た、壮絶な日本人収容所の展示を思い出しました。
映像も流れてたけど、幸四郎さん若い~。いい男!

『大地の子』執筆資料
進行表は横長の紙に「主人公」、「養父」、「実父」の三段に分け時代を追って書かれてあり、改めてこれはこの三人の物語なのだなぁと。
実父の欄の欄外には、再婚した妻との間に中国語通訳になる娘がいる、という実際に採用されなかった設定メモも書かれてあり、興味深かったです。
また、主人公の1985年11月46歳の箇所には「第一期工事完工。完工式後、父子、長江下り、「私は大地の子」」と書かれてありました。陸一心の「私は大地の子です」という台詞は、実際に山崎さんが長江下りをした船の上で雲が晴れて太陽が射したときに浮かんだ台詞だそうで、「決まった!」と呟かれたのだとか。
胡耀邦総書記と面会した際の中国でのスケジュール(予定びっしり)や、その様子を報道した中国の新聞記事も展示されてありました。

・山崎豊子文化財団の関連資料
『大地の子』の印税全額(三億円)で設立した、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助する財団。
「私を支えたのは『大地の子』の恩人である故・胡総書記の「教育こそは国の礎である」という言葉でした。未来への礎に一助をなすことが、戦争という過去を知る世代のせめてもの務めだと思います」(インタビュー記事より)

・市川雷蔵、中村玉緒、新潮社の編集者斎藤十一からの手紙。斎藤氏からの手紙には「沈まぬ太陽がある限り新潮社は安泰です」と書かれてあり、まるで山崎豊子のドラマみたいだな~と。

『沈まぬ太陽』執筆資料
ボーイング社を取材した際のパス(ANAの名前がありました。やはりJALの協力はなかったのね…)。
映画への出演を切望する渡辺謙からの手紙。「沈まぬ太陽の恩地は一番やりたい役」とのこと。

『白い巨塔』執筆資料
医療過誤の裁判資料や、早期胃がんに関する資料など。
小説としては完結し評価も得ていた『白い巨塔』でしたが、その結末に対して医療過誤の遺族から「医師だけでなく、作家には責任はないのか」という強い批判を受け、山崎さん自身もその社会的責任を感じ、続編の執筆に踏み切ったそうです。

・志摩観光ホテルでの写真やレストランのメニュー
山崎さんのお気に入りのホテルで、正月はいつもこのホテルで過ごされていたそうで、そこで見かけた光景から『華麗なる一族』の構想を得たのだとか。

この他『ぼんち』『女系家族』『女の勲章』『不毛地帯』『運命の人』『約束の海』などの執筆資料や原稿、お気に入りのCD(ベートーヴェンがお好きで、ベルリンフィルのカラヤンの第九など)、書斎の再現、愛犬との写真、洋服や帽子やバッグ(お洒落な方だったそうです)などが多数展示されていました。

関東は本日で終了ですが、これから京都、大阪と巡回していきますので、ご興味のある方はぜひ(^_^)

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする