風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『終戦のエンペラー』

2013-08-03 17:31:20 | 映画






あの天皇発言が本当にあったか否かなど、色々言われておる本作ですが。
その発言はなかったとする映画を作ったところで、やはり文句を言う人はいるのでしょう。
どんな風に作ろうと必ず何か言われるのがこの時代を描く映画の宿命ですが、現時点で真実は闇の中である以上、諸説ある中からどれか一つを採用するしかないではないか、と私などは思うわけです。
とはいえ「本作はマッカーサー資料を根拠としたフィクションである」とかなんとかテロップの一つでも流しておけば不要な批判はだいぶ避けられたろうと思うので、フィクションとノンフィクションの混同という意味で誤解を与えやすい映画であることは確かですね。

単純に「映画」として観た感想を言うなら、私はとても良い映画だったと思います。

フェラーズ准将(マシュー・フォックス)とアヤ(初音映莉子)の恋愛は完全にフィクションで、ない方がよかったという意見も聞きますが、私は必要だったのではないかなと思います。政治も外交も究極には人間(昭和天皇も含め)が行っているわけで、あの真っ暗な時代を懸命に生きた“人間”の姿というのは、やはりすべての根本だと思うのですよね。日本人とアメリカ人の恋愛という最もシンプルな形で、両者の国民性の違いを自然に端的に表すことにも成功していたと思います。二人とも嫌味のない素敵なカップルでしたし。

マッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズ。本国での選挙を常に意識している狡猾さと、でもそれだけではない軍人としての大きさが絶妙なバランスで、この役にぴったりだと思いました。

通訳役の羽田昌義さん。東京大空襲で妻を亡くしているという設定と抑えた演技が、とても良かった。

鹿島役の西田敏行さんは、こういう役がすっかりはまり役ですね。ときどき高橋是清@『坂の上の雲』に見えて困りました、笑。終戦後にフェラーズが静岡を訪ねていった場面、淡々とした中に深い悲しみが滲んでいてよかったなぁ。

中村雅俊さんの近衛文磨邸の場面は、先日『異国の丘』を観たばかりだったので、「ちょうどこの頃文隆は・・・」と二重の悲劇に思いを馳せてしまいました・・・。

関屋貞三郎役の夏八木勲さん。この方の演技を見るだけでも、この映画を観る価値があると思います(最近歌舞伎ですっかりこういう見方を覚えてしまった)。明治天皇の短歌を詠み上げる場面、素晴らしかった・・・。こんなに深い空気をさらりと作れる方だったんですね。ご冥福を心からお祈りいたします。

昭和天皇役の片岡孝太郎さん。
2時間半、延々と引っ張ってのクライマックスでのご登場。さぞ難しかったろうなぁと思います。もしこの昭和天皇がイマイチだったら全編ぶち壊し、という映画でしたから。
私は歌舞伎の孝太郎さんの演技が大好きですが、この映画でも期待以上に素晴らしい昭和天皇を見せてくださいました。
考えてみれば、孝太郎さんはこの手の演技がお得意ですよね。今年正月の『勧進帳』の義経でも、「一人だけ周りの人間と違う品格があって、でも浮世離れしすぎていなくて」という空気が絶品でしたもの。
マッカーサーとの会見で「話が違う!」という関屋をすっと左手だけで黙らせるところ、よかったなぁ。もっとも、この瞬間私の頭にぽんっと浮かんだのは、なぜか先日の『柳影澤螢火』で恋人の数馬に目線で合図を送ったときのお伝の方の姿でございましたが(いや、あの場面の孝太郎さんが大好きだったので。。)。
ところで今回の孝太郎さんの出演に父親の許可が必要で驚いたとTVでトミーリージョーンズが言っておりましたね。そんなニザさんも好きですとも!昨日の秀太郎さんブログによりますと、松嶋屋一門は皇室崇拝なのだとか。孝太郎さんの出演がOKだったということは、松嶋屋的にはこの映画の天皇の描かれ方はOKということなのですね(そりゃそうか)。秀太郎さんも孝太郎さんの演技を『力みのない、それでいてしっかりした、「演じていない演技」』と褒めておられました。私もそう思います^^

これらの方々の演技が見られただけでも、十分感動いたしました。

この映画の歴史描写がどれだけ正確であるかの議論はあるでしょうが(二二六事件やその後の戦況に踏み込んだ発言をしていた昭和天皇の姿は、この映画からは覗えません)、少なくとも十ン年前、大学時代にワシントンDCのスミソニアン博物館でエノラ・ゲイの特別展示を見、「戦争を終結させ、多くの命を救った航空機」という英雄的解説が大々的になされ、その犠牲者については一切触れられていなかったことに大きな衝撃を受けた私は、今回の映画で中村雅俊にあの台詞を言わせ、そして広島・長崎・東京大空襲の犠牲の大きさについてはっきりと述べたこの映画を米国が作ったというだけで、十分価値あるものに感じました。なおエノラ・ゲイは現在スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターで展示されていますが、依然として犠牲者についての解説は省かれているそうです。
決して完璧ではないかもしれませんが、今回の映画に関しては、作られたことによる罪よりも、作られたことによる功の方が大きいであろうと私は思います。これまで作られた同種の作品と比べても日米両国に対して格段に公平な描写となっていますし、仮に日本がこの映画を作った場合、米国人は誰一人として観ることはなかったでしょう。
年々あの戦争の記憶が風化していくなか、こういう映画がきっかけとなり、日米の若者が「実際はどうだったのかな?」と興味をもってくれれば、十分だと思います。

なので、こういう映画こそ若い人達に観てもらいたいと切に思うわけですが、夏休み中の1000円デーであるにもかかわらず、観客の平均年齢は六十~七十代。。。三十代の私が一番若かった気がする。。。
残念です。

数年前に亡くなった祖父が、亡くなる前に「最近は戦前と世の中の空気が似ている」と言っていました。
この頃ふと、思い出します。


《記者会見》
片岡孝太郎

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