風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

映画 『ロパートキナ 孤高の白鳥』

2016-01-31 15:06:05 | バレエ




渋谷のル・シネマに行ってきました。bunkamuraは何度も来ているけど、映画館は初めて。今回もハチ公に会うまで散々迷った・・・。毎度迷う。この駅はどうしてこんなにわかりにくくなってしまったの~~~?

誰にも迎合せず、流行にも左右されない。目立ちたがらず、スタンドプレイもない。

予告編のこの言葉はアニエス・ルテステュ(パリ・オペラ座)がロパートキナを表現した言葉だったのね。「そしてそれは決して簡単なことではない」とも。彼女の言葉、どれもうんうんと頷いてしまう的確さで、さすがだなぁと感じました。アニエスの舞台は残念ながら生で観ることが叶わなかったのだけれど、知的で素敵な女性ですね。映像だけでファンになってしまいそう。やっぱり彼女の椿姫も観るべきであったかなぁ。でもオレリーのと2つで5万はさすがに無理であった。。

このドキュメンタリーで改めてロパ様の踊りを観て、昨年の世界バレエフェス(ライモンダ&瀕死の白鳥)とマリインスキー来日(愛の伝説白鳥の湖)で感じた彼女の印象を再確認することができました。体のすべてが音楽と一体となっていて、動きの一つ一つが感情を表している。それってすごく高度なことのはずなのに、それを全く感じさせない自然さで。自分を目立たせようという空気も一切感じられないのに、どうしても彼女に目がいってしまう。
昨年の白鳥の湖ですごいなぁと思ったのは、音楽の言いたいであろうことが実際に聴こえる音以上に饒舌にこちらに伝わってきたこと。オケが表せていない部分も(あの夜のオケはヒドかったのでね・・・)、チャイコフスキーの音楽の心を彼女の踊りが表していた。感情的な演技は一切していないのに。そして彼女の踊りには常に音楽が流れているというか、止まっているときでも沈黙も音楽の一部のように感じられて、それがすごく心地よかったのを覚えています。

今回のドキュメンタリーでは、『愛の伝説』の映像が沢山観られたのも嬉しかった。特に3幕のあの神がかっていた場面の練習風景が観られたのは良かったです。成功を手に入れても、決して妥協せず最高の更に上を目指す。そんなストイックな彼女だからこそ作り得た舞台。彼女の舞台が世界中の観客の心を動かす理由は、そういうところにあるのだろうなと思う。これはバレエ以外の世界でも同じだろうと思います。もしかしたらそこにあるのは楽しみよりも苦しみの方がずっと大きいのかもしれない。でも彼らのような人達にとって、きっとその苦しみはイコール不幸ではないのだろうな、と。そして自分の楽しみだけを追う人には人の心は動かせない。

『愛の伝説』のストーリーについても、私の中でちょっとモヤモヤしていた部分が、このドキュメンタリーを見て少し理解できたような気がしました。
今回もはっきり言っていましたね。バヌーは白鳥よりも好きな役だと。
バヌーは愛する人と結ばれない。
「世俗的な幸せだけが幸せとは限らない」
「愛って何かしら?愛する人や好きなものを所有すること?それとも大事なものを諦めた時、胸に抱く感情が愛?」

彼女のバヌーは最後、「自分はそうした。さあ、あなた達はどうなのか?」とフェルハドとシリンに覚悟を突き付けていたのかもしれないなあ。
欲しいものは手に入れられるのならば全て手に入れるのが一番の幸せと私達は考えてしまいがちだけれど。そうでないところにある何か、そうでないところにしかない何かもあるのかもしれないなあ。と、ぼんやりと考えました。
ソ連的、社会主義的な色の濃い作品だけれど、そのある種の純粋な理想(これ自体は悪いものではない)、ひいては普遍的な愛の理想もそこにはあるのかもしれないな、と。それらの理想が共存できる世界が本当に幸福な世界なのかもしれないな、と。
まぁそれが最も難しいことなのでしょうけれど。
ドキュメンタリーの中で教会で祈りを捧げるロパートキナの姿が映るのですが、それがとても無私で、けれど厳しく崇高に見えて。バヌーが一番好きだと答えた彼女と重なって見えました。

チケットはbunkamuraのサイトで時間指定して購入できますから、ご興味のある方はぜひ(ロパ様のファンの方は絶対!)(*^_^*)

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ツィメルマンって

2016-01-27 13:18:26 | クラシック音楽

シューベルトのソナタを録音していないんですね。即興曲はありますけど。
ツィメさんにはツィメさんのこだわりがあるのだとは思うけれど、あの20番と21番を形として残さないのは人類の損失だと思うなぁ。もちろん生演奏で聴くのが一番としても。

ところで人類の損失とか書いておきながらなんですが(いや、ツィメさんのは本気でそう思っておりますが)、昨年秋のロンドン響来日をきっかけにクラシック音楽にはまっているワタクシですが、今もって全く慣れないモノがあるのです。
それは、クラシックの演奏会に付けられる大仰な宣伝コピー。。。
あれ、、、ダサくないですか・・・?

どうしてあんなに大袈裟で陳腐なのでしょう。。。
「究極の〇〇!」とか「怒涛の〇〇!」とか「世界を震撼させる驚愕の響き!」とか「奇跡の〇〇!」とか、あるいは読むのが恥ずかしくなるようなクサすぎるコピーだったり。。
これ、悲恋映画の「世界が号泣!」と同じレベルの日本語センスだと思うのよね。。
そして私が驚愕するかどうかは主催側が決めることじゃないし、そもそもまだ演奏聴いてないし(^_^;)、と。
良い演奏なら煽られなくても泣くし。驚愕も震撼も号泣もしなくても、じわじわくる感動もあるし。年に何度もある奇跡ならそれはもう奇跡じゃない気がするし。
前もって大袈裟に感動を強いられるとかえって醒めた気分になってしまうのよね。。。
クラシックファンって男性が多いですけど、そういうのも関係あるのかなぁ。海外ではどうなのだろうか。
これならいっそシンプルにコピーなしの方が洗練されてて素敵な気がするのですけど。すべては演奏で勝負、なんて最高にクールじゃないの。

さて、来月からは再び歌舞伎&バレエワールドへ。
吉右衛門さん&菊ちゃんの籠釣瓶!ハンブルクバレエの真夏の夜の夢!
その前に今週末からロパ様の映画~~~

・・・のつもりが2月のバレンボイム×ベルリン国立歌劇場管弦楽団のチケットを思わず買ってしまった
昨年のロンドン響のブルックナーの感動がどうしても忘れられず。。
しかし最安席とはいえチケット代、高すぎだわ。。

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シカゴ交響楽団来日公演 @東京文化会館(1月19日)

2016-01-19 23:59:02 | クラシック音楽
以下、あくまでクラシックど素人の個人の感想なのでお許しくださいまし~。



んー。。。。。。。んーーーーーーーーーー。。。


結局昨夜のマーラーが一番楽しめた、かな。

帰宅して調べたところ、コンマスさんは8年前と同じ方でした。たぶん他のメンバーも当時から殆ど変わっていないのだと思う。
となると。
結局私はシカゴ響がというよりは、ハイティンク×シカゴ響の音が好きだった、という結論でオーケーだろうか・・・?
うわ~~~、ムーティさまファンの方ごめんなさい、石投げないでっっっ

やっぱり私は音楽そのものから作曲家の心が広がっていくように感じるような、そういうタイプの演奏の方が好きみたいです。
今回の来日公演、終わってみると、私にはベートーヴェンもマーラーもチャイコフスキーもみんな同じような演奏という印象が残ってしまった(あくまで超ど素人の個人の感想なのでお許しを・・・)。
マーラーのラストは本当に心から楽しめたのです。だから昨日だけなら「楽しいからまいっか」で気持ちよく終わりにできたのですけども。

私が初めて生のオーケストラを聴いたのは、2008年のプロムスで。それまでクラシック音楽って私にとって身近な存在ではなくて(ピアノや吹奏楽はやっていたことがあるので完全に遠い存在でもなかったですが)、本当に殆ど聴いたことがなかったのですよ。
ですが友人が£5で本場のオーケストラを聴けるのはすごいことなんだよ!と勧めてくれたので、せっかくロンドンにいるんだし、と行ってみることにしたのです。シカゴ交響楽団、ハイティンク、ペライア、どれも私は聞いたことのない名前でした(オケというとウィーンフィルとベルリンフィルくらいしか知らなかった)。聴く前は、どうせならヨーロッパの楽団とピアニストを聴きたかったなぁ、と思ったりもしていたのです(無知なので良いオケ=ヨーロッパのオケかと思っていた)。

そして聴いた最初の曲が、モーツァルトのピアノ協奏曲。演奏を聴いて、大袈裟でなく衝撃を受けました。
ピアノのこの世のものじゃないような美しさ。でも、オケの音もこの世のものではないような美しさに私には感じられたんです。ピアノが演奏しているときは「うわ・・・!」。でもオケがそれを引き受けると「うわ・・・!」。さらにそれをピアノが受けると「・・・!!」の繰り返し。どちらも今までの人生で経験したことのない種類のものでした。楽器の音ではなく、人の想いが音になって向かってきて、音ってこんなに雄弁なものなのかと驚いた。奏者の感情ではなく、音楽の想いが音の響きになってダイレクトに伝わってくるような感覚で。クラシック音楽ってこんなに素晴らしいのかって、教えてもらったのです。そしてその後のショスタコーヴィチでは今度は全く違う吃驚をもらえて。ずっと立ちっぱなしだったのに疲れなんか一切感じなかった。そういう意味で、シカゴ響は私にとって特別な楽団なんです。
今夜帰りの電車で、その演奏を聴きながら帰ったのです。やっぱり今聴いても、同じものを感じました。

そうはいっても指揮者には大事な個性というものがありますから、同じような演奏じゃなくて私は全く構わないんです。その音楽から何かが胸に届きさえすれば。みんなが同じ演奏じゃつまらないもの。
本日一曲目のプロコフィエフ古典交響曲。これはムーティの個性には合っていたように感じられました。でも、残念ながら今夜の演奏からそれ以上のものを感じることは私にはできず。。たっぷりめの演奏だったので、弾む気分になれなかったのも残念。。
二曲目のヒンデミット:弦楽と金管のための協奏音楽は、”心”は不要な作品。音そのものにひたすら身を任せることの快感。これこそシカゴ響のドライさがストレートに発揮される曲目だろうと期待していたのですが。。。音は分厚かったですし決して悪い演奏ではなかったのですけれど、やっぱりそれ以上のものが胸に響くことはなく。。なんというか、緊張感と冷徹さが足りなく感じられた。。そんな中、トランペットの一番右側の方の音には、下がったテンションを上げてもらえたりもしました。ソロ、いい音だったなぁ。シカゴ響はこういう奏者もちゃんともっているのになぁ。※覚書:Christopher Martinという人だそうです。
三曲目のチャイコフスキー4番は、1楽章、あれだけの音であれだけの美しさを維持できるのはすごいことだと今夜も心から思いました。聴いてて楽しかった。でも最終楽章を聴き終えたときその音楽が心に響いていたかと言われると・・・・・。
これが本当にムーティとシカゴ響が作りたい音楽の形なのかなぁ・・・。

ムーティは音楽監督の契約を更新されたとのこと。
これからの時間が指揮者と奏者のどちらにとってもより良い刺激となって、より一層素敵なオケになって、いつかまた来日してくださるのを楽しみに。
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シカゴ交響楽団来日公演 @東京文化会館(1月18日)

2016-01-19 01:32:43 | クラシック音楽




8年ぶりのシカゴ響を聴きに雪の上野へ行ってきましたよ~
18時半に入場すると、すでに楽器の音が。始まる前からほぼ全員舞台に出てきて練習してるから、喧しいのなんのって(^_^;) トイレにまで聴こえてます。
どうせこの後たっぷり聴くことになるので、私は廊下に出て耳を休めていました。

【ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調op.67「運命」】
クラシックど素人なもので当然この曲を生で聴くのは初めてなんですけど、、、ものすごく珍しい運命を聴いたような・・・(^_^;)
てかシカゴ響、8年前より下手になってる気がするのは気のせい・・・?いや、上手いんですよ。ものすごく上手いんですけど、8年前の方がもっと一人一人が自由でのびやかな演奏をしていた気がするのよね・・・(記憶が美化されてるかしら。でもあの夜の演奏はあれから繰り返し聴いてるし・・・)。当時もコッテリ系な楽団ではなかったけれど。団員が入れ替わったりしてるのかなぁ。
そんなことを考えながら一~二楽章を聴いていたんですけど、三楽章になるともう笑えてきちゃって。明らかに最初から運命に打ち勝ってる運命なのだもの。暗から明へではなく、明から明へ。
四楽章もサクサク速い速い。前へ進んで進んで進みまくる。でもこういう所や爆音系の所は妙に上手くて、全く音が破綻していなくて、ちゃんと一つの楽器に聞こえて(この感じ気持ち良くて大好き!)。それがまた笑えてきちゃって。
ムーティもピョンピョン飛び跳ねて頑張ってたし、変わった運命を聴けたから、まいっか
客席は意外に熱かったですね。ムーティは何度も呼び戻されてて、さすがにこれで最後だろうと私は廊下に出たら、誰も出てこなくて、再び拍手の音が中から聴こえてきました。

【マーラー:交響曲 第1番 ニ長調「巨人」】
8年前のシカゴ響はハイティンクのちょうど背中の後ろ辺りで立って聴いたのですけど(プロムスなのでスタンディング@アリーナなのです)、ショスタコーヴィチでは爆音の渦の中にいる気分でした。今日も5階から覗き込みながら、指揮者っていつもああいう中にいるのよね、ものすごく気分いいだろうな~と思った。でも耳悪くしないかな^^;

今日楽しみにしていたのは、運命よりもこちらの巨人。
うん、楽しかった!
ちょっと怖いようなお伽話的なグロテスクさはほぼ皆無だったけど(個人的好みとしてはこれはほしいところ)、楽しければいいやとつい思ってしまいそうになる妙な迫力と説得力。祝祭的な華やかさにはぞくっとさせてもらえた瞬間が何度かありました。いや~、あんな大音量でなんであんなに美しい音維持してるの?そして爆音が切れた瞬間の音ギレの良さ!!
ラストがまた見事なほど期待を裏切らなかったな~。なんなんだあの音の洪水は。あの金管の咆哮は(しかも超綺麗笑)。パーカッションも期待に違わず思いっきり盛り上げてくれましたね~。鼓膜が破れて東京文化会館がぶっ飛ぶかと思うほどの爆音なのに、音もフレーズも美しいまま全く崩れないとは。
気になる部分をあげればきりがないけど、最後はとても楽しかったし、興奮したし、美しかったからいいです。基本youtubeのムーティ×フィラデルフィア管の演奏の方が好きだったのですけど、ラストは今夜の方が満足感ありました。少なくともおそらく他のオケでは滅多に聴くことはできないであろうものを聴けた満足感はしっかりあった。
うっとり曲の世界に身を任せて酔わせてもらえた演奏ではなかったけれど、変なあざとさや手抜きは私は一切感じませんでした、少なくとも今夜は。誠実な演奏だったと思います。

ところで皇帝リッカルドさん、お花畑みたいな甘いメロディやムーディなメロディがなんともお似合い(ムーティだけに)。たっぷり歌ってる後ろ姿がステキ。の割に音は大してコッテリになってないところがまたなんとも・・いい味といっていいのか? この方、シカゴ響ではなく南イタリアあたりのコテコテ地元色系オケ(そういうオケがあるのかどうかは知らんが)の指揮者になったら案外面白かったのではないかなぁとか、でも下手なオケは(私が)許しがたいしああジレンマ(>_<)!とか、一秒くらい考えました笑。
そしてカテコでの「チャオ♪」なお手々のバイバイ 。。。なんですかあれ、可愛いじゃないの。。。(例えアンコールはないんだよ♪の意味であったとしても)

帰りの電車がトラブルで混み混みだったんですけど、あのマーラーのわけわからん迫力にわけわからんパワーをもらえたおかげでまったくイライラしないで帰宅できました笑。いやほんとに。また聴きたい。
やっぱり生はいい!

明日も楽しみ

あ、今夜の客席のマナーは恐ろしいほどよかったです。

※19日の感想はこちら

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クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル @サントリーホール(2016年1月13日)

2016-01-14 19:27:18 | クラシック音楽
仕事をしていてですね、ふっと「ツィメルマンのシューベルトをもう一度あの順番で生で聴きたい」と思ってしまったのですよ。ええ、それは強く。先日のみなとみらいでの21番が少々消化不良だったのと、あのキラキラなピアノの音をサントリーホールの特別感の中で聴いてみたい、という気持ちもあり(完璧主義のピアニスト様の努力を無にする客)。そこで直前に超良席を格安で譲っていただけることになったので、行ってきました。
そして痛感しましたよ。
いい演奏に出会いたければ「数行け」っつうことなのね、と。。。
芸術の神様は私のお財布事情なんぞ一切考えてはくれないのね、と。。。

以下、例のごとく、あくまで超素人の個人的な感想でございます。

【7つの軽快な変奏曲 ト長調】
今夜もそれはそれは楽しげに弾いていました
あらためて、こんな究極なまでに磨き上げられた美しい音で、こんなに可愛らしい子供の落書きのような曲(13歳にしてはあり得ない完成度なのでしょうけれど)が演奏されるのを生で聴くことができるとは、これこそ究極の贅沢といえるのではなかろうか、と思いながら聴いておりました笑。

【ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959】
全体として息を止めて聴き入ってしまったのは横浜の方で、三楽章までは「今日はあまり調子がよくないのかな?」とも思ったりしながら聴いていたのだけれど、四楽章がとても良かったのです。思わず微笑みながら聴いてしまった。具体的にどこがどうとは言えないのですが、演奏から受ける印象、色が今夜はとても明るかった。前回だって十分に明るかったのだけれど、それでも横浜ではほんの少し感じられた影のようなもの(これも決して嫌いではありませんが)が今夜は完全に消えていた、ように聴こえた。短調の転調も、主題が途絶えながら聴こえるあの部分も、全てが明るかった。「ああ、シューベルトはこの曲を作った頃にはもう自分の運命を“納得“していたんだな」と感じた。そうでないとこんな曲を作れるわけがない、と。諦念を超える強い何かをこの時にはもう持っていたんだな、と。
そして、よかったな、と思ったんです。そういうシューベルトに対してと同時に、今夜こういう明るい演奏をしているツィメルマンに対しても。
まあ実際にシューベルトがどうであったかとか、ツィメルマンがどういう気持ち&解釈で演奏していたかはもちろんわかりませんけれど、そう感じさせてくれた今夜の演奏だったんです。そしてこういうシューベルトも私は大好きだなと感じることができた。この最終楽章を聴き終えたとき、黄金色の光の中にいるような、雑念の全くない爽快な気持ちになっていました。
ツィメルマンの20番、私は本当に好きだなぁ。。。。

【ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960】
20分間の休憩後。
さてツィメさんはこの空気のまま行ってくれるかしら?と少しドキドキしながら迎えた21番。

ああ、よかった!行ってくれた!

第一楽章から、横浜のときに受けた印象とは違いました。基本的な演奏はもちろん一緒なのでしょうけれど、演奏から見えてくる絵がより明確だったように私には感じられました。より安定していたと言えばいいでしょうか。それは二楽章、三楽章とずっと維持されて、四楽章が始まる頃には「もういいや。この楽章でこの人が私の好みと違う演奏をしたとしても(てか、するのはわかっているけれども)、このまま最後まで連れていってくれるならそれでいい。そこへ行きたい」と心から思ってしまっていた。
四楽章。今夜も、ソーの超強音や熱い演奏は、もちろん横浜と同じでした。ただ、横浜で私が最も気になってしまった「重さ」が消えていた。私にはそう感じられた。この21番でも、今夜は演奏から受ける印象が圧倒的に明るかったのです。子供が遊んでいるようなメロディのところも、しっかりめな音に変わりはないけれど、今夜はとても軽やかで愉しげで温かだった。そして20番の最後に連れて行ってくれた場所から、更に向こうの景色を見せてくれました。最後に見せてくれたあの明るく幸福な光。あれが見られただけで、今夜来てよかった、と心から思った。

そういえば今夜は一度、例のソーが隣の音と混濁しておりました。ご本人は全く気にしてない様子でしたし、私も気になりませんでしたが、彼ほどのピアニストでもああいうことってあるんですねぇ。他にも鳴っていない音などが横浜よりも多かった気もしましたが、そういうことを全部超えた、素晴らしい演奏でした。ブラボー!

【アンコール:シマノフスキ 9つの前奏曲 op.1-1 ロ短調】
5日に亡くなったブーレーズ氏へ捧げられたアンコールで、先日の水戸でもあったそうです(ツィメルマンでは珍しいらしいですね)。しかし追悼なら、横浜でやらなかったのはなぜなのか。本当にこの人は客に色々な想像を巡らせさせるピアニストですねぇ^^;
シマノフスキって私はおそらく初めて聴いたのではないかと思いますが、ツィメルマンの演奏にものすごく合っていたように感じられました。あまりに素敵だったので、シューベルトより合ってるんじゃ・・・と思ってしまったことはナイショ笑。オールシマノフスキプログラムとか、いつかやってくれないかしら。
本当につくづく、こんなに人間的な演奏をするピアニストだとは思わなかったなぁ。そしてこんなに熱いのに、音は美しいのだものなぁ。生で聴くことって本当に大事ね。光子さんのときも思ったけれど、“音の体温”だけは生で聴かないと絶対にわからない。

アンコールの後も再び拍手で呼び戻されて、最後は白髪の日本人(よね?)のオジサマとご登場。というより、ニコニコ笑顔で舞台に連れ出そうとするツィメルマンと、謙虚に遠慮し続けるオジサマ。仕方ないからツィメルマン一人舞台中央に行って、でもやっぱり諦められずにオジサマを呼ぼうとしたり。それを笑って遠慮しているオジサマだったり。そしてハグする二人だったり。目の前で繰り広げられている温かな光景に私も思わずニコニコ あのオジサマは一体どういう方だったのでしょう。
※追記:ジャパンアーツ会長の中藤泰雄氏だそうです(延子さま、教えてくださりありがとうございました!)

ところで、ツィメルマンって、演奏中にペダルの音が結構聴こえますよね。全く気にはなりませんが。でも弱音が弱くなっていって消えかかって、最後にペダルを上げる?ときに、少し音が濁るのは前回も今回も気になってしまった。せっかくの美しい弱音なのに、あれはなぜなのだろ~?
それと、先日も今夜も低い女性の鼻歌のような音が時折聴こえて、これも結構気になってしまったのだが、あれは本当に謎。ツィメルマンのピアノって普通のと違ってああいう音がするのか?と、ピアノをつい見ちゃったけど見てもわかるわけはなく。ツィメさんって演奏しながらハミングするらしいけど、ハミングってメロディに合わせてするものよねぇ。私が聴こえたのはメロディにはのっていなかったから、ハミングの音ではないよなぁ。・・・耳の老化現象か?でも光子さんのときは聴こえなかったわ。うーん、気になる。。。

とにもかくにも。
ツィメルマンさん、今夜は最高の夜を本当にありがとう
カテコでの綺麗な綺麗な笑顔も忘れません!

※そうそう、アメリカでは演奏しません宣言の件。先日の記事の引用元のLosAngels Timesの記事により詳しく書かれてありました。当初予定されていたブラームスを休憩後に突然ポーランドのGrazyna BacewiczのピアノソナタNo. 2に変更し演奏して、そして「Before playing the final work on his recital, Karol Szymanowski’s "Variations on a Polish Folk Theme," Zimerman more typically sat meditatively on his bench for a moment.  Twice he leaned toward the keys and almost began to play, but then turned to the audience saying he hadn’t planned to speak but decided he could not keep silent.」と。自分も他人も適当に誤魔化すということができない、まっすぐな性格の人なのだなぁ。


さて、来週はシカゴ響!!!
楽しいといいな~♪ 何気に楽しみにしているのが2日目のヒンデミットだったりするのですが、さてどうでしょうね?
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クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル @横浜みなとみらいホール(2016年1月10日)

2016-01-11 12:25:33 | クラシック音楽




本日の席は3階Lサイド、五千円也。最安席だけど、鍵盤もしっかり見えて、音もしっかり聴こえて問題なしでした。
開演前に空席にいくつか座ってみたのですが、このホールの3階Lサイド、各ブロックのステージ側1~4番は視界的に完全にアウトですね。。ピアニストの姿や鍵盤がまったく見えない。
みなとみらいホールの音響は、サントリーホールのような(良くも悪くも風呂場の残響的な)特別感はなく、大きなコンサートホールというよりは、自宅のリビングでツィメルマンが弾いてくれているような、余計な効果のない親しみのある音に聴こえました。そういう音であの技巧を聴くのは妙な気分でありました笑。
※追記:なんとこの小ホール的な音、完璧主義のピアニストさまが計算してくださった結果らしいですよ・・・↓↓↓
「彼(シューベルト)の音楽はとても小さな会場で書かれています。それを大きなホールで演奏するのは非常に困難です。響きの返りがかなり遅くなりますから、もうそのときには次の音を弾いています。つまり、ピアノのなかにすでに音響空間を含めておかないといけない。ピアノと音響空間を、そもそも楽器の内にもつ必要があるのです。私はレパートリーごとに鍵盤を構築しますが、今回のピアノはこれらのソナタに完璧な“同伴者”となりました。ほんとうに驚くほどです。ベルリンでのツアーを終えたとき、あまりに美しいので、日本のみなさんにもぜひそのピアノの音を聴いてほしいと思って輸送しました」(「音楽の友」1月号)
なんと、ピアノごとご改造とは(^_^;)
恐れ入りました&ありがとうツィメルマンさん。

それにしても空席が多かったな~(7割程度の入り)。良い演奏だったのにもったいない。やはり値段が高すぎるのではなかろうか。S席16000円て・・・、ピアノのみで実質1曲8000円て・・・。

以下感想。
今夜は、オールシューベルトプログラム。ご本人曰く、コンセプトは「シューベルト、その音楽の草創期から最晩年の魂の集大成にいたるまで」

【7つの軽快な変奏曲 ト長調】
あらあら、ずいぶんと素朴で愛らしい曲ではないの♪
一曲目は、1970年代初めにポーランドで発見された13歳のシューベルトによる作曲と推定されている作品で、ツィメルマンは信憑性が高いと考えているそうです。「若き日のハイドンを彷彿とさせるような喜びに満ちた、そして古典的な様式を持つ作品なので、ある意味、ハイドンへのオマージュとして、今回プログラムに組み入れました。」と。
しかし曲も可愛らしいが、弾いているツィメルマンもとても可愛らしい(※59歳)。この人ってすんごい気難しいピアニストというイメージがあったけど、体を揺らしてまあ楽しそうに弾いてること。子供のようだ^^

そしてツィメルマンは楽譜を見て弾く人なのね。にしては楽譜をめくる頻度が少なすぎないか?とオペラグラスで覗いてみると、五線が縦二列に縮小印刷されてるような不思議な楽譜であった。紙質もめくりやすそうな柔らかい感じだったし、特注か自作なんでしょうね。昨年5月のベルリンフィルとのブラームス動画では暗譜で弾いてるから、曲によるのかな。この夜はずっと楽譜使用でした。

【ピアノ・ソナタ 第20番 イ長調 D.959】
シューベルトの最後から2番目のソナタ。
一楽章は「ツィメルマンの音は綺麗ねぇ」程度に聴いていたのですけど、二楽章が熱くて吃驚(激しい音という意味ではない)。そういう演奏をしない人かと思っていたので。なのにあくまで繊細で美しい。三、四楽章もよかった。
強音を出すときでも、ピアノをとても優しく扱っているように見えました。ピアノが楽器というより別の何かみたいに感じられて、見惚れてしまった。こんな風に弾いて貰えたらピアノも嬉しいであろう。楽譜のめくり方も、蓋を片手で押さえるときも、優しい優しい。
大仰な演奏をしてるわけでは全くないのに、激しく静かで、音と戯れる軽やかさがあり、無垢さがあり。心動かされました。とてもいい20番だった。
演奏後は、何度も拍手で呼び戻されていました。

(20分間の休憩)

【ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960】
シューベルトの最後のソナタ。
こちらも二楽章が静かで深みがあってよかった。
そして四楽章が、またもや熱くて吃驚。しかし今度の熱さは私的には微妙なのであった。。。ソーの音(今の私にはもちろんラーに聴こえたが)の激しさなどはまさかのリヒテル系で。あの叩きつけ、好きじゃないのですよ私・・・。それならいっそあの無邪気な跳ねるようなメロディーのところも子供が遊んでるようなリヒテル系(スタジオじゃなくプラハの演奏の)だったら嬉しかったのだが、そこは割としっかり系であった。
この楽章、淡々と軽やかな裏に深い闇が透けて見える感じの弾き方のものを聴くと、私は胸が苦しくて切なくて「うわぁ・・・」となってしまうのだけれど。なのでしっかり思い入れ系の、重い(タッチのことではなく)と言ってもいいツィメさんの演奏は私の好みとは違ったのですけれど。しかしなぜかやっぱり感動はしてしまったのである。この人の濁りのない空気がこの曲の美しさと根本のところで共通しているように感じられたからだろうか。それに弾き終えた後も割と満足そうに見えたので、ご本人が納得のいく出来だったのならよかったわと。

カテコのツィメルマンさん、いい笑顔でした 客席からもらった小っちゃい花束を両手で持って可愛らしかった。最後は投げキッス。
バレエダンサーも美しい生き物だけど、ピアニストも本当に美しい生き物だなぁとしみじみと思った夜でございました。もちろん顔立ちのことじゃなく(ツィメさん顔立ちも美しいけどね)。

あ、あと個人的意見ですが・・・。アメリカで演奏をしないのはアメリカにいるファンが可哀想だと思うの・・・。芸術と政治は切り離すべきだとは私は考えないけれど、彼の音楽を純粋に心から愛しているアメリカのファンに罪はない、と私は思う・・・。アメリカで演奏しない宣言をしたときの詳細な状況って今まで知らなかったのですけど、この記事を読んで結構衝撃だった。同じ宣言をするにしてももっと他のやり方はできなかったのかなぁ、とも・・・。一方で、この人はポーランド人ですから、戦後のポーランドが歩んだ道というのは日本人には想像もできないものだったと思うので、仕方がないのかもしれないとも思ったり・・・。

ところで、演奏と一緒にエアピアノを弾く客・・・。本人は気分がいいのかもしれないけど、周りは気が散るのでやめてください、お願い・・・

そういえば演奏の前になかなか客席の咳が収まらないときがあったのですが、ツィメルマンはそれを可笑しそうに微笑を浮かべてのんびりした感じで待っていて、一見こういうのに神経質そうなのにそうではないのだなあと意外でした


★追記:13日のサントリーホールの感想はこちら


ベルリンフィルとのこれいいな~↓。ラトルさん、楽しそうだ。ツィメルマンは1年前にバイエルン放送響とこのプログラムで来日公演をしていたのね。

Brahms: Piano Concerto No. 1 / Zimerman・Rattle・Berliner Philharmoniker


バイエルン放送響と来日時のインタビュー
1年のうちの3、4ヵ月は日本で過ごしていて、東京にマンションも持ってるそうな。だからこんなにリサイタルを多くできるのかしら。本宅はスイスなんですよね。

音楽に捧げる人生
「1975年から今日まで、例えばニューヨークで50回(エヴリー・フィッシャーホールとカーネギーホールの2 ヵ所のみ)、アムステルダムのコンセルトへボウでは42回(そのうち19回はピアノ・リサイタル)、パリでは48回、ロンドンでは50回以上演奏している。この間、日本においてはピアノ・リサイタルを240回行い、そのうち少なくとも4分の1は東京とその近辺で32種類のプログラムを演奏している。」とな。本当に日本がお好きなのですねぇ。そう思ってくださるのは嬉しいけれど、日本ってそんなに良い国ですかねぇ・・・。

ベルリン・リサイタル(2015年11月)
水戸芸術館 記者会見(2015年11月)
東京新聞(2015年12月)

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HAPPY NEW YEAR 2016

2016-01-07 21:30:46 | 日々いろいろ

May the year of 2016 bring you a lot of happiness and smiles.

2016年、あけましておめでとうございます。

七草粥までになんとか新年のご挨拶ができてよかったわ(^_^;)

今年の年始は実家でン十年ぶりにピアノを弾いてきました。年越しは、譜読みをしているうちに明けてしまった。せめて楽譜をつっかえずに読めるくらいには戻らないと~・・・。今は五線譜を外れるともうわからないというテイタラクですもの・・・
とりあえずあまり譜面に頼る必要のないショパンのノクターンとバッハの主よ人の望みの喜びよを弾いてみたのですけど、なんだか私にとって絶対音感修復のテーマ曲のようになってしまい、大好きな曲なのに嫌いになってしまいそう・・・。ちなみにシューベルトの即興曲はあまりにペライアの音と自分の音が懸け離れすぎていて苦痛なのでソッコーで弾くのをやめました
とはいえ楽器を演奏するのは誰に聴かせるわけではなくとも楽しいものですね。

昨日は職場で「やっと一年終わったと思ったら、また一年が始まってしまった。頑張って一年生きたのに、また一年生きなきゃならないのかと思うと疲れる(ーー;)」と言ったら、それは相当疲れてるね~~~と笑われてしまった。
こんなことを言ってる私ですが、心から、生きていたいとは思っているのですよ。先月癌検診の精密検査を受けたのですが、結果を聞きにいくときは「何でもありませんように」と祈りましたもの(でも悪性だったらだったで前向きに明るく考えようとも思っていました)。
ただときどき、ちょっぴりしんどい、だけ。

というわけで、2016年。
皆さまにとって“めっちゃ幸せ”はなくとも、“ちょっぴり幸せ”がいっぱいある一年になりますように
そして私と同じでちょっぴりしんどいという方、あるいはめっちゃしんどいという方、一緒にがんばりましょう。

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