風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第2007回定期公演 Aプロ @NHKホール(4月14日)

2024-05-02 18:41:22 | クラシック音楽



シューベルト/交響曲 第4番 ハ短調 D. 417「悲劇的」
(休憩)
ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68


感想まとめてアップもようやくここまで来た。。。あと4公演!
繰り返しますが、感想の長さイコール感動の大きさではありません。

ワーグナー作品以外でヤノフスキの指揮を聴くのは、今回が初めて。
交響曲でもヤノフスキ・マジックは健在だった。
一筆書きのような音楽の流れ。でもサラサラと流れてしまわない。流れるけどちゃんと心を持っていく。他の指揮者による同曲の演奏と比べて好みかどうか?よりも、そういうヤノフスキのシューベルト、ヤノフスキのブラームスとして素晴らしかったと心から思う。

シューベルトのこの曲はムーティ&ウィーンフィルの来日公演でも聴いたことがあるけれど、今回の方が感動したな(ウィーンフィルの方は重かったから・・・)。
特に4楽章。私はこの曲でこの4楽章が一番好きなんです。いい音楽だよねぇ。どこか急いていて、でも重くならず軽やかで、長調と短調がめまぐるしく入れ替わって。同じ暗から明へでも、ベートーヴェンのそれとは違い、シューベルトだなぁと感じる。

第4番には二つの要素を組み合わせたシューベルト特有のスタイルがあります。ハイドンやモーツァルトに起源を持つ古典的なオーケストラの演奏スタイル。ベートーベンよりもむしろハイドンやモーツァルトです。もうひとつはシューベルトの青年時代に流行したイタリア風の演奏スタイル。言ってみれば非ドイツ的スタイル、それが組み合わさっています。「悲劇的」という一風変わったタイトルがついています。第一楽章の導入部に少し悲劇的な緊張感が感じられますが、他の楽章にはありません。音楽はとてもポジティブな方向へ転じます。英語の「チアフル」」という表現がぴったりでしょう。快活で楽しく積極的に展開する。実に手ごわく演奏が難しいのです。なぜならハイドンやベートーベンの初期交響曲と同じような透明性が求められるからです。しかしテーマの性格はイタリアの演奏スタイルに非常に強く影響されています。そして、どう言いましょうかね。こういった点を聴き手に伝えることは簡単ではありません。このようなタイプの作品をレパートリーとして持つことはオケにとって非常に有益です。第4番と第6番に言えることです。どちらも演奏機会が非常に少ないのですが、緻密に調和させるという点では要求が高く、ブラームスの交響曲よりもはるかに難しいといえます。
(ヤノフスキ@クラシック音楽館)


ブラームス。ヤノフスキのブラームスってどうなのだろう?と想像がつかなかったのだけれど、生き生きとしていて、とてもとても素晴らしかった。ヤノフスキらしく基本は速いのだけど、たとえば四楽章の例のメロディーは2回目の再現時にはたっぷり厚い音で歌わせていたり、随所にこだわりを感じました(ここ、思いがけない優しさ、大きさを感じて、感動してしまった)。普段聴こえないような音が聴こえてきたのも新鮮でした。前へ前へと心が急く青春の焦燥のようなものも伴いながら(といってもそれほど若い年齢での作曲ではないけれど)、最後は、とても前向きな気持ちにさせてもらえた。

(ドイツ音楽を指揮する際に大切にしていることは)明瞭性です。構造を明確にすること。構造を覆い隠して不明瞭にするような強調しすぎはよくありません。作曲家が書いた動きのある音符が持続する長い音符とは対照的に聴き取りやすいままであること。ドイツ音楽における主題の対位法的な扱いが明瞭であることが重要だと考えています。ベートーベンやシューベルトはもちろん、シューマンやブラームスの交響曲、あるいはワーグナーやR.シュトラウスの規模の大きいオペラでも同じです。構造を明確にすることが私にとって最も重要なことです。
ブラームスは長い間交響曲と向き合うことをためらっていました。彼自身ベートーベンの後は誰も交響曲を書けないと言ったようですし、のちに第1番がベートーベンの第10番だとよく言われたものですが、もちろん正しくありません。交響曲第一番で彼が求めているのは、オーケストレーション言語の明確さです。対位法が明確に認識できることがとても重要です。音符の強弱やブラームスが書いた強弱を操作するのではなく、対位法の明瞭性がはっきり現れるように演奏しなければならないということです。彼の作品すべて室内楽にも複雑な対位法がありますが、常に聴き取ることができます。ブラームスの4つの交響曲の中で最も難しいのは第一番です。特に第一楽章第二楽章では、感情表現が豊かになるあまり対位法的な輪郭が不明瞭になることがあります。N響はこの作品をよく知り何度も演奏していますが、私たちは聴衆が対位法をはっきりと聴きとることができるような演奏を、この作品にある焦燥や情熱を忘れることなく心がけました。

(ヤノフスキ@クラシック音楽館)


来年の春祭はパルジファルで来日くださると耳にしました。心からお待ちしております!!

2024年4月定期公演プログラムについて ―2人のドイツ音楽の名指揮者が贈る ロマン派の名交響曲(N響サイト)

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ブルックナー《ミサ曲第3番》 生誕200年に寄せて @東京文化会館(4月13日)

2024-05-02 17:51:20 | クラシック音楽



ワーグナー:ジークフリート牧歌 
(休憩)
ブルックナー:ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB28 


ワーグナーの『ジークフリート牧歌』、初めて聴いたけれど良い曲ですね~。良い意味で、ワーグナー臭さが少ない。
予習で聴いたカラヤン&ベルリンフィルの演奏(公式のウィーンフィルのものでも公式のベルリンフィルのものでもない演奏)がお気に入り。
今日の指揮者ケーニヒスさんは、ワーグナーもブルックナーもとても丁寧な指揮で、特にブルックナーの〈ベネディクトゥス〉の美しさと〈アニュス・デイ〉のラストの平和を願う静かな、でもどこか切実な美しさに心動かされました。
ケーニヒスさんはこのミサ曲を指揮するのは初めてとのことだけれど、子供の頃に合唱団でこの曲を歌っていたそうで、なんとなくそういうことが伝わってくるような、曲への親密感を感じさせる演奏でした。

ミサ曲の予習をしていた時に、私はいつも外で散歩をしながらイヤフォンで予習をするのだけれど、〈ベネディクトゥス〉の上昇と下降のフレーズのところで風でさ〜っと桜吹雪が散って、諸行無常というか有為転変というか(仏教用語ですけど)、時が流れて変わっていく世界のようなものを感じて。キリスト教を歌うこの歌には合わないのかもだけど、そういう世界に生きる弱い我々だから、神を必要とするのだろうな、とか。
指揮者さんもインタビューで仰っていたけど、どんな宗教であれ、無宗教の人であれ、結局我々人間が求めているものは同じものだと思う。そして一層、今日の演奏の最後、「われらに平和を与えたまえ」の美しさが心に響いたのでした。

――キリスト教文化を共有していなければブルックナーの音楽は真に理解できないでしょうか。

「ブルックナーは、なかなか自信がもてない人でしたね。交響曲もなんども書き直しています。そもそも完璧を、絶対普遍を求める人だったのです。カトリック信者ではありましたが、彼の場合、信仰心だって[制度的なものではなく]普遍的なものです。[世俗的な音楽である]交響曲の第7番に、自作の宗教曲《テ・デウム》から引用してもいますよ。「non confundar in aeternum 私がとこしえにおじ惑うことのないように」と歌われる部分の音楽です。日本でもバッハをやるでしょう。バッハだって、とても信仰心篤い作曲家です。でも、キリスト教徒でなければ理解できないなんてことはありません。キリスト教徒であれ、ムスリムであれ、ユダヤ教徒であれ、仏教徒であれ、その深い信仰心は、より良い世界の希求は、誰の心にも訴えかけるものです。」

――ミサ曲では、最後に「Dona nobis pacem われらに平和を与えたまえ」と歌われます。現下の世界状況を考えると、これはとくに切実に響きます。

「こう言ってよければ、世界はいま関節が外れています。気候変動。戦争……。ブルックナーのミサ曲でそれを止められるわけではありませんが、音楽は人間を高めます。ひとたび聴けば、別の人間になるのです。Dona nobis pacemは一つのメッセージ。信仰を持たない人でも、それを聴けるわけです。人々に届くかもしれない一個のアピールにはなります。」
(ローター・ケーニヒス @春祭サイト)


ブルックナーと《ミサ曲第3番ヘ短調》(春祭サイト)
ブルックナー《ミサ曲第3番》の指揮者、ローター・ケーニヒスに訊く(春祭サイト)


日時・会場
2024年4月13日 [土] 14:00開演(13:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:ローター・ケーニヒス
ソプラノ:ハンナ=エリーザベト・ミュラー
メゾ・ソプラノ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
テノール:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー
バス:アイン・アンガー
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩


Wagner: Siegfried Idyll /Karajan/Berliner Philharmoniker/Salzburg 1988 ワーグナー:ジークフリート牧歌 カラヤン ベルリンフィル


今回の予習で聴いたカラヤン&ベルリンフィルのこの演奏、とても良い。珍しい音源のようで、「1988年3月27, 28日 ザルツブルグ祝祭大劇場 ザルツブルグ復活祭音楽祭後援者のための公開リハーサル」とのこと(アップ主さんによる情報源はこちら)。なんという自然で清らかな美しさだろう・・・。演奏前にカラヤンの挨拶があるけれど、ドイツ語なので聞き取れず。



演奏会前に、東京都美術館のレストランミューズにて。大人のお子様ランチ風ミューズプレート、2600円也。

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東京・春・音楽祭『ニーベルングの指環』ガラ・コンサート @東京文化会館(4月7日)

2024-05-02 16:50:58 | クラシック音楽




前半45分~休憩~後半35分というとても短いプログラムを知ったときはどうかな?と思ったけれど、とても楽しめました
なにより改めてヤノフスキ&N響が素晴らしすぎる。。。
一曲目の『ラインの黄金』ではオケにトリスタン全曲のときのような緊張感が感じられずリハ不足・・・?と心配になったけれど、二曲目の『ワルキューレ』以降は尻上がりに良くなっていきました(ワルキューレのラスト良かった!)。特に最後の『神々の黄昏』には深く心動かされたなぁ。。。ブリュンヒルデ役のパンクラトヴァもとても良かったけれど(ちゃんと演技してくれてた)、やはりオケ!ヤノフスキのあの一筆書きのマジック!一見サラサラなのに劇的で、心を持っていかれずにはいられない。幕切れは、息を止めて聴いてしまいました。
抜粋なのにこんなに感動させられるとは。

私は指環はまだ実演に接したことがないのだけれど(大野さん、新国でツィクルスやってくださらないかな~~~)、今回ちゃんと全曲予習したんです。もちろん数日間かけて!褒めて!指環って文学作品とかにも時々登場するから一度ちゃんと観なきゃと思い続けてきたけれど、なにせ全曲の時間が時間なのでなかなか思い切れず。今回のガラはいいきっかけになりました。

今回はフラ拍はなし。しっかり静寂が保たれて、ヤノフスキも満足そうでした

※一緒に行った友人に「指環全曲の中でどれが一番好きか?」と質問したら、「ジークフリートが刀を直す場面が楽しくて一番好き」と。そこ笑!?と面白かったです。指環は楽しみ方も沢山ですね〜。


■2024年4月7日 [日] タイムスケジュール
前半 15:00~15:45 [約45分]
―休憩 20分―
後半 16:05~16:40分 [約35分]
終演予定 16:50頃

舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』より

序夜《ラインの黄金》より第4場「城へと歩む橋は……」〜 フィナーレ [試聴]
   ヴォータン:マルクス・アイヒェ(バリトン)
  フロー:岸浪愛学(テノール)
  ローゲ:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
  フリッカ:杉山由紀(メゾ・ソプラノ)
  ヴォークリンデ:冨平安希子(ソプラノ)
  ヴェルグンデ:秋本悠希(メソ・ソプラノ)
  フロースヒルデ:金子美香(メゾ・ソプラノ)

第1日《ワルキューレ》より第1幕 第3場「父は誓った 俺がひと振りの剣を見出すと……」〜第1幕フィナーレ [試聴]
 ジークムント:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
  ジークリンデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)

第2日《ジークフリート》より第2幕「森のささやき」〜フィナーレ
 第2場「あいつが父親でないとは うれしくてたまらない」―森のささやき [試聴]
 第3場「親切な小鳥よ 教えてくれ……」〜第2幕フィナーレ [試聴]
  ジークフリート:ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)
    森の鳥:中畑有美子(ソプラノ)

第3日《神々の黄昏》より第3幕 第3場ブリュンヒルデの自己犠牲「わが前に 硬い薪を積み上げよ……」 [試聴]
 ブリュンヒルデ:エレーナ・パンクラトヴァ(ソプラノ)

指揮:マレク・ヤノフスキ
管弦楽:NHK交響楽団(ゲスト・コンサートマスター:ウォルフガング・ヘントリヒ)
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン





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東京・春・音楽祭『トリスタンとイゾルデ』(演奏会形式/字幕付) @東京文化会館(3月30日)

2024-05-02 16:07:59 | クラシック音楽



昨年の春祭『マイスタージンガー』で超高速なのに超名演を聴かせてくれたヤノフスキ&N響。今年も楽しみにしていました。

先日の大野さん&都響@新国に続いて、ブラボー
大野さん&都響とはまた違う音。清らかさや透明感よりも劇的さや濃さ?が加わった感じ。昨年のマイスタージンガーの方が音に官能性が感じられた気もしたけれど、コンマスさんが違うからかな(昨年はキュッヒルさん、今年はMETのコンマスさん)。
とはいえ途中までは昨年と同様に、「いくらなんでも速すぎでしょうよ」と感じたのが正直なところ。一幕の船が陸に着いて旗が翻るところの音とか大好きなんだけど、感動する前に音が次に進んでしまう。恋の高まりや一幕最後のマルケ王!の喝采と二人の世界の対比とその悲劇性も大好きなんだけど、心が締め付けられそうになるともう音が次に進んでいる。。。もう少し浸らせて〜と思ってしまった。
二幕もやはり速い…のと、愛の二重唱は演奏会形式なので二人が向き合わないから愛を感じにくい。
でも「トリスタンの行く国にイゾルデも来てくれるか?」から二幕幕切れには、オケの演奏に胸がいっぱいになりました。
そして三幕、泣いた。オケの音楽の力が凄い。。。
ヤノフスキの音って不思議なんですよね。一見サラサラと進んでいるように聴こえるのに(知人はこれを「一筆書き」と表現していて、なるほどと)、ちゃんと引っ掛かりがあって、聴いている者の心を連れて行く、心が締め付けられないではいられないような響きをさせる。私達を置いてそのまま流れて行ってしまうことがない。うーん、ヤノフスキマジック。。。

イゾルデ役のクリステンセン。二幕までは声量不足に感じられたけれど、最後は頑張った!
今回も改めて感じましたが、トリイゾって『愛の死』がダメだと絶対にダメですね。ここに全てが向かっているような作品だもの。イゾルデ役のプレッシャーはどれほどか。

スケルトンのトリスタンもとても良い声だったけれど、とても頻繁に水を飲んでいて(譜面台の上に常にペットボトルが数本)、イゾルデが真剣に愛を語ってるときも蓋を回してゴクゴク。マルケ王が苦悩を切々と語ってるときも座ってゴクゴク。。すぐに椅子に座っている様子からも、ご体調が心配になりました。体格の大きな方で、糖尿病とかそういう心配をしてしまった。
三幕モノローグはとてもよかったです。『愛の死』の場面で、死んでいるはずのトリスタンが座りながらじーっとイゾルデを見ていて、(ただ演技に飽きて見ていただけかもしれないけれど)なんだかジーンとしてしまった。

クルヴェナール役のアイヒェ、甘やかな声がとてもよかった。新国でも感じたけれど、この役って実はとても重要ですよね。マルケ王にしてもブランゲーネにしても、トリイゾって不要な役が一つもない。みんな重要。
ブランゲーネ役のドノーセも決して悪くはなかったのだけれど、新国の藤村さんがいかに素晴らしかったかを改めて実感しました。

ヤノフスキは二幕ラストでフラ拍が起きかけても手を下ろさず、沈めていました。にもかかわらず三幕でまたもやフラ拍。しかも今度は拍手をやめず。ヤノフスキは手を下ろさず。周りの人が「シーッ」と言って、やめさせていました。ちなみに私の数席隣の方でしたけれど。。
以前も書いたけれど、演奏終了と同時の拍手が常に悪いとは私は思っていないけれど、曲によりますよね。もしマーラー9番で拍手が起きたら、それって新手のブーイング?と思ってしまうもの(幸い出会ったことはないけれど)。

同じ春に新国と上野でタイプの違う、でもどちらも極上なトリイゾを聴けて、本当に幸せでした。三幕は毎回泣いた。
ヤノフスキ&N響のワーグナーは、4月7日にリングのガラも聴いてきました。幸せすぎる。。。

対談 vol.1:マレク・ヤノフスキ(指揮) × 鈴木幸一(春祭サイト)

指揮:マレク・ヤノフスキ
トリスタン(テノール):スチュアート・スケルトン
マルケ王(バス):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ
イゾルデ(ソプラノ):ビルギッテ・クリステンセン
クルヴェナール(バリトン):マルクス・アイヒェ
メロート(バリトン):甲斐栄次郎
ブランゲーネ(メゾ・ソプラノ):ルクサンドラ・ドノーセ
牧童(テノール):大槻孝志
舵取り(バリトン):高橋洋介
若い水夫の声(テノール):金山京介
管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ベンジャミン・ボウマン)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン







桜の季節の上野を舐めていた私は藪蕎麦も駅ビルもどこの店にも入れず、朝から何も食べてないままトリイゾなんて死んでしまうので、結局東京文化会館内の精養軒へ。ここのお店はそれほど好きではないのだけれど(精養軒系列なら東京都美術館のミューズの方が好き)、いつも最後の砦になってくれる店でもあります。ビーフカレーは美味しかった(1680円也)。ご飯の量、昔よりは多くなった気がする

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歌劇『トリスタンとイゾルデ』 @新国立劇場(3月14日、23日)

2024-05-02 16:01:24 | クラシック音楽



誤解しないでください。私はワーグナーの音楽が大好きなんですよ。彼の反ユダヤ主義思想はひどいものですが。文芸批評家の故ライヒ=ラニツキは、家族を[ユダヤ系ゆえに]ワルシャワ・ゲットーで殺されました。『それでもなぜワーグナーを聴くのか』と尋ねられ、『《トリスタンとイゾルデ》を書いたのは彼だけだから』と答えた。つまりは愛憎。あの音楽の虜になるんです。私も《トリスタン》を15歳か17歳で初めて観て、完全にやられてしまい、すぐにヴォーカルスコアを買って、全部弾いて、指揮者になる!と決めたんですよ。
ブルックナー《ミサ曲第3番》の指揮者、ローター・ケーニヒスに訊く@東京春音楽祭

14日はZ席(1650円!)の上階Rサイドで、23日はD席(7700円)の上階Rサイドで聴きました。
Z席は初めて座ったけれど、信じられないほどお得ですね。
ほぼ見切れなしのD席に比べると確かに見切れるけれど、舞台中央はかろうじて見えますし、音楽は舞台に近いオケの上方なので一階席や正面席よりも響きがいい。長時間のワーグナーを今の時代にこんなお値段で聴けるとは。

ワーグナーのオペラを全曲で聴くのは、昨年の新国『タンホイザー』春祭『マイスタージンガー』に続いて3回目。
今回『トリスタンとイゾルデ』を聴いて、冒頭に引用させていただいたケーニヒスさんの言葉を強く実感しました。この音楽は虜になる。。。
動機の使い方もとてもよくできているし、最終幕の幕切れのオーボエの使い方なんて天才的と感じる。

今回の公演、なにより大野さん&都響が大ブラボーでした。
あいかわらず丁寧&雄弁&美しく、最終幕の清らかな響きにやられました。大野さんの音楽作りって私にはイマヒトツ突き抜け感が感じられないことが多いのだけれど、今回はそうではなかったというか、大野さんの指揮から今回初めて丁寧さ&雄弁さだけではないプラスアルファの熱を感じました。あるいは丁寧であるが故の凄みのようなものを感じさせてもらえた気がします。

ワーグナーとマチルデが既婚者同士でも愛し合った末にうまれた作品『トリスタンとイゾルデ』ですが、作品中特に二幕でトリスタンとイゾルデが光、太陽、日中を嫌い、夜を讃えるのはなぜでしょうか。日中は光があるので物が見えて概念を持ちますが、夜は光が無いため物が見えず既成概念を持てません。つまり敵、味方、婚約者の仇、主人の妻、既婚、未婚という既成概念が無い「夜」にすることで既成概念を否定したと解釈できます。形而上ですね。
(ブランゲーネ役 藤村実穂子)

今回、月と太陽の演出もとてもよかったな。
夜は全ての垣根をなくす。
人が真の自分になれるのは夜の世界。愛が成就するのも夜の世界。けれど夜の世界は死の世界と結びついている…。

一幕最後でようやく二人が本心から通じ合った直後の「マルケ王万歳!」の流れとか、二幕最後で2人が「夜の国」への憧れを口にする場面とか、三幕でイゾルデが歌う「愛の死」とか、映像で聴いても素晴らしいけれど、生で聴くと胸に訴えかけてくるパワーが全然違う。それはオペラ全般に言えることではあるけれど。
常につきまとう不安定さと破滅の音。
最終幕の清らかな響きと解決。死の安寧。

今回のソリストでは、ブランゲーネ役の藤村さんが素晴らしかった。彼女の独特な声が作り出すあの二幕の空気といったら・・・。
シュヴィングハマーのマルケ王も、その人間味のある温かな声に彼の心に共感してしまった。
シリンスのクルヴェナールも役にピッタリで、三幕は胸が苦しくなりました。
タイトルロール二人(ニャリキンチャ)は声の豊かさは少なめではあったけれど、その演技(声の演技も含めて)には、特に最終幕の二人には深く感動しました。ニャリのモノローグも胸がいっぱいになったし、特にキンチャの『愛の死』はオケの演奏とあわせて強く感銘を受けました。公演の後半に行った知人は「キンチャが愛の死でスタミナ切れでブーイングが起きた」と言っていたので、前半に観に行っておいてよかったです。

今年は春祭でもヤノフスキ&N響の同曲を聴けるというトリスタン祭り。なんという贅沢でしょう。

待望の再演 大野和士が語る、新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」(毎日クラシックナビ)
新国立劇場オペラ『トリスタンとイゾルデ』でブランゲーネを歌う藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)に聞く(SPICE)

スタッフ
【指 揮】大野和士
【演 出】デイヴィッド・マクヴィカー
【美術・衣裳】ロバート・ジョーンズ
【照 明】ポール・コンスタブル
【振 付】アンドリュー・ジョージ
【再演演出】三浦安浩
【舞台監督】須藤清香

指揮
大野和士

演出
デイヴィッド・マクヴィカー

キャスト
【トリスタン】ゾルターン・ニャリ
【マルケ王】ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
【イゾルデ】リエネ・キンチャ
【クルヴェナール】エギルス・シリンス
【メロート】秋谷直之
【ブランゲーネ】藤村実穂子
【牧童】青地英幸
【舵取り】駒田敏章
【若い船乗りの声】村上公太
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団

新国立劇場『トリスタンとイゾルデ』2024年3月20日公演より ダイジェスト Tristan und Isolde New National Theatre, Tokyo 2024


待望の再演 大野和士が語る、新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」







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新日本フィルハーモニー交響楽団 @すみだトリフォニーホール(3月9日)

2024-04-23 16:24:20 | クラシック音楽



マーラー/交響曲第3番ニ短調
出演
井上道義[指揮]
林眞暎[メゾ・ソプラノ]
栗友会合唱団(女声)[合唱]
TOKYO FM 少年合唱団、フレーベル少年合唱団[児童合唱]
新日本フィルハーモニー交響楽団


こんな前の感想を書いても・・・と思いつつ、覚書なので頑張って書く!

井上さんのマーラーを聴くのは、第2番『復活』に続いて2回目。
1楽章、完璧
ガチャガチャおもちゃみたいな、でも整った、矛盾が矛盾のままに許容されている世界。井上さん以外で聴けない音のような気がする。一筋縄ではいかない「マーラーらしさ」がいっぱい。
井上さん曰く「道義としては特に1楽章は素直に彷徨う若人だった自分を思い起こし体力のすべてを文字通り死力を尽くした。細かいニュアンスを弦楽器、木管楽器と探り合い、グスタフが仲間入りしたかった「ウィーンの世界」の再現を試みた。平和というものは実はカオスであることが許される世界を指す。皆の思いが時にはアンビバレンツに表現できることが大事だ。」と。

2楽章も悪くなかったけれど、3楽章〜4楽章はオケの音がリハ不足な感じがした。バンダのポストホルン(と言うんですね、あのカテコで見せてくれた小さいホルンみたいな楽器!新鮮な音。なんの楽器だろう〜?と不思議に思いながら聴いてた)の演奏があまり好みではなかったかな。
井上さんが「日本では少ない黒真珠のようなアルト」と喩えていた林さんの声は、とてもよかったと思った。『復活』のときより今日の方が良かった気がする。

5楽章の冒頭は合唱とオケがズレて修正されるまでしばらくハラハラしたけど、天使の歌声な合唱がとても良かった。

6楽章はサラサラと早いけど、清廉で、人間や未来への希望を感じさせてくれました。優しい希望。井上さんの6楽章は、自分に酔っていないのに命の音がする。
こういう曲を大仰にしない(したくないのだと思う)、のに感動させる、改めて井上さんの音楽作りが好きだなあと感じたのでした。
今年いっぱいだなんて、残念すぎる。。でもどんなことにも終わりは来るのだよな、今ここにいる人達もみんな永遠ではない、でもこうして同じ時間に同じ空間で重なって同じ演奏を聴いて。だから音楽は美しいのかもしれない。というようなことを感じながら終楽章を聴いていました。
井上さんは「6楽章、今回はマーラーが幸福な時に楽譜に書きこみすぎた人間不信の思い入れを一度客観的に捉えなおし、世で演奏されるベトベトのテンポは取らなかった。会葬者がしかたなく喪服を着てハンカチで顔を隠しているような腐った葬式風な演奏は捨て去った。それが死が隣にいる毎日というものだろうが。」と。なるほど。

井上さんのブログ

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東京都交響楽団 「マーラー10番」 @東京芸術劇場(2月23日)

2024-03-19 17:18:16 | クラシック音楽



【マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)】
マーラー10番を聴くのは初めて。
「補筆版」ってどうなのだろうという気持ちがあってあまり食指が動かなかったのだけれど、”インバル都響のマーラー”は都響名物のように言われているので一度聴いてみたくて。
そして予習でyoutubeで数年前の同コンビの演奏を聴いてみたら、、、なんて良い曲。聴かず嫌いはいかんですね。

今日の演奏は、マーラー特有の諧謔味や可愛らしい音やしっとりとした美しさとかはあまり感じられなかったけれど、それを補って余りある重く濃く暗く、そして開放感のある音。高音の突き抜け感。改めてインバルは都響に良い音を出させますねぇ。。。
特にヴィオラとチェロの美しさが印象的でした。
全体的には速めで推進力があって、もう少しゆっくりひたらせて〜と感じることもあったのに、最後の長い長い一音の深みと静けさにやられた。。。。
あの終楽章、それまでの楽章で描かれたマーラーの葛藤や苦悩やアルマへの様々な感情(全てひっくるめての愛情)を最後に彼が音楽の世界の中で静かに美しく昇華させたような、そんな感覚を覚えながら聴いていました。

カテコのインバルも、とても満足そうだった
この日はヴィオラの店村さんの最後の日で、終演後に花束とご趣味の釣り竿が送られていました。今日のヴィオラの音、本当に素晴らしかった。真ん前の席(今日も最前列笑)で堪能させていただきました。

インバルの次回の来日は、6月の都響1000回公演のブルックナー9番とのこと。
お元気で来日してください!今回のご様子だと全く心配はいらなそうですけれど

※参考:グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第10番 補筆5楽章版(千葉フィル)


インバルが語るマーラー10番(クック版) Inbal on Mahler's 10th-Cooke Version

【マーラーが遺した最後の言葉 最もマーラーらしく 最上の「クック版」】

 作曲家が遺した未完の作品が、常に完成されるべきものとは限りません。けれどもマーラーの交響曲第10番には、大いにその価値があります。なぜならそれはマーラーが書いた交響曲という自叙伝の続きであり、彼の人生と願望、世界観についての長編小説の続きだからです。
 マーラーは何回も「別れ」(Abschied)を告げています。《大地の歌》では「永遠に、永遠に」と。第9交響曲で彼は人生に別れを告げ、死を受け入れます。そして第10番は、まるで死後の世界で書かれたような、非常に不思議な強い印象を受けます。死後に彼が復活し、人生や死について回想しているかのような。
 楽譜には、彼の妻に宛てたたくさんの書き込みがあり、妻への愛を表しています。2人の生活は大きな問題を抱えていたのですが、マーラーは音楽の中で愛が完全に成就するようにしたのです。最終楽章は、彼が人生に求め、得られなかったすべてのものへの熱望で、心が張り裂けるようです。
 完成されていたら、これは非常に偉大な交響曲だったでしょう。肝心なのは、彼がすべての小節を書き、全曲を通して欠落はなかったということです。作品の半分はオーケストレーションまで完成し、残りも四段譜に各声部が書かれていましたが、いくつかの箇所はハーモニーを完成させる必要がありました。
 シェーンベルクやベルクなどの作曲家は交響曲を完成させる勇気がありませんでした。デリック・クックだけがまるでマーラーが乗り移ったかのように取り組み、何年もかかって演奏可能な状態にまで仕上げました。
 私がロンドンのBBC交響楽団で演奏した際、クックがリハーサルに立ち会い、いくつかの箇所で代替のオーケストレーションを話し合いましたが、彼はその後改訂版(第3稿第1版)を出版しました。彼の死後、助手が小さな修正を加えた新しい版(第3稿第2版)も出ましたが、私はいくつか同意できない変更点は前の版に戻しています。それが最も満足できる、マーラーの精神に忠実なものだと思うからです。
 クックの作業は、すべてマーラーのスケッチに基づいています。その後、他の研究者などによる別の完成版も作られましたが、私はクック版が最もマーラーらしく、信頼できる、最上のヴァージョンだと考えています。
 この演奏をお聴きいただくことは非常に重要なことで、これによって彼の全交響曲シリーズが完結するのです。ちょうどマーラー最後の言葉のように。
(エリアフ・インバル)

曲目解説(都響)『月刊都響』2014年7・8月号の原稿を改訂)








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ファビオ・ビオンディ バッハ無伴奏全曲 @神奈川県立音楽堂(2月17日)

2024-03-19 16:55:20 | クラシック音楽



≪第1部≫ 14:00開演
 ソナタ 第1番
 パルティータ 第1番
 ソナタ 第2番
 ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005 3. ラルゴ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 4. プレスト(アンコール)
 
≪第2部≫ 18:00開演
 パルティータ 第2番
**休憩**
 ソナタ 第3番
 パルティータ 第3番
 ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003 3. アンダンテ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 1. アダージョ(アンコール)
 ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001 4. プレスト(アンコール)


一か月以内に感想を書こうと思っていたのに、それも守れなくなってしまった。短くサラッと書けばいいだけなのにね。。

疲れた心がバッハの無伴奏を求めていたので、直前に一日券を半額で譲っていただいて行ってきました。地元なので気楽。
ビオンディを聴くのは初めて。
事前にyoutubeで聴いた彼の無伴奏はあまり好みとはいえなかったのだけれど、生で聴くと、人間らしい体温をもった演奏が心地よく感じられました。

これまで聴いたバッハの無伴奏はファウストとカヴァコスで、どちらも大曲シャコンヌを最後に持つパルティータ2番をプログラムの最後に持ってきていたのだけれど、今回はソナタとパルティータが交互に1→2→3番と演奏されました。

当初の予定では第一部のパルティータ1番とソナタ2番の間に休憩が入るはずだったのだけれど、、、普通にソナタ2番が始まった笑。
でもこれで正解!ソナタ1番→パルティータ1番と順に良くなっていって、やはりビオンディのようなタイプはパルティータの方が合ってるのかな?と思いかけたところで、ソナタ2番の冒頭から飛躍的に音が変わったから
私の大好きなソナタ2番のアンダンテ、彼の録音よりも今日の演奏の方が自然な軽やかさと優しさと深みが感じられて良かった。

休憩がなくなったので第一部が1時間で終わっちゃったので、第二部開始の18時まで桜木町駅のスープストックで時間を潰し、再び第二部へ。
先ほども書いたけれど、パルティータ2番が第二部の最初(全曲演奏会の真ん中)に演奏されたのが新鮮でした。
この曲順だと、短調→短調→短調→短調→長調→長調となるんですよね
ビオンディのシャコンヌの演奏を聴きながら、「人生に対する熱量が足りない自分」というものを改めて思ってしまいました。
最近気になってるんですよね。前から思ってはいたけれど、最近特にそれが気になる。もう少し自分の人生に対して熱量を持つべきなのでは、と。
谷川さんが似たようなことを数年前の対談会で仰っていたなぁ。コロナ前だったので90歳直前くらいのご年齢の頃だったか。


【盛会のうちに全曲演奏終了しました!】

ファビオ・ビオンディ バッハ「無伴奏」全曲
2/17 第1部+第2部 終了しました!
第1部では予定していた休憩がなくなってしまうというハプニングもありましたが、多くのお客様の熱い拍手とブラボーのお声をいただき、無事、全曲演奏を終えることができました。
各公演後のサイン会では長い列ができ、たくさんのお客様がひとりひとりビオンディ氏とあたたかい交流をされていました。
終演後、ビオンディ氏は改めて、J.S.バッハ「無伴奏ソナタとパルティータ」一挙演奏という取り組みに真剣に参加し、支えてくださったお客様の知性と素晴らしさへの感動を口にしていました。
第2部のアンコール最後の曲では「このホールに捧げる。輝かしい未来があるように」とのコメントがありました。
お客様も含めてこの日集ってくださったすべての人へのメッセージだと思います。
ご来場くださったすべての皆様に心より感謝申し上げます。

<おまけ:終演後のマエストロ・ビオンディ語録より>
…リピートと装飾については、今回のツアーでは毎回変えていました。
だから演奏時間はCDとは違っていたと思います。
大阪・いずみホールとも違っていたはずです。
お客様が入った生演奏で、全てのリピートを弾くのは現実的とはいえません。
装飾についても、アンコールで弾いた曲の装飾が、本編と違うことに、お客様は気づかれたと思います。
そうです。私は即興演奏しているのです。
バッハの装飾には、フレンチスタイル、イタリアンスタイル、そしてジャーマンスタイル等色々なものがある。
それらを組み合わせて弾いているのです。
即興的にどのスタイルをどこで採用するかの判断をできる様になるのはとても大変です。
それにはとてもとても長い練習しかありません。
そして何より大事なのは、どこまで許されるのか、という「限界」の感覚です。
どんなに即興的でも、音楽はあくまでバッハの音楽を逸脱してはいけないのです。

特設サイト@神奈川県立音楽堂)

ファビオ・ビオンディ メッセージ

Sonata No. 2 in A Minor, BWV 1003: No. 3, Andante

Partita No. 2 in D Minor, BWV 1004: No. 5, Ciaccona

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東京都交響楽団 第994回定期演奏会Bシリーズ @サントリーホール(2月16日)

2024-03-08 21:05:39 | クラシック音楽




インバル&都響を聴くのは2019年以来、4年半ぶり。そんなに聴いていなかったのか・・・。
当時インバルの音作りがなんとなくワンパターンのように感じられてきてしまい、しばらくこのコンビの演奏会からは遠ざかっていたのだけれど。
久しぶりに聴くと、上記のような面は今もなきにしもあらずだけれど、やっぱり良いですねぇインバル&都響の音
このコンビからしか聴けない音が確かにある。

【ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 op.70】
5番11番に続いて、3回目のインバルのショスタコ。
相変わらず暗く厳しく深みのある音がちゃんと出てくれているインバルのショスタコ!
最近お気に入りの井上さんのショスタコと比べると、ショスタコらしい諧謔みは少なめだけれど、これはこれでとてもいい。これもとっても「ショスタコの音」。
インバルはオケの音を限界まで出し切ってくれるのも変わらずで、聴いていて気持ちがいい。なのに崩壊しない。
都響も良くも悪くも完璧過ぎる感もなくはないけれど、やっぱりすごく上手い。
そして、、、インバル元気!
今回最前列でインバルの真後ろで聴いていたのだけれど、変わらず鼻歌歌って、第一楽章では足でタンダンと力強くリズムまでとってた。
今日で88歳になられるんですよね・・・。すごいバイタリティだ・・・。

(20分間の休憩)

【バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(日本語字幕付き)】
語り/ジェイ・レディモア
ソプラノ/冨平安希子
合唱/新国立劇場合唱団
児童合唱/東京少年少女合唱隊

バーンスタインの交響曲を聴くのは、ラトル&ツィメルマン&ロンドン響の『第2番 不安の時代』に続いて2回目。
今日最前列でその音に全身で浴びながら、バーンスタインの心に包まれているような、あるいはバーンスタインの頭の中に入っているような、そんな感覚を覚えました。
インバルや都響がどうよりも「バーンスタイン」を感じた。
LSOとバーンスタインを演奏しながらラトルがツィメルマンに「彼(レニー)がここにいた気がする」と何度も言っていたそうだけど、バーンスタインの曲にはそういうところがあるように思う。特にこの3番には。
今日の演奏にバーンスタイン特有の弾むような軽やかさが出ていたかは微妙だけど、その音の響きと色から”バーンスタインの心”はいっぱいに感じることができました。
目覚め、夜明け、宇宙、そしてこの世界。
それらとバーンスタインの個人的な心の葛藤を真っすぐに強く感じることできたのは、今日の歌詞と語りが当初予定されていたピサール版ではなく、バーンスタインによるオリジナル版だったからだと思う。私はこのオリジナル版、とてもいいと思う。

語りのジェイ・レディモアさん。私は彼女の真ん前の席だったのでPAを通してではなく直接音でその声を聴くことができました。
「Be the great name of Man!」このパワフルな空気、日本人には出せないものだろうな、と。日本人が悪いのではなく、歴史的、文化的に出せない空気のように思う。
神への疑い。人間と神の新たな約束。私(人間)がかけた新たな虹。インバルによるとこの曲の人と神との関係はバーンスタイン独自の感覚で、通常のユダヤ教の考えではないとのこと(バーンスタインはユダヤの考えだと言っているけれど)。
バーンスタインは「人間」を信じることができた人だったのだなと改めて感じた。人間の良心を。

合唱団は、静かな男声の迫力が特に印象に残ったな。あと、子供達の声。

演奏後は、今日88歳の誕生日を迎えるインバルに花束が贈られました
ハッピーバースデー、マエストロ

インバル スペシャルインタビュー 全4回(2015年12月)
バーンスタイン作品におけるユダヤ性とジャズ



Jaye Ladymore Performs Bernstein's "Kaddish" | Leonard Bernstein's Kaddish Symphony | GP on PBS

バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》(1963)

 『ウエスト・サイド・ストーリー』などミュージカルの作曲家として知られるレナード・バーンスタイン(1918〜90)は、シリアスなクラシック作品も多く残しており、また20世紀後半を代表する指揮者でもあった。彼はボストン交響楽団の創立75周年(1956年)を記念するため、同交響楽団とクーセヴィツキー音楽財団から新曲の委嘱を受けた。しかし1950年代半ばのバーンスタインには映画や舞台、コンサート作品など、他にも作曲プロジェクトがあり、1958年からはニューヨーク・フィルの音楽監督に就任するなど多忙を極めていた。彼が委嘱作品にとりかかったのは1961年頃で、オーケストラ、混声合唱、児童合唱、語り手、独唱ソプラノによる交響曲《カディッシュ》は、1963年に完成した。完成間際にはジョン・F・ケネディ大統領(1917〜63)が暗殺される事件(11月22日)が起こり、バーンスタインはこの曲を「ジョン・F・ケネディの思い出に」献呈することにした。
 曲名の《カディッシュ》は、 ユダヤ教の伝統的な日々の祈りで、死に言及しているわけではないが、葬儀において墓前で引用される主要な祈りでもある。また、神への讃歌であると同時に平和への祈りでもある。この平和と救いを願うアラム語・ヘブライ語の讃歌は、交響曲の中で歌われる。またバーンスタインが作った英語による語りもある。その内容は、現代における信仰の危機、深刻な社会問題についてで、作品が東西冷戦期に書かれたことを彷彿とさせる。ときおり聞かれる神に対する鮮烈な不信や怒りが神への冒瀆ではないかという意見も評論家からは出されたが、バーンスタインはこれらをユダヤ教の伝統にあるものと認識していた。
 曲は3つの楽章からなり、第1・第2楽章は2つに、第3楽章は3つの部分に分かれるが、全曲は続けて演奏される。

 第1楽章は、序奏となる〈祈り〉と、主部にあたる〈カディッシュ1〉という構成。まずは合唱によるハミングを背景に〈祈り〉が始まる。フルートとハープによる謎めいた動機は弦楽器に受け継がれ、盛り上がる。この間に管楽器による突き刺さるような響きが挿入される。
 〈カディッシュ1〉に入り、合唱が歌い始めると、オーケストラが12音音列を使った不協和な動機を爆発させ、8分の7拍子と4分の3拍子が入り交じる変拍子の速いテンポの部分となる。合唱は手拍子も交え、エネルギッシュに進む。最後は「アーメン」を叫んで第1楽章が終わる。
 第2楽章の前半〈ディン・トラー〉は「裁きの場」。打楽器合奏が主導し、合唱のハミングを背景に語り手は、人間が起こした災いに満ちた世界における神の沈黙に対し、信仰の揺らぎを語る。やがて金管群による無調のファンファーレが始まり、心をかきむしる不協和な楽想が続く。曲は「アーメン」の合唱とともに高揚し、裁きが下されたかのような決然としたクライマックスに到達。最後は、8つのパートに分かれた合唱が各々のテンポで歌うカデンツァにより、瞑想的に「ディン・トラー」を閉じる。
 楽章の後半、8分の5拍子の〈カディッシュ2〉は、優しいオーケストラの伴奏に乗せたソプラノ独唱。三部形式で、神を讃美するソプラノの歌に、女声合唱は「アーメン」などで応えていく。中間部は16分の5拍子で盛り上がりを見せる。
 第3楽章は3部構成。〈スケルツォ〉はクラリネットとピッコロによる4分の3拍子の軽妙な動機で始まる。しかし無調のためか嘲笑的で皮相的だ。しかし語りが平和の虹とともに信仰を取り戻したことに触れると、変ト長調による希望の見える旋律が弦楽器を中心に麗しく奏される。この旋律は児童合唱によって導かれる〈カディッシュ3〉へとつながり、展開していく。
 〈フィナーレ〉は夢から現実への目覚めで、不協和な全奏によって始まる。弦楽による重々しい雰囲気が醸しだされ、静かになると、〈スケルツォ〉の後半で聴かれた希望の見える旋律とともに、神と人間との間に結ばれた契約に由来する生命の喜びや両者の共生が語られる。終結部は変拍子を使った賑やかな〈フーガ〉で、独唱ソプラノも加えた全ての合唱がオーケストラと華々しく共演する。最後に短く第1楽章冒頭の動機が回帰し、熱狂のうちに曲を閉じる。
谷口昭弘 @都響ホームページ

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NHK交響楽団 第2006回 定期公演 Bプロ @NHKホール(2月15日)

2024-03-02 15:10:11 | クラシック音楽



指揮 : パブロ・エラス=カサド
ヴァイオリン : アウグスティン・ハーデリヒ
ソプラノ : 吉田珠代

エラス・カサドが贈る祖国スペインにちなんだプログラム

「Bプログラム」では、パブロ・エラス・カサドが、祖国スペインにちなんだ音楽を取り上げる。ラヴェル《スペイン狂詩曲》は、20世紀初頭のフランスで花開いた異国趣味の産物。「ファ・ミ・レ・ド#」と下降する、熱帯夜のようにけだるい音階に導かれて、マラゲーニャやハバネラといった舞曲がスペイン風の情緒を醸し出す。とはいえ、これは緻密に計算された人工美、まぎれもなくラヴェル固有の世界でもある。

この曲を絶賛したというファリャ。その代表作《三角帽子》では、より開放的にフラメンコのリズムが躍動する。《スペイン狂詩曲》の〈祭り〉同様、《三角帽子》の終曲は、“ホタ”と呼ばれる民族舞踊で盛り上がるが、それまで温存されていたトロンボーンとテューバがここで初めて演奏に加わり、爆発的なクライマックスを築く手法は、ラヴェルの書き方にも似て極めて効果的だ。

エラス・カサドは2019年に《三角帽子》を録音したが、一時入手が困難になるくらい、このCDは評判を呼んだ。彼の持ち味である歯切れのよさと色彩感に、パワフルなN響の音圧が加われば、“鬼に金棒”の名演が生まれるかもしれない。

《ヴァイオリン協奏曲第2番》は、ツアーの道中にあったプロコフィエフが、スペインを含むヨーロッパ各地で書き継いで完成させ、初演はマドリードで行われた。

瞑想的な第1楽章に続くのは、ソリストのアウグスティン・ハーデリヒが「ヴァイオリン音楽史上、最も偉大なメロディ」で、「いつまでも終わってほしくない」と、惜しみない愛を注ぐ第2楽章。さらにはハバネラ風のリズムにカスタネットも加わり、目くるめく熱狂で終わる第3楽章。スペインのエッセンスに染まる一夜が満喫できるだろう。

NHK交響楽団ホームページ


友人からのお誘いで行ってきました。
ラヴェル、プロコフィエフ、ファリャ、と名前を並べるだけでもワクワクするバレエ・リュスの作曲家尽くしのプログラム。
とっても楽しかった

【ラヴェル/スペイン狂詩曲】
良い曲ですね~。
でも、隣の席の男性の鼻息?が大きくて、しばらく音楽に集中できず。。
4曲目「祭り」の頃にようやく集中できるようになり、最後は思いきり楽しむことができました。
エラス=カサドはオケの音色の美しさを保ちながらも限界まで鳴らしてくれて、綺麗な色がステージいっぱいに広がるのが見えた

【プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63】
なにより、ハーデリヒの音・・・!
音の周りに爽やかな風が吹いているよう。良い意味での清潔感というのか。一音目から驚きました。
この風の感覚が常にそよいでいるから、端正な演奏だけど四角四面に感じない。
二楽章、美しかった。。。三楽章もすごく楽しかったです。
色々なヴァイオリニストでこの曲を予習したけど(カヴァコスとかヤンセンとか)、この人の演奏、好きだなあ。
昨年のクーシストにしても、N響は良いヴァイオリニストを呼びますね。
私の知らない素晴らしい演奏家が世界には沢山いるのだなぁ。こういう演奏家に出会えるのが定期の良いところですよね。って、いただいたチケットだけど笑

(20分間の休憩)

【ファリャ/バレエ音楽「三角帽子」(全曲)】
いやぁ、良い演奏だった。。。楽しかった。。。
ファリャは、アチュカロさんのピアノリサイタルで聴いて以来、お気に入りの作曲家。
今日の演奏、アチュカロさんでアンダルシア幻想曲を聴いたときの感覚を思い出しました。
あのときに見えた、夜の帳の後ろでチラチラと蠢く多彩な原色の色。
今夜も夜の空気の中のカラフルな原色の色がはっきりと見えました。
ラストやりすぎなくらい大音量だったけど(楽しくてニコニコ笑顔で聴いてしまった。あれくらいやってくれていいよ!)、良い意味で音に透明感があって団子にならない。綺麗な色がまっすぐに見える。これは前半のラヴェルにもプロコにも共通していたので、エラス=カサドの音作りの特徴なのだろうな。
民俗色の強い演奏が好みの人にはもしかしたら物足りない演奏だったかもしれないけれど、私はアチュカロさんと今夜のエラス=カサドの演奏を聴いて、こういう演奏が実は最もファリャらしいのかもしれないと感じました。バレエ・リュスの音楽だもの

Falla - The Three-Cornered Hat - Proms 2013

この8:00~のスペイン風の情熱的な音楽、しばらく耳から離れなくて困った笑

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