風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

モーリス・ベジャール・バレエ団 Bプロ @東京文化会館(11月25日夜)

2017-11-27 19:07:54 | バレエ



Aプロに続き、行ってきました。
人間が「表現する」ことの尊さのようなものを感じました。
どうも私の場合、この人達の踊っている姿を観ていると、好みとかそういうのを超えてしまうのよね。。。(それでもブチブチ言うときは言ってますけど笑)


【ピアフ】
私の観客とは、知識のある(あるいは知識があると思っている)観客ではなく、愛のある観客です。愛する人間の前で、知識のある人など何になるでしょう?
(モーリス・ベジャール。ダンスマガジン11月号より)

おお、タイトルから想像していたものと全然ちがう、女性ダンサーが全く出てこない、吃驚するほどの男祭りであった

私はピアフという人については2007年の仏映画と美輪さんの歌うシャンソンくらいしか知らないのですが、美輪さんのリサイタルで感じた「天国から一番遠くみえるところ、地面に一番近いところが、実は神様に一番近い場所なのではないか」ということを、その映画からも感じました。これは先日聴いたブラームスのドイツレクイエムの第一曲の歌詞「祝福されたるは 悲しみを負う人」にも通じるもの。映画の終盤でピアフは、インタビューに穏やかにこう答えます。「大人の女性にアドバイスを送るとしたら?」「愛しなさい」「若い少女へは?」「愛しなさい」「小さな子供へは?」「愛しなさい」

ここで踊るダンサー達はおそらく、ピアフが愛し、ピアフを愛した男達。他に女を作る男もいれば、ピアフを愛する自分を愛している男もいる(男がピアフの写真にキスをしようとすると写真が鏡にすり替わり、そこに映る自分の姿にうっとりと口づける演出がある)。
でも、一番最後の曲『水に流して』のとき、ダンサー達はみんなすごくいい表情をしているのよね。そして彼らはピアフの大きな写真に一斉に礼をする。ここで彼らがピアフへ示した愛は、そのまま素直に受け取っていいものだと思う。
「良いことも悪いことも、私にとっては同じこと」。この歌詞が、私はとても好きなんです。

邪な感想としては、この作品、次々出てくる色んなタイプのイイ男尽くしが楽しすぎる。まさかの舞台上一斉脱ぎ脱ぎまであり。『冷淡な美男子』のアンジェロ・ペルフィドは自分が美男子だと思ってないと絶対にできない表情をしていて、「きゃー」となりました。プログラムを見たらイタリア男でした。さすが。
この作品の世界初演は日本だったそうです。もしかしたら東京バレエ団とかもやったりしてるのかな。
あとプログラムのコラムでは『私の回転木馬』がラストの曲とあるので、曲順もオリジナルからどこかの段階で変わったりしてるのかも。

【兄弟】
司会:那須野圭右さんと大貫真幹さんは非常に仲がいいそうですが、この作品が作られる間のエピソードなどあれば。

那須野圭右:大貫と寝るとき以外はずっと一緒で、それをジルが見て、「お前ら兄弟みたいだな、それをバレエにしてみようか」と言って始まりました。そこに吉田兄弟の三味線と60年代、70年代の曲で作ろういったことでこの作品が出来上がりました。

司会:この作品に対してやはり思い入れは強いですか?

那須野圭右:ジルが初めてメインのキャストとして作品を作ってくれた作品ですし、それを日本で上演できるのは嬉しいですね。
(記者会見より)

ツイッターの評判を読む限りでは、ジルの振付は実に人気がないですね笑。
私はベジャールのことは考えずに一つの独立した作品として観れば、この『兄弟』はとても楽しめました。「寝るとき以外は一緒というほど仲のいい二人を見ていて、思いついた」のがこの作品とは、シンコペのときも思ったけど、ジルの頭の中って一体どうなってるんだろ。まあ原作まんまといえばまんまなんですけど。このボルヘスの原作、ジルがインタビューで言っていたので事前に読んでみたのですが(邦題は『じゃま者』)、アルゼンチンの作家なんですね。こういうひょんなことで今まで全く接点のなかった国の作家を知ることができるのは楽しいです。アルゼンチンというと、アルゲリッチとエビータくらいしか思い浮かばないような人間なので。あ、バレンボイムもか。

今回の作品では、お兄さんが那須野さんで、弟が大貫さん。やっぱり那須野さんの踊り、セクシーでかっこよくて大好き。自分が女性と戯れてる場面を見ている弟に気付いて、シッてするところとかもとっても素敵だった。弟な雰囲気いっぱいの大貫さんとの息もピッタリ。

閉ざされた二人だけの世界での強すぎる絆と愛情。それは外側の人間から見ると、閉鎖的で歪んでいて異常なものであることは確か。でも私達の世界には、ベジャールのような全ての人間を受け入れる大きな大きな愛や絆が存在していると同時に、こういう種類の愛や絆を拠り所に生きている、またそういう風にしか生きられない人間達も確かに存在しているのだと思う。その道徳的な良し悪しは別にして。
ジルがこの作品で言いたかったことと私が感じたことは違うかもしれないけれど、ベジャールの作品と並んでこういう作品を観られたことは、興味深い体験でした。女性役のリザ・カノも素晴らしかった。ガブリエル・アレナス・ルイスの役は、私は、兄弟の内面の女性に対する純粋な愛情の部分なのかな、と思いながら観ていました(一回しか観ていないので全く自信ないですが)。彼らが兄弟ではなく、そしてここには描かれていないけれどおそらくあるであろう特殊な事情もなく、ただの一人の存在であったなら、ああいう風にあの女性を愛せることもあったのかもしれないな、と。でも彼らは二人で、目の前には何よりも一番の存在である兄がいて、弟がいる。それだけは決して失うのことのできない相手。その世界を壊す人間は、例え愛していても(まあその愛も相当歪んだものですが)、消さなければならない。・・・そういう話かな、と。全然違うかもしれないけど笑。女性の首絞めシーンはかなりリアルで、最近の某事件を思い出してしまいちょっと辛かったです。そして背後に流れるのは、美空ひばりの美しい「la vie en rose (ばら色の人生)」という・・・。

那須野さんは記者会見で「今回の来日公演がたぶん最後の舞台になると思います」と仰っていたけれど、BBLを去るだけなのかな、それとも踊り自体をもう踊られないのかな…。カテコのときは拍手を送りたいので私は基本オペラグラスを覗かないのですが、一瞬見たら、感無量の表情をされてた。。。。

(休憩25分)

【アニマ・ブルース】
こちらもジル振付。
R側の席だったので舞台右手奥が全く見えず、そんななので作品についての感想は控えますが、意味がわかるようなわからないような?でも私はなかなか楽しかったです。作品がどうこうより、カテリーナジュリアンエリザベットが踊る姿を観ているだけでとても楽しかった。
ジャケットを脱ぐジュリアン、項垂れて腕ぶらんぶらんなジュリアン、相変わらずお腹から指の先まで絶えず神経を届かせているジュリアン、でもそれを感じさせないジュリアン。いいダンサーといい歌舞伎役者ってやっぱり共通するものがあるのだなぁ。
ダンサー達は自分の役の解釈について確信をもって踊っているように見えて、観ているこちらは全く確信を持てていないのだけれど笑、「何かを表現する」という行為は本当に面白いものだなあと思いながら観ていました。
というわけで最後まで全力で踊るジュリアン。この後休憩なしで『ボレロ』なのに・・・!

今回の2つのジル作品についてはシンコペと同じく単体でチケットを買おうとまでは思わないけれど、ベジャール作品との組み合わせで1つ見るとかなら私はノープロブレムかなぁ(ジルがよく使うあの感電みたいな動きは苦手ですけど)。一方で私の場合はまだまだ観たことのないベジャール作品がいっぱいあるので、やっぱりベジャールの作品をこのバレエ団でたっぷり観たいというのも本音です。
ところでジル作品には全く拍手をしない女性達が私の周りにちらほらいらっしゃいましたが、私は少なくとも演者達の頑張りが伝わってきた舞台に一切拍手を送らないということが心情的にできないんですよね・・・。例えその作品が好みじゃなかったとしても。その代わり「大きく拍手する」「控えめに拍手する」の違いはつけますが。私の隣の女性も全く拍手をしていなくて、私が拍手をしていると「こんな作品に拍手をするなんて信じられない」という目で見ていて・・・。自分が嫌いなものはみんなも嫌いじゃないと気が済まないのかなぁ。正直、バレエの客席は苦手です。。。バレエ公演のトイレやロビーでよく耳に入る大声のダメ出し談義も本当に苦痛。。。舞台の上はあんなに美しいのになぁ・・・。友人によると大人のバレエ教室の内部などはもっとドス黒いらしいですが。。。

(転換5分)

【ボレロ】
『ボレロ』のメロディ、それはひとつのチャレンジであると同時に、ジル・ロマンからぼくへの贈り物でした。この贈り物をぼくは苦しみのなかで受け取りました。なぜなら、メロディを何ものかに成し得るようになるには、身体的な試練を通過しなければならない。それは何年経っても、つねに厳しいものです。(中略)モーリスはぼくにすべてを教えてくれました。自分とは何か、自分とはいかなる者か、自分は何をしているのか、自分はいかにそれを行っているのか……。ぼくはモーリスのおかげで”存在しているんです。そして、いまぼくは自分の道を前へと進みつづけています、ジルと一緒に。
(ジュリアン・ファヴロー。ダンス・マガジン11月号より)

会場で配役表の紙を見て、今更ですが、ボレロって15分間なんだなあ、と不思議な気持ちがしました。いつ観ても(といってもBBLでしか観たことがないけれど)時間の感覚を感じない。確実に終わりへと向かっていることはわかるけれど、通常の時間感覚が完全に頭から消えてなくなるんですよね。ボレロってやっぱり傑作だなぁ。ああいう音楽を作ったラヴェルもすごいし、それにああいう振付を考えたベジャールもすごい。

そして今回のボレロ。
もうなによりも、、、

ジュリアーーーーーン

もうもうもう、ほんっっっっと素晴らしかった。。。。。。
始まったとき、前幕で使われた光の紙?が掃き切れてなくて完全な暗闇にはなっていなかったけど、そんなんどうでもいい。
ジュリアンの『ボレロ』は2013年にも観ていて、そのときは一日目より二日目の方が良かったそうで、今回の『魔笛』も一日目→二日目→三日目と尻上がりに良くなっていたらしいので(幸い私はどちらも良かったと言われている回を観られました)、今回一回勝負のボレロはどうなるのかしら…と少し心配していたのだけれど、前幕でギリギリまで踊って心身ともに温まっていたのがかえって良かったのか、今回は最初から踊りに入り込んでいるように見えました。まぁ最初からジュリアンの肌が汗で少し光っていたので私にとってのボレロの魅力の一つである「最初は乾いているメロディの肌がだんだん汗で光ってくるのを見る楽しみ」は少なかったですが(変態ぽいですか?いや、その変化もほんっと綺麗なんですって!)。
手だけを照らしていた照明から顔の表情がわかる照明に切り替わったとき、正面をまっすぐに見つめる眼に厳しさがあって、この時点で2013年との違いに、うわぁ、今日のジュリアンやばいやばいやばい…!と既に心臓ドキドキ。
ダンサーってこんなに変わるものなんだ、と胸がいっぱいになりました。リズムとの関係性も前回から変化していて、孤高性とカリスマ性と柔らかみが増してた。リズムがメロディを放れないのではなく、メロディに惹き付けられているのが強く伝わってきました。そしてやっぱり前回と同様にジュリアンはリズムに愛されているんだなあ、と強く感じました。BBLのリズムはメロディと同じくらい大好き。でも今回は殆どジュリアンばかりを見てしまったけれど。あと前回大好きだった那須野さんのリズムが観られなかったのはとても残念だったな・・・。

例によって上階席なので、ジュリアンが真上に顔を向けているときもずっと表情が見えていたのですけど、あの表情はもう・・・・泣。ジュリアンって斜め上や上を見るときになんともいえない独特な表情をしますよね。孤高や孤独ともちょっと違う、透明感というか。前回のボレロで感じた「光を求めるような表情」の上に今回はさらに、そういうものを全て経たうえで辿り着いた場所まで彼が行っているような・・・彼自身が光に見えたよ。魔笛のときと同じく、夜の闇も内包して存在している光。厳しいけど、やっぱり優しくて。私は2013年のジュリアンの光を求め続けているようなメロディとそんな彼を放っておけないようなリズム達との関係性も大好きだったから、あのときのジュリアンと、その更に先の場所まで行っている今回のジュリアンと、両方観ることができて本当に幸せです。ああもう大好き×10000個!あと10000回観たい!

会場の熱狂&スタオベも凄かったですね。みんなもやっぱり感動したよね~。
一度おりたカーテンが再び上がって、円卓の上に一人立っているジュリアンのあの表情・・・
リズムが両側から手を貸してジュリアンを円卓から降ろしてみんなで「お~!」な雄叫びをあげるカテコは仲間!っていう感じがして大好きなので、また見られて嬉しかったです。
天国のベジャールさんも今のジュリアンのメロディを観て、絶対に喜んでくれていると思うなあ。
エリザベットのボレロもそうだけど、この温みのあるBBLのボレロが私は本当に本当に大好き。

今月の怒涛の観劇尽くしも、これにて終了です。いっぱいの感動に出会えた月だったけど、その最後にこんなものを観ることができて、私は幸せ者です。本当にありがとう、ジル&BBLの皆さん!!!

※記者会見:ジル・ロマン&那須野圭右
※webぶらあぼ:ジル・ロマン

 
「ピアフ」
 振付:モーリス・ベジャール
 音楽:エディット・ピアフ
 
『愛の言葉』:男性全員
『アコーディオン弾き』:クゥィンテン・ギリアムズ
『冷淡な美男子』(ジャン・コクトーの戯曲より):アンジェロ・ペルフィド
『私の回転木馬』:スン・ジャユン
『道化師万歳』:ハビエル・カサド・スアレス
『あなたはきれいね、分かってるでしょ...』:男性全員
『私の友達リュシアン』:ドリアン・ブラウン
『水に流して』:男性全員
 
 
「兄弟」
 振付:ジル・ロマン
 音楽:モーリス・ラヴェル、エリック・サティ、吉田兄弟、美空ひばり、
 シティ・パーカッション(ティエリー・ホーシュテッター&jB メイアー)
 
 ガブリエル・アレナス・ルイス、リザ・カノ
 那須野圭右、大貫真幹
 ジャスミン・カマロタ、大橋真理
 
 *出演順
 

「アニマ・ブルース」
 振付:ジル・ロマン
 音楽:シティ・パーカッション(ティエリー・ホーシュテッター&jB メイアー)
 
 カテリーナ・シャルキナ、コナー・バーロー
 リザ・カノ、ハビエル・カサド・スアレス
 ジャスミン・カマロタ、ジェイム・オエッソ
 エリザベット・ロス、クゥィンテン・ギリアムズ
 キャサリーン・ティエルヘルム、ジュリアン・ファヴロー
 
 
「ボレロ」
 振付:モーリス・ベジャール
 音楽:モーリス・ラヴェル
 
 メロディ:ジュリアン・ファヴロー
 
 リズム:
 アンジェロ・ペルフィド、ガブリエル・アレナス・ルイス、ファブリス・ガララーグ、コナー・バーロー、
 スン・ジャユン、ダニエル・ゴールドスミス、マッティア・ガリオット、ミケランジェロ・ケルーチ、
 ヴィト・パンシーニ、ローレンス・リグ、ハビエル・カサド・スアレス、フェデリコ・マテティッチュ、
 ドノヴァーヌ・ヴィクトワール、ジェイム・オエッソ、クゥィンテン・ギリアムズ、大貫真幹、
 ヴィクトル・ユーゴー・ペドロソ、アントワーヌ・ル・モアル












「ボレロ」 ~ モーリス・ベジャール・バレエ団2017年日本公演


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吉例顔見世大歌舞伎 @歌舞伎座(11月3日、23日)

2017-11-23 22:30:37 | 歌舞伎


※23日に「直侍」と「五、六段目」だけおかわりしてきたので(ムリクリ予定に捻じ込んだ)、青字で追記しました。今気づきましたが、今日は「いいにざの日」なんですね。昨年のこの日も歌舞伎座でにざ様観てたな~。

だいぶ遅くなりましたが、今月は忙しくて感想が追いつかず。。。。。今後はこういう異常な観劇スケジュールはやめよう。。。

今月は歌舞伎に行ける日が本気でこの日しかなく、行ってきました。
体力温存のため朝イチの鯉つかみは観られませんでしたが(ゴメン染ちゃん。ていうか今月が染ちゃんとしての最後の公演なのだそうですね!)。

というわけで終日かけて吉右衛門さん→菊五郎さん→仁左衛門さん→藤十郎さん→幸四郎さんの各主役で観た今月の歌舞伎座。
ムリヤリでも時間を作って行って本当によかった。。。。。

今月の歌舞伎座はぜっっったいに観ておくべき

それぞれの役者さんの掛け替えのなさを、もちろん知ってはいたけれど、改めて思い知らせていただきました。これが大歌舞伎だよねえ。
どうか長生きしてください。。。
今この世代の役者さん達からしか見せていただくことのできない一つの到達点(ご本人達は芸に到達点などないと仰ると思いますが)は、何物にも代えがたいものだと今月の歌舞伎座で改めて心の底から感じました。

【奥州安達原】
今月の歌舞伎座は、季節を先取りするデザイン業界のごとく、既に冬~春。雪のお芝居をこよなく愛する私には嬉しい限りです
最初の場面で、屋敷の庭へと斜めに吹き込む雪がとても綺麗だった。風を吹かせてるのかな?

雪のお芝居なので、黒衣ならぬ白衣さん達

娘のお君ちゃんの衣装(紫地にピンクの花柄)が素敵。髪型も
この子役ちゃん、賢そうで自然でよかったな。子役って大事。

孫の声にはっと反応する爺(歌六さん)&婆(東蔵さん)。
爺に隠れて、寒さに震える娘と孫へ打掛を投げかける婆。
寒さのなか自分の上着を母の袖萩(雀右衛門さん)に着せてあげるお君ちゃん。
温かいなぁ。。。最近こういう家族の愛情に弱くて。。。

白梅の刀。あの丸っこい剣先はなに?まさかあれで腹切るの?と思っていたら、ほんとうにグサっ!歌舞伎の様式美とはいっても何か意味があるはず・・・。調べたら、貞任&宗任兄弟の親である安倍頼時の形見の折れた矢の根なんですね(台詞でちゃんと言ってたかもしれないけど^^;)。用意したのは貞任で、白梅を切腹の赤い血で染めろ、という意味とのこと。

貞任(吉右衛門さん)の登場から雰囲気がガラリと変わり、前半と後半で違う話のように笑。
このお芝居、舞台の色の使い方がすっごく素敵!
白い雪、白梅の枝、源氏の白旗を汚す赤い血の短歌、貞任が内に隠し持つ赤旗。こういう歌舞伎の様式美って本当に素晴らしいと思います。
でもそれは体現できる役者さんがいてこそ。
吉右衛門さんは衣裳を脱いだり着たりは大変そうだったけど、見得や型の数々がほんっと絵になる!The 歌舞伎!最後の赤旗の豪快な見得、すんごい素敵でした。吉右衛門さんは「歌舞伎は芸術」と言い切っておられますが、こういうのを観ちゃうと、本当に芸術だと感じます。

【雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち) 直侍】
続いてのお芝居は、「歌舞伎はお遊び」と言い切る菊五郎さん。そんな菊五郎さんが大好き!ですが、でも菊五郎さんの存在感と至芸は、もう芸術としか思えないレベルですよ~。
改めて、菊五郎さんは黙阿弥が似合いますね~
雪道の歩き方、火鉢を跨いでパタパタ(食事処であんた笑!)、廓での袖口や頬かむりの乾かし方。ああ、冬だなぁ。。。(春の雪ですけど) いい役者さんの演技って、この場面に至るまでの時間が目に見えるように感じられるんですよねぇ。
もう何十回も書いてしまっていますが、こういう江戸っ子な空気を出せる歌舞伎役者は今後現れるのだろうか・・・。

このお芝居はとにかく蕎麦が食べたくなる。江戸前の醤油の濃いやつ。

蕎麦屋を出て、戸口で傘ぱっの姿の超絶な美しさ!からの廻り舞台を歩く姿!動きは自然極まりないのに、瞬間瞬間の全てが絵になる菊五郎さん。なんてキレイなんだろう。春信の雪中相合傘の男性を思い出しました。
暗闇の中の雪の明るさと、蕎麦屋の看板の灯り。いいなあ、江戸の夜。。。

場面が変わって、廓のセットも可愛い 桃色の座布団、雪をかぶった庭の紅梅、襖絵の白梅。
基本クール属性の時蔵さん(三千歳)は、菊五郎さんと一緒だと途端にすごく色っぽくて可愛らしくなりますよね。本当に鉄壁のカップル。後半の長いキマリの数々も、この色っぽい二人だと観ているだけで楽しい。そして追手に追われた直次郎が最後に三千歳に向けて「もうこの世じゃ会わねぇぞ!」→花道バタバタがものすごくカッコイイ!ああ、この爽快なのに濃厚な空気。。。菊五郎さーーーーーーん

※11月23日感想:
菊五郎さんは江戸歌舞伎の宝!!!いやニッポンの宝!!!(すでに国宝だけど!)
型の存在を全く感じさせない自由さ、の上の美しさ。色っぽさ。この空気を出せるのは菊五郎さんだけ。
時蔵さんもほんっと素敵。部屋に飛び込んできたときの可愛らしさ、健気さ、「直はん」って直次郎に甘える色っぽさ。それをサラリと受け止める菊五郎さんの格好よさ!もうほんっと今の歌舞伎界のベストカップルじゃないでしょうか、このお二人は。あのラストも素晴らしすぎて言葉がないです。私が生きているうちにこれ以上の直侍を観られる気がしない。。。

【仮名手本忠臣蔵 ~五段目、六段目~】
勘平って改めて二枚目しかやってはいけない役ですね。
やつれた美しい二枚目。外見的にも完璧な仁左衛門さんの勘平。
もっとも最初の頃は、「二ザさまは真面目だからうっかり仕事を放っておかると色にふけっちゃうような男には見えないなぁ」とか、「孝太郎さんともやっぱりラブラブカップルには見えないなぁ」とかも思ったりして、正直ニンかと言われればどうなんだろ、とかも思っていたのだけど、二人侍が来るあたりからはもう圧巻…!
五段目の仁左衛門さんの勘平は菊五郎さんのように最初から半分あちらの世界に足を突っ込んでいるような透明感が強くないから(もうちょっと此方側の世界に近い場所にいる感じに見えた。菊五郎さんほど武士への想いは強くないけど、仇討ちへの想いの強さは同じ)、六段目の「殺したのは親父様だったなんて勘平吃驚」(実際は違うけど)からの急展開が可哀想で・・・。渡したお金を返されたときのショックなお顔・・・。
泣かないで~~~~ニザさま
「色に耽ったばっかりに」ははっきりと二人を気にする表情をするんですね(芸の細かいニザさん)。菊五郎さんはここはサラリと流していた気がする。ここ、よく解説とかで「はにかむ」と書かれてて、はにかんでる場合デスカと思っていたのだけど、仁左衛門さんのは「ついぽろっと言葉が出てしまい、はっと二人侍に対して気まずく感じる」という風で、自然に納得できました。
ここの長台詞場面は・・・もう・・・
そしてそして最後の微笑!仁左衛門さんって『すし屋』のときも思ったけど、内容(このときは仇討に名を連ねて死んでいく安堵感でしょうか)とは別に「この世界から解き放たれた」感も感じるのよね。嬉しそうにあっちの世界に行っちゃうニザさん。。。まだまだまだまだこちらの世界にいてくださいませ。。。。。
観終わった後は、しばらく呆然としてしまいました。

秀太郎さん(お才)の酸いも甘いも噛み分けた感、良い~~~。秀太郎さんってこういう廓の人間の空気がほんっとにお似合い。

彦三郎の千崎は仁左衛門さんの勘平には若すぎるような気も。そういえば今回の千崎は五段目で勘平の住所をメモらないで暗記しているんですね。十三代目仁左衛門さんが「あれくらい書かないで覚えないとおかしい」と仰っていたと読んだことがあるけど、上方風なのかな。

※11月23日感想:
今日も仁左衛門さんは美しかった(白い指の先まですべてが美。浅黄色もお似合いすぎ)&変わらず熱演だった。。。。。。。。。。

六段目ももちろんよかったのだけど(やっぱり切腹後の長台詞場面は最高。そして今回も最後はニザさんが本当にこのまま死んじゃうんじゃないかと思った・・・)、今日は五段目もよかったなぁ。仁左さま、お若い。完全に2~30代。でも実際にその年齢の役者には絶対に出せない芸の深み。
今月2回観て、勘平が仁左衛門さんのニンかというとやっぱり私にはちょっと違うように思われるのだけど(例えば直侍の菊五郎さんなどは完全にニンだと思う)、そういうお役をここまで素晴らしく演じることができるものなんだということを、今月の仁左衛門さんから教えていただきました。若い役者さん達にはみんな今月の勘平を見ておいてほしい。
あと今日気付いたのは、彦三郎(千崎)が、六段目で勘平への情が感じられてぐっときました。あそこであれくらい情を見せてくれると、感動的な舞台になりますね。
そして今日も、松之助さん(源六)&秀太郎さん(お才)のお二人がとてもよかった
あ、孝太郎さん&仁左衛門さんも、今日は二人に愛情が感じられてよかったです。でも私にはこのお二人はやっぱり夫婦や恋人には見えないのよね・・・。
今日の夜の部は貸切だったのですが(伝統芸能を守る会だったかな?前にも一緒になった)、大向こうさん達の威勢がよくて楽しかったです。皆さんバラバラの席なのにタイミングがピッタリに「まつしまや!!!×5」な感じで笑。思わず笑ってしまった。
ところで仁左衛門さんのニンなお役ってなんだろう、と帰りの電車の中で考えてみたのです。で、私がニザさまのニンだと感じるお役は、伊左衛門@廓文章(これは外せない)、盛綱@盛綱陣屋、菅丞相@菅原伝授、綱豊卿@御浜御殿、とかかなぁ。あ、お坊吉三@三人吉三も好き。伊右衛門@四谷怪談も、右京@身替座禅も(あの花道の色っぽさ!)、鳶頭@お祭りも!・・・キリがない(^_^;)

【恋飛脚大和往来 新口村】
素晴らしかったです。
もう、なによりも藤十郎さん(忠兵衛)の趣!!!
私は藤十郎さんのお役で一番好きかもなのが封印切の忠兵衛なので(なにせ舞台写真を買ってしまったほど)、あの続きの場面が観られて本当に嬉しかった(今回も梅川は扇雀さん)。頼りなくて情けなくて、でも、なんていうのか、言葉で説明できない近松の空気。前にも書きましたが、こういうお役の藤十郎さんが纏っている空気って文楽の空気を思い出させてくれるんです。

白の雪に、黒の衣裳(柄は白梅で梅川とペアルック)。格子の隙間から覗く横顔。あまりに美しい絵なので、舞台中央の人達よりもずっと藤十郎さんを目で追ってしまっていました。藤十郎さんってどんなときも舞台上でピンと気がはりつめているように思う。一瞬でも気を抜いている藤十郎さんって私は見たことがありません。
家の戸から覗く白い手。この手一つまで絵になる。この白い手がね、長時間微動だにしないんです。戸も動かないの。これ、藤十郎さんのご年齢では大変なことだと思うんです。だれか代役の方がやってるのかしらと思ったけど、その手で戸を開けて飛び出してきて孫右衛門と抱き合ってて、ああ代役じゃなかったんだ、と。この飛び出し方も胸にぐっときました。

最後に孫右衛門が手前から見送り、二人が奥へと歩いて消えてゆく道行場面の美しさといったら・・・・・・・・・・・。ここ、歌六さんも素晴らしかったです・・・・・・

周りの客は「ウトウトしちゃった~」と言ってる人も多かったけど、これは絶対に今月観ておくべきお芝居の一つだと思う。藤十郎さんのご年齢を考えると、夜の部で一つ選べと言われたらこれかも、というくらい。

【元禄忠臣蔵 ~大石最後の一日~】
これは幸四郎さんのお役で大好きなものの一つなので、観るのはさよなら公演、杮落し公演に続いて三回目です。幸四郎さんの内蔵助は心の優しさが感じられて好き。
「この内蔵助は最後の一瞬時のその時まで四十六人の足取りを見届けねばならぬ役目だ」は、今回もここで泣きそうになった。当然なんだけど、一番辛い役目だよねぇ…。ただ、最後の七三のセリフはあんなにクサく言ってたっけ…?(いや別に悪くはないんだけど)。

児太郎くんのおみのは、男として登場したときに完全に男声(女は絶対に出ない声)で微妙に感じられたけど、後半に登場した後の演技はとっても良かった。染五郎(磯貝)とも合っていて、二人の悲劇性が伝わってきて感動しました。

内記は、金太郎くん。今月は高麗屋三代勢揃いです。金太郎くん、大人になりましたね~!でもこの場面は、前回観た隼人の方がぐっときたなぁ。

今回、紅い梅の花びらが散っていなかったような(見逃した?)。

荒木十左衛門は仁左衛門さん。先程あれだけの熱演をした後に、お疲れさまです。。。早くおうちに帰って休んでいただきたい。。。
しかし随分と美しい上使だわ。このお役は我當さんが温かくて大好きだったのですけど(我當さん、お元気かな…)、仁左さまもすっきりしていて、でも情が感じられてとても良かったです。俊寛のときの都からの遣いとか、仁左さまのこういう役が好き
 
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モーリス・ベジャール・バレエ団 Aプロ『魔笛』 @東京文化会館(11月19日)

2017-11-20 21:34:02 | バレエ




Aプロ最終日に行ってきました。

とっっってもよかった・・・・・

この人達の舞台を観るたびに「世界で一番好きなバレエ団はBBLかもしれない」と感じてしまうのだけど、今回も感じました。このバレエ団からしかもらえない何かが確かにあるのです。
とはいっても私は古いファンでは全くなく、2013年の公演にすごく感動して(そのときまでBBLの存在さえ知らなかった。ボレロは知っていましたが)、買い足して全公演を観に行って、その後に来日した第九も観に行ってやっぱり感動して、という感じなので、ベジャール作品は知らないものの方が圧倒的に多いのです。でも、ベジャールの作品からもらえる海のような宇宙のような大きな愛が本当に好きで。それを魂のレベルで踊っているように感じられるダンサー達の空気が大好きで。本当に幸せです。

以下、舞台の感想。

私はオペラを殆ど観ない(高くて観られない)人間なので『魔笛』も初めてで、前夜に予習。まずはケネス・ブラナーが監督した映画を観てみたのですが、私は彼の作るこの種の映画との相性が非常に悪く、、、今回もこの作品の魅力がわかるようなわからないような?で、、、。続いてオペラの対訳を読んで、ちょっと良さがわかってきたような?なところでの鑑賞となりました。

音楽は今回も録音音源(今思うと第九のBBL×生オケの組み合わせって貴重だったのかも)。今月はクラシックコンサートラッシュだったので冒頭こそ録音の音に違和感があったものの、例によってすぐに慣れてしまいました。というか音源の演奏と歌唱が非常に素晴らしかったので、ヘタな生オケよりずっといいと感じられました。

ダンサーの台詞には字幕がつきますが、歌の歌詞には字幕なし。これは個人的には有難かったです。字幕があったらやっぱり見てしまって踊りにあんなに集中できなかったと思うし。ただこの作品って歌詞の内容が結構重要だと思うので、予習をしていって本当によかったと思いました。

先ほども書きましたが、今回も、ベジャールの大きな大きな愛を感じることができました。海のような、宇宙のような、大きな愛。
“ひとつになれ、人類よ!”は『第九』のメッセージだったけど、これはベジャールの作品全体に通じるメッセージなのではないかと感じました(間違えていたらごめんなさい)。今回の『魔笛』のラストはオペラの演出と違い太陽は夜を排除しないんですよね。太陽がその金色のマントを夜にかけると、再び登場したとき夜は金色の光を纏っている。これは、太陽が力で夜を自分の側に同化させたわけではないと思うのです。太陽をも支配しようとしていた夜に太陽はその光で過ちを気付かせ、また夜も太陽の存在を受け入れたことで両者の争いは終結し、両者は安定したひとつの存在となったのではないかと感じました。太陽の光は夜を内包しているのだと思う。
この最後の場面で微笑んで手を取り合うジュリアンとエリザベットの姿には、もう胸がいっぱいで泣きそうになってしまった。。。
そしてそれは『第九』はもちろんですが『ボレロ』でも同じで、メロディとリズムは最後は一つになっているのだと私は思っているのです。メロディだけじゃなく、メロディが死んだときにリズムも死んでいるのではないかと。そして最後には互いは互いを受け入れているのではないかと。私の勝手すぎる解釈ですが、前回ジュリアンとエリザベットのメロディを観て、そしてそれぞれと踊っていたリズムを観て、そんな風に感じたんです。

ところで、この結末はフリーメイソンの理想の形を表しているのですよね。作中で幾度も現れるその徴(三角形の三つの神殿、床に縄で作られる三角形、舞台奥の一つの目、定規とコンパスのシンボルetc)。私はフリーメイソンという組織についてはどう捉えるべきかわからず知識もないので、その辺はあまり突っ込まず、ファンタジーやRPGを観るような気持ちで視覚的に楽しみました。シンプルで幾何学的な舞台セットが楽しかった。
床に描かれた五芒星★は上階席からはずーっと視界に完全な形で入っているので、視覚的に強く訴えかけてくるものがありました。ダンサー達がそれをポイントにして色々な形を作って踊るので猶更。『第九』の床に描かれた円形の図柄にしても、『ボレロ』の赤い円卓にしても、ベジャールの作品って2階以上の席から観た方がいいものが多いように思う(貧民な私は必然的にそうなっていますが)。

そんなおっきなスケールの愛を見せてくれるベジャールだけど、細かな演出も楽しくて愛らしいのよね。鈴の音色で奴隷達が縄跳びを始めちゃったり、舞台上手で可愛くご馳走にがっついてるパパゲーノだったり、三人の童子達のもつカラフルな風船だったり(これは私の席からは見えなかったけど)。照明もキレイだったな~。振付以外の部分はジルによるリニューアルもなされているそうです。

ダンサーは、やっぱりなによりも、ジュリアン・ファヴロー(ザラストロ)とエリザベット・ロス(夜の女王)の存在感と表現力と踊りの美しさにうっとりしちゃいました。本当に大好き。

ジュリアンはもう太陽神そのもの。でも自ら太陽を司ってはいても、『ライト』の貧しき者で見せたような表情(光を求める人の表情)をふと覗かせるときがあって、その無意識なのか意識的なのか見え隠れする脆さや寂しさのような影がめっちゃ色っぽいんですけど
なんなのなんなのあの空気(前回も同じこと書いた気がしますが)!私にどうしろと!
そこにさらに年齢的な貫録も加わって。ああ、なんて素敵なザラストロ様。。。。
タミーノに試練を課しているとき、赤い鳥居(あれは何かしら。神殿の高座のようなもの?)の上で座っている後ろ姿がギリシャ彫刻のようで、指の先まで美しくて、その姿ばかり見てしまいましたよ。ジュリアンに限らず、バレエダンサーってどんなときも指の先まで常に神経が行き届いていて、それゆえのあの美しさなのだなあと改めて思いました。


エリザベットの存在感と貫録もさすが。ジュリアンと並んで、このバレエ団で今この役をやれるのはこの人しかいないのではないかと心底感じました。今48歳?であれだけ安定感のある踊りができるってすごい。あのゆっくりした振付を自然に美しく見せるのってすごく難しいのではないかと思うのです。体幹が相当鍛えられていないとできないのでは、と。努力しているんだろうなぁ。

そして今回、カテリーナ・シャルキナのパミーナがとてもよかった
2013年のときはちょっとクールな明るい少女という感じだったように思うけど、今回は女性らしい温かみと情感が加わっていて驚きました。彼女は『第九』のときに子供を出産していたそうですが、そういうことも関係あるのかな。ジュリアンと二人だけで踊る場面は『ライト』を思い出してちょっとウルウルしちゃいました。そういえばこの場面のザラストロがパミーナを見る眼差しと仕草がすごく優しくて、それ以外のときは俺様風なのにこのときは優しいお兄さんのようで、すごくよかったです。

ジュリアンはモノスタナトス(ミケランジェロ・ケルーチ)と踊るところもよかったわ~。ケルーチがしなやかな鞭のように色っぽく踊るから、色っぽい×2で観ていて超楽しかったです。

ナレーターと弁者(マッティア・ガリオット)は同じダンサーさんがするんですね。金色の仮面を被っているときが弁者? ところで今日の公演、「パミーノ・・・パミーナ、夜の女王の娘」って言い直してませんでした・・・?でもその気持ちはよくわかる。紛らわしい名前よね笑。

タミーノのガブリエル・アレナス・ルイスは『ライト』で伯爵を踊っていたダンサーですよね。オスカーのヴィヴァルディと踊る場面、好きだったなぁ(ああ、オスカー・・・あなたはどこへ行ってしまったの・・・?→ENBへ行ってしまいました泣)。
領主の息子(王子?)ぽい品の良さ、真面目さ、若々しさがこの役に合っていて、よかったです。フルートの音色にのった恋の歌の踊りのところも、楽しそうでよかった。ここは音楽も大好き。カテリーナともお似合いでした。

パパゲーノの大貫さん。タミーノとのバランスがよくて、明るく可愛らしくて、安心して観ていられました。でももう少ししなやかに綺麗に踊る人だったイメージがあるのだけれど、パパゲーノの振付には今日のような踊り方の方が合ってるのかな。パパゲーナ(ジャスミン・カマロタ)ともとってもお似合いだった あの「子沢山」人形演出すっごい可愛い!空中を飛び交う人形を二人がキャッチしていくのも、楽しいだけじゃなくて光景的にも綺麗だった。

あ~、本当に幸せな舞台だった
客席も思っていたより埋まっていて、ひと安心。
今回は那須野さんが見られなくて残念だったな。那須野さんの踊り、大好きなんです。Bプロでは必ず見られるはずなので、楽しみにしています。
そうそう、カテコではジルが出てきてくれました ジュリアンは今回もニコニコ笑顔

今月は自分でもアホじゃないかと思うくらい観劇&クラシックコンサート尽くしですが、殆どハズレがなくて、それどころか感動する舞台の連続で、ちょっと怖いくらい。。。



BBL公式ページのギャラリーより。


今回の来日公演より。私が観た日はジュリアンはお団子頭じゃありませんでした。


会場ロビーにて。にゃんこがカワユイ


弁者:マッティア・ガリオット
タミーノ:ガブリエル・アレナス・ルイス
パミーナ:カテリーナ・シャルキナ
ザラストロ:ジュリアン・ファヴロー
夜の女王:エリザベット・ロス
パパゲーノ:大貫真幹
パパゲーナ:ジャスミン・カマロタ
モノスタナトス:ミケランジェロ・ケルーチ
夜の女王に仕える三人の侍女:大橋真理、ソレーヌ・ビュレル、ヴァレリア・フランク
三人の童子:クゥィンテン・ギリアムズ、ローレンス・リグ、ヴィクトル・ユーゴー・ペドロソ
三人の僧侶:アンジェロ・ペルフィド、ダニエル・ゴールドスミス、ドリアン・ブラウン
三人の奴隷:ドノヴァーヌ・ヴィクトワール、ドリアン・ブラウン、アントワーヌ・ル・モアル
二人の武士:ドリアン・ブラウン、アンジェロ・ペルフィド
イシス:アランナ・アーキバルド
オシリス:ジェイム・オエッソ 

◆上演時間◆
第1幕 14:00~15:15
休憩 20分
第2幕 15:35~16:55

■音源(ドイツ・グラモフォン)
指揮:カール・ベーム
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱:RIAS合唱団
ザラストロ:フランツ・クラス
パパゲーノ:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
夜の女王:ロバータ・ピータース
パパゲーナ:リーザ・オットー
パミーナ:イヴリン・リアー
弁者:ハンス・ホッター
タミーノ:フリッツ・ヴンダーリッヒ
モノスタナトス:フリードリッヒ・レンツ ほか

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『天使にラブ・ソングを・・・(シスター・アクト)』 @東急シアターオーブ(11月11日)

2017-11-17 21:28:26 | ミュージカル




自分でもアホじゃないかと思っている今月の演奏会&観劇づくし。

歌舞伎1回、クラシックコンサート6回(ボストン響×2、ゲヴァントハウス管×3、ウィーン弦楽四重奏団)、ミュージカル1回、バレエ2回・・・。
世の中にはその遥か上をゆく大先輩方も沢山おられますが、ワタクシ的にはもう限界越えです。お財布もだけど頭が。しかも素晴らしい内容ばかりなんだもの。。。

そんな過密スケジュールの中でのミュージカル。最近は年に1回程度の頻度になってしまっていますが、行くとやっぱり楽しい 予習ゼロで会場に行って問題なく楽しめるのもほんっといい(他はそうはいかないので)。

今回改めて、ミュージカルって別腹だな~と感じました。
だって、チャイコフスキー・マーラー(5日)→チャイコフスキー・ショスタコーヴィチ(7日)→ハイドン・モーツァルト・シューベルト(8日)→ブラームス・シューベルト(9日)→シスター・アクト(11日)→メンデルスゾーン・ブルックナー(12日)→ブラームスのレクイエム(13日)ときても、ミュージカルを観ていて全然違和感がなかったのですもの。
しかも前後の演奏会でものすごく感動しているというのに。クラシック音楽の方に現代に通じる普遍性があるからともいえるかもですが。

しかし楽しかったな~~~。
映画の方ももちろん大好きだけど、ミュージカルの音楽もとってもいい。今回全く予習をしていかなかったので、会場で初めて聴いて感動しちゃいました。作曲のアラン・メンケンはディズニーの『リトル・マーメイド』や『美女と野獣』の音楽を手掛けた方なんですね。って、『アラジン』の「A Whole New World』もこの方なのか
こういう作品を観ると、アメリカの良心を感じる。


ツイッターで会場の音が小さいという不満が多く出ていましたが、まぁ確かにそうかなとも思いましたが、私の場合は連日連夜のフルボリュームのクラシックコンサートの合間に耳を休めたかったので、あれくらいでちょうどよかったです。小さすぎるというほどでもなかったし、生演奏の温かみも感じられてよかった。

皆さんさすがに歌も演技も上手だし、盛り上げ方も上手い~
デロリス役のデネー・ヒル、正義感も感じられて可愛らしくてよかった~。映画のウーピーとは全くタイプが違うけど、その方が比べないで観られるのでかえってよかったです。ラストのゴージャスな衣裳はアジア人にはなかなか着こなせない衣裳だよねぇ。エディ(ウィル・T・トラヴィス)との恋にもきゅんとしちゃった。
修道院長役のレベッカ・メイソン・ワイギャルもすごくいい声!この方が歌うときは特に聴いていて楽しかったです。あとメアリー・ロバート役のソフィー・キム。後半の、今の人生から一歩を踏み出そうとするあの歌(歌の名前はわからない)の熱唱は、歌詞の内容とあわせて感動しちゃいました。

アメリカという国は何かと単細胞の田舎もん扱いをされがちだけど、日本やヨーロッパにはないこの国の良さというものが、やっぱりあると私は思うのです。
私があの国で何度か経験した明らかな人種差別の行為。でもその度に、必ず近くにいる人間が「NO!」の声をあげてくれた。私と知り合いでもなんでもないのに。差別した側には白人も黒人もいて、そしてそれに対して「NO」を言った側にも白人も黒人もいた。その国の多様性を自分の体で知って視野を広げられることは、海外生活や旅行で得られる最大の収穫の一つだと思う。少なくとも「白人とは」「黒人とは」とステレオタイプで考えることはなくなる、というだけでも。
といっても私が最後にアメリカ本土に足を踏み入れたのはもう10年以上前なので、もしかしたらそういう部分も少しずつ変わっていっていたりするのかもですが。変わるべき部分はどんどん変わっていってほしいし、一方で私が好きなアメリカの部分はこの先も変わらないでいてほしいな、と思います。

ところで会場のポスターで知りましたが、来年7月に『エビータ』が来るんですね!わ~絶対観たい


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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @NHKホール(11月13日)

2017-11-14 21:30:22 | クラシック音楽




275年の歴史を誇るライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、全世界の音楽シーンに比類のない影響を与えてきたといえるでしょう。このたび彼らは、楽団の豊かな歴史の中でも特に重要な役割を演じた5つの傑作――かつてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が世界初演を任された5つの曲――を、皆さまのために演奏いたします。いずれも、楽団の個性の本質を成す作品です。とりわけ私は、日本の聴衆の方々の前でブラームスの《ドイツ・レクイエム》を初披露できることに心躍らせております。
(ヘルベルト・ブロムシュテット。公演プログラムより)

【ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45】

みなとみらいホール、サントリーホールに続き、ブロムシュテット×ゲヴァントハウス管弦楽団の来日ツアー最終夜のNHKホールに行ってきました。
開演前の西村朗氏によるプレトークがとてもわかりやすくて、クラシックど素人の私には非常に有難かったです。シューマンを亡くし、母親も亡くしたブラームスは、この曲を作曲することで自らも救われたのではないか、と。
死者への鎮魂ではなく、愛する者を亡くしこの世界に遺された者達への、そしてやがては自らも死にゆく運命にある、生者のためのレクイエム。

このホールは、メータ×イスラエル・フィル×ベジャール・バレエ団の第九を聴いて&観て以来です(来月公開の「ダンシング・べートーヴェン」楽しみ!)。
心配していたホールの音響は、今回は全くといっていいくらい気になりませんでした。これがモーツァルトとかだったら別だったと思いますが、ブラームスだとこの派手さの皆無なデッドな音響も合っているようにさえ感じられた。

正直なところオケの集中力はみなとみらい>サントリーホール2日目>NHKホールと尻下がりになっているように感じられましたし(ツアー最終日でだいぶ疲れてるのだと思う)、今夜は崩壊しそうな演奏をなんとか持ち直しているような危うい箇所もあったと思うし、前半などは手探りな感じもありました。
しかしそんな演奏の色んな粗を全部超える大きな大きな幸福感をもらえた演奏会でした。

今回3日間聴いて、このオケの弦の音って独特な揺らぎ(うねりじゃなくて揺らぎ)があるんですね。一方で揺らぎもうねりも全くないオケもあるし、弦楽器の知識は皆無なのでよくわかりませんが、楽器とか奏法とかオケによって色々違いがあったりするのかな。ブロムさんのインタビューによると、コントラバスの弦もアメリカのオケより一本多いそうです(確かに低弦がズンズン響いていますもんね^^)。

演奏は先ほども書きましたが、特に前半はちょっと手探り状態のような、危うい箇所も多くあったように聴こえました。合唱団がフォローしていたようにも感じられた。でも案外初演もこんな感じだったのではないかしら、とか感じられちゃったりもするのだから、初演楽団というのは得ですね笑。
それに本当につくづく、このオケの音はブラームスに合っているのだもの。器用じゃなくて、実直で誠実で優しくて。

ところで第2曲の「und ist geduldig darüber, bis er empfahe den Morgenregen und Abendregen. そして耐え忍んでいます、その上に、朝の雨と夕べの雨を迎えるまで。」の部分の雨の音を模した演奏が私はものすごーーーく好きなのですが、この曲の実演を聴くのは初めてだし3階席からじゃ聴こえなかったらどうしようと思っていたら、ものすごくはっきり演奏していて、思わず笑ってしまいました(声は出してないよー)。ブラームスの曲って時々こういう妙に可憐で可愛らしいところがありますよね。あの仏頂面でこの可愛らしさ。ああ、好き!

個人的にうわぁ・・・と感じたのは、第4曲からでした(音がノってきたなと感じたのは第3曲から)。始まった瞬間にオケからふわぁっと広がるように天国が見えた。録音で聴いたときは他の6曲に比べてさほど面白みを感じられなかったこの曲だけど、もう泣きそうになるほど美しかった。。。。。
この後、第5、6、7曲と、ずっと幸せな気持ちが続きました。

最終楽章の終盤に現れたとてつもない音色と合唱の美しさはもう・・・・・・泣。全てがあるべきところに自然にあり、最後には静かに還るべきところへと還っていった、そんなレクイエムでした。

今夜合唱を担当したウィーン楽友協会合唱団は、この曲の最初の3曲の初演を行った合唱団とのこと(合唱団まで初演を同行するこだわりぶりは流石アニバーサリーツアー!)。人の声の力ってすごいな、と心から感じました。ブラームスがこの世界の「生きとし生ける者」へ向けて作ったこのレクイエムに、この合唱のこの声は必須だと感じた。その声からは、あのみなとみらいのシューベルトと同じく、人間の崇高さと愛おしさと美しさをはっきりと感じることができました。

NHKホールの客層ですが、正直私、舐めていました。過去の二大最悪客層(ちなみにどちらも都民劇場公演)と同じなのではないか、と。ごめんなさい、謝ります。想像していたより遥かに素晴らしかった。そりゃあ演奏中に時計のアラームが小さく鳴ったりとか何もなかったわけではないけれど、あの大きさのホール(収容人数3600人)で、あの曲目で、あれだけの静けさと集中力を維持した今夜の聴衆に心からブラボーです。
今夜は、最後の曲が終わった後(といっても少したってからですが)、指揮者が手を下ろす前に約1、2名の方がフラ拍手。ブロムシュテットは手を下ろさず。残りの客席が全く追従しなかったので再び長い沈黙が戻り、それからゆっくりと手を下ろされました。ミューザのヤンソンスさんのときと同じですね。ブロムシュテットさんの音楽に対する厳しい姿勢を垣間見ることができたと同時に、日本の聴衆(といっても約1名ですが)へ教えて下さっていたのではないかな、と思った。「この音楽はこういう風に余韻も味わうものなんですよ」と。
今夜あの場所にいた聴衆の気持ちはちゃんとブロムさんに通じていると思います。全く追従しなかった99.9%の人に私は感動すら覚えましたもの。ブロムさん、本当に日本の聴衆に愛されているんだなあって

その後は、数え切れないほどのカテコ+ソロカテコ。
上手側へ退場途中の楽友協会の皆さんも、そんなブロムさんに笑顔で温かく拍手を送っておられました。

終演後の会場はみんな笑顔で「よかったねえ」って口々に言い合っていて。
私の隣の高齢の男性は「ありがとうございました」って私に笑顔で挨拶して帰っていかれました。今日の演奏の精度は「完璧」とはいえないものだったかもしれないし(でもそれなら「完璧」ってなんなのだ?とも思う)、もしかしたらラジオやテレビでは伝わらないかもしれないけれど、そういう本当に温かく幸福な空気に会場が満たされていた演奏会だったんです。そしてそれに値する演奏を今夜の指揮者、オケ、ソリスト、合唱団はしてくれたと私は思います。

外に出たら演奏中に降った雨が上がっていて、ホール前の木々の青色のイルミネーションが濡れた落ち葉に反射してまるで夢の世界のようで。ホールから出てくる人達はみんな幸せそうで。本当に満たされた夜だった。
ブロムシュテットさん、ゲヴァントハウス管弦楽団の皆さん、ソプラノのハンナ・モリソンさん、バリトンのミヒャエル・ナジさん、ウィーン楽友協会合唱団の皆さん、本当にありがとうございました!

ゲヴァントハウス管弦楽団は次回は2019年に、新カペルマイスターのネルソンスと来日予定です。
ブロムシュテットさんは来年4月にN響を指揮予定。



このいかにもgoogle翻訳で頑張りました感が嬉しいデス


※以前もご紹介しましたが、アンサイクロペディアの「ブラームス」の記事がマジで秀逸なんです。ぜひご覧ください、冗談のわかる方は

※11/21追記

本日の読売新聞ニュースより。NHKホール前で見た青のイルミネーションは、これ↑です。
「青の洞窟 SHIBUYA」というプロジェクトらしいです。
21日が点灯式だったそうだけど、どうして13日夜に点いていたのかな。開演前には点いていなかったのに、終わって外に出たら点いていたんです。試し点灯だったのかしら?
ブロムさん達もあの日にこのイルミネーションをご覧になっていたら嬉しいな(^-^)

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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @サントリーホール(11月12日)

2017-11-14 20:21:26 | クラシック音楽




みなとみらいに続いて、行ってきました。
本日はブロムシュテットさんのお得意とするブルックナーの日なので、ほぼ満席のサントリーホール。

【メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
カヴァコスはのびのびと演奏していましたねえ。感情が音そのものになっている、素晴らしく美しい音色
そしてやっぱり、ソリストとオケの音が同じ属性だなぁと改めて感じました。
ただ、単なる個人的好みの問題なのですが、1~2楽章は非常~~~に美しかったのだけど、3楽章はもう少し華やかで軽やかな演奏の方が私は好きかも、でした。オケもソリストも、ちょっと演奏が重厚すぎて、、、。と聴いているときは思ったのだけど、先入観を取っ払って思い返すと、ああいう演奏もアリかも、と。考えてみればメンデルスゾーンってドイツの人で、この楽団の指揮者もやっていて、初演もこの楽団なわけで。意外と初演ってこういう演奏だったりしたのでは、と。いずれにしても、濃厚な熱い演奏でした。

演奏を終えた瞬間、両手を合わせてガッツポーズ(orありがとうのポーズ。いつもされますよね^^)のブロムさんと抱き合ったカヴァコスは、嬉しそうにはにかむ笑顔が少年のよう。それから彼も、オケに感謝の仕草。謙虚な感じの人だなあ。本当に外見から想像していたのと全然違う^^;。ヤンソンス&シャハムの姿にも癒されたものだったけど、ブロムシュテット&カヴァコスにも癒されました。


【バッハ:パルティータ第3番より「ガヴォット」(ヴァイオリン・アンコール)】
おお、先日聴いたばかりのシャハムのそれと全く違う個性の演奏!ピアノと同じで、ヴァイオリンも同じ曲を弾いてもこんなに変わるものなんですね~~~~。開放的で明るいシャハムのそれに対して、こちらはやはり内省的なガヴォットでした。


【ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(ノーヴァク版)】

「ブルックナーは、他の作曲家の誰よりも、時間と空間の永続性を音楽に表現することに成功した作曲家です。…(現実世界の負の面を音楽に曝け出したマーラーに対して)ブルックナーの世界は違います。自由な世界です。天国のようです。ブルックナーは私の人生です。この種の音楽は崇高さをもっています。…ブルックナーの世界は平和と美の世界です。しかしそれは脱力すると言う意味の平和ではありません。夢に満ちています。常にドラマの解決があります」
(ヘルベルト・ブロムシュテット @2012年バンベルク響来日公演プログラムより

先日のみなとみらいと同じく、オケがブロムシュテットのためにいい演奏をしたいと思っていることが強く伝わってきた演奏でした。ブロムさんがご高齢のせいもあるかもしれないけど、それだけじゃなく、ブロムさんのオケに対する敬意も素晴らしいのよね。演奏後に各パートを立たせる時、多くの指揮者は「よくできました」と褒め称える風なことが多いように思うのだけど(それが悪いということではなく)、ブロムシュテットはオケに心から感謝している表情と仕草をするのですよね。いい演奏をしてくれて本当にありがとう、と言うように。「奏者達は天使のように扱わなければいけませんとは、公演プログラムの中のブロムシュテットの言葉。

そしてこの人はブルックナーの音楽を本当に愛しているのだな、ということも強く伝わってきました。
正直に書くと、呼吸を忘れるくらい演奏に聴き入ってしまったのはみなとみらいのグレートの方でした。でもこのはっきりと「ドイツの音」のブルックナーには、ブルックナーの時代の演奏を聴いているような、そんな錯覚を覚えました。そして今日の演奏には、この演奏に何かを言うのはヤボ、と感じさせる何かが確かにありました。そういう意味でも、滅多に聴けないであろうブルックナーの演奏だったと思います。

そうそう。本日の聴衆はえらかったですねえ(^_^)。ブロムシュテットが手を完全に下ろしきるまでどれくらいだったろう、20秒くらい?完全な静寂が保たれました。ブロムさんはオケからはもちろん聴衆からも本当に愛されているのだな、と心から感じました。温かな、いい演奏会だった。ブロムさん、お利口だった客席に拍手してくれた

そういえば客席に小泉さん(元首相)がいらっしゃいましたね。この数ヶ月で、安倍首相やロシアの大臣や皇太子ご夫妻や、色んな人に遭遇するなあ。



kajimotoさんtwitterより。カテコの前のこの写真を撮ってるとき、私の席から見えていました笑。



ゲヴァントハウス管のtwitterより。ソロカテコでもP席まで挨拶してくれるブロムシュテットさん。この方がみんなに愛されている理由が本当によくわかります。



可愛いすぎるオジサンたち笑。

翌日はNHKホールに行ってきました。ブロムシュテット×ゲヴァントハウス管弦楽団来日ツアーの最終日。ドイツ・レクイエムです。

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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 @みなとみらいホール(11月9日)

2017-11-14 03:04:02 | クラシック音楽




「繰り返しではなく、毎回が新しい始まりでありたいと願っています。音楽家は、やはり探究者なのです。新しいものに到達することを目指して、だが、永遠に果てしがない。指揮者はオーケストラと手を取り合って、その道を進んでゆくのです」

(インタビューより)

ゲヴァントハウスの来日公演のうち、みなとみらいホール、サントリーホール、NHKホールの3つに行ってきました。

首都圏初日のみなとみらいホールは、翌々日にサントリーホールで同じプログラムが演奏されるためか、あるいは今月の来日オケラッシュのためか、これまで行ったことのあるどの演奏会よりも空席だらけでございました。P席(オケの視点)から見ると、もう本当にガラガラ。とにかくガラガラ。1階席でちゃんと埋まっていたのは前方真ん中ブロックだけで、前方左右ブロックと後方全ブロックは一人も座っていない空席。全体でも多く見積もって4割くらいだったのではないでしょうか。開演直前になってもそんななので、近くの席の高齢の男性が「なんだこれは、こんなにガラガラで演奏を始めるのか・・・」と呟いておられました。
でも、これではオケのやる気が削がれるのでは、という心配は私は殆どしていませんでした。本当に真摯な音楽家ならどんなに聴衆が少なくても最高の演奏をしようとしてくれるであろうことはこれまでの演奏会で知っていますし、きっとブロムシュテットさんはそういう指揮者に違いないと感じていたからです。


【ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ニ長調op.77
今回のツアーはゲヴァントハウス管弦楽団の創立275周年のアニバーサリーツアーで、演奏される作品は、全てこの楽団が初演した作品とのこと。このヴァイオリン協奏曲も、1879年にブラームス自身の指揮でゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されています。

今回私が同じプログラムなのにサントリーホールではなくみなとみらいホールを選んだ理由は、このホールの素朴で親密な音響のためでした。以前ツィメルマンのシューベルトとチェコフィルのスメタナをこのホールで聴いて、どちらもそういう音を聴かせてくれたからです。このオケのブラームスとシューベルトは、絶対にこの音響で聴きたかった。演奏が始まってすぐに、この選択は正解だったと確信しました。

今夜のソリストは、ギリシャ出身のレオニダス・カヴァコス。先日のチャイコフスキーVn協奏曲の予習の際に、シャハムとともに、全く違うタイプだけど同じくらい好きだった演奏がカヴァコスのそれでした。その演奏はちょっとクセのある外見に反して、清廉に感じられました。内向的な情感をたたえる暗めの音色がゲヴァントハウス管の音色と同質で、ブラームスにすごくよく似合う。

このオケのブラームスはフレイレとのピアノ協奏曲の録音(指揮はシャイーさん)を聴いたことがあって、そのときは欠点のない綺麗なだけの演奏に感じられたので、今回はどうなんだろ?と実はちょっと心配していたのですが。
今夜はオケがよく歌ってる…!それも「ドイツの音」で歌ってる…!そしてオケの音もソリストの音もこのホールの音響に想像以上に合ってる…!
これだけで早々にかなり満足してしまいました。

とはいっても、2楽章の半ばくらいではまだ温まりきっていない様子だったオケ。それを豊かな音色でリードしていたのは、紛れもなくカヴァコスだったと思います。そしてそれに導かれるように次第にオケとソリストが溶け合ってゆき、最後には聴いていて涙が出そうになりました。ああ、ブラームスの音楽だ、と感じた。いつまでも聴いていたい、私にとっては天国にいるような幸福な時間でした。

そしてブロムシュテットさん。入場時はすごく小さな体に見えて、演奏が始まってもしばらくは「…この方はいま指揮をしているのだろうか…」という風に見えていたのが、演奏が進むにつれてどんどん大きく見えてきて、ああこのオケをいま指揮しているのは紛れもなくこの人なんだ、と感じました。カデンツァのときに体ごと向きを変えて微動だにせずじぃーーーーっと真顔でカヴァコスの指先を凝視している様子は、今までに見たことのない光景で面白かったです笑(普通はオケの方を向いて視線を伏せて演奏を聴いている指揮者が多い気がするので)。

演奏後の拍手は、このガラガラの会場でよくぞこれだけの拍手をしてくれました。客席エライ!


【バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 2 -3 「サラバンド」(ソリスト・アンコール)】
しっとりと落ち着いた音色が、サラバンドの旋律にとてもよく合っていました。美しかった。
客席は無音。今日の客席、マナーがすごくいい。客自体が少ないせいもあるでしょうけど
演奏後はだいぶ長い時間、楽器を下げませんでしたね。
先日のシャハムと今回のカヴァコスには、ヴァイオリンの音の魅力をいっぱい教えてもらえました。


【シューベルト:交響曲第8 ハ長調 D.944 「ザ・グレート」】

ものすごく感動しました。

こういう演奏にやっと、やっと出会えた。。。。。。

ハイティンク×LSOのミューザでのあのブルックナーからずっと、こういう演奏にもう一度出会いたくて、今日までクラシック演奏会に足を運んできたんです。素晴らしい演奏には沢山出会えてきたけれど、どうしても出会うことのできなかった一つの感覚があって。諦めかけていたんです。あの感覚に出会えなくても他の魅力をもった素晴らしい演奏は沢山あるし、と。でも心のどこかで、どうしてももう一度出会いたいと思ってしまっていた。
それがどういうものかを言葉で説明するのは難しいのだけれど、言うなら、全体としての「一つの交響曲」の世界。四つの楽章の集まりではなく、一楽章から最終楽章へと続く一つの完結した世界。そしてそこに当たり前に自然に存在している、作曲家の心。この世の苦しみも悲しみも後悔も、全てを包み込む、音楽の温かさと軽みと美しさ。そんな音楽を作ることのできる、人間の崇高さ。愛らしさ。
演奏が進むにつれ次第に漂い始める、ゆっくりゆっくりと「どこかへ向かっている」気配。

全てがここにある、と感じた。
ずっとずっと聴いていたかった。でもその気配は、決して焦ることなく、でも着実に歩みを進めていて。
長い息で幾度も繰り返される旋律は、永遠に続くようでどれ一つとして同じではなく、ゆっくりゆっくりと、やがて還るべき場所へと向かっていた。
「天国的な長さ」とはきっと、この世界とは異なる時間の流れなのだと感じた。
そこではおそらく、シューベルトの一生も、ブロムシュッテットの一生も、どんな人間の一生も、その長さは同じなのだ。
シューベルトの人生は短かった?
違う。
どんなに短い一生でも、どんな人の一生にも、きっとそこに「全てはある」のだ、と。

最後の方にはブロムシュテットの体に光が見えました。本当ですよ。あの日のハイティンクに見えたのと同じ光(ちなみにあの時のミューザもガラガラでした)。どんどん思うとおりの、あるいはそれ以上の音を出していくオケの音に包まれた指揮者の、なんて幸福そうな表情。P席から見ると、ブロムシュテットが「音楽そのもの」に見えた。
この日の客席は最前の二列が中学生か高校生の学生さん達で(とても行儀がよかったです)、これからの生きる時間の方がずっと長いこの子たちと、今こういう演奏をしてくれている90歳の、まるで少年のような表情で指揮台に立っているブロムシュテットと。そんな光景を見ながら、この演奏を聴いていました。

今日のオケの集中力は、ちょっと言葉にならないものでした。
幾度同じフレーズが繰り返されても、その度により一層心動かされる、いつまでもいつまでも聴いていたい「音楽」がそこにありました。上手下手を超越していた。
これは今しか聴けない演奏だ、と聴きながら強く感じていました。例え二日後に同じ曲をサントリーでやるとしても、これと同じ演奏はきっと聴けない、となぜか強くそう感じたんです(どちらが良い悪いではなく)。「今」しっかりと聴いておかなければいけない、と。

こんなに大きくて温かな世界を見せてくれたブロムシュテットさんとオケには感謝しかありません。
そして今日この会場でこの演奏に感動した人とは、今後どんなことがあっても、全てを許し合えると感じた(実際知り合いはいませんでしたが)。声高な主張はなくとも、こういうものこそが本当の「音楽のもつ力」なのではないだろうか。

あれからこの夜のグレートの響きがずっと耳の奥で鳴り続けています。本当に、一生ものの宝物をいただきました。ありがとう、ブロムシュテットさん。

サントリーホール、NHKホールの感想はまた後ほど。

※今日の演奏はブロムシュテットがSKDと録音している演奏より全体的に早めで若々しかったです。でも勢いで押すことは一切なく、私は今日の演奏の方が好きでした。

※ブロムさんて元々はヴァイオリニストだったんですね(こちらの記事より)。カヴァコスの指先凝視はそういう理由もあったのかな。この記事によると、ブロムさんがタイムスリップして会ってみたい作曲家はバッハとシューベルトだそうです

※予定されていたカヴァコスのサイン会は「熱演による疲労のため」中止。本当に素晴らしい熱演だったものなあ。。。お疲れさまでした。


~ブロムシュテットの言葉(kajimoto公式ページより)~

「ゲヴァントハウス管は、まずなによりも、典型的なドイツのオーケストラです。どういうことかと言うと、音色がかなり暗めで、ずっしりとした豊かな響きをもっている。低音が土台であるためコントラバスは5本の弦をもっています。4本であるのが普通で、たとえばアメリカでは、5弦をもつコントラバスはほとんど見かけません。4本のものばかり。しかしドイツのオーケストラは、低音を基盤に響きをつくるため、さらに低いC音の絃を備えた楽器を用いるわけです。
 ゲヴァントハウス管の第二の特徴は、古典的なレパートリーに腰を据えて取り組んでいるということです。演奏会は録音されて放送されることになっていますが、ゲヴァントハウス管は、(公共放送の文化役政策上の役割を考慮して)新しい作品を優先的に紹介しなければならないという義務を負っていません。ゲヴァントハウス管のレパートリーの中心にはドイツ音楽があります。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー…。もちろん近・現代の音楽も演奏しますし、さまざまな国の音楽を取り上げてきました。ゲヴァントハウス管のフランス音楽の演奏はとても素晴らしいし、イタリア音楽も見事です。さらにロシアのもの、北欧やイギリスのものも一流です。でも中心は、やはりドイツ音楽にあります。

 したがって11月の日本公演で演奏するのも、すべてドイツ音楽です。それどころか、すべてライプツィヒで、ゲヴァントハウス管によって初演された作品です。ブラームスの《ドイツ・レクイエム》も、そのヴァイオリン協奏曲も、シューベルトの大ハ長調の交響曲も、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やブルックナーの第7交響曲も、すべてがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の演奏によって産声をあげた作品ばかりです。もちろん時代は変わりましたが、このオーケストラの演奏様式は世代から世代へと引き継がれて、それほど大きく変わってはいません。新しい世代の楽員たちは、つねに演奏をとおして経験から伝統を身に着けてゆきます。この伝統は、とくに楽節のつくり方に顕著です。私たちは「バーン」と荒々しく音を出すことはなく、「ティー」とつねに美しく音をつくります。つねに美しく柔らかで、非常に力強い音を出すときにも、「ビャン!」と突発的な乱暴な音ではなく、「ブワァーン」と温かく柔らかです」


「私が80歳を過ぎてからウィーン・フィルと初共演をすることになったとき、友人の或る音楽批評家が、きみは大丈夫さ、楽員たちはみな君のことを尊敬しているから自動的にうまく進むよと言ってくれましたが、無論これは冗談で、演奏が自動的に進んでしまうのは、けっして望ましいことではありません。音楽の演奏に必要なのは表現の密度の高さなのです。しかも、それは物理的な音の密度ではなく、精神的なそれなのです。そこに音楽の芸術としての偉大さもあります。大きな動きを伴った物理的活動は音楽とは無縁のもので、そのエネルギーは芸術家の個性に由来するものなのです。指揮者が及ぼす物理的な作用が少なければ少ないほど、精神的な密度がより高ければ高いほど、よい結果が生まれることはよく知られています。オーケストラというのはタクシーではないのですから、あっちへ行け、こっちへ行けと次々に指示されてもうまく走れるわけではありません(笑)。よい結果は高度な集中から生まれるものなのです」


「たとえば演奏旅行ですと、同じ作品を繰り返して何度も演奏しますが、そのひとつひとつが違ったものでありたい。もっとよいものでありたい。いつも、そう念じています。繰り返しではなく、毎回が新しい始まりでありたいと願っています。音楽家は、やはり探究者なのです。新しいものに到達することを目指して、だが、永遠に果てしがない。指揮者はオーケストラと手を取り合って、その道を進んでゆくのです」

聞き手・文: 岩下眞好(ドイツ文学・音楽評論家)

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ボストン交響楽団 @サントリーホール(11月7日)

2017-11-10 02:00:48 | クラシック音楽

5日の川崎に続き、ネルソンス&ボストン響のサントリー公演に行ってきました。
仕事を1時間早退してPAULで夕食をとり、サントリーホールに着いたら、物々しい警備。
今回はどなた??
皇太子さま&雅子さまでした(RB▽地帯の最前列)。


※以下、クラシックど素人の自分用覚書のためだけの感想です!!

【チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調】
シャハムは演奏前と退場時に皇太子ご夫妻にペコリと笑顔でお辞儀。外の空気は物々しくても、中はネルソンスとシャハムの人柄で和やかないい感じ。
演奏は、すっっっごく楽しかったです
このオケの音に慣れたという理由もあるし、近くで聴いているとン?という瞬間は今夜も皆無ではないけれど、サントリーホールは良くも悪くも音をクリアに拾わずに包み込むので、細かな粗が気にならない。殆どの奏者にとってはサントリーの方が演奏しやすいホールなのではないかなぁと今回改めて思いました。一方でヤンソンスさんはそういうミューザの特色を愛してくださっているのだなぁとも改めて。
オケも指揮者もソリストも熱かった。
第一楽章から聴いていてわくわくしっぱなしでした。
川崎のときにシャハムの調子が絶好調ではないような?と書いたのはちょっと飛んでる音があるように聴こえたからだったのだけど、あれは調子云々じゃなく、「憑依 >丁寧」な演奏だったのね。ソリストと指揮者とオケの掛け合いに、思いっきり協奏曲のライブの楽しさを味わわせてもらえました。近付きすぎでしょあなた達なネルソンス&シャハムのコロコロ変わる表情も、見ているだけで楽しい。
先日も書きましたが、この曲のこういうストレートで明るい演奏は、私は大好きなんです(そうじゃない演奏もいいけどね)。それでもボストン響の音って明るすぎることはないし。
とっても楽しく、幸せな気持ちにさせてもらえた今夜のチャイコフスキーでした。大満足です。ありがと~

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番より「ガヴォット」(ソリスト・アンコール)
前曲の熱が引かないままの少々熱すぎなバッハではあったけれど(川崎ではもうちょい落ち着いてた気がするけど)、やっぱり今夜も誠実で明るくてまっすぐで、ポジティブな気持ちにさせてくれたアンコールでした。でも足音バンバン響かせすぎだわ、シャハムさん

(20分間の休憩)

【ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」】
ショスタコーヴィチの曲を聴くのは2回目です。一回目は2008年のハイティンク×CSOの交響曲4番。私が人生で初めて聴いたオーケストラのコンサートでした。プロムスでしたのでアリーナで立っていたら、後ろのイギリス人のおじさんが「ショスタコーヴィチ、いいよねー^^」と。「俺、大好きなんだけど、あまり一般的には人気ないよねー^^」と。(同じコンビが前日マーラーをやっていたのにあえて今日を選んだんだから)当然君達もショスタコファンっしょ^^?てな雰囲気。いや私のお目当ては前半のモーツァルトのピアノ協奏曲で、“しょすたこーびち“という作曲家は今回初めて名前を知ったし、どういう曲かも知りません、とはとても言えかった。なに、“しょすたこーびち“って人気ない作曲家なの?と不安にさせられつつ、そして始まった演奏。ワタクシ、このときまで本当にショスタコーヴィチがどんな音楽を作る作曲家か知らず、頭の中はまだ前半のモーツァルトモードだったのですから、そのときの衝撃がどんなだったかお察しいただけるでございましょう。そして演奏が終わった後の会場の「ぶらう゛おぉぉぉ~~~~~」というおっさんたちの雄叫びとも何ともつかない大喝采(演奏中はすごく静かに聴いていました)。目の前の舞台には品よく笑っているハイティンク。それが私の初オケ体験でございました。ちなみに話しかけてきたおじんさんも満足気な様子で帰って行きました。家がロンドンじゃないから今から鉄道で帰らなきゃいけないんだ~って。
そんなわけでいつかまたショスタコーヴィチを生で聴きたいな~と思っていたところ、ちょうど聴いてみたいと思っていたボストン響がやってくれたので、チケットゲット。

で、ネルソンス×BSOの11番の感想なんですけど。 

私にとっては良くも悪くもこのコンビに対する川崎の印象の再確認になってしまったような、ショスタコ11番でございました。
ネットは絶賛評が殆どですが、ネガティブ評の方は「リアルな虐殺の血生臭さが足りない」というものが多かったように思います。ですが私はリアルな血生臭さは別にそこまで重要だとは思っていないのです(もちろんあってもいいです)。これは戦争ドキュメンタリーではなく音楽ですし。
私が今回の演奏で最も気になってしまったのはそこではなく、川崎と同じく、このコンビの演奏の「情感」の薄さでした。
たとえば2楽章で幾度も繰り返される「おぉ、皇帝われらが父よ」のフレーズ。これは、もう後がないところまで追いつめられた民衆達の、皇帝に対する命をかけた最後の懇願でしょう。そこにあるのは怒りだけではないはず。ここで切々とした彼らの想いが胸に届いてこないと、3楽章で鎮魂の気持ちを持つことができなくなってしまうのよ。。。
あれはネルソンスの意図なのでしょうか。それともネルソンスは情感を出したいのだけどBSOができていないのでしょうか。

4楽章ラストなどの、良い意味で整いすぎていない音色、とんがった、でも太くパワフルな金管。それは本当に存分に楽しませていただけました。この曲ではこういう部分もとても大事だと思うので、川崎のこのコンビの良い印象の方を再確認できました。
銃撃による虐殺シーンは、サントリーホールでは音が飽和して籠ってしまって、ちょっともったいなかったな。こういうの、このオケは上手いように思うので。

本日のアンコールは2曲。
ショスタコーヴィチ:オペレッタ『モスクワのチェリョムーシカ』作品105より「ギャロップ」】
これはもうこのコンビの魅力が100%出ていました。鮮やか!お見事!最高に楽しかったです

バーンスタイン:管弦楽のためのディヴェルティメントより第2楽章「ワルツ」】
アンコール前のスピーチでも言っていたけど(皇太子ご夫妻がいらしたので今夜はあの楽しいスピーチはないかなと思っていたら、やってくれた♪)、これはバーンスタインがボストン響のために作った曲なのだそうですね。なるほど、さすがに聴かせてくれました やっぱりちょっと情感が足りない気もしたけど、違和感はあまりありませんでした。

P席へのオケの一斉挨拶はなかった、ですよね(ちょっと記憶が曖昧になってきてるけど…)。そういう海外オケって珍しいような・・・。でもパーカッションや金管など後方の一部の方達が自主的に振り返って笑いかけてくれて、それが皆さんとっても優しい笑顔で、嬉しかったです

さて、今日はソロカーテンコールまで残るか否かどうしましょう、チャイコフスキーとアンコールはすごくよかったし、と考えながらコートを手に取ってふと斜め上を見ると、皇太子さま&雅子さまがまだ拍手をし続けておられる・・・!(実はお二人の存在を忘れていました^^;)。一般の客も帰り始めているのに!なかなか声をかけられずに戸惑っている様子のお付きの人達。この光景にちょっと感動してしまったので、私も残って拍手。ほどなくネルソンスが出てきました。今夜はもちろんTシャツ姿じゃなかった笑。周りはみんなスタオベしていましたが、私はショスタコ演奏へのささやかな意思表示としてスタオベはしませんでしたです。このときは手を伸ばせば届くような距離でP席にも満面の笑顔を向けてくれていたなか、座り続けた私を褒めてくださいまし(でも笑顔でいっぱい拍手はしたよ!)。いつか一番にスタオベしたくなるような演奏を聴かせてくださるのを、心から楽しみにしています。ああ、こんな風に普通に数十年後まで思いを馳せることができるのは、若い指揮者の良さだなあ。ネルソンスはワタクシと同世代なので、一緒に年を取っていける指揮者です。まあ私が年金生活になる頃にはサントリーホールに来られるような経済状態にないと思いますけどね。あるいは一年に一回だけの楽しみとかね。

そしてネルソンスが袖へ引っ込んだ後に、皇太子さま&雅子さまがご退場。残っていた客席から拍手。客席にそっと手を振ってくださいました ふと舞台を見たらBSOの人達も下手の方に固まってお二人に拍手してくださってた笑。

ところで、ツイッター等で今回もフラブラ&フラ拍手に対して多くの批判が出ていますが、マーラー9番やアルプス交響曲みたいな終わり方の曲は別として、それ以外は、演奏や指揮者や会場の空気によって臨機応変でいいのではないかと思うのです(まあ大抵の場合はアウトだと思いますが)。その空気を読めない困った客がいるから、ルール化したくなる気持ちもよーくわかりますけれど・・・。でも終わった瞬間のブラボーや拍手がそのときの空気に最高に合うときだって皆無ではないと思うんです。ちなみに私は今回のコンビのチャイコフスキーVn協奏曲の第一楽章が終わった瞬間、拍手がしたくてたまらなかったです(←通常なら二重のアウト)。まぁでも、難しい問題ですね・・・。



suntory hallのtwitterより。7日のチャイコフスキーのネルソンス&シャハム ブラヴォー!


皇太子さまと雅子さま ©New My Royals



アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 第1楽章より(ヴァイオリン:ギル・シャハム) 2017年11月7日、サントリーホール
7日のネルソンス×シャハム×ボストン響のチャイコフスキーのハイライト2分20秒をサントリーホールがあげてくれた
ライブではすんごい楽しかったけど、こうして録音で聴いてもやっぱり楽しい

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ボストン交響楽団 @ミューザ川崎(11月5日)

2017-11-06 01:57:20 | クラシック音楽




以下、年に数回の演奏会(とその予習)以外ではクラシックをほとんど聴かないド素人の感想です。普段まっっったく聴きません。なので知識もありません。
自分用覚書として好きに書いているので、「ど素人のくせにエラそーなこと書くなよ」と言いたくなるタイプの方は読まないでね。


今月は来日オケラッシュですが、私はボストン響×2、ゲヴァントハウス×3です。今年はそれでお終い。
さて、ネルソンスとボストン響。どちらも、録音でも生でも演奏を聴くのは今日が初めてでした。
アメリカのオケを聴くのは、ハイティンク×シカゴ響、ムーティ×シカゴ響に続いて3回目。
開演前の舞台での音出しは、爆音がトイレの個室にまで喧しく聴こえていたCSOと比べると、こちらは大人しめ。同じアメリカの楽団でも個性は様々なんですね。
客席の埋まり具合は6~7割位でしたでしょうか。それでもハイティンク×LSOやヤンソンス×BRSOよりは埋まってたかなぁ?同じくらいか?ちなみにハイティンクもヤンソンスもD席9000円でした。今回は同じ席が12000円。高いよ・・・・。ハイティンク×LSOのブルックナーなんて私にとってはあれを超える演奏会にいまだ出会えていない素晴らしさだったのだけど、演奏会の値段の付け方ってどうなってるのだろう。もっとも公式サイトを見るとBSOってホームでも結構高いようなので、そのせいもあるのかな。

【チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調】
昨年のヤンソンス×BRSOでは、大好きなご主人様に懐く元気で毛並みのいい大型犬のように見えたシャハムさん。今回はステージ上に大型犬×2がいるように見えた笑。コリー犬(シャハム)とセントバーナード(ネルソンス)的な。そしてどちらも全身で全力で「音楽が大好き!」って言ってるの
昨年のベートーヴェンでは少々音色がストレートで温かすぎに感じられたシャハムだったけど、そのクリーンで素朴な明るい音色がこの曲にはとても合っていると思いました。youtubeで色々なヴァイオリニストのこの曲の演奏を聴いたけど、個人的にシャハムのはかなり好みです。
今日は絶好調という感じではなかった気もしたけど、特に2~3楽章はすごくよかった

ボストン響の演奏は、想像していたものとはちょっと違って。
シカゴ響+ヨーロッパ臭=ボストン響かと勝手に想像していたのだけれど、シカゴ響の恐ろしいほどの精緻なアンサンブル(一つの楽器に聴こえるアレ)や、演奏のある種の「完璧さ」(好みは別として)は、意外なことにBSOにはなかった。あと、私には弦の音色がちょっと濃密じゃないというかスカスカした感じに聴こえたのですが、これは真逆の感想も多いので、座った席によるのかな。一方でムーティ×CSOのときはその美しいけれどあまりに影のない明るい音色と演奏に「このコンビのチャイコフスキーは二度と聴かん」と思ったけれど、ネルソンス×BSOは思っていたより土臭い音も出ていて、これは嬉しかったです。3楽章の終盤はカッコよかった!
ちなみにしっとり&こってりした情感は、ネルソンス×BSOはほぼ皆無のように感じられました。一楽章のあの主題もさっぱりめ。ラフマニノフは現地での評判はすごくいいようだけど、この感じだと、どうなんだろう(私は行けないけれど)。

この曲は火曜日にもう一度、今度はサントリーホールで聴くので、楽しみです♪

【J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番より「ガヴォット」(ソリスト・アンコール)】
このアンコール、美しかった
この人の演奏を聴いていると、音楽って素敵人間って素敵とポジティブな気持ちになれる。

(20分間の休憩)


【マーラー:交響曲第一番「巨人」】
ネルソンスの指揮って、この人が表現したいであろうことが子供のようにわかりやすく現れていて、見ていてとても楽しい
キメどころはしっかりキメてくれるところは、やっぱりヤンソンスさんのお弟子さんですね~。一楽章のラストがばっちりキマった瞬間、ぱッと嬉しそうに笑った顔には思わず恋してしまいそうでありましたよ。隠れた音もしっかり聴こえさせるところもヤンソンスさんに似てるなぁと感じました。

この曲を生で聴くのは二度目です。一度目は昨年のムーティ×シカゴ響(このコンビで私が唯一いいように感じられた演奏)。
先程も書きましたが、シカゴ響の驚異的な音の崩れなさや金管の輝かしさと比べると個人的にこのマーラーの演奏もツッコミどころが多く感じられたのですけど、私はこの演奏、好きでした。
今までどんなに解説で「1番はマーラーの青春を表現している」と言われても、CSOの演奏でも、youtubeで色々聴いても、あまりそう感じなかったのです。でも今日の演奏を聴いて、「おお、青春だ!」と感じた。
ときどき現れる鋭い音と静けさの対比、強弱、緩急の変化が新鮮でした。なるほどショスタコ得意そうだと思った。
音楽が自然に流れずに指揮者の意図が割とはっきりと音に出てしまっているのは気になったけれど、そこに嫌なあざとさを感じさせないのはネルソンスの人間性ゆえなのかも。そのうち演奏の不安定さまでも「青春だ!」と聴こえるようになってしまった。CSOでは感じられなかった金管の影のあるとんがった音色も、青春の暗さが感じられるようでよかったです
が、先程も書きましたが、ロマンティックであるはずの部分でもロマンティックさはほぼ皆無でありました。なかなか情感的には歌ってくれない。そういう部分になると途端にフラットな演奏に聴こえてしまったのだけれど、あれは指揮者の意図だったのかどうなのか。

とまぁなんのかんの思いつつ、なかなか楽しめたマーラー1番ではありました。
そういえば4楽章の最後に速度を上げていってガーッとフィナーレを迎えたところ、海外のレビューで「楽譜どおりだが、そうしてしまうと感動を得にくい」というのを見かけたけど、私は青春ぽくていいと感じました(ムーティはもっとどっしり系だった記憶)。ホルンは今回も立たせていました。あれ楽しくて大好き。最後の「チャン↘チャン!!」は、その直前が盛り上がるだけにyoutubeで聴いてるとここでちょっと拍子抜けする演奏も多いように思うのだけど(あえて軽くしている演奏もあるのだと思うけど)、ムーティ×CSOと同様にネルソンス×BSOもしっかり盛り上げきってくれて満足でした。

そうそう、1楽章冒頭でトランペットがバンダをしていましたが(CSOでもしてたっけ?)、戻ってくるときに普通に靴音が響いていて、自由だなと感じました笑。戻ってすぐに吹いていたので、時間的にギリギリなんですね。


【ベートーヴェン:「エグモント」序曲op.84(アンコール)】
――の前に、舞台上のネルソンスがいきなり客席に向かって大声で「レイディースあんどジェントルメン!」→客席大爆笑
舞台上の指揮者が客席に話しかけるだけなら珍しくはないかもだけど(先日のチェコフィルもそうだったし)、あの大声が笑!この人面白い!真面目なのか冗談なのかわからないところも面白い!
「残念ながら私は日本語が話せません!」→客席爆笑
「英語も上手く話せません!!」→客席大爆笑。まさかの自虐ネタ投下。ここでネルソンス、オケを振り返ってグッ(ツカミはOK的な)
「今日はこの素晴らしいホールでボストン響と演奏ができたことをとても嬉しく思います。ベートーヴェンのエグモントを聴いてください」

これ、とてもよかった。アンサンブルもほぼ完璧だったけど、演奏し慣れてる曲なのかな。

ソロカーテンコール。かなり長い時間拍手が続いていて、私は割とさっさと外に出てきてしまったのだけど(正直ソロカテコほどだろうか?というのもあり)、ツイッターで話題になってた「音楽魂万物」のTシャツ姿で出てこられたそうで、その格好は見たかったな笑。
次回は、二日後。ショスタコーヴィチ@サントリーホールです。楽しみ!

※7日の感想はこちら

※このネルソンスのインタビュー↓、なかなか面白かったです。
「Sound and Spirit」
特に目新しいことは書かれていませんが、彼の人柄の良さが出ていて。
ネルソンスはカトリックなんですね。マーラーやショスタコーヴィチと神との繋がりをどう考えるか、などについて言及しています。日本人のような無宗教の人達と音楽についても。そういえばシャハムはペライアと同じでユダヤ系アメリカ人なんですよね。

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